「『水禍』をそちら側に?そいつは・・・・・・」
「分かっています。襲撃を受けた直後、里の戦力を減らすのは危険だと。ですが、根本を絶たなければいつまで経っても危機は去りません。お願い出来ないでしょうか?」
俺とミュリアちゃんの家の中。テーブル越しに向かい合っているのは、先日里を去ったはずのラソンだった。帰還してきたカロロが休む間もなく、襲撃の報告を届けに行ってくれたのだが。それと入れ違いに、彼は僅かな供を連れて里にやってきた。ご丁寧に、外套とフードで全身を隠している。剣呑な雰囲気すら感じるな。
「人手が足りないのはお互い様だろう?それに、言っちゃなんだが『水禍』は防衛の要だ。異形の旦那だけじゃあ、張り巡らせている結界を十全に活用出来ないらしくてな。いくらニェーク伯爵の頼みと言えども、簡単には頷けんよ」
「む・・・・・・やはり、そうですか」
ラソンの目的は、昇魂薬の調査をより迅速に進める為に、『水禍』を一時的にニェーク伯爵の指揮下に置きたいというものだった。あちらさんの窮状は分からなくも無いが、易々と納得は出来ない。ただでさえヤバい奴が襲撃してきた直後だ。今は『水禍』も精神状態が安定してないが、それでもこの隠れ里に必要な存在だと、俺はそう思っている。
「まぁ、襲撃の話を知る前にエリンドから出発してきたんなら無理もないけどな。すまんが、今回ばかりは協力出来ない。何より、『水禍』自身の意志も尊重しないといかんだろうし・・・・・・」
「私は、構わんぞ」
唐突に後ろから声がした。驚いて振り向くと、いつの間にか扉を開けていた『水禍』が立っている。無骨な顔付きには、固い笑みが浮かんでいた。
「渡りに船の提案だ。丁度、里から距離を置きたいと思っていた所でな。ここにいては、纏まる考えも纏まらん」
「おいおい『水禍』、盗み聞きか?それに、あんたがいなくなったら里の防衛はどうする?」
「結界の問題ならば改良を終えた。異形一人でも問題は無いだろう。そして、私一人がこの里を離れたところで大局に影響は無い。あぁそうだ、本来はこれを伝えに来たのだ。イニマの意識が戻ったぞ。ミュリアのお嬢さんは既に向かっている。グロム、貴様も早く行ってやるといい」
淡々と告げる『水禍』は、やはりどこか無理をしているような印象を感じさせる。いつもの、皮肉げな余裕を湛えた様子では無い。里のが手薄になることよりも、俺はこいつが心配だった。俺と同じでロクでもない奴だが、それでももう隠れ里の仲間だと思っている。まぁ、そう思われているのは彼は嫌がっているんだろうが。
「・・・・・・本当にいいのか、『水禍』?」
「あぁ。必ず戻る、とは言わん。元凶を潰し、我が心身の整理をつけ終えたなら戻ってくるさ。それより早く行け。その愛らしい姿を見せてイニマを安心させてやるといい」
おそらく、俺の声はこいつにゃあ届かない。そもそも聞く気が無さそうだ。かぶりを振って、俺は立ち上がる。
「やれやれだな。それじゃあラソン、後は任せる」
「はい、分かりました」
やや動揺の色が見えるラソンだが、それでも努めて平静に頷いた。後はまぁ、任せるしかない。『水禍』から、早くこの場から離れろというプレッシャーを感じているからな。トントン拍子に進む物事に置いていかれるような気分になりながら、俺はオーギス達の家へと走った。
「・・・・・・よかったのですか?グロムさんは、随分貴方を気にかけているようですが」
「構わん。そこも含めて、私は気持ちを整理しなければならない。貴様には関係の無い話だ。仕事はきっちりと果たす。それで、いいのだろう?」
問いかけてくる『水禍』の目には、複数の感情が見て取れる。苛立ち、安堵、不安、悔悟・・・・・・どろどろに煮こごったそれを、心の奥へと押し込めているようだ。しかし、その上に進もうとする強い意志も感じる。複雑な人間性に、ラソンは追及を避けた。
「こちらとしては構いませんが・・・・・・では、エリンドまでついてきていただけますか?出発は明日の朝で」
「荷物はすぐに纏められる。今日中に出発したほうが時間が無駄にならん。そちらさえよければ、だが」
「分かりました。では、準備が整ったら停めてある馬車まで来てください」
難儀なものだ。早足で立ち去っていく『水禍』を見つつ、他人事ながらラソンは思った。彼が何をそこまで苦悩しているのか、彼には分からない。分かろうとする気も無い。仕事に支障をきたすなら考えなくてはならないが、それは実際の仕事振りを見てからでいいだろう。グロム達には申し訳ないが、『水禍』の問題に口を出せる程こちらに余裕は存在しない。故に、わざわざ里まで直接交渉に来たのだ。
