羊毛で出来た外套を羽織り、背中の腕を邪魔しない細長い背嚢を背負って、名無し殿は森を進んでいく。俺はと言えば、背中の腕の一本に抱えられ運ばれていた。今の俺は随分と背丈が低いので、妥当と言えば妥当だ。まぁ、気分はそこまで良くないが。
「相手はどれくらいの距離だい?」
「1000歩(約700m。1歩70cm程度)。方向、こちら、まっすぐ」
「ふぅむ。山菜採りの足跡をたどっているのかもしれんな。名無し殿、飛び筒の射程は?」
「狙撃、特化。ならば、200歩だ」
そいつは凄い。どれほどの弓の名手だとしても、100歩先の相手へ命中させるのは至難の業だ。にわかには信じられないが、ここは名無し殿を信用しよう。
「それじゃ、任せた。アドバイスが欲しいならいつでも聞いてくれ」
下手に俺が口を挟んでも逆効果だ、俺は名無し殿に任せつつ、出発前に渡された遠眼鏡を覗き周囲を確認した。日が落ち始めているからか、ただでさえ薄暗い森の中はさらに暗くなっている。恐らく、王国軍はランタンか何かで光源を確保しているだろう。ならば、先手は容易に取れる。はずだ。
しかし、名無し殿はどうやって敵を感知したんだろう。考えても詮無いことだが、気になる。後で聞いてみるとしようか。
「・・・・・・」
微かな呼吸の音を発しながら、名無し殿はずんずんと進んでいく。敵がいるはずの場所をぐるりと迂回し、側面へと回っているようだ。徐々に距離を詰めつつ、気付かれぬように回り込む。巨体に見合わぬ俊敏さで、木々の間をするりと抜けていった。
さて。名無し殿のお手並み拝見といこうか。俺は緊張を振り払うように、名無し殿の動きを見定めることにした。
王国軍の斥候達。その隊長格であるジド・ルートウォウは辟易していた。
(全く、どうして俺がこんな場所まで・・・・・・)
本来、彼は斥候ではない。兵を統率し、命令を下す立場にある人間だ。それが何故斥候隊と共に行動しているのかというと、上司に命令されたからに他ならない。
『斥候達は上等教育を受けてはいない。故に、なんらかの情報を見逃す可能性があるからな。ここは優秀な君に直接行ってもらうことで、確実に情報を得て帰還してもらいたい』
鼻持ちならないイケメン貴族。しかし、階級は自分の遥か上だ。もし逆らえば、彼はなんの感慨も無くこちらを切り捨てるだろう。
(クソ、いつかあのアホ面を殴り飛ばしてやる)
ジドは貧乏貴族の三男坊だ。粗暴な性格と立場の関係で、親から半ば無理やり軍に送られた。当然出世は見込めず、士官としての教育を受けつつも娼館通いに精をだしていたのだが・・・・・・。
「チッ」
「どうされました、ジド候補生殿」
「うるせえな、なんでもねえよ。それより、足跡は人間のものなんだな?」
「はい。農夫が履いている靴に似ています。「人もどき」の可能性も否定出来ませんが」
「あいつらに靴を履く知恵があるかよ。いいからさっさと進むぞ」
吐き捨てるように言うジド。が、ベテランの斥候である部下が固い声で反論する。
「日が沈みかけております。夜の進軍は危険かと。なんらかの痕跡を見逃す可能性も・・・・・・」
「うるせぇ!巧遅よりも拙速ってのがあるんだよ!ランタンの油はたっぷりあるんだ、このまま進むぞ!」
ジドにとって、任務の内容などどうでもよかった。とにかく、早く何か見つけてとっとと帰りたい。苛立ちながら、部下に喚く。
「俺に逆らうのか、えぇ!?」
「・・・・・・了解しました」
失望を覆い隠しながら、部下が敬礼した。周囲の斥候達からも冷たい目で見られていることに、ジドは気付かない。と、
ドォン!
落雷でも落ちたような音が、一帯に響いた。何が起きたのか、ジドは音のした方向に顔を向けて、
「え」
全てが、吹き飛んだ。凄まじい爆発が斥候隊を襲い、周辺の木々ごとまとめて薙ぎ払う。隊列は意味を為さなくなり、一瞬で斥候隊の半数が死亡した。
「え、えげつねぇ・・・・・・」
木の枝に掴まりながら、俺は思わず声を漏らす。名無し殿が放った一撃は、斥候隊を文字通り粉砕してしまった。
今、俺たちは背の高い木に登っていた。そこから、灯りを頼りに斥候隊に攻撃をしたのだが。名無し殿が持っている中でも、とびきりデカい飛び筒。熟練の魔術師による砲撃の如き威力は、本能的に恐怖を覚える程だ。もうもうと立ち込める煙を遠眼鏡で注視しながら、俺は冷や汗を垂らしてしまう。
「まだだ。3・・・・・・いや、4人、いる」
手前に抱えている大飛び筒に、先端に巨大な毛虫のようなものが付いた棒を突っ込みながら名無し殿が言う。背中の腕が何かの絡繰りのように展開し、三本の飛び筒が着弾点へと向けられた。
バァン、バァンバァン!
