TS羊娘は楽園の夢を見るか   作:てぬてぬ@TSF

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彼女の諦観

湖の畔、『鏡像』の魔術師は兵士が残した荷物を漁って野営の準備を進めていた。敵がいつ襲ってくるのか、そもそも絶対に来るとは限らない。最悪の場合、警戒している時間は全て無駄になる。それを分かっていながら、『鏡像』はこの場に留まることを選択した。それだけ、ミーが被検体として重要だということだ。しかし、それだけでは無い。

 

「ネェ、ソレハ何?」

 

テントを設営し終え、ようやく一息つこうとした所でミーが話しかけてきた。這いずるような体勢で、顔だけが『鏡像』の方を向いている。水深が浅い場所まで出てきたからか、下半身の触手達は所在無さげに蠢いていた。

 

ミーが指差していたのは、テントの前に広げられていた『鏡像』の荷物だ。魔道具や魔石、あるいは着替え等が並ぶ中で、ミーの指先はそれらとは違うあるものを差している。ふわふわの素材で作られた、可愛らしい人形だ。

 

「ん・・・・・・あぁ、これは、うん。ミュリアから貰った人形だよ。彼女自身の髪の毛を素材に作られているらしい。まぁ、お守りだね」

 

「フゥン・・・・・・可愛イネ」

 

「だろう?特になんの効果も無いが、だからこそいい。こもった気持ちが分かるからね」

 

「ヘー。羨マシイナ。私モ欲シイケド、水ノ中ニハ持ッテケナイシ」

 

のんびりとした声色のミーは、そのままずるずると湖の中に戻っていく。全身が水中に潜る寸前、顔だけが浮き出ている状態で再び口を開いた。

 

「『鏡像』、デイインダヨネ。私ヲ守ルノハ、ヤッパリ辞メタ方ガイイヨ。皆、死ンジャウカモシレナイ。苦シクテ、辛クテ、痛クテ、死ンダガマシナ目ニ遭ウカモシレナイ。ソレデモイイノ?」

 

「ふん。余計なお世話だよ、ミー。君を狙っている相手は、おそらく私の仇敵でね。あくまで私の為にやっているんだ、口出ししないでもらおうか。それよりも、もしかして記憶が戻ってきているんじゃないかい?」

 

『鏡像』の反問に、ミーは感情の読めない無表情でじぃっと彼女を見つめる。十数秒、見つめ合う二人。鳥のさえずりや森が発する音が遠くに感じられる、短く長い時間の果てにミーが視線を逸らした。口を水に付けてブクブクと泡を立てる。

 

「図星か。なら、話してくれ。苦痛だとは思うが、情報が必要だ。私達に死んでほしくないんだろう?」

 

「・・・・・・ムゥ。嫌ナ言イ方。マァ、イイケドサ。デモ、殆ド曖昧ダヨ。全部思イ出シテモナイシ」

 

「構わない。どれだけ曖昧で断片的でもいいんだ。頼むよ、ミー」

 

懇願するような『鏡像』の口調。ミーの瞳が微かに震え、しばらくすると再び畔の方に泳いでいく。そして、おずおずと話し始めた。

 

 

 

 

ミーの語る過去は、あまりにも凄惨な内容だった。薄暗い部屋の中に閉じ込められ、投薬に及ぶ投薬。その度に焼け付くような渇きに襲われ、全身が疼き際限無く苦痛に苛まれる。ここに来る前の記憶は、全て焼け落ちて思い出せない。辛うじて脳裏にへばり付いているのは、自分には師匠がいたということ。きっと、魔術師の弟子だったのだろう。

 

しかし、そんなことにはなんの意味も無い。目の前の妖艶な美女は、少年のような無邪気さで彼女を責め立てる。何度も何度も昇魂薬を飲まされ、時には実験と称して足の指から徐々に刻まれ、長い時間をかけて両足を失った。それなのに、死ねない。足の付け根近くまで削られたというのに、本来ならば致命傷なのに、何故か死ねないのだ。そんなミーの様子を見て、美女は満足気な笑みを浮かべていた。