なんにせよ、これで目的は果たしたことになる。里への襲撃者の件はどうするべきか。そこは、ラソンも案じている。しかし現状、取れる行動は限られていた。残酷な話、里を放置してでも昇魂薬をばら撒いている元凶を捕えなければならない。
里に向けている好意が偽善だと、彼も彼の主も理解はしている。だからといって、ラソンは心を乱すつもりは無かった。果たすべき使命がある。例え、純朴な羊人達を切り捨ててでも。刃を呑んだような決意を抱き、ラソンも立ち上がる。全ては主の為、ひいては共和国の安寧の為に。
俺がオーギス達の家に駆け付けた時、そこにはなんとも愉快な光景が広がっていた。
まず、前提としてミュリアちゃんの髪の毛はとても長くなっている。手入れの時間を惜しんでまで里の皆と話をしているからだが、ふわふわっぷりは健在だ。ただ、今のミュリアちゃんを後ろから眺めると毛玉状の何かが動いているようにしか見えない。そんなミュリアちゃんの羊毛に、おそらくイニマであろう人間が埋まっていた。文字通りに。
「ふもっふもももも!もふぅー!!」
くぐもった奇声を上げながら、背中と四肢の一部が見えるだけのイニマが歓喜している。ベッドの横には苦笑しているオーギスと、肩を竦めてそっぽを向いているチャロ。ミュリアちゃんは泣き笑いの表情で、自身の髪の毛で溺れているイニマを受け入れていた。その前髪には、三日月の髪飾りが付けられていた。目を覚ましたイニマがミュリアちゃんに渡したんだろう。妙に冷静に分析していたが、羊毛に埋まっているイニマというインパクトが全てをかき消していた。
「どういう状況だ?」
思わず零れてしまった言葉に、顔すら見えないイニマが素早く反応する。ずぼっと体を羊毛から引き抜くと、目をキラッキラさせて俺に跳びかかってきた。新手の魔物か何かか?
「グーロムちゃーん!久しぶり元気にしてたんもふぅ!!」
「うおぉぉっ!?」
神速とも言える動きに成す術も無く、俺は柔らかな胸元へと抱き寄せられる。まるで竜巻のように回転しながら、イニマは満面の笑みを浮かべていた。とても幸せそうだ。
「二人とも無事で良かったよホントに!ごめんね、私なんにも出来なくて!これからはもっと頑張るから今は愛でさせてぇー!うっふふふふふ!!」
「いや、だから苦し・・・・・・」
滅茶苦茶に頭を撫で繰り回される俺。助けを求めるように視線をさまよわせると、未だに涙を零しているミュリアちゃんと目が合った。彼女は優しく微笑んで、俺を抱き締めているイニマを後ろから抱き締める。
「本当に良かったです、もう目を覚まさないかと・・・・・・!」
「それはさっきも聞いたけどちょっとまって子羊ちゃんサンドはまだ心の準備がうわっはぁぁぁぁぁぁっ!!」
喜悦の絶叫を上げてイニマが意識を失った。何、この・・・・・・なんだ。まぁ、うん。元気そうで良かったよ。
「いやぁ、なんだか恥ずかしい所見せちゃって。ごめんなさい」
「本当だぞ、まったく。病み上がりなんだから無理しないでくれ」
ベッドに寝かされ、しばらくして再び目を覚ましたイニマに、オーギスが苦笑しながらたしなめる。チャロは澄ました表情をしているものの、僅かに頬が緩んでいた。すっかりいつもの調子を取り戻した三人組を見て、俺も嬉しくなってしまう。襲撃された時には大分無理させちまったからな。本当に、良かった。胸を撫で下ろしつつ、まだ涙ぐんでいるミュリアちゃんにそろりと近付いた。ようやく一息つけたであろう三人には聞こえないよう、小声で彼女に耳打ちをする。
「すまん。こんな時にあれだが、『水禍』が村を出ていくかもしれん。ニェーク伯爵の元で動くことになりそうだ」
「え・・・・・・?そ、そうなんですか?そんな・・・・・・」
「あいつのことだ、どうせ何も言わず出てくつもりだろう。イニマの相手は俺がしとくから、ミュリアちゃんは先に行ってくれ。異形の旦那にも声をかけてくれると助かる」
「わ、分かりました。でも、イニマさん達には伝えないんですか?」
小首を傾げて言うイニマちゃんに、俺はちらりと彼らの方に目を向けた。
「あぁ、まぁな。ようやく肩の荷が下りたんだ。今、水は差したくない」
「あっ、そうですよね。気が回りませんでした、ごめんなさい」
