早朝。その日は雲こそ多いものの、からっとした天気だった。
「はぁ・・・・・・」
一応の装備を整えつつ、副官は一人溜め息を吐く。最近、悩みっ放しだ。思えば、シリュート司令官に副官に抜擢されてから、ずっと悩んでいる気がする。
「・・・・・・いや、しっかりしないと」
恵まれた出自ではない自分を、司令官は取り立ててくれたのだ。そのおかげで、故郷の家族にちゃんとした仕送りが出来ている。その恩は、しっかりと返さねば。何度も何度も繰り返した思考で不安や嫌悪感を抑え込み、彼女は要塞の外に出る為通用門へと向かった。
「お疲れ様です、副官様。どのようなご用件でしょうか?」
「ちょっとした私用よ。これ、司令官の許可書。後、私が外に出たのは内密にね」
敬礼する兵士に書類を見せつつ、副官は周囲に視線を走らせる。幸い、門番の兵士以外に人はいないようだ。城壁の上で見張りをしている兵士達には、既に話を通してある。これなら、他の者にバレず取り引き現場まで向かうことが出来るだろう。それでも、居心地が悪いことには変わり無い。早足で門を潜り、目的の場所へと急いだ。
街道を暫く歩いた後、森へと逸れる。脳内にこの辺りの地理を思い浮かべ、副官は慎重ながら迷いの無い足取りで取り引きの場所に進んでいった。と、やや開けた場所に補給部隊の馬車が停まっているのが見える。兵士が6人、馬車の周囲で武器を構え警戒しているようだ。まだ距離がある場所で立ち止まり、彼女は口を開く。
「ラオ要塞からの者です。第八特務補給隊ですか?」
その声に過剰に反応する兵士達。物々しい雰囲気で副官に視線を向け、そのままずかずかと歩いてきた。槍も下ろさぬまま、問いかけてくる。
「証明出来るものは?」
「こちら、司令官からの命令書です。確認していただければ」
想像以上に剣呑な状況に動揺しながらも、決して面には出さず書類を差し出した。ひったくるような勢いで兵士が書類を受け取り、馬車の方に歩いていった。残っている兵士達に槍を向けられたまま、副官は冷や汗を垂らし待つ。と、大した時間もかからずに兵士達の槍が下ろされた。
「申し訳ない。極秘の任務中故、警戒を強めているのです。どうぞ、こちらへ」
打って変わって慇懃な態度になりながら、馬車の方へと案内する兵士。これは、不味い。彼女の本能が警鐘を鳴らす。まともな軍務ではないと自覚していたが、この様子だと想像をはるかに超えた何かのようだ。あるいは、不祥事が起きた時に切り捨てる存在として、司令官は副官を送り込んだのだろうか。だが、今更逃げることは出来ない。
「・・・・・・取り引き相手とは、いつ合流する予定ですか?」
なんとか口を開き、声を絞り出す。兵士は馬車まで辿り着いた後、ゆっくりと振り返り答えた。
「今、使いの者を出しています。あちらの動向にもよりますが、昼までには片付くでしょう」
能面のような表情と声に、副官は押し黙ってしまう。有無を言わせぬ様子で、兵士達は彼女を簡素な折り畳み椅子に座らせた。そして、無言。周囲を異常な程に警戒しているようで、馬車を囲むように兵士が外側を見張っている。
「・・・・・・」
近場の兵士に何かを訊ねようとするが、出来ない。戦陣だとしても、ここまで張り詰めた空気では無いだろう。ずっとラオ要塞勤めだった副官にとって、怖気が走る程の殺気。何に警戒しているのかは分からないが、それ程の危険を孕んでいる状況らしい。
無限にも思える時間が過ぎた後、ようやく変化が訪れた。一人の兵士が馬車に戻ってきて、隊長格に何か報告をしている。小声での耳打ちの為、副官には何を言っているか聞こえなかった。その後、再び走り去った兵士が、今度は複数人の人間と牛の曳く荷車を連れて戻ってくる。柄の悪そうな、ならず者といった風貌の男達。どうやら、彼らが「取り引き相手」らしい。
「約束のものを」
挨拶も無く、隊長格は荷車の人間に声をかけた。ならず者はニヤリと笑いながら頷いて、荷車にかかっている布を取り払う。
「うっ・・・・・・」
副官は、思わず呻き声を漏らしてしまった。何故なら、荷車に乗った木箱から匂い立つような瘴気が零れていたからである。隊長格の兵士は木箱の中身を確認した後、頷いて布をかけ直すように命じた。布に特殊な効果でもあるのか、あっという間に瘴気が感じられなくなる。
「確かに。報酬だ、荷車と牛の代金も入っている。さっさと帰れ」
