その日、パン屋のせがれである少年はお得意様の家に焼き立てのパンを運んでいる最中だった。大きめのカゴの沢山のパンを入れ、布を被せて抱え込む。少年には少々大き過ぎるカゴだが、彼は自分の役目だと言わんばかりに溌剌をした表情を浮かべていた。
「あら、いつもありがとうね。はい、これはお代。それと、これもどうぞ。お母さん達には秘密よ?」
無事お得意様の家に辿り着き、少年はお代と一緒に飴玉を貰った。元気よくお礼を言って、スキップ気味に帰路に着く。少年は、ここの生活に満足していた。いずれ、自分はパン屋を継ぐことになるのだろう。そんな、ぼんやりとした未来への想い。彼にとって、それは輝かしいものだ。と、
「・・・・・・あれ?」
口の中の飴玉の甘みを味わっている中、知っている顔がふらつきながら裏路地に入っていくのが見える。あれは確か、時折りパン屋に来てくれる老人だ。兵隊上がりだという老人は、パンの焼き上がりを待つ間、少年に壮大なおとぎ話あるいはほら話を聞かせてくれる。ある種馬鹿げたその話を、少年は目をキラキラさせながら聞いたものだ。最近はパン屋に顔を出していなかったと思うが、一体なんで裏路地へ?年相応の好奇心もあって、少年は老人の後を追いかけ裏路地へ入っていった。
「あれ、いない?」
裏路地は、さほど散らかってはおらず少年でもすいすいと進んでいけた。ここは城塞都市ということもあり、治安は高い水準で保たれている。日の当たらない場所でさえ、比較的整然としているのだ。
少年が首を傾げた理由は、裏路地に老人の姿が見えなかったからだ。人気は無く、がらんとしている。見間違いだったのだろうか。キョロキョロと視線を泳がせると、何か妙な音が聞こえる。獣の唸り声のような、都市の中では聞き慣れない音。
「だ、だれかいるの?」
怖くなり、どこからか聞こえる音に問いかける少年。唸る音はそれに答えず、しかし建物の陰から何かが姿を現した。老人が胸を押さえて苦しそうに呻いている。音の正体は彼の様だ。
「お、おじいちゃん!?大丈夫!?」
ただ事ではない様子に、少年は老人の元へ駆け寄った。息が荒く、顔色は土気色のようになっている。どう見ても尋常では無い。
「待ってて、すぐに大人を呼んでくるから!って、おじいちゃん?」
通りの大人を呼んでこようと走り出そうとした少年は、腕を掴まれ動きを止めた。老人の筋ばった手が少年の腕に食い込み、ギリギリと音を立てる。
「い、痛いよっ。どうしたの、おじいちゃん?」
「ぐ、ぅぅぅ・・・・・・にげ、逃げろ、坊や・・・・・・!」
辛うじて絞り出した言葉とは裏腹に老人の手は少年の腕を離さない。それどころか、血が滲む程に力がこもる。握り潰さんばかりの痛みに、少年が叫んだ。
「痛いっ!?おじいちゃんやめてっ!!」
「が、ぐぐぐぐぅ・・・・・・!」
人では無い何かのように、老人の体が変容していく。皮膚が黒ずみ、耳や鼻が鋭く尖る。骨張った体に力が漲り、丸太のように膨張した。体躯は一回りも二回りも大きくなり、狭い裏路地を塞ぐ程にまでなった。
「え?」
痛みを忘れ、少年が声を漏らす。彼に見えるのは、老人だった何かが大口を開く光景。乱杭歯がびっしりと生えている口は、少年の頭を嚙み砕こうとしていた。何が起きているのか、少年には理解出来ない。そのまま、大口が少年の頭を、
「そこまでだよ」
凛とした声と共に、閃光が裏路地を包む。老人だった何かが怯んだ瞬間、その口に杖が突っ込まれた。喉奥に引っかけ、引きずり倒す。
「っぎぎごごごっ!?」
「すまない、間に合わなかった。すぐに送ってやる」
爆発。肉が爆ぜる音が響き、光が収まった後には大口を開けていた頭部が消し飛んでいた。
「許しは請わない、私が死んだら存分に責めてくれ」
悔恨が滲む口調で呟いて、彼女・・・・・・『鏡像』の魔術師は倒れている少年に駆け寄った。閃光と衝撃で、一時的に気を失っているようだ。掴まれていた腕は、恐らく骨が折れているだろう。
「『鏡像』様!ご無事ですか?」
裏路地に複数の衛兵が駆け込んできた。彼らを一瞥もせず、『鏡像』は静かに言う。
「私は無事だ。腕を負傷した少年が一人。もう一人は、この通りさ」
「はっ!」
衛兵の一人が簡易な応急処置を施した後、少年を抱き上げ通りへと走っていった。その間、『鏡像』は頭の吹き飛んだ老人だった何かを検分する。もしも自分の調査が間に合えば、救えたかもしれない命を。
「あぁ、畜生。これ以上、昇らせはしないぞ・・・・・・!」
