昇魂薬、という薬がある。古くは共和国誕生以前か存在するこの劇薬は、ある果実と魔物の発する瘴気、そして膨大な魔力を特殊な製法で発酵させて完成する。古くは邪教の戦士が服用する増強剤として使われてきたそれは、余りにも強い副作用によって普及することは無かった。
しかし。命を厭わぬ狂信者によって使われ続け、製法もまた伝承されていった。あくまで、一時的に心身を高める薬として。細々と受け継がれていた昇魂薬は、だが今になって王国共和国問わず各地にばら撒かれていると言う。王国は問題と受け止めておらず、共和国も首謀者を捕まえることは出来ていない。果たして、誰の仕業なのか。
「まぁ、ボクの仕業なんだけどね」
大型の魔法陣の中心に立ち、青い長髪を地面近くまで伸ばした美女が呟いた。彼女は魔法陣に浮かぶ細かな魔力を観測しながら、つまらなそうに上を見やる。
「色々と調べてるなぁ。前のおねーちゃんもボクの居場所を見つけたし、思ってたよりも優秀だ。・・・・・・でもなぁ。うーん、最初は楽しそうだと思ったんだけどなぁ」
彼女が今いる場所は、古い時代の遺跡のような空間だ。燭台で僅かに照らされているその場所には、人間が到底耐えられない程濃密な瘴気で満ちている。そんなおぞましげな場所で、魔法陣に魔力を注ぎつつ彼女は喚いた。
「あぁもう!やだなぁ、真っすぐ来る人なんて誰もいないじゃん!ボクだって遊びたいのに、こんなんじゃつまんないよ!大人ってこれだから嫌なんだ!ボクの思い通りになってくれないんだから!」
闇に響く声。それに答える者は誰もいない。『暗礁』の魔術師は歪な杖を握り締め、ブツブツと独り言をまき散らした。
「共和国の方じゃ手駒がどんどん潰されるし!別にそこらにいたどーでもいい奴らだからいいんだけどさ、いちいち洗脳したり記憶弄ったりするのも大変なんだから!もー、共和国側からは手を引こうかなぁ。最近は王国での需要も増えてるし・・・・・・」
愚痴りながらも、魔力の操作は緻密かつ正確だ。膨大な魔力がとめどなく魔法陣に流れ、そこから地面を通じてどこかへと巡っていく。三方に置かれた大釜からは瘴気が噴き出し続け、どろりとした液体が急速に煮詰められていった。
「あーもー、にーちゃん早く帰ってきてよぉ!ボク、そろそろ飽きてるんだから!」
彼女の叫びに、しかし答える者はいない。おぞましい程の瘴気が揺蕩う中で、『暗礁』は幼子のように愚図るのだった。
魔物が倒されてから数日が経った。グロムさん達は怖い顔をしながら色々と動いていて、私が手伝う隙も無いくらいだ。
「はぁ・・・・・・」
正直、皆さんが話していることはよく分からない。里に危険が迫っているのは分かるけど、なんで皆さんはあんなに張り詰めた顔をしているんだろう。昇魂薬だったっけ、あの薬が関係してるらしいんだけど・・・・・・。
「魔物、かぁ」
ずっと隠れ里で暮らしてきた私にとって、魔物という存在は馴染みの無いものだった。里の近くに魔物が現れると、すぐに守り神様が倒してくれたからだ。普通の動物よりも危険で、瘴気を纏った存在。それくらいしか、知らない。しかも、最近現れた蛇の魔物は普通じゃないらしい。なんでも、昇魂薬を飲んだせいで魔物になってしまった人間、だとか。
「・・・・・・怖いな。嫌な、感じ」
ニコニコ糸目の伯爵さんが言っていたけど、昇魂薬はとても危険で、存在してはいけないものらしい。こうなることが分かっていたら、ひいおじいちゃんのお話をもっと聞いていたのにな。そうすれば、何か分かることがあったかもしれないのに。
今の私に、グロムさん達を手伝えることは無い。悔しいけど、せめて出来ることをしよう。そう思いながら、私は皆さんに差し入れするご飯を作っている。窯で焼かれた麦パンに、色んな野菜を挟んだ軽食だ。この前教えてもらったドレッシングと卵を混ぜて、これもたっぷりと挟む。視察団の人が、作業中にこういうものを食べたりすると言っていたのを思い出して作ってみたんだけど、皆さん気に入ってくれるかな。
大きめのバスケットに野菜と卵のサンドをいっぱい詰めて、私は家の外に出た。えっと、まずは・・・・・・。
「おや、ミュリアさん。どうしました?」
「あ、ラソンさん!えっと、もしお腹が空いていたらいかがですか?」
里の人達に聞き込みをしているらしいラソンさんを見つけ、駆け寄る。バスケットを開けると、彼は片眉を上げて嬉しそうな声を上げた。
「ほぅ。これはミュリアさんの手作りですか?美味しそうだ」
「前に話を聞いて、作ってみたんです。よければ、どうぞ」
「では、喜んで。んむっ・・・・・・うん、美味しい。素材が新鮮で瑞々しいから、舌触りもしっかりしてますね」
「そうですか?良かった・・・・・・!」
味見はしていたけど、舌に合ったみたいで何よりだ。少し上機嫌になりながら、一礼して他の人を探す。