 

そんな日々が、どれだけ続いただろう。美女は常に部屋の中にいるわけではない。むしろ、大部分の時間は外に出たままだ。何度逃げ出そうと思ったことか。だが、不可能なことは分かっていた。部屋は魔術的に封印されており、ミーの力ではどう足掻いても脱出することは出来ない。だから、彼女はただ待つしかない。美女がやってくることを。次なる苦痛の到来を。

 

ある日、いつもの通り昇魂薬を飲まされ、美女が去っていた後。ミーは、自身の体の疼きが強くなっていることに気付いた。同時に、渇きや苦痛も増している。まるで、全身が裏返るような訳の分からぬ感覚。口からは絶叫が吐き出され、頭のてっぺんからつま先まで、爆発して溶けて霧散して何もかも吹き飛んでしまったかのようだ。それなのに、気絶することすら出来ない。もう、彼女の精神は限界だった。

 

───そして。気が付くと、ミーは森の中を彷徨っていた。いつ、どうやってここに来たのだろう。あの部屋から、脱出できたのだろうか?何も分からない。痛い。苦しい。それよりも何よりも、渇いて仕方が無い。森の中を彷徨うミーは、そんな感情に心身を支配されていた。

 

「ア、ウア、ウゥゥゥゥ・・・・・・」

 

呻き声は、人のものとは思えぬ悍ましい音になってしまう。どうして、こんなことに。思い出そうとしても、記憶は霞がかって何も見えない。苦痛と渇きはどうしようもない程に増していき、やがて怒りへと変わっていく。しかし、その怒りさえ向ける相手がいなければ意味が無い。彼女はうねる下半身を動かして、何の当ても無くずるずると森の中を進んでいく。

 

「イヤ、イヤァ・・・・・・」

 

悍ましい呻き声は、あるいは泣き声なのかもしれない。悲痛な響きが混ざったそれは、誰の元にも届かなかった。

 

 

 

 

 

「ソレデ、モウ駄目ダト思ッタ時ニコノ湖ヲ見ツケテ。今、私ハココニイルンダ」

 

「・・・・・・そうか。よく、話してくれたね。ありがとう」

 

「イイヨー。今ハモウ、痛クモ苦シクモナイシ。何ヨリ、渇イテイナイカラ」

 

悍ましげな話の内容とは裏腹に、ミーは気軽そうな返事をして微笑む。その表情からは、凄惨な過去を感じることは出来なかった。

 

しかし、と『鏡像』は考える。話に出てきた美女とは、恐らく『暗礁』の魔術師、リグ・フォーセルであろう。ミーを使い、人体実験を繰り返していたということだ。不可解な点は、ミーがどうやって逃げ出したのか。あるいは、わざと外に出した?いや、それは考え辛い。もしそうなら、異形が彼女と接触した時点で『暗礁』がなんらかの動きを見せているはず。脱出には、別の理由が絡んでいると見るのが妥当だろう。

 

「もう一つ、いいかな。どれだけの時間彷徨っていたのか、覚えているかい?」

 

「ウウン。時間ノ感覚、無カッタカラ。デモ、何十日トカジャナイトハ思ウ」

 

「ふむ。うん、ありがとう。それじゃあ、色々と準備するとしようか。もしよければ、私の目の届く所にいてくれると助かるよ。準備に気を取られて攫われたりしたら目も当てられないからね」

 

「ハーイ」

 

明るく答えるミーは、浅瀬でちゃぷちゃぷと水遊びを始めた。それを横目に、『鏡像』は魔石を用意しながら考える。今の話から推測するに、ミーが逃げてきた『暗礁』の拠点の一つは、この湖近くにあるのだろうか。しかし、今までの調査でも痕跡は一切確認出来ていなかった。あるいは、ミーが脱出した時に想定外の事象が発生した可能性もある。いずれにせよ、襲撃に対して解決法となるような名案は考えつきそうにもない。自身の魔術と異形の飛び筒を駆使して、やれる限りの手を打つしかないだろう。