彼女は、化け物のような肉体に魔力を走らせながら呟いた。瞳に、猛々しい怒りを浮かべながら。
「おぅいグロム!ニェーク殿から届け物ですぞ!」
日に日に組み上がっていくオーギス達の家。そこでの雑用と手伝っていると、カロロが上空から舞い降りてきた。一難去った現状でも、その移動力を買われたカロロは定期的にエリンドと里を行き来している。ありがたい限りだ。こいつがいなきゃ、そもそもどうしようもなかっただろうな。
「おう。毎度毎度、ありがとうなカロロ」
「チッチチチ!好きでしてることですとも!お、家建てもここ数日で随分と進みましたな。重畳、重畳!」
羊人とオーギス達が共同で作業をしている姿を見て、カロロは嬉しそうに目を細める。童顔に似合わない、年長者の如き表情だ。と、そんな雰囲気を即座にかき消して俺に訊ねてくる。
「あぁ、そうだ。ミュリア殿はどちらに?」
「ん、あぁ・・・・・・ミュリアちゃんは、里の人らと順繰りに話をしてる所だ。アレだ、『水禍』がやらかした件でな」
「成程。わざわざ一人ずつと話をするとは、ミュリア殿らしいと思っていましたが。やはり、早々に終わるようなものでは無いようですな」
そう。ミュリアちゃんは、自分の覚悟を通す為に里の羊人一人一人と対話すると決めた。全員が納得して、前に進む為に。地道で過酷な手段だが、俺たちが手伝えることは無い。里で生まれ、過ごしてきた彼女だけが出来ることだ。
「まぁ、そうだな。おかげで俺は、最近家事が上達してきたんだ。今日の夕飯も俺が作る。食ってくか?」
「おぉ、それは楽しみですなぁ!野戦料理以外のレパートリーが増えていることを願いましょう!」
「ミュリアちゃんのレシピを真似するだけで、大したもんじゃないさ。さて、と」
カロロから受け取った届け物・・・・・・どうやら書簡らしいそれを開き、中身を確認する。かなりの達筆で書かれた文章はいかにも貴族らしい。その内容は・・・・・・。
「・・・・・・うーむ。こいつは、どうにも・・・・・・」
当然だが、面倒事だ。しかも特大の。この里だけではない、王国と共和国の関係にも影響が出るような内容。周囲に人がいるから面にこそ出さなかったが、滅茶苦茶に混乱してる。一介の傭兵が関わる問題じゃない。
「さて、ではそろそろグロムの家に戻りますか!夕飯、楽しみですとも!」
俺の様子を察したのか、さりげなくカロロが俺の手を引く。ここにいたままだと羊人やオーギス達に何か気付かれるかもしれない。またしても助けられたな。
「すまん、助かった。まだまだだねぇ、俺も」
「ははは。前のしかめしい顔に比べれば、今のグロムは随分と分かりやすい。無論、幼子のような雰囲気ではありませんが。可愛らしい顔立ちに動揺が滲んでいますとも」
「マジか。見た目だけじゃなく中身まで幼くなっちゃあ敵わんな。というよりも、さらりと口説くような台詞が出てくるなぁ。流石は鳥人きっての色男だ」
「チッチチチ!褒めても何も出ませんよ!あぁこれ、エリンドの屋台で売られていた砂糖菓子です」
「出てるじゃねえか」
いつも通りくだらない話をしていると、心が徐々に落ち着いてくる。ミュリアちゃんとは違う、幾度も死地を共に潜り抜けてきた戦友相手だからこその安心感。本当、頭が上がらんなぁ。
翌日。俺の書いた書簡の返事を携えたカロロが飛び立っていくのを見届けてから、俺は異形の旦那の小屋へと向かった。ミュリアちゃんはまだまだ里の人達との話し合いに奔走しているようで、カロロを見送ってからすぐに出ていってしまった。彼女も必死に戦っている。俺は俺でやるべきことをやらんとな。
「来たか」
「話がある、とのことだが・・・・・・小言なら聞かんぞ」
小屋に着くと、旦那がいるのは当然として既に呼び出していた『水禍』も到着していた。不機嫌そうな様子に、俺は扉を閉めながら口を開く。
「いや、今回はミュリアちゃんの件じゃない。ニェーク伯爵から、嫌な話が届いてね。情報を共有しとこうと思ったのさ」
「それは構わんが。ミュリアと、カロロは?」
「ミュリアちゃんとカロロには昨日の時点で伝えてある。まぁ、ニェーク伯爵の書簡を持ってきたのはカロロだからな。本当なら全員で集まるべきなんだが、あの二人は最近忙しい。というわけで、順次報告することになった」
「御託はいい。話せ」
切って捨てるような『水禍』の言葉。随分と露骨な態度だな。普段から皮肉は飛ばすものの、本心を隠しがちな彼にとっちゃ珍しい。