「・・・・・・ん。何をしている、お嬢さん」
「ミュリアか。どうした?」
守り神様の小屋近く、話し込んでいる守り神様と『水禍』さんを見つけた。う、うーん。『水禍』さんはちょっと苦手だけど・・・・・・でも、里を守ろうと頑張ってくれているし、うん。
「えっと、軽食を作ってきたんですけど・・・・・・いかがですか?」
「そうか。助かる、ミュリア。ありがたくいただこう」
「これは、ふむ。洒落ているではないか。もらっても?」
「は、はい」
おずおずとバスケットを差し出すと、守り神様は二つまとめてつまんで口に放り込んだ。『水禍』さんはそれを訝しげに見ながらも、ちゃんと受け取って食べてくれたみたい。
「うむ、美味い。相変わらず料理上手だな、ミュリア」
「ありがとうございます、守り神様。茹でた卵を潰したものと、ドレッシングを混ぜてソース代わりにしてみたんです」
「ん、む。美味いな。このような場所で、流行りの料理が食えるとは。お嬢さんは相当腕の立つ料理人になるぞ」
「えっと・・・・・・ありがとうございます」
流行りの料理、なんだろうか。一度都市に行ったことしかないから、その辺りのことはよく分からない。褒めてくれてるみたいなのは、伝わってきたけど。
「それで、えっと。お二人は何を?」
「ん、あぁ。森の結界が、ある程度張り直せたからな。更なる備えを相談していた所だ」
「まぁ、お嬢さんに話すことでもあるまい、異形よ」
・・・・・・む。若干見下されてる気がするけど、私に魔術の知識は無いから仕方ない。ちゃんと野菜卵サンドを食べてくれたし、良しとしよう。
「じゃあ、私は他の人にも配ってきますね。頑張ってください!」
ぺこりと頭を下げて、場所を後にする。・・・・・・守り神様をちゃんとサポートしているらしい『水禍』さんに、ちょっとだけ嫉妬してしまった。
「おや、ミュリア殿ではありませんか!お元気でしたか?」
少しだけ落ち込みながら里の中を歩いていると、上空から声がかかる。見上げると、沢山の荷物を持ったカロロさんが丁度舞い降りてくる所だった。
「カロロさん!戻ってきたんですか?」
「えぇ、またしても三日振りに!ワタクシの優秀さは留まる所を知りませんなぁ!チチチチチッ!」
そう言って胸を張るカロロさんだけど、やっぱり疲れは隠し切れていない。エリンドと隠れ里をずっと往復しているみたいで、とても大変そうだ。私にも翼が生えてたらなぁ。
「お疲れ様です。本当に凄いですね、カロロさんは。あっ、よければこれどうぞ」
普通のことしか言えない私は、誤魔化すようにバスケットを差し出した。カロロさんは興味深げに覗き込むと、目をキラキラさせて声を上げる。
「ほーう!ミュリア殿の手料理ですかな!これは素晴らしい、早速いただきますとも!」
風みたい素早く手を伸ばして野菜サンドを手にしたカロロさんは、小さな口を目一杯に開いてかぶりついた。美味しそうに目を細めて頬張るその姿に、思わず和んでしまう。
「うーん最高!これはパンの方にも何か塗ってありますな?だから味に深みが出ているのでしょう!」
「わっ、流石ですねカロロさん!実はちょっとだけ工夫してて、えっ?」
隠し味に気付いてくれたことが嬉しくて、説明しようとした所で風が吹いた。同時に日が遮られて、もう一人、誰かが空から降りてくる。あれ、あの人って・・・・・・。
「カロロ様、ついていけず申し訳ありません!」
「チャロさん?どうしてここに・・・・・・」
翼を閉じながらカロロさんに頭を下げているのは、私の知ってる人だった。チャロさん。オーギスさんやイニマさんと一緒に、冒険者?という仕事をしていて、初めてエリンドに行く途中で出会った鳥の亜人さんだ。
「チチチッ、いやいやチャロ殿も結構な速度ですとも!長時間飛ぶことに慣れれば、ワタクシを超えることも可能やもしれません!」
「そ、そんなことはっ・・・・・・!」
「元よりチャロ殿は水薙鳥の亜人!長距離飛行という点ではうってつけです!徐々に慣れていけばよろしい!」
「は、はいっ!」
嬉しそうに頷くチャロさんは、疲れた様子なのにとても生き生きとしてるみたいだ。なんだか、とっても微笑ましい。
「あの、お久しぶりですチャロさん。お腹、空いてないですか?」
「ん、ミュリアか。そりゃ、お腹は減ってるけど」
「その、よかったらこれどうぞ!」
「これは・・・・・・パン?いいのか?」
「はい、是非!」
差し出されたバスケットを目を丸くして見つめ、チャロさんはおずおずと手を伸ばした。いつの間にかカロロさんが持ってきた水を飲みつつ、野菜サンドを口にする。
「ん・・・・・・!美味しいな、これ」
「よかった、口に合ったみたいで何よりです!」
にっこりと笑ったら、何故かチャロさんは顔を赤くしながら目を逸らしてしまった。なんでだろう?