 

だが。これは、逆に言えばチャンスでもある。『暗礁』の尻尾を掴み、日の当たる場所へと引きずり出す。そして、かつての師の友人、その肉体を操っていることを問い質し真実を暴くことが出来るかもしれない。『鏡像』は人知れず、強く拳を握り締めた。熱された鉄のような決意を、胸に秘めながら。

 

 

 

 

「はぁ・・・・・・」

 

里長に状況を説明した帰り道。私は、とぼとぼと歩きながら重い息を吐き出した。里長は驚いていたけど、ちゃんと理解して里の皆にも伝えると約束してくれた。でも、私の気分は晴れない。

 

「ミーさん、大丈夫かな」

 

呟いても、心配が無くなるわけじゃない。でも、呟かずにはいられなかった。どうして、彼女が酷い目に遭わないといけないんだろう。どうして、理不尽に襲われそうになってしまうんだろう。これが、里の外の恐ろしさなんだろうか。私は経験が少ないから、よく分からない。と、

 

「おぅ、ミュリアちゃん。里長の所に行った帰りかい?」

 

「あ、グロムさん。はい、悲しそうでしたけど、ちゃんと理解してくれました。グロムさんの方はどうでしたか?」

 

「あぁ、オーギス達も納得してくれたよ。とはいえ、問題はこれからだな。相手がいつ来るか分からない以上、警戒し続けるのにも限界がある。ま、適度に気を抜きつつ普段通りに過ごすしかないな。家に帰ったら、二人で夕飯を作ろうや」

 

軽い口調で言うグロムさんは、きっと私を励ましてくれているんだろう。嬉しいと同時に、少し情けなくなる。駄目だな。これまでに何度も、グロムさんに助けられてきたのに。私は、きっと成長していない。

 

「そう、ですね。あ、そういえばグジンさんが野菜を受け取りに来てほしいって言っていたので、今向かっちゃいましょうか」

 

私は、普通の表情を浮かべていられているだろうか。グロムさんに、心配をかけていないだろうか。襲撃を防ぐことでは役に立てないなら、せめて足手まといにはなりたくない。ミーさんを守りたいとあれだけ言っておきながら、私は・・・・・・。

 

「ミュリアちゃん、ちょいと休もうか」

 

「っ、はい」

 

やはり、悟られてしまった。もう何度目になるだろうか。こうやってグロムさんに悟られて、気遣われてしまうのは。本当、情けない。思わず俯いて、視線を逸らしてしまう。

 

「なぁ、ミュリアちゃん。そんなに気を病まないでくれ。心配しなくても、きっと大丈夫だ」

 

「・・・・・・はい。分かってはいます。ただ、自分が情けなくて。守り神様みたいに戦えないし、グロムさんみたいに作戦を立てることも出来ない。ミーさんに危険が迫っているのに、私はどうすればいいのかなって」

 

「うーむ。そうは言っても、ミュリアちゃんにはいつも助けられているからなぁ。前にも言ったが、戦いに関することだけが全てじゃない。さらに言やぁ、今回は俺も戦いに関しちゃ役に立てん。だから、そんなに落ち込まんでくれ。それに、旦那や『鏡像』殿の為にやれることもある」

 

その言葉に、私は顔を上げてグロムさんの顔を見た。

 

「ほ、本当ですか?」

 

「あぁ。今回、旦那と『鏡像』殿にはかなり気を張る仕事になるだろう。そういう時、一番大事なのはなんだと思う?」

 

「大事なこと・・・・・・えっと、襲ってくる相手を見逃さないことですか?」

 

「そいつはもちろん大事だ。だが、人間ってのは四六時中警戒しっ放しってのは難しくてね。適度に休息を入れなきゃ、割と簡単に潰れちまう。だから、俺達がやるべきは───」

 

