謎の男の襲撃から三日が経った。里は平穏な日常を過ごしているが、俺達はそうもいかない。まず、明確に負傷した旦那とイニマの体調だが・・・・・・。
「っ、ぐうぅぅ・・・・・・!」
「ご、ごめんなさい守り神様!すぐに包帯替えますから!」
全身の包帯を順序立てて外しつつ、ミュリアちゃんが言う。傷口に溜まった膿や固まり切っていない血を拭き取り、薬草をペースト状にしたものを塗って包帯を再び巻く。手伝っている俺が驚くほどの手際だ。一応、戦場で生き残る為に治療の技術は多少知ってるつもりだったが、ミュリアちゃんには敵わない。
「ほら、追加の包帯。それにしても、凄いなミュリアちゃんは。ここまで手際が良けりゃ、エリンドの教会でも働けるぞ」
「ありがとうございます。そんな、大したことじゃないですよ。里の皆と話し合うついでに、色々手当ての仕方を聞いただけです」
「そりゃ、また。ただでさえ忙しかっただろうに、本当に凄いな」
真っすぐな努力を重ねているミュリアちゃんに、俺は尊敬の念を向ける。いや、本当に頭が上がらない。若いってのはいいな、向上心が衰えていない。
「昔から、ミュリアは傷の手当てが上手かった。里に怪我人が出ると、慌てて飛んでいったこともあったな、確か」
「も、もう!二人ともやめてくださいよ」
懐かしむような様子で呟いた旦那に、ミュリアちゃんは恥ずかしがりながら包帯を巻いていく。旦那の回復力は尋常じゃ無く、この調子なら後数日で傷が塞がってしまいそうだ。
「事実だ、誇ればいい。・・・・・・それで、イニマの様子はどうだ」
その言葉に、俺達は思わず俯いてしまった。旦那とは違って、イニマの調子は良くない。一度だけ意識を取り戻した後、また昏睡状態になってしまったのだ。それを伝えると、旦那は重々しく口を開く。
「・・・・・・そうか。すまん。俺が、もっと早く気付いていればよかった。そうすれば、イニマが吹き飛ばされることも無かったというのに」
「守り神様のせいじゃないですよ!襲ってきたあの男の人が悪いんです!」
「見た目も変わってたんだろう?なら、気付けって方が無理な話だ。古い友人ってのは、再会すると別人みたいに変わってることがあるからな。旦那に非は無いよ」
本心からフォローして、余った包帯をカゴへとしまった。実際、俺にも覚えがある。時間が人を変えるのはよくあることだ。
「・・・・・・すまん」
「いいから、謝らないでくれ。今は養生するのが先だ」
そう告げて、後のことはミュリアちゃんに任せ俺は小屋を後にする。イニマの様子も、見に行かないとな。
「よう、オーギス。イニマの様子はどうだい?」
「来てくれたんですか、グロムさん。今の所、何も。一応、チャロの口移しで粥は飲んでくれました」
「そう、か」
悲壮な顔で言うオーギスに、俺は大した返事を返せない。家の中のベッドに寝かされたイニマは、オーギス達の看護もあって綺麗なものだ。ともすれば、次の瞬間に目を覚ましてきそうなくらいに。
「悪い、俺には何も出来ない。早く目を覚ますことを祈ってるよ」
「いや、こいつはしょうがないことです。頭を下げんでください」
あぁクソ、己の無力が恨めしい。今までに何度も感じてきたことだが、目の前のイニマを救えないのが辛くて仕方が無い。今の俺に、出来ることは何も無い。と、
「グロムさん。ここは僕達に任せてくれ。イニマは大切な仲間だ、必ず目覚めさせる。だから、貴女はやるべきことをやってくれ」
片付けを終えたらしいチャロが言う。どうやら、励まされてしまったようだ。俺は頷いて、薄い胸を叩く。
「あぁ、やるべきことはやってやるさ。イニマのことは頼んだ」
そう告げて彼らの家を後にし、里長の家へと急ぐ。この三日、俺はただ途方に暮れていたわけでは無い。様々な可能性を加味した上で地図に描き込んだ、見張り台の建設予定場所。里長に話を通して、防衛出来る可能性を少しでも高めよう。例え徒労に終わろうが、絶対に行動を止めることはしない。無理にでも動けば状況は変わる。諦めんぞ、絶対に。
「・・・・・・」
里からやや離れた森の中。人気が無く鬱蒼とした場所に、『水禍』は胡坐をかいていた。彼を中心に魔法陣が張り巡らされ、さながら蜘蛛の巣のようだ。
『水禍』の心中は穏やかではない。無意味なことで思い煩い、挙句侵入者を取り逃がしたのだ。許されぬ。何よりも、自分が自分を許せない。
「くだらん」
呟くが、胸の痛みは治まらずにむしろ酷くなっていく。無理やり意識の外に追い出して、『水禍』は魔術行使に集中しようとした。今やっていることは、里の周辺広くに展開している結界魔術の強化。仮に再びあの男が襲撃してきた時の為に、より精密な状況を把握出来るように改良を試みている。魔力を多大に消費する上に効率も悪いが、決して無駄ではない。しかし、『水禍』には別の思惑があった。それは。
「僅かな内に、ここまで脆弱になっているとはな」
溜め息を吐き、ぎしりと拳を握り締める。彼は、里の外に逃げたかったのだ。だからこうして、夜も里に帰らず結界の強化に腐心している。己の不甲斐なさに誇りを傷付けられた怒りが心中で渦巻き、里の者に合わせる顔が無かった。彼らが自身を責めることは無いだろう。だからこそ、苛立たしいし申し訳無い。まるでまともな人間のような感性は、『水禍』の望む魔術師の在り方からはかけ離れている。