「おっと、そうでした。ミュリア殿には伝えておいた方がいいでしょうな。実は、チャロ殿だけではなくオーギス殿とイニマ殿も後で里に来るそうです!我々の味方として!チチチチッ!」
「えっ、そうなんですか!?」
とても驚いた。だって、今の私達、隠れ里の状況はとても悪いものだと思っていたから。まさか、協力してくれるなんて。
「か、勘違いするな。僕はただ、憧れのカロロ様の役に立ちたくて・・・・・・」
「それでも、ありがとうございます!わ、私じゃチャロさん達にお礼も出来ないけど、本当にありがとうございます!」
「そんなに頭下げるなよ・・・・・・僕達は、ちゃんと依頼を受けたし報酬も貰うんだ。感謝される立場じゃない」
「でも、私達を助けてくれるのは事実じゃないですか!せめて感謝はさせてください!」
「う、うんぅ・・・・・・」
変な声を上げて、チャロさんは私から距離を取ってしまう。顔真っ赤だし、もしかして体調が悪いんだろうか?
「おっと、ミュリア殿!どうやらあちらにグロムがいるそうです!折角なので、グロムにも手作り料理を味わってもらいましょう!」
「え、あっ、はい」
カロロさんに背中を押されるように、私はその場から離れて指示された方向・・・・・・里長の家へと向かう。なんだろう、ちょっとカロロさんの態度に変な感じがしたけど・・・・・・きっと、気のせいかな。
「おや、どうしたんだいミュリアちゃん。そんなおっきなバスケットを持って」
里長との話を終え、家から出た直後。大きなバスケットを提げたミュリアちゃんが、通りから歩いてくるのが見えた。こちらに駆け寄ってくる彼女に声をかけると、にっこりと笑ってバスケットを差し出してくる。
「えっと、皆さんお疲れだと思ったので。せめて、軽く食べ物でも用意出来たなって」
「お、そりゃ嬉しいね。丁度小腹が空いたところだったんだ。助かるよ、ミュリアちゃん」
バスケットの中身は大分減っているが、どうやらパンで野菜を挟んだものらしい。しかも、固い黒パンとは違う上等なものだ。
「こりゃ、手が込んでるねぇ。このパンはどうしたんだい?」
「鶏小屋のボードゥさんが、卵と一緒におすそ分けしてくれたんです。疲れてるだろうからこれでも食べて元気を出してって。あっ、勿論私も食べましたよ?」
「ありがたい話だねぇ。んじゃ、早速いただこうか」
俺たちは通りの隅に置いてあった材木を椅子代わりに座り込んで、野菜のサンドにかじりついた。瑞々しい数種類の野菜に、まろやかな玉子の風味、そして程よい塩味。栄養が疲弊した体に染み渡っていくような、優しい味だ。
「うん、美味い!素材もそうだが、やっぱりミュリアちゃんの腕がいいんだろうな。絶品だよ」
「えへへ、ありがとうございます!私に出来ることは、このくらいだから」
微笑みの影に、少し寂しさのような感情を滲ませているミュリアちゃん。ここ何日かは魔物やら昇魂薬やらでてんやわんやだったからな、疎外感を感じているのかもしれない。
「それでいいのさ。俺なんて、やろうと思っても料理なんざ作れない。精々が食材を全部鍋に突っ込んで、まとめて煮るくらいだ。だからまぁ、俺は俺に出来ることをやって、ミュリアちゃんは、ミュリアちゃんに出来ることをやる。そうやって助け合っていきゃあいいんだよ」
「・・・・・・ありがとうございます。分かってはいるんですよ。でも、里がこんなに大変なことになってるのに、私は全然役に立ってないし。弱気になっちゃ駄目、ですよね」
言葉とは裏腹に、ミュリアちゃんは吹けば飛びそうな程に縮こまっている。その様子に、ズキリと、心が軋むような痛みを感じてしまった。
「・・・・・・なぁ、ミュリアちゃん」