グロムさんは、悪戯っぽい笑みを浮かべながら語り始める。私にも出来る、むしろ得意な役に立てることを。

 

 

 

 

「ふぅ・・・・・・」

 

「休め、『鏡像』。俺ならば、十数日寝なくとも問題は無い」

 

「・・・・・・すまない、そうさせてもらうよ。何かあったらすぐ起こしてくれ」

 

満天の夜空の下、焚き火を囲んでいる二人は小声で言葉を交わしていた。迎撃用の設置魔術を準備し、同じく迎撃用の飛び筒と道具を運び。異形はともかく、『鏡像』は魔力の枯渇もあり相当に疲弊しているようだ。異形の言葉に素直に従って、テントの中へと入っていく。それを見届けた後、しばらくして異形は湖の方へと目を向けた。

 

「ミーよ、いるだろう」

 

水面は静かで、さざ波一つ立っていない。しかし、異形は長年の経験からくる直感を以て、水中深くからの視線を感じ取っていた。すなわち、ミーからの視線。しばらく水面を見つめ続けていると、ごぼりと泡立った後ミーが頭を出す。

 

「・・・・・・凄イネ。ナンデ分カルノ?」

 

「まぁ、年の功だ。どうした、何か気になることでもあったのか」

 

「ソウイウワケジャ、ナイケド。別ニ、ズット起キテナクテモイインジャナイ?」

 

「そうはいかん。『鏡像』はともかく、俺が起きていなければ結界への侵入者に気付けぬかもしれないからな。・・・・・・それに、眠らぬ夜には慣れている」

 

静かに言う異形に何か感じることがあったのか、ミーは黙ったまま彼の顔をじぃっと見つめる。夜に相応しい静寂。やがて、根負けしたようにミーが口を開いた。

 

「ナンデ、慣レテイルノ?」

 

「なに、この身には複数の呪いがかけられていてな。その内の一つに、不眠の呪いというものがある。永遠に眠ることが出来ず、精神が苛まれ続ける。全く厄介なものだった」

 

そう語る異形は、しかし表情が晴れやかだ。暗い部分を感じさせない、穏やかな雰囲気。疑問を感じたミーに気付いたのか、口元に笑みを浮かべながら補足する。

 

「あぁ、今は問題無い。眠りたい日は、眠ることが出来ている。グロムのおかげでな」

 

「フゥーン・・・・・・グロムッテ、アノ可愛イ二人ノ片割レダヨネ。好キナノ?ナンダカ、恋デモシテルミタイダケド」

 

ミーの言葉に、目を丸くした異形は意味を理解した後笑いを噛み殺した。くつくつと、ひび割れたような声が漏れる。

 

「っく、くくく・・・・・・あぁ、そうだな。グロムは、友として好ましいと思っている。だが、色恋では無いだろうな。そも、グロムとミュリアは結婚している。俺が出る幕は無い」

 

「エ、ソウナノ?確カ、グロムハ自分ハ中身ガオジサンダトカ言ッテタケド。アァ、ダカラカ」

 

「性別は重要では無い。俺にとって、グロムは信頼出来る戦友だ。そして、安眠をもたらしてくれる存在でもある。本人は謙遜するが、相当の出来物だぞ、あいつは」

 

掛け値無しに言い切る異形は、どこか面白そうにミーを見つめていた。

 

「・・・・・・何?」

 

「いや、存外お前はこういう話が好きなのかと思ってな。俺には、よく分からんが」

 

「ウーン。ドウダロウ・・・・・・私、前ハソウダッタノカナ?」

 

「過去を思い出したいのなら、ゆっくり思い出していけばいい。その為の時間はいくらでもある」

 

言い聞かせるようなその言葉に、ミーは目を細めて水面をうねらせる。異形を含めた彼らは、自身を守る為に色々としている、らしい。その事実は、彼女にとってこそばゆいような感覚を覚えるものだった。あれだけ酷いことをしてきた相手だ、もし襲撃してくるとしたら相応の規模だろう。だというのに、