大気を震わせる発射音。大飛び筒のような爆発こそ起こさないが、近くで聞いていると鼓膜が破れそうだ。
「この土煙の中で当たるのか?」
「進路を、遮る。全員、逃がす、気はない」
成程、威嚇の射撃で後退する場所を誘導するつもりか。しかし、俺には生き残りの姿は見えない。遠眼鏡で覗いているとはいえ、これほど離れている上にさっきの爆発で煙が立ち込めているから当然だが。
飛び筒を持ち替え順次放ちながらも、名無し殿は大飛び筒に何かをしている。魔石・・・・・・魔力を秘めた石を砕いた粉を筒の内部に入れ、さらにまん丸の鉄の塊を入れた。焼きごてのような棒で突き固めると、今度は持ち手近くの仕掛け部分に魔石の粉を少量盛る。魔術行使の手順のようなものなんだろう。
再び大飛び筒を構えた名無し殿は、未だ晴れない煙の中へと狙いを付けている。直後、筒の持ち手部分、彼の指先から小さな魔力の火花が生じた。俺が咄嗟に耳を塞ぐと同時に、凄まじい爆発音が響き渡る。
ドォォォォン!
先ほどと同じ、大気を揺るがす轟音。放たれた鉄塊が煙の中に突っ込むと、容赦無い爆発が再度着弾点を襲った。
「・・・・・・仕留めた、か」
名無し殿は呟きつつ、飛び筒は背嚢にしまい俺の体をひっつかんで木を降りていく。猫みたいな扱いをされているようで、ちと癪だ。
「生き残りはいないのかい?出来りゃあ尋問をしたいんだが」
「恐らく、全員、死んでいる。死にかけは、いるかもしれん」
まぁ、仕方ないか。一人でも取り逃がせば、こちらとしては相当不利になる。それにしても、飛び筒とやらがここまで凄まじいものだとは思わなかった。これほどの破壊力を持った魔術師は、一度戦場で会ったことがあるだけだ。
「さて、と」
名無し殿に連れていってもらい、地面の抉れた場所へと到着する。いや、酷い惨状だ。四肢が無事な死体が殆ど無い。大体が千切れ飛んで、バラバラに散乱している。
「そちらは、任せる」
名無し殿は吹き飛んだり折れ曲がった木々を確認し、燻って火が付きかねないものを処理している。気乗りしないが、連れてきてもらった以上検分はしないとな。比較的マシな死体を探し、懐を探ってみる。指令書とか持ってりゃいいんだが。
「どれどれ・・・・・・」
いくつか確認したが、大したものは持っていない。最低限の装備は、やはり斥候のもののようだ。ふぅむ、王国軍なのは確かだけど、それ以外には特に・・・・・・お。
「こいつは、うーむ」
焦げ付き、血が染みた軍服が木の枝に引っかかっていた。中身は根本に落ちているが、あまりにも損傷が激しくどの部位かも分からない。それよりも気になるのは、軍服の種類が他のものと違うように見えることだ。
「将校斥候か?」
わざわざ将校が斥候に帯同する行為は、非常に危険だ。だが、その分持ち帰れる情報が多い可能性が高いという利点もある。どうやら、王国軍は随分とこちら側の情報を求めているらしい。不味いなぁ。
「どうだ?」
気が付くと、後ろに名無し殿が立っていた。俺は振り返り、肩を竦めつつ答える。
「ちと厄介なことになりそうだ。斥候隊の中に、位の高い奴が混じっていたらしい。それだけ隠れ里方面を警戒してるってことだろう。こいつらが帰還しないとなりゃあ、より大規模な部隊が送り込まれてくる可能性が高いぜ、こいつぁ」
喉につかえるような恐怖を感じ、俺は軽く首を回して誤魔化した。隠れ里の羊人達は温厚で、言ってしまえば平和ボケしている。戦力としては期待出来ない。名無し殿は凄まじく強いと分かったが、数百人以上の規模で軍を派遣されれば守り切るのは難しいだろう。つまり、このままでは遅かれ早かれ詰むってことだ。
「早く帰って里長に報告しよう。共和国へ使者を出して、庇護を受けるしかない」
俺の言葉に、名無し殿は渋々ながら頷いた。俺だって、隠れ里はこのままにしておきたい。穏やかで、平和な日常は何よりも貴重なものだ。だが、もし王国軍に見つかってしまえば、亜人は例外無く連れ去られて奴隷として酷使される。あんな気のいい人達が、そんな目に遭うのは断じて許されない。
「名無し殿の気持ちも分かるよ。ただまぁ、俺らだけじゃどうしようもない。どっちにしろ、里長には報告せにゃならんだろ?」
「・・・・・・分かって、いる」
苦虫を嚙み潰したように吐き捨てて、名無し殿は俺をひょいっと担ぎ上げる。そのまま、機敏な動きで小屋へと戻り始めた。
魔石は魔物の体内で発見される魔力がこもった石です。多分結石みたいなもん。