「あいよ。まず、共和国側の話だ。城塞都市エリンドでは現在、昇魂薬を服用するものが急増。その中には、食物や嗜好品に混入させている場合も多い、と。組織的な犯行だな。恐らくは、治安の悪化や戦力の分散を狙ったものと思われる」
「昇魂薬か。ラソンや『鏡像』から聞いただけだが。それ程のものなのか?」
旦那の問いに、俺は大きく頷いた。
「あぁ。何せ、効き過ぎると人間を魔物化させちまうもんだからな。しかも、エリンドに流通し始めている昇魂薬は改良・・・・・・いや、改悪が進んでいるらしい。なんでも、人型の魔物になっちまうんだと。人間でも亜人でもない、二足歩行の化け物に。ロクなもんじゃないな」
「・・・・・・そうか。確かに、ロクでも無いな」
何か思うことがあったのか、思案する顔付きになる旦那。しかし、嫌な話ってのはこれだけじゃない。
「さらに、だ。王国領内で、共和国の尖兵が荒らしまわってるって情報が入った。なんでも、前線に物資輸送中の部隊を手当たり次第に襲撃してるそうだ。ごく少数、場合によっちゃあ単騎で。当然、共和国はそんな輩を送り込んだりはしていない。正気の沙汰じゃないぜ、全く」
「単騎だと?たかが個人に襲われたとして、それでどうにかなる程王国軍は脆くないだろう。何があった?」
『水禍』は不機嫌ながら、的確な質問を繰り出してきた。ずっと王国で暮らしてきた彼は、この情報の奇妙さに気付いたようだ。
「これは、書簡に書いてあったことをそのまま言うんだが。なんでも、凄まじい剣技を以てあらゆるものが斬り捨てられているんだと。輜重も、兵も、何もかも。王国に潜入しているニェーク伯爵の手の者が伝えてきた情報では、そういうことらしい」
「馬鹿馬鹿しい話だ。そのような者、例え魔術師でもいる訳無かろう。夢物語の登場人物だとでも言うのか」
「そりゃ、俺だって『水禍』の言った通りのことを思い浮かべたさ。だが、事実だ。それによって、王国側は前線の戦力を増員したらしい。来るべく共和国の攻勢に備える為に、だってよ」
仮に、裏で糸を引く誰かがいるとして。そいつは、王国と共和国の全面戦争をお望みの様だ。知ってる限りでも、エリンドの治安を不安定にさせつつ、王国側には共和国の仕業だと偽って両国の不和を煽っている。そうじゃないことを祈るばかりだが、こういう予感は当たるのが常なんだよな。さて、今回はどうなるか。
「ふん。前線の兵力が増強され衝突の可能性が増せば、この隠れ里が露見する可能性も増すということだな。しかし、私達に何が出来る?現状、里の外に影響を及ぼせるような余裕は無いだろう。精々が、後ろ盾の貴族を上手く利用する程度だ」
「分かってるよ。だから、あくまでただの情報共有だ。対策なんざ立てようも無い。里の周辺には結界魔術を張られているから、侵入者は捕捉出来るだろうし・・・・・・ま、ニェーク伯爵や両国のお偉いさん、そして黒幕の出方次第だな」
そう、今の俺たちに出来ることは無い。歯痒いが、結局俺たちは万能じゃないからな。手の届かない範囲は、別の誰かに任せるしかない。
「エリンドの件は、ジエッタ将軍や『鏡像』殿も動いてくれている。吉報を待つとしようや」
「・・・・・・。話はそれだけか。ならば、失礼する。足りなくなった木材の切り出しを頼まれていてな」
素っ気なく言って立ち上がり、小屋の外に出ようとする『水禍』。不機嫌の理由は頼まれ事があったからか?いや、違う気がする。
「待て、『水禍』。お前、王国出身なんだろう。相手の出方を、推測出来んか?」
「さてな。私は所詮、流浪を続けてきただけの存在だ。国の行動を読むことなど、出来はせんよ。一つ言えるのは、こういうことは知る限り無かった。昇魂薬とやらも、王国領内を単騎で乱す怪物も。私の慮外の物事に違いは無い」
旦那の質問にそう言い捨てて、『水禍』は大股で外に出ていく。・・・・・・やはり、ミュリアちゃんにああいうことを話してしまったという事実が原因か。いつもの『水禍』なら、自分から踏み込むような発言はしないはずだからな。これについても俺に出来ることは少なそうだ。やれやれ、無力だねぇ。
「グロム。気に病むなよ。また、物憂げな顔をしていたぞ」
「ははは、気に病んじゃいないさ。出来ることと出来ないことを分けてるだけで。さ、それじゃあ出来ることをしよう。異形の旦那、頼みがある」
自身の巻き角を撫でながら、俺は話を切り出す。いざという時の為、里の防衛力を高める提案を。
『水禍』は女の子ならヒロイン張れるんじゃないか?女の子にするか?ん?