つっけんどんに言い放ち、荷車をそのまま馬車へと積み込もうとする兵士達。が、ならず者達はその場を動かない。副官が訝しげに思った瞬間、目も眩む閃光が周辺全体に放たれた。
「っっっ!!??」
視界が真っ白になり、何も見えない。声を上げようとした副官の口元に、何かが張り付くような感覚が伝わってきた。水のような何かが口を塞ぎ、声が出せなくなる。
「んぐぅっごぼっ!?」
張り付く何かを剥がそうとしても、手が水で濡れるだけで意味が無い。そして、副官の意識は遠のき、気を失った。
「第一段階は上手くいったな。光は漏れていないか?」
「あぁ、この周辺だけに閃光を乱反射させたからね。次だ、急ごう」
ならず者達・・・・・・魔術で見た目を変えていた『鏡像』達は、重要そうなものを回収、つまり身ぐるみを剥いだ後縄で兵士達を縛り上げていく。『水禍』に続きオーギスとイニマも元の姿に戻り、出来る限り手早く作業を進めていた。
作戦はこうだ。まず、ニェークや『鏡像』が手に入れていた情報を元に、昇魂薬の運び手を補足。ラオ要塞への持ち込みに行く直前で襲撃し、無力化。その後、『鏡像』の魔術によりならず者の見た目をコピーし、彼らに成りすます。ラオ要塞側からの兵士達の元へ行き、奇襲し無力化。今度は兵士に成りすまして、ラオ要塞の内部へと侵入する。しかし、既にその作戦が崩れそうになっていた。
「想定より人数が多いな・・・・・・二人足りん。どうする?」
「幻覚で姿だけは作れる。中身は無いからすぐバレるだろうけど、それしかないようだ。よし、全員一旦集まって・・・・・・ん?」
少し離れた場所で倒れている、軍服の人物に目を向ける『鏡像』。
「こいつは・・・・・・」
「不味いな。ラオ要塞の副官だ。ここに来ていたのはこいつらの監視の為か?いずれにせよ、面倒なことになった」
苦々しげに『水禍』が呟き、副官の傍でしゃがんだ。彼女の頬を叩き、起こそうとする。
「あれ、起こしちゃっていいんですか?」
「仕方あるまい。せめて、ここに来た理由を聞いておかねば城門を潜れるかも怪しい。やれやれ、初手で躓きたくはないのだがな」
イニマの疑問に答えた『水禍』は、副官に杖を向けた。僅かな魔力が迸り、彼女の体に流れていく。直後、うっすらと目を開けた彼女の胸倉を『水禍』が掴み上げた。
「叫べば殺す。答えずとも殺す。自身の置かれた状況を理解しろ」
ドスの利いた声に、副官は意識がはっきりしてきた途端青褪めた。震える唇で、微かに呟く。
「『水禍』の魔術師・・・・・・!まさか、裏切ったのですか?」
「生きる為にな。派手に失敗した者を、あのシリュートが赦すはずも無いだろう。そして、それはお前にも言えることだ。さぁ、質問に答えろ。何故ここに来た。答えぬのなら、殺すだけだ」
「っ・・・・・・!う、うぅ」
葛藤を浮かべる副官は、しかし状況を正しく把握したようだ。話さねば、目の前の魔術師に容易く殺されてしまう。これはもう、どうしようもない。なんとか呼吸を落ち着けながら、彼女は洗いざらい話し始めた。
「・・・・・・ふむ。これは、不味いな」
副官が恐怖でどもりながらも語った話に、『水禍』は表情を曇らせた。聞いたことは、ここに来た理由及び『水禍』が要塞を離れた後の人員配置。そして、シリュート司令官の最近の動向だ。
「な、何が不味いんで?」
「シリュートは、想定以上に何かを警戒しているようだ。でなければ、ここに副官を送り込むはずも無い。こちらの情報が漏れていたのか・・・・・・?」
オーギスの言葉に自問するように呟き、苛立たしげにこめかみを人差し指で叩く『水禍』。その態度に副官は怯えてしまい、体が震え始めた。
「落ち着け。今更な話だろう?どっちにしろ、作戦に変更は無い。後は、そうさね。こいつをどうするか、だ」
「ひっ・・・・・・!」
『鏡像』に杖を向けられた副官が身を縮める。哀れにさえ見える様子だが、それを気にも留めず『水禍』が言った。
「それも、そうか。一番の問題は、お前の魔術で副官の姿を模したとしても、騙し切れる可能性が低いことだな。他の兵士達の姿ならまだマシだろうが、階級が上の奴だと誤魔化し辛い。ふむ・・・・・・」
目の前で話される自身のことに、副官は震えて待つことしか出来ない。どうしてこんなことになったのか。何故、こんな目に遭っているのか。現実感の無い思考に逃げようとした所で、『鏡像』が顔を近付けて訊ねる。
「ねぇ、君。こちら側につく気は無いかい?」
