「・・・・・・ん?」
大木の根本に背中を預け目を閉じていたハヤトは、何かに気付き片目を開けた。遠くから、複数の足音。規則正しいそれは、恐らくは軍隊だろう。
「やっとか。共和国の対応は大分ずさんだな。まぁ、これでようやく仕事が出来る。さて」
呟きながら立ち上がると、屈伸しつつ横に置いてあった長剣を腰に差す。一息吐いた瞬間、彼の姿がかき消えた。跳躍と呼ぶにはあまりにも桁の違う移動方法で、足音へと一気に近付く。と、
「・・・・・・おや」
跳ね飛んだハヤトの眼下には、思っていたのとは違う光景が広がっていた。装備を整えた兵士の隊列は、既に弓を構え臨戦態勢だ。空中から自然落下するハヤトへ向けて、無数の矢尻が向けられる。
「放てっ!」
恐らくは指揮官の声で、一斉に矢が放たれた。空中にいるハヤトには避ける術は無い。しかし、彼は嬉しそうに微笑んで長剣を引き抜いた。
「はっは!いいなぁ、面白い!」
声と共に、長剣を振るうハヤト。迫りくる矢を全て斬り落としながら、隊列へと落下していく。そう、全てだ。一本たりとも、喜悦の笑みを浮かべるこの男の元には辿り着けない。が、
「借りを返すぞ」
ハヤトの全身に、水で出来た鎖が絡みついた。地面へと引きずり降ろされ、拘束される。咄嗟に脱出しようとするが、何故か全身が痺れ始めた。不思議そうな表情で首をもたげ、周囲を確認しようとすると、一度見た顔が兵士の中に紛れていることに気付く。
「どうやら、毒物の類は効くようだな。重畳だ」
「・・・・・・へぇ。先日はどうも、魔術師さん。わざわざ俺の為に用意したのかい、これ?」
能天気な問いかけに、魔術師・・・・・・『水禍』は、表情一つ変えずに答えた。
「あぁ。貴様が共和国内に侵入したという情報を掴んでな。囮として、この辺りを彷徨っていたのだ。罠にかかってくれて感謝するぞ、人斬り」
鎖を斬り飛ばそうとするハヤトだが、体が動かない。辛うじて長剣は取り落としていないものの、なんらかの毒が回り始めているようだ。
「俺の為に、色々と準備してくれているみたいだな。ご苦労なことだなぁ、うん」
「これ以上はこちらの情報は与えん。おい、頼んだ」
素っ気無い『水禍』の言葉に、兵士達が迅速に動く。水の鎖でぐるぐる巻きのハヤトに、手にした瓶の液体を振りかけていった。肌を刺すような痛みと共に、痺れが急速に増していく。
「ん-・・・・・・毒蛇か何かの毒か?意識もはっきりしているし、口も動くところから察するに随分と吟味したようでご苦労様だ」
絶体絶命としか思えない状況で、しかしハヤトは能天気に話しかけた。『水禍』は彼を睨み付け、杖を構えながらも口を開かない。その様子に口角を上げて、ハヤトはくつくつと笑い始めた。
「く、ふふふふ・・・・・・成程ね。恐怖と戦っているのか。しかも、その相手は俺じゃない。分かるぜ、その気持ち。俺も昔は、己の弱さを悔いていたしな」
毒液が全身に回り、さらには鉄の鎖で雁字搦めにされるハヤト。穏やかに語り掛ける口調は、切迫した雰囲気からはかけ離れている。そして、彼は『水禍』から目を逸らさない。自然、ハヤトを睨み続ける『水禍』と視線が合い続けることになった。
「だけど、残念だよ。あんたにもうちょい、才能って奴があればよかったのに。あるいは、分別か。ユウの住むあの里から外に出なきゃよかったんだ」
ふわり、と。花が香るように、ハヤトの全身から殺気が漏れる。それに気付いたのは『水禍』と、次いでハヤトを鉄の鎖で拘束している兵士達。だが、既に遅かった。
「よっと」
軽い声と共に、鉄の鎖と兵士がバラバラになる。飛び散る鎖と血液、人だった肉片を気にもせずハヤトは悠然と立ち上がった。いつの間にか抜かれていた長剣には、汚れ一つ付いていない。剣速があまりにも早すぎて、刃に何かが付着することが無いのだ。