パリンと、貴重な魔石が砕けた。本来の魔術師、例えば『鏡像』だったならこの程度の魔術行使で魔石に頼ることは無いはずだ。己の非才が恨めしい。あの日、ミュリアとの対話で省みてしまった過去が、病魔のように『水禍』を蝕んでいる。そこに、あの男に魔術を打ち破られ逃げられた事実も重なり、彼の心は酷く憔悴していた。
それでも。それでも、『水禍』は里を去りはしなかった。彼はこの場に残って、結界の強化に力を尽くしている。その理由は、本人にしか分からない。
「・・・・・・ふぅ」
額の汗を拭って、枝葉に遮られている空を見上げた。彼の心境や里の状況には似合わず、雲一つ無い快晴だ。木漏れ日が差し、幻想的な光の筋が幾本も『水禍』に降り注いでいる。まるで祝福されているような光景だ。
「ぐ、む・・・・・・」
温かな光は、決して止むことは無い。その事実が彼の精神をかき乱す。森の中でただ一人、『水禍』は声にならない呻きを漏らした。あるいは、己の過去を悔いるように。
「お邪魔するよ、ツィーボ。首尾はどうだい?」
薄暗く、おどろおどろしい器具が所狭しと置かれた地下室。『鏡像』の魔術師が中に入っていくと、人の体液が混ざり合ったような臭気が鼻を突く。
「ん、おやぁ。『鏡像』様じゃないですか。二つ名持ちの魔術師だというのに、こんな所までご苦労様ですな」
低音ながらどこか朗らかな雰囲気を感じさせる声が聞こえ、暗がりから誰かが姿を現した。多様な動物の皮を繋ぎ合わせて作られた、禍々しい衣装。邪教の神官のようないで立ちの彼は、ニェーク家が抱えている拷問官のツィーボだ。丸々と太った焼き立てのパンのような胴体に、丸太のような四肢が生えている。顔は不気味なマスクで隠れているが、口元には面白そうな笑みが浮かんでいた。
「世間話をしに来たわけじゃないよ。どうにも捜索が出詰まりでね。藁にも縋る気持ちで、ここを訊ねたんだ。未確定でもいい、新しい情報は無いかい?」
「そりゃあ、また性急なことですな。と言っても、前回提出したもの以外は特に。そもそも最初に伝えましたが、誰も彼もなんらかの魔術で記憶を弄られてるんです。中に何も入ってなきゃ、樽を逆さにしても出てくるものはありません」
ちらりと、ツィーボが暗がりの方に視線を向ける。そこには、酷く消耗した男が椅子に縛り付けられていた。糞尿を垂れ流し、暴れる気力も無いのかぐったりとしている。両腕の皮膚が肘辺りまで剥がされており、指先には細長い針が夥しい本数刺さっていた。慣れない者なら吐いてしまいそうな惨状に、『鏡像』は顔をしかめる。
「彼で三人目ですが、供述は全て一致しています。余程念入りに記憶を弄ったんでしょうな、先に繋がる情報は何も出ない有様で。正直、やりがいは無いですよ。彼らも被害者でしょうし、何より決して口を割らぬという気概が感じられませんから。ここに送られてくるのは筋金入りの悪党共だったので、あっしとしても困っています」
「・・・・・・そうか。辛い仕事を任せてるね、ツィーボ」
「いや、あっしはこれが天職です。ニェーク様に拾われなかったら、今頃誰かを痛めつけて監獄行きだったでしょうし。まぁ、ロクでもない人間の私が役に立てるなら願ったりですよ。今は大して役に立てちゃいませんが」
おどけたように言うツィーボ。拷問官として雇われている彼は、己の境遇に不満を抱いてはいなかった。ニェークに拾ってもらった恩と、抑えきれぬ自身の性状。それを満たせる現在の境遇は、彼にとってもありがたいことだ。それ故、本来であれば疎まれる、迫害すらされかねない職務に真摯に取り組んでいる。
「そう言えるだけで、貴方はプロフェッショナルだよ。何か分かったことがあったらすぐに連絡してくれ。ニェークに伺いを立てなくても構わない。とにかく、有益な情報を送ってくれればありがたい」
「かなり気を張っておりますなぁ。あっしにゃあ及びもつかないことを抱えてるんでしょうが、息抜きも大事ですよ。ま、安心してください。これでも真面目な性分なもんで、情報はきちんと吐かせます。もし何か分かったら、ラソン様に早馬を用意してもらいますよ」
「・・・・・・助かる」
拷問官とは、過酷かつ報われない職業だ。他者からは蔑まれ、職務の内容上精神をすり減らす。本能的な嫌悪は抑えられないが、『鏡像』は心から感謝していた。彼がいなければ、『暗礁』と出会うことすら出来なかっただろう。
「これ以上仕事の邪魔をしてはいけないな。私はこれで失礼するが今度酒でも飲みに行こう、ツィーボ。奢るよ」
「そいつはありがたいことです。それじゃあ、頼みたくとも頼めなかったお高い葡萄酒を馳走になりましょうかな」
陽気な返事を聞きながら、『鏡像』は拷問室を後にした。未だ、昇魂薬の流通経路は把握出来ていない。それどころか、意図せず服用した犠牲者は増える一方だ。絶対に、食い止めなければならない。その思いを新たにしつつ、彼女は歩いていく。杖の先端に付いている手鏡が煌めいて、淡い光を放っていた。
異形の傷は普通の人間なら15回くらいは死んでます。