隠れ里の暮らしは、意外というかなんというかかなり快適だった。
羊の亜人について俺は詳しくなかったが、生活する上で必然的に学んでいった。殆ど人間と同じ生き方だが、僅かに違いがある。まず、肉を好む者が少ない。雑食ではあるが、大半の羊人は野菜や果物の方が好きなようだ。とはいえ、鶏や乳牛を飼育しているので忌避されているわけでもないようだ。
次に、服飾の技術が異様に高い。着飾るような服だけではなく、カーペットやベッド、ミトンなど。自身たちの羊毛で作れるものはどれもこれも屈指の出来だった。仮に都市へ持ち帰ったとしたら、しばらくは遊んで暮らせる程の金が手に入るだろう。
そして、髪の毛の伸びる速度が速い。彼らにとっての羊毛である髪の毛は、ほったらかしにしていると数日で毛むくじゃらのお化けのようになってしまう。里に招かれてから数週間、ずっとミュリアちゃんの手を借り手入れしてもらっているが、いい加減自分で出来るようにならなきゃな。
隠れ里に住む羊人達は68人。俺と名無し殿を含めれば丁度70人になる。とはいえ、名無し殿は里の外れに小屋を建てて一人で住んでいるようだが。つまるところ、全く持って平穏な暮らしというわけだ。
「いいのかねぇ、こんなんで」
小川に水を汲みに行きながら、俺はぽつりと呟く。今までは生きていくには人殺しに身をやつすしか無かった。傭兵として戦場に出て、手柄を立てて僅かな金銭を受け取る。その繰り返しで生き延びてきた俺にとって。隠れ里の暮らしは夢の世界のようだ。なにせ、命の危険も無い。里という共同体の一員としてやることはやらなければならないが、それさえこなしていれば平穏無事に生きていけるのだ。
まぁ、理由はある程度推測出来る。おそらく、この場所は王国にも、共和国にもバレてはいないのだろう。あまりにも森の奥深く過ぎて、わざわざこんな所まで来る者がいないからだ。それに、国境線近くであることも大きい。森を伐採しようにも、敵軍の襲撃を警戒しなければならない。それに、大軍は森中を進軍することは出来ないのだから、戦略的価値が薄いのだ。
そういった複数の要素に守られて、この楽園は成立している。例え薄氷の上だろうとなんだろうと、今の時代でここまでのどかに暮らせる場所はそうそう無い。年老いた傭兵なら、なおさらだ。
「よっ、と」
二つの桶に水を汲み、棒の左右に引っかけて持ち上げる。こんな体になってしまったが、筋力はそこそこあるようだ。羊人の特性か、俺が特別なのか。ま、不便しないのはいいことだな。
道行く人達に挨拶しつつ、俺は隠れ里の中を歩いていく。誰も彼もが友好的で、平凡な優しさに溢れている。平和ボケしているともいうが、人間だろうと亜人だろうと平和ボケ出来るならそれに越したことはない。正直、まだ慣れないけどな。
「おーい、水汲んできましたよっと」
「ありがとうございます!玄関の横に置いといてください」
家に帰ると、一応、その、妻ということになっているミュリアちゃんに出迎えられた。彼女は手織り機で織物を織っている。淀み無くするすると行われる手際に、見事なものだと感心していると、ミュリアちゃんがふと動きを止めた。
「あ、あの。そんなにまじまじと見られると、緊張してしまうというか」
「あぁ、すまんね。どうも、こういうのは見慣れないもんで。他に手伝えることはあるかい?」
「えっと・・・・・・特には。あっごめんなさい気を遣わせちゃったみたいでほんと」
早口でわたわたとしている様子は、愛しいというよりは愛らしいな。夫婦ということにはなっているが、ミュリアちゃんに対する感情は、どちらかというと娘に対するものが近い。いや、子供がいたことは無いけれど。
「ははは、気なんて使ってないよ。んじゃまぁ、もう少し観察させてくれ。機織りなんて、今までの人生で見たことが無いからね」
俺の言葉に、ミュリアちゃんは頷いて機織りを再開した。先ほどと変わらず、まるで流れるような手際だ。いや、本当に凄いな。職人芸ってのはこういうのを言うんだろう。ミュリアちゃんの手の動きに見惚れていると、今度は動きを止めないままに彼女が言う。
「な、なんだか恥ずかしいですね。こんな風に見てくれる人は、今までいなかったので。それに、私達羊人は大体誰でも出来ますよ?」
