痛い。苦しい。それよりも何よりも、渇いて仕方が無い。森の中を彷徨う魔物は、そんな感情に心身を支配されていた。
「ア、ウア、ウゥゥゥゥ・・・・・・」
呻き声は、人のものとは思えぬ悍ましい音になってしまう。どうして、こんなことに。思い出そうとしても、記憶は霞がかって何も見えない。苦痛と渇きはどうしようもない程に増していき、やがて怒りへと変わっていく。しかし、その怒りさえ向ける相手がいなければ意味が無い。魔物はうねる下半身を動かして、何の当ても無くずるずると森の中を進んでいく。
「イヤ、イヤァ・・・・・・」
悍ましい呻き声は、あるいは泣き声なのかもしれない。悲痛な響きが混ざったそれは、誰の元にも届かなかった。
「こりゃ、凄いな。私一人じゃ絶対運べんぞ」
「元々、設置式のものだからな。重量は度外視で造ったのだ」
「いや、それを軽々運ぶ守り神さんも大したもんだよ、本当に」
人工の湖へと向かう道中。異形の背にある巨大な飛び筒を眺め、オーギスは感嘆の声を上げた。
曇り空でしっとりとした空気の中、異形にオーギス、チャロにイニマの四人は森の中を歩いている。最後である三回目の飛び筒試射をすると聞き、イニマが同行を願い出たのだ。丁度見張り台の建設も仕上げ前の休息日だったので、興味のあったオーギスも同様に同行。そういうわけで、異形と三人組は湖近くまでやってきたのである。
「そうそう、凄いですよ守り神様は!今度また模擬戦しましょうね、リベンジしますから!」
「時間が空いている時なら構わんぞ。もうじき、見張り台の建設も完了するのだろう?」
「うん。後数日くらいで、五台全部完成する予定。羊人の皆が頑張ってくれたから、僕達がやることはあまり無かったよ」
チャロの言葉に、オーギスとイニマが頷く。実際、羊人達の働きには目を見張るものがあった。人間よりも力に優れ、穏健かつ勤勉。誰もが率先して他者を手伝い、慈しむ心をもっている。荒事が苦手なこと以外、欠点は感じられない。
「・・・・・・羊人達は、ずっとこの里だけで暮らしてきたからな。純朴過ぎるのだ。共に戦う者がいなければ、容易く滅ぼされてしまうだろう。だから、俺達がいる」
言外の意味を感じ取ったのか、異形は強い意志を込めて口を開いた。数十年以上里を守り続けてきた彼だからこそ、その言葉は重々しい。
「そう、だよなぁ。こりゃあ責任重大だ。私もそれなりに冒険者として食い繋いできたが、一番の大仕事だぞ」
あえておどけたように言うオーギスは、ちらりと頼れる仲間に視線を向ける。二人とも、多少動揺していたが深刻そうな様子は見られなかった。
「ですねぇ。私も、これだけやりがいがあるのは初めてです。出来れば、ずっとここで生きていきたいな」
「・・・・・・まぁ、そうだね。正直さ、ここはあまりにも心地良すぎる。人の悪意というか、苦みみたいな部分が感じられないんだよ。この里の為なら、命を賭けても惜しくはないって思ってしまう。そんな魅力があるんだ」
にっこりと笑って言うイニマに、珍しく饒舌に語るチャロ。そんな三人に、異形は歩きながらも頭を下げる。
「・・・・・・感謝する。グロム達と出会った冒険者が、お前達で良かった」
「いや、そんな頭下げんでください。むしろこっちが感謝したいくらいで」
慌てたように声を上げたオーギスは、何故か腰を低くする。変な体勢で歩く二人にイニマが笑いそうになる中、森を抜けて開けた場所・・・・・・中心に湖のある所に辿り着いた。と、ばっと異形が頭を上げ湖の方向を睨む。
「ど、どうしました守り神さん?」
「魔力の匂いだ。それに、微かな瘴気も感じ取れる」
その言葉に、三人の表情が一気に引き締まった。オーギスは背中から長剣を引き抜き、イニマも同様に細剣を構える。チャロは弓に矢をつがえ、正面をじっと見据えていた。
「数は?」
「分からん。だが、相当に濃い。気を付けろ」
チャロの短い質問に短く答え、異形は背負っていた巨大な飛び筒を降ろす。今回の目的は試射だった為、通常の飛び筒は一本しか持ってきていない。それに弾を込めながら、ふと疑問を口にした。
「何故だ・・・・・・?結界魔術に反応は無かったはず、どうやって潜り込んだ」
しかし、今は捨て置くしかない。まずは対象の確認をしなければ。
「チャロ、空から確認出来るか?」
「分かってる。守り神、大体でいいから位置は分かる?」
オーギスの声に頷いて、チャロは翼を広げた。