「は、えっ」
「簡単な話だ。シリュートってのは、これだけのミスをした君をまともに生かしておく人物かな?『水禍』殿の話を聞く限り、とてもそうは思えないんだけどさ」
目の前の魔術師の言う通りだ。優秀であれば厚遇するが、不都合があればすぐさま切り捨てる。彼女が仕えているシリュート司令官とは、そういう人物だ。
「こちらが保証出来るのは命くらいだ。大したものは用意出来ない。だから、君の選択に任せよう。司令官を裏切るか、否か。どうする?」
気軽な調子の言葉に、副官は呆気に取られてしまう。しかし、その提案に対する返事は決まっていた。自分のことだけなら、裏切るのも構わない。しかし、彼女には家族がいるのだ。
「・・・・・・裏切れません。故郷に、家族を残しているんです。私が裏切れば、きっと殺されてしまう。それだけは、絶対に駄目」
「そうか。なら、仕方ないね」
『鏡像』の杖がついと振られ、淡い光が副官を包む。意識を失った彼女は、『鏡像』によって命令書やその他のものを回収された後、他の兵士と同じように縛り上げられた。
「お優しいことだ。まぁ、今の私も同類だが」
「はっ、今回の目的はシリュートだ。無駄な殺しはしないんだよ、私は。今のあんたと同じでね」
「それは重畳。さて、急がねばな。あちらの準備は済んでいるだろう。後は我ら次第だ」
「分かってるさ。オーギス、イニマ、こっちに来てくれ。さっきみたいに幻影魔術をかけて、今度は兵士達のガワを被せる。ここからは完全な敵地だからね、ヘマはしないように頼むよ」
「りょ、了解です」
「はーい!」
二人の返事を聞き、『鏡像』は潜入準備に取り掛かる。猶予はあまり無い、迅速に魔力を組み上げながら、彼女は己を奮い立たせるように口角を吊り上げた。
「第八特務補給隊だ、物資を届けに来た」
やや緊張した声が、ラオ要塞の東通用門に響いた。運搬用の馬車に、物々しい兵士達。ラオ要塞の門番をしている兵士にとって、見慣れた光景だ。
「命令書の提出をお願いします。・・・・・・はい、確認しました」
差し出された書類に目を通し、門番の兵士は頷く。王国の印が押してあることから、問題は無さそうだ。通用門を開け、馬車と兵士をラオ要塞へ招き入れた。
「・・・・・・ん?」
微かな違和感。しかし、兵士にはその違和感の原因に思い至ることが出来なかった。気のせいだと判断しつつ、いつも通りの業務に戻る。馬車はゆっくりと第二の城壁に向かい、そこでも書類を見せて進んでいった。と、
「あ、副官!少々いいですか?東倉庫の備蓄ですが、例年よりも消費が激しく・・・・・・副官?」
ラオ要塞内部、馬車の横を歩いていた副官に兵士が声をかける。彼女はぎこちない動きで兵士を見やるが、何故か口を開かない。疑問に思った兵士が続けて訊ねようとした所で、近くに雷が落ちたような爆音が響き渡った。同時に、微かな振動が伝わってくる。
「敵襲ーッ!」
見張りの悲鳴のような声を合図に、鐘の音が要塞各地で鳴らされた。要塞の兵士達が血相を変え、戦闘用の持ち場へと走り出す。馬車を守っていた兵士達や副官も、どこかに向かって駆け始めた。
「状況は?」
「城壁に損傷あり、投石器かと思ったのですがそのようなものは見えません。副官殿はどちらに?」
「すぐに戻ってくるだろう。その間、君には防衛の陣頭指揮を頼む。そして、君の方は第三連隊に通達を。即座に出撃し敵を補足、及び撃退せよ、とね」
「「はっ!」」
敬礼して走っていく二人の将校。シリュート司令官はそれを見ながら、苦虫を噛み潰した表情を浮かべていた。
「よりにもよって、ここで仕掛けてくるか」
呟きながら、壁に飾られていた指揮刀を腰に差す。シリュートは、このラオ要塞を攻めようとする何者かがいるという情報を既に掴んでいた。『水禍』が裏切ったのだろうと判断していたが、今の天気は雨でも無く、霧もかかっていない。つまり、この襲撃は彼の仕業ではないようだ。
彼に情報をもたらした「協力者」は言っていた。ラオ要塞を脅かす何かが迫っている。そしてそれは、正攻法では攻めてこないだろう、と。だからこそ、戦力増強の為に「協力者」を通じて昇魂薬を買い取りつつ、敵に備えていたのだ。