「そうは言っても、実際に目の前でやってくれてるのはミュリアちゃんだからね。大したもんさ、その手際は」
「え、えへへ・・・・・・」
ミュリアちゃんは照れたような様子で、機織りのスピードがちょっと加速した。傍から見れば、自分より年上の少女に大きな口を叩いてる幼女に見えているだろう。だが、見た目やら姿が変わった程度で自分を変えるのは性に合わない。幸い、そう振舞う俺をミュリアちゃんや里の人達は認めてくれているようだ。どうにも、ありがたいことだな。
総じて、俺は平和でかけがえの無い日常を手にした。金が無くなれば戦場で殺し合いをしていたあの頃とは違う、とても穏やかな日々だ。数えきれない人数を殺してきた俺には、幼い娘っ子になったことを差し引いても望外の幸福ってもんだ。と、
「すんません、グロムさんはおりますかい?」
コンコンと扉がノックされ、朴訥な声が響く。里の羊人の誰かだろうか。
「はいよ、どんなご用件で?」
「あぁ、良かった。山菜採りの時に、守り神様に頼まれましてね。時間がある時に小屋を訪ねてほしいと」
扉を開けると、隣人である青年が立っていた。名無し殿から言付けを授かったようだが、こんなことは初めてだ。何やら不穏な気配を感じつつ、表面上は朗らかに返事をする。
「あぁ、分かった。すぐ向かわせてもらうよ。伝えてくれてありがとう」
ふむ。あの御仁については未だ詳しいことは分からない。あちらも、探りを入れてきた俺のことを警戒しているはずだ。それなのに呼び出すとは、何かあるな。
「すまんね、そういうことだから。夕飯までには戻るよ、ミュリアちゃん」
「あ、はい!お気をつけて!」
元気良く答えるミュリアちゃんを背に、俺は家を後にした。さて、厄介事じゃなければいいが・・・・・・。
「誰かが、里の周辺、森を、探っている」
小屋へと訪れた俺に、名無し殿は開口一番言ってくる。こりゃ、悪い予感が的中し
たかな。
「ふぅむ。今までに、似たようなことはあったのかい?」
「無い」
簡潔に答える名無し殿。つまり、彼にとっても想定外の事態ということか。素早く思考を回し、原因を考える。
「となると、原因はあの負け戦だなぁ。こっち側に追撃していた兵士が戻らないから、王国軍が調査の為に斥候を出したんだろう。隠れ里付近まで近付かれたなら、大事だが」
「いや。手前で、引き返している。だが、次は分からん」
隠れ里の場所がバレたわけではないようだが、調査が続けられたら分からない、と。・・・・・・いや、かなり面倒な話だ。斥候を撃退すればより大規模な部隊が送り込まれてくるかもしれないが、撃退しなければ隠れ里があるとバレてしまう。いっそ羊人達と里を引っ越すのも手かもしれないが、ずっとここで暮らしてきた彼らが受け入れるとは思えない。
「こいつは難儀だねぇ。名無し殿の見解は?」
「近付いて、くる。ならば、殺す。だが、それでは、いずれ限界が、来る。知恵を貸せ」
簡単に言ってくれる。ここには外部の人間がいないから、俺を頼ったのだろう。天下の軍師や参謀のように明朗に答えたいところだが、生憎俺はただの傭兵だ。現実的な案しか出せない。
「一番は、共和国の庇護下に入ることだろうな。兵力を派遣してもらって、王国に手出しされないようにする。名無し殿も随分強いだろうが、一人じゃ軍隊を撃退出来ん」
「・・・・・・里の者が、迫害される」
「その可能性は低いよ。曲がりなりにも、共和国は亜人との共存を謳っている。そもそもトップの大半が亜人だ。奴隷のように扱われることは無いだろうさ。多少貢物は必要かもしれないが、虐げられることは無いはずだ」
俺の言葉に名無し殿は黙り込む。何を考えているのか分からない表情で、しばらく沈黙を続けた。やがて、重い口を開く。
「共和国への、使者。俺は、行けぬ。お前、どうだ」
「うむ・・・・・・。まぁ、隠れ里の外を知ってるのは俺だけだからなぁ。ただの傭兵にゃあ過分な大役だが、他に適任もおらん。だが、そうなるとこの体が障害になるな。年端もいかぬ餓鬼の言葉を、真面目に受け取ってくれる奴は少ないよ」
せめて、元の体であったらやりようはあった。それなりに人脈はあったからな。しかし、こうなってはその人脈を利用するのも難しい。俺の名前を出したとしても、子供の戯言と信用されないだろう。