食べかけのパンをバスケットの中に置いて、真っすぐミュリアちゃんを見つめる。潤んだ彼女の瞳と俺の瞳がかち合い、瞳の奥の可愛らしい羊人の姿が見えた。
「俺は、ミュリアちゃんに随分助けられてるんだよ。この里に馴染めたのもミュリアちゃんのおかげだし、こうして美味い飯も食える。髪の手入れや洗濯だって、任せっきりだ」
「それは、その、私に出来ることはやった方がいいかなって」
「それだ。それと同じで、俺も出来ることをやった方がいいと思って色々やってる。年の功で、色々経験があるもんでね。でも、俺はミュリアちゃんのようには生きられない。当然だ、他人ってのはそういうもんさ」
俺の言葉に、少しだけ震えるミュリアちゃん。何を考えているのかは分からないが、俺は思ったことをそのまま伝えるだけだ。
「最初こそ戸惑ったが、今じゃあこの里は俺の故郷みたいなもんだ。絶対に、守りたいと思ってる。それはミュリアちゃんも同じだろう?」
「は、はい。当然です、私だって守りたい。でも、私にはその力が無くて・・・・・・」
「いや、ある」
「・・・・・・え?」
力強く言い切った俺に、ミュリアちゃんが目を丸くする。
「そんな、だって私は何も」
「それを言ったら俺だって何も出来てない。いいか、ミュリアちゃん。懸命に、やるべきことをやる。里の皆や異形の旦那、カロロやラソン、『水禍』。俺に、ミュリアちゃん。ここにいる全員が、やるべきことをやろうとしてる。そこにはなんの違いも無い」
「で、でも、実際に役に立つかは別の話で」
「ミュリアちゃんは役に立ってるじゃないか。現に、俺はミュリアちゃんからの差し入れを貰ってやる気がふつふつと湧いてきてる。パンを食べてくれた他の奴だって、きっと同じだ」
肩を掴み、真剣に語り掛けた。ミュリアちゃんが役に立ってないなんて、そんなことがあるものか。
「断言する。ミュリアちゃんは、俺にとって替えの利かない存在だ。隠れ里にとって、なくてはならない存在なんだよ。俺や、他の皆と一緒でな」
無駄な奴なんていやしない。隠れ里で暮らして、俺はそのことを強く思い知った。こんな理想主義的な考え、青臭いにも程があるよな。でも。
「だから、頼む。そんなに自分を卑下せんでくれ。俺と異形の旦那が落ち込んで、自身を卑下しそうになってた時に助けてくれたのはミュリアちゃんだろ?」
「う、うぅ・・・・・・グロムさぁんっ・・・・・・!」
抱えていたものが決壊するように、ミュリアちゃんは大粒の涙を零しつつ抱き着いてきた。しっかりと受け止めて、こちらからも精一杯抱き締める。
「おー、よしよし。思いっきり泣いちまえ。すっきりしたら、二人で前を向くとしようや」
「ううぅぅぅ、ひぐっ、グロム、さんは優し過ぎますよぉっ・・・・・・!」
「ミュリアちゃんが暗い表情をしてると、俺も辛いからな。笑顔が似合う可愛い顔をしてるんだから、さ」
背中をぽんぽんと叩きながら、おどけたように微笑む。そうだ、彼女にはずっと笑顔でいてほしい。テメェのわがままだろうが知ったこっちゃあない。形だけとはいえ夫婦なんだ、妻の幸せを願って何が悪いってんだ。
「んぐっ、ふうぅ、ぐろっグロムさんだって、え、笑顔が似合うんですからぁ!私よりずっと可愛いですよぉっ!」
号泣しながら叫ぶミュリアちゃん。そんなことは無いと思うが、今は言うだけ野暮だよな、うん。
こうして、ミュリアちゃんは日が落ちるまで俺に抱き着きながら泣き続けた。・・・・・・通りを歩く人達の視線が妙に生温かったのは、秘密ということにしておこう。
ミュリアちゃんは割となんでも出来る秀才タイプなんですが、戦いに関することは無知無知なので思い悩むことも多いのです。