当初、少数ながら無料で渡された昇魂薬は、ほぼ全ての服用者を魔物に変えるという劇的な効果を発揮した。簡単な命令くらいは聞けるようなので、『水禍』の殺害を命じて国境へと放ったが、残念ながら成果は上がっていない。しかし、戦力という点では無駄ではないと判断したシリュートは、昇魂薬を追加で購入することを決定。王国にバレた時のスケープゴートとして副官を現場に送り、自身は悠々と司令官室で寛いでいた。そこに、この敵襲である。
シリュートの誤算は三つある。一つは、グロム達の行動が想像以上に早かったこと。シリュートが「昇った」魔物達を放ったのは、『水禍』を殺害出来ずとも、相手が守りに入るだろうという推測があったからだ。しかし、グロム達はあえて攻撃という選択肢を取った。それが誤算の一つ目。
二つ目は、『鏡像』の魔術師が敵方についていることを知らなかったこと。シリュートも、『鏡像』の魔術師の名は聞いたことがある。昇魂薬のことを共和国内で嗅ぎまわっている、という話も「協力者」から聞いていた。しかし、まさか直接乗り込んでくるなどとは夢にも思っていなかったのだ。それが誤算の二つ目。
三つめは、今まさに要塞を襲撃している存在は、非常に小規模だということを見抜けなかったこと。シリュートは、ラオ要塞の防備に絶対の自信を持っている。ここを攻略するには、相応の人数の兵士が必要だと。さらに、城壁へ放たれた一撃は尋常のものでは無い。魔術師を組み込んだ軍隊の可能性。斥候も出さずに第三連隊の出撃を命じたのは、包囲を避ける為に、相手の予想を外し出鼻を挫くため。何より、性急に撃退せねばならないという焦りからだった。これが誤算の三つ目。
「・・・・・・仕方あるまい」
シリュートは立ち上がり、司令官室を出て現場指揮へと向かう。無論前線に立つ気は無いが、この状況で姿すら見えないのは体面が悪い。幸い、現在のラオ要塞には常駐の兵力が3000、さらに第三、第四連隊がそれぞれ2000。物資は潤沢、仮に包囲されたとしても半年以上は持ちこたえられるだろう。それにも関わらず、シリュートは嫌な胸騒ぎを覚えていた。首筋に何かが張り付いているような、不気味な感覚。かつて戦場で味わったことのあるそれは、決して好ましいものでは無かった。
「司令官、副官がお呼びです!取り引きが終わり、帰還した直後に襲撃があったらしく!馬車の荷を解いても構わないかとのことで!」
「分かった、連れていってくれ」
副官には、物資はポーションだと伝えてある。彼女は真面目かつ有能だが、潔癖過ぎるきらいがあった。事務仕事には欠かせない故、副官の任に付け続けてきたが、融通が利かないのは明確な欠点だ。
しかし、既に要塞内に戻っていたのには助かった。これなら不測の事態は起こらないだろう。先導する兵士についていきながら、シリュートは僅かに安堵する。
───いや。何かがおかしい。いくら中身を偽っていたとはいえ、副官がこの状況で荷解きを考えるだろうか?あれだけ念を押したのだ、危急の場合でも命令を優先するはず。忠実な彼女だからこそ、要塞に攻撃が加えられている状況でこのような判断をするのは考え辛い。ならば、何故?
シリュートは、先導している兵士を見た。第八特務補給隊の所属であるはずの彼は、シリュートも顔を覚えている。実際、顔も背丈も記憶通りだ。だが、声は?曖昧な記憶を探りながら、違和感の元を手繰り寄せる。
「・・・・・・どうされました?」
足を止めたシリュートに、兵士が訝しげに声をかける。それが決定打だった。
「君は・・・・・・何者だ?」
思わず呟いた言葉に、兵士の表情が凍る。どう見ても、まともな反応ではない。
「いや、私は」
「侵入者だ!捕えよ!」
兵士に成りすましている何者かが何かを言う前に、シリュートは鋭い声で叫んだ。仮に違ったとしても、捕えてから話を聞けばいい。すぐに周辺の兵士たちが集まり、何者かを取り囲む。
「や、やめてくれ!違う!」
「大人しく投降しろ。違うかどうかは私が決める。それと」
第八特務補給隊の全員を捕らえろ。そう口にしようとした瞬間、凄まじい閃光がシリュートと兵士達の目を焼いた。悲鳴が上がると同時に、視界を奪われたシリュートの耳に魔力が唸るような音が聞こえる。咄嗟に飛びのくと、飛沫が爆ぜるが如き音と、体にかかる水の感触が彼を襲った。
「方陣を組め!敵の狙いは私だ、守り切れ!」
混乱し地べたに這いつくばりながらも、自身を狙っていると確信した彼は命令を飛ばす。かくして、ラオ要塞攻略戦の第二幕が開けた。
圧倒的兵力差がある要塞に攻め入るのは危険を通り越して無謀ですが・・・・・・果たして全員無事に帰還出来るのでしょうか。