「ちぃっ!!」
『水禍』が水の針を放つが、ゆらりとした動きで全てをかわすハヤト。その肌は染みが広がるように黒ずんでいき、額からは鋭利な一本角が突き出す。それは、最近の昇魂薬によって「昇った」姿と酷似していた。すなわち、人型の魔物。
「悪いな。こいつはまぁ、ズルなんだけど。とっておきって奴だ。ふあぁ・・・・・・」
欠伸を一つ噛み殺し、ハヤトは長剣を無造作に構える。咄嗟に『水禍』が身をかわそうとしたが、かわし切れない。瞬間的に『水禍』の目の前まで移動したハヤトが、長剣を振り下ろした。
「っぐ、ぅぅぅ・・・・・・!」
「ありゃ。避けたのか、今の。凄いな、割と本気の一撃だったのに」
『水禍』の左腕が斬り落とされ、彼は傷口を水で覆いながらも健在の片腕で杖をハヤトに向ける。素直な賞賛の色を浮かべている彼の顔面に、複数の水の刃が迫った。が、容易く斬り払われ傷一つ付けられない。
「うーん。出来れば殺したくはないな、あんたは。一応ユウの知り合いだし、これだけの執念だ。まぁ」
『水禍』を守ろうと、槍を構えた兵士達がハヤトを取り囲む。決死の気迫が伝わってくる兵士達に、ハヤトは冷めた瞳を向けた。
「お前たちは、どうでもいいか」
「待て、退がれぇっ!」
叫ぶ『水禍』の声も空しく、長剣が煌めいた。瞬く間に細切れになる兵士達。ざぁ、と土砂降りの雨のように肉片と血が地面へと降り注ぐ。桁が違う。里で戦った時以上のハヤトの実力に、『水禍』は今は勝ち目が無いことを悟った。斬り飛ばされた腕の痛みを無視し、前へと一歩踏み出す。
「全部隊撤退しろ!殿はこの私が引き受ける!一人でも多く、情報を持ち帰るのだ!」
その声に、目の前の惨状に呆然としていた兵士達の目に色が戻った。隊列を組み、この場から撤退しようとする。『水禍』一人を置いて。
「・・・・・・ふぁ、んむ。全く、昔を思い出す。あんたみたいな骨のある奴ばっかりだったよ。まぁ、全員死んだんだけどさ」
ふらりと近付いてくるハヤトに、『水禍』は無駄と知りつつ水刃を放っていく。当たらない。さっきと同じ、繰り返しだ。目の前まで迫られ、死を覚悟する『水禍』。・・・・・・だが。
「やめだ」
呟いて、ハヤトは長剣を鞘に収めた。殺気が急速に薄れ、何も無かったかのように霧散する。
「終わりにしよう。あんたの覚悟に敬意を表して、って感じで」
「・・・・・・何を、言っている」
「言葉の通りだよ。俺の目的はあんたを殺すことじゃない。本当は後退してる兵士達も始末しといた方がいいんだろうが・・・・・・まぁ、おまけでそっちも殺さないでおこう」
呑気な口調で言われ、『水禍』は頭に血が上りかけた。つまり、目の前の男はこちらを舐めているということだ。
「私達には、相手にする価値も無いと?」
「違う違う。アレだ、盤面に残しておいた方が都合がいいって話だ。こっちの目的は、あくまで王国と共和国に緊張感を持たせることだからな」
嘘か本当か、ハヤトは飄々と言葉を紡ぐ。
「そして、うん。俺は、俺の居場所を作りたいだけなんだよ。最終目標はそこだ。だからあんた、あの里に帰った方がいい。腕を斬り飛ばした俺が言うことじゃないが、帰る場所があるならそれに越したことは無いからさ」
そう言いつつ、ハヤトは軽く伸びをする。肌の色が元に戻ってゆき、額の一本角もいつの間にか引っ込んでいた。
「・・・・・・この状況で発せられた言葉など、到底信用出来んな」
「ま、どう思おうと好きにしてくれ。それじゃあ、もう二度と会わないことを祈っているぜ」