「里の皆を説得して、代表者を立ててもらってそいつを俺がサポートする形がいいか。織物やらなんやらをたっぷり持っていけば、完全に無視されることは無いはず・・・・・・いや、下手に道中山賊に襲われたら元も子も無い。不味いなぁ、どうにも」
ぶつぶつと呟きながら、考えをまとめようとする俺。しかし、どれだけ考えても妙案が浮かばない。いずれにせよ、隠れ里の場所はバレてしまうだろう。と、
「何故、だ?」
ぼそりと、名無し殿が声を漏らした。
「何故って?」
「お前だ。同族化、した。だが、部外者だろう。呼んだ、のは、役に立つ、思ったからだ。それでも、何故?」
どうやら、名無し殿は俺が協力する理由を訝しんでいるらしい。まぁ、それもそうか。ここに来て数週間、そこまでする義理は無いのではないかと言いたいのかもしれない。ただ、俺の答えはとっくに決まっていた。
「そいつは簡単な話さ。50も半ばまで生きていても、ここ程のどかかつ平和な場所で暮らしたことは無かった。偶然と勘違いとはいえ、そんな楽園に受け入れられたんだ。せめて恩を返したい。あわよくば、手放したくないと思うのは当然だろう?」
「・・・・・・」
黙り込む名無し殿。いい機会だ、逆にこっちから質問させてもらおう。
「実の所、俺も気になってることがあったんだ。名無し殿、あんたは何故、隠れ里を守るんだい?守り神として崇められたいわけでもないだろうし、そもそもあんたは見返りを求めていない。俺としても、理由を聞いておきたいんだ」
俺の言葉に、名無し殿は重苦しく黙ったままだ。何を考えているのかは分からないが、僅かな逡巡が感じられる気がする。視線を逸らさず、見つめ続ける。
どれだけの時間が経っただろうか。やがて、名無し殿はゆっくりと口を開いた。
「呪いだ。呪いの、一つ。解く為、来た」
「呪い?それは、内容を聞いてもいい奴か?」
「言えぬ。それに・・・・・・解けなかった。気力が、萎えた。ずるずると、ここ、住んでいる」
疲れ切った雰囲気を滲ませながら、名無し殿が言う。諦念に塗れた老人のように、歪んだ声で語っていく。
「羊人、守る。隣人の、恩だ。俺は、殺す。それしか出来ぬ。それをした。獣、密猟者、殺した。感謝、された。されたのだ。それだけ。それだけだ」
・・・・・・どうも、身につまされる話だ。どんな人生を送り、どんな呪いを抱えているかは知らないが、俺と境遇が似通っていると感じてしまう。
「・・・・・・あんたにとっちゃ余計なものかもしれんが、同情するよ。かく言う俺も、人殺しの手管以外に誇れるものは無いからね。それじゃあ、似た者同士、優しく純朴な彼らを守れるよう頑張るとしましょうか」
努めて明るく言うと、名無し殿はこちらを見てなんとも言えない表情を浮かべた。困惑しているのだろうか。
「信じるのか?今の、話」
「あー、まぁね。そりゃ、疑おうと思えばいくらでも疑えるが。こんな状況だ、疑うより信じた方が気分がいい。なにせ、傭兵時代は腹芸ばかりだったからねぇ。後は、あんたから嘘の匂いはしないしな。今のところは」
あの重苦しく、皴だらけの老人の如き雰囲気は嘘ではないだろう。それに、名無し殿がその気になれば俺は抗うことも出来ず殺される。それだけの実力差があるというのに、わざわざ虚言を弄して利用してくるとは思えない。
「気にしなさんな。あんたが何を抱えてようが、里の者達にゃあ関係無い。だから、あれだけ慕われてるんだろう?」
「・・・・・・そうか。なら、どうする?」
話を変えるように、こちらに聞いてくる名無し殿。どうする、と言ってもさっき言った以外のことはまだ思いつかない。さて、どうするか・・・・・・。と、突如名無し殿が立ち上がり外に目を向けた。
「どうした?」
「来た。近い。10、そこらだ。」
恐らく新たな王国軍だろう。まだ数は少ないが、隠れ里が露見してしまえばそれまでだ。多数の飛び筒を背嚢に突っ込み、今にも小屋を飛び出そうとしている名無し殿に向かって俺は言う。
「俺も連れてってくれ。相手の装備や練度を確認したい」
「・・・・・・邪魔は、するな」
そう言いつつも、名無し殿は背中の腕でひょいと俺を抱え込んだ。同行を許してくれるらしい。ありがたいが、さて。出来れば、鬼も蛇も勘弁なんだがね。
どうして平穏はすぐ崩れてしまうんだ・・・・・・。