「湖の、中央付近。飛び道具を持っているかもしれん、警戒は怠るな」
「うん。じゃあ、言ってくる」
飛び立ったチャロはみるみる内に加速し、湖の上空へと向かう。相手が何かの攻撃をしてきたとしても対処出来るよう、かなり高度を取っていた。その分詳細は確認し辛いが、チャロは懸命に目を凝らし注視する。すると、明らかに何かが泳いでいるようなうねりが水面に確認出来た。次いで、人のような上半身が水面から現れる。妙なのは、水面に映る下半身であろう影が、異様に大きいということだ。
その何かは、悠々と湖を泳いでいる。よくよく確認すると、上半身の人型は女性のように見えた。それ以上のことはこの距離だと分からない。チャロは一旦戻り、情報を共有することにした。と、視線を逸らそうとした瞬間に水面から何かが盛り上がる。突起が付いた触手のように見える、複数の何か。それはうねりながら、人型の上半身と繋がっているように見えた。
すぐさま戻り、見たことを説明するチャロ。奇怪な姿をしていると思われる相手に、オーギスと異形は頭を悩ませる。オーギスは冒険者としての経験から、異形は百年以上を生きてきた実感から、相手がまともな存在ではないと感じていた。イニマだけはそのまま突っ込めばいいのではないかと思っていたが、口には出さない。短い話し合いの結果、警戒しながら近付くしかないという結論に至った。異形とイニマを先頭に、中衛にオーギス、最後方にチャロという隊列を組み湖へと進んでいく。
ばしゃり。大きな水音が異形達に聞こえる。接近に反応したのか、水面の人影は湖の中央からこちらに泳いできているようだ。距離が詰まるにつれ、人影がはっきりと見えるようになる。半裸の女性のような輪郭。青みがかった色の肌はてらてらと日の光を反射し、頭には艶やかな赤髪がなびいていた。そして、何よりも。
「なんだ、ありゃ・・・・・・」
オーギスが思わず呟く。その人影の下半身は、殆どが水面に隠れている。しかし、腰辺りから膨れ上がったようなシルエットは確認出来た。さらに、人影の周囲で水面が泡立ち、うねりながら触手が姿を現す。一本や二本ではない。最低でも五本以上。
先頭の異形は、既に飛び筒を構え狙いを定めている。明らかに尋常の存在では無い以上、危険が及ぶ前に対処しなければ。だが、魔物と思われる相手からは敵意も殺意も感じ取れない。故に、引き金を引くことは躊躇われた。本来、魔物とは別の生き物に対し強い敵意を持つという習性がある。それが感じられないというのは、どういうことだろう。と、
「ダレ?」
魔物らしき相手から、声が投げかけられた。まるで楽器のような、声とも思えぬ声。虚を突かれたような表情を浮かべ、オーギスは異形の背を見つめる。どう対応するつもりだろうか。
「お前こそ、何者だ。魔物か?」
「・・・・・・分カラナイ。私モ、ダレ?」
小首を傾げて答えるソレは、どこか愛嬌を感じさせる雰囲気を纏っていた。イニマが飛び出しそうになり、グッと堪える。
「か、可愛い・・・・・・!え、人型の魔物ってこういう子達ばかりなんです?」
「節操無さ過ぎだってのイニマ、突っ込むなよ?」
「わ、分かってますけど・・・・・・なんか、危なそうな感じが全然しないんですよ。なんででしょう」
オーギスが窘めると、イニマは困ったように眉尻を下げた。確かに、彼女の言う通り危険は感じない。それこそが、目の前のソレの罠かもしれないと異形は考えていた。
「こちらに来い。俺達も、戦いたくはない」
「エ、ヤダ。水カラ出タクナイ」
「む・・・・・・」
子供のようにイヤイヤと首を振り、拒否されてしまう。その間にも、ソレの周囲には触手がうねっていた。どこか珍妙な状況に、異形は困惑してしまう。敵意も悪意も感じられず、しかし見た目はおぞましげだ。ある種、自分に近い存在なのか?思考を回す異形だが、このままではラチが明かない。意を決し、構えていた飛び筒を降ろす。
「お前達、ここで待機してくれ。会話を、試みる」
「一人で?危険じゃないか?」
「分かっているが、対話の意志を示している相手を一方的に攻撃は出来ん。何かあった時は、支援を頼む」
チャロの言葉に答えてから、飛び筒を地面に置いた異形はソレへとゆっくり歩み寄っていった。少し前の彼ならば、問答無用で撃っていたかもしれない。隠れ里に近付く人間は問答無用で追い払うか、殺すかしていたのだ。こうやって会話という選択肢を取ってしまったのは、一体何故なのか。自身の感情を理解しないまま、ソレへと近付いていく。