言うや否や、『水禍』が魔術を行使する間も無くハヤトの姿がかき消える。跳躍し、この場から離脱したのだろう。完全に気配が無くなったのを確認し、『水禍』はその場に片膝をついた。水を用いて傷口を圧迫しているが、片腕を斬り飛ばされたダメージは相当なものだ。なんとか、撤退した味方と合流しなければ。
「随分と、軽く見られたものだ」
先ほどの、ハヤトの言葉。こちらを混乱させるための虚言かもしれないが、少なくとも一つの効果をもたらしたようだ。つまり、『水禍』はブチ切れている。敵がいる限り平静を保とうとしていたが、はらわたが煮えくり返るような思いは彼が立ち上がる為の力の一つになった。
「帰る場所。帰る場所だと?それを決めるのは、この私だ。貴様ではない」
ブツブツと呟きながら、気を抜けば失いかねない意識を辛うじて繋ぎ留める。肉体の痛み以上に、心を抉られたような痛み、そこからくる激怒の方が大きい。しかし、それすらも『水禍』は利用し、斬り落とされた左腕を拾い上げた後兵士が撤退していった方向へと向かっていった。その場に、怒りの言葉を残しながら。
「またしても一つ借りだ。必ず、返させてもらうぞ」
「よーし、これで二台目も完成だ!」
しっかりと組み上がった見張り台を前に、オーギスは近くの羊人を肩を組みながら喜びの声を上げた。達成感と心地良い疲労が、彼の体に満ちているようだ。見張り台の建設も、残すところ三台となった。さらに、その三台も半分近く組み立てが進んでいる。万事順調だと、オーギスは満足気に頷いた。
その日の夜。オーギスはイニマやチャロと一緒に、隣人からおすそ分けされた果実酒を飲んでいた。寝る前の穏やかなひと時に、ふとオーギスが呟く。
「なんというか、私達も随分慣れたよなぁ。この里に」
「どうしたんです、リーダー?そんなしみじみとした感じで」
不思議そうな表情を浮かべるイニマに、軽く片眉を上げただけでちびちび果実酒を飲んでいるチャロ。得難い仲間である二人を見ながら、彼は続けた。
「その、なんだ。実際には違うんだが、こういった故郷みたいな場所が出来るとは、少し前までは考えられなかったからな。私達冒険者は、所詮流れ者なわけだし」
「まぁ、それはそうですけど。私も嬉しいですよ、里の皆に受け入れてもらえて。特にグロムちゃんとミュリアちゃんに!」
「・・・・・・リーダー、あまり気を抜かないでくれ。危機は去ったわけじゃないんだから」
「あぁ、そこは分かってる。ただ、この里で見張り台建てたりなんだりしてると、どうにも平穏を噛み締めるようになっちまってな。いかんとは思ってるが、それだけここでの暮らしが心地いいってことなんだろうなぁ」
穏やかな表情で、ぐいと果実酒を呷るオーギス。貧困とは無縁で、本来ならば争いとも無縁であろう隠れ里。彼にとって、住み心地がいい楽園のような場所だ。
「だからこそ、守らんといかん。『水禍』さんが離れ、カロロさんも療養中な以上、私達がその分荒事を担当しないと。そう、改めて思ったんだよ」
「ふふ、了解ですリーダー。だから色々頑張ってるんだし!」
「うん。そうだな。カロロ様の分、僕達が頑張らないと」
仲間である二人の返事に、オーギスはたまらないように微笑む。自分は、人に恵まれた。金には替えられない、かけがえの無い宝物。
「っし!それじゃあ、明日も頑張る為にもう一本空けちまうか!」
「わぁいそうしましょーう!この果実酒、程よい甘さで私好みなんですよ」
「飲み過ぎだぞ。まったく、これだから酒飲みは・・・・・・」
チャロの愚痴も気にせず、オーギスとイニマはコップに果実酒を注いだ。ささやかな宴は、もう少しだけ続きそうだ。
『水禍』は才の不足をを努力と工夫、経験で補っているタイプですが、純粋な強者相手には分が悪いんですな。