「いいって。さ、行っといで」
そっと背中を押すと、ミュリアちゃんは一度だけ振り向いた後走っていく。・・・・・・さて。それじゃあ、俺はイニマの抱き枕にでもなるとしますかね。
「『水禍』さん!」
「・・・・・・ミュリアのお嬢さんに、異形か。グロムめ、余計なことを」
オーギスさんの家を出た後、私は急いで守り神様の元へ向かった。確か、今日は鍛冶場にいるはず。そこで新しい飛び筒を造っていた守り神様に事情を説明し、二人して里の道を走る。もうすぐで『水禍』さんの小屋に辿り着きそうというところで、大きなカバンを背負った『水禍』さんが道を歩いてくるのが見えた。もう、出ていく支度を整えてしまっているみたいだ。
「グロムさんから聞きました、里を出ていくつもりだって・・・・・・やっぱり、私が原因なんですか?」
「違う。この里に引きこもっているよりは、エリンドに行った方が役に立てそうだからな。お嬢さんのそれは、思い上がりというものだ」
「う、うぅ・・・・・・」
た、確かにそうかもしれない。私、『水禍』さんのことを何も知らないし・・・・・・。怯みそうになったところで、守り神様が口を開く。
「あまりミュリアを虐めるな。お前が思い煩っている理由に、少なからず関わっているだろう。一時の別れとはいえ、もう少し素直になったらどうだ」
「ふん、貴様からそんな言葉が出るとはな。まぁ、いい。嘘は言っておらん。私には、里から離れる時間が必要なのだ。他ならぬ、自身の弱さが故に。誰かに理由を押し付けようなど、考えるものか」
そう言った『水禍』さんは、どこか晴れ晴れとした表情だった。私には、詳しくは分からないけど。
「いいか、貴様らはお人好しだ。勝手に他者の問題を抱えるな。私は、誰かに頼って問題を解決してもらおうとは思わん。案ずるな、死ぬ気などさらさら無い。精々私が凱旋してきた時の為に宴会の準備でもしていろ。それが、貴様らが私に出来る唯一のことだ」
ここまで言い切られてしまうと、私はどう声をかけていいのか分からなかった。里のことを、嫌いになった訳ではないみたいだけど・・・・・・。口ごもる私に、『水禍』さんは笑いかけてくれる。
「案ずるなよ、お嬢さん。貴様がどう思おうと、他の者がどう思おうと、片を付けたら帰ってくる。『水禍』の魔術師を舐めないでもらおうか」
「・・・・・・『水禍』さん。絶対、無理はしないでくださいね」
私は、絞り出すようにそれしか言えなかった。なんだか、とても遠くにいるみたいだ。嫌な予感がしているのに、それが何かは分からない。頭の中に靄がかかったみたいで、私は言葉を紡ぐことが出来なかった。
「『水禍』。一つ、言っておこう。お前には面倒なことかもしれんが」
すぐにでも立ち去ってしまいそうな『水禍』さんに、守り神様が声をかけた。少し奇妙な、それでも案じていることが分かる声色。
「なんだ、勿体ぶるな」
「お前が戻らねば、里の者達は傷つくぞ。心を深く抉られる。そういう者達だということは、分かっているはずだ」
「・・・・・・ふん。言われずとも、分かっているさ。白も黒も、混ざり合って私の内にある。貴様ですら割り切るのに数十年以上かかったのだろう?私にも時間が必要だ。だが、この里で燻っている余裕は無い。己を見つめ直すには、ちょうどいい機会なのだよ」
『水禍』さんの言葉は、私にはよく分からなかった。でも、彼は真剣だ。きっと、この態度は嘘じゃない。
「そうか。ならば、よい。必ず戻れ。死ぬな」
「はっ、やはり理想主義に過ぎるな。確約は出来ん。だが、全力は尽くそう。今のところは、死ぬつもりは毛ほども無い」
片手を上げて、『水禍』さんは歩き去っていく。何か、何かを伝えたい。私は何も分からないままに、彼の背中に声をかけた。
「『水禍』さん!」
歩みを止めず、ちらりとこちらに振り返る『水禍』さん。どうしよう。何を言えば、うぅ、うぅぅぅぅ・・・・・・!
「ま、また!また会いましょう!さようならじゃなくて、またねがいいんです!」
私の変な言い方に、『水禍』さんはきょとんとした表情の後、皮肉っぽい笑みを浮かべる。そして、前に向き直りながら言ってくれた。
「あぁ。お嬢さんに異形よ。またね、だ」
「っ、はい!またね、です!」
「またな、『水禍』」
私と守り神様の返事を背に、『水禍』さんは歩いていく。それが、一時的な別れだと信じて。
『水禍』、離脱。帰ってくるのはいつになるのでしょう。