「お前は、どこから来た」
「・・・・・・ソレモ、分カラナイ。苦シクテ、痛クテ、喉ガ渇イテ。気付イタラ、ココニイタ。ココノ水ハ、凄クイイ」
「ふむ。名は、なんと言う」
「エエット。名前、名前・・・・・・思イ出セナイ。ミ、ミー・・・・・・ナンダッケ」
困ったような表情で、両手を握り頭に当てるソレ。やはり、妙な愛嬌がある。後ろから可愛いという叫びを噛み殺すイニマの気配を感じつつ、異形は出来る限り優しく問いかけた。
「よし。ならば、ミーと呼ぼうか。ミーよ、その下は、どうなっている?」
異形が指差す自身の下半身を、ソレ・・・・・・ミーは当然のように答える。
「足、無クナッテ。代ワリニ生エテキタ、ンダト思ウ。動カシ辛イケド、ゴ飯ヲ捕マエルノニ便利」
ゴポゴポと音を立てて、複数の触手が水面から這い出てきた。吸盤のようなものが等間隔に付いており、一本一本が相当に太い。異形の腕の太さを遥かに超えていた。それが、八本程ある。上半身は人型で、下半身は八本に分かれた触手。どこかアンバランスな印象だ。
「そう、か。ご飯と言ったが、いつも何を食べているのだ」
「ンー・・・・・・カエルトカ、カメトカ、鳥トカ。本当ハ、チャントシタ料理食ベタイケド。火モ無イシ、私ハ水カラ出タクナイ」
ミーはそう言って、首辺りまで水に沈んだ。青く大きな瞳が、異形をじっと見据える。
「ソレデ、貴方ハダアレ?私ヨリ、不思議ナ姿ヲシテルケド」
「俺は、この近くにある隠れ里の住人だ。里に危険が及ばぬよう、お前が何者か確認したかった」
思わず本音を零してしまう異形。本来、彼は腹芸には向いていない。奇怪な見た目と怖気の走る声で誤魔化してきただけだ。しまったと思うが、もう遅い。
「ヘー。デモ、ソレナラ大丈夫。人ハ、食ベタクナイシ、殺シタクモナイ。ココカラ離レル気モ無イカラ」
すいすいと泳ぎながらミーは言い、一度潜った後再び浮上してきた。その口にはアカイワガメがくわえられている。先日確認した時にはいなかった生き物だ。ミーの口にはずらりと鋭い牙が並び、堅牢なはずの甲羅を容易く噛み砕いている。
「この湖には、いつからいるのだ」
「分カラナイ。数日クライ、前?ココニ着クマデズット苦シカッタカラ、ヨク覚エテナイノ」
「・・・・・・そうか」
悪意も無く、むしろ無邪気にすら思える振る舞い。しかし確実に魔物であり、もし人を襲えば危険だという事実は変わらない。果たしてどうすればいいのか。異形の長い人生の中でも、このような経験は覚えが無かった。
「む、ぅ」
奔放に湖を泳ぐミーを横目に、異形は考え込む。通常ならば、不確定要素である存在は可能な限り排除するべきである。エリンドからの報告によると、会話出来る程の理性を保った人型の魔物は殆どいないらしい。研究材料として引き渡すのが妥当な所だろう。
だが、しかし。本当にそれでいいのだろうか。不眠の呪いに苛まれ、思考が曇っている時はこのようなことは考えなかった。悪意も敵意も無い相手を、里の為に斬り捨てるか否か。答えが出せない。と、
「守り神さん、大丈夫ですか!」
オーギスの声。振り向くと、彼とイニマがこちらに駆け寄ってきた。チャロも後方で矢をつがえている。
「あ、あぁ。どうした」
「急に動きが固まっちまったように見えたんで、精神的な魔術でも喰らったかと思ったんです。いや、杞憂で良かった」
「うむ・・・・・・すまんな。心配をかけた」
「そいつは構わないんですが・・・・・・その、こいつは」
オーギスが恐る恐る湖に視線を向けると、水面から半分程顔を出したミーが不思議そうにこちらを眺めていた。相変わらず敵意は感じられない。
「か、かわわ、可愛いぃ・・・・・・!」
「落ち着けイニマ。守り神さん、こいつに危険は無いんですか?」
「・・・・・・危険はあるだろうが、少なくとも悪意や敵意は無い。どうするべきか、考えていた所だ」
「そいつは・・・・・・魔物にしちゃ珍しいことで。うーん、一旦帰ってグロムさん達と話し合いますか?」
「その方がいいだろう。今の俺では、判断がつかん」
グロムならば、あるいはあっさりと決断出来るのだろうか。いや、彼も悩み抜いて答えを出すタイプだ。いずれにせよ、相談はしなくては。今にも湖に飛び込みそうなイニマの肩を掴みながら、異形はミーの透き通った瞳を見つめるのだった。
新キャラ登場!触手は太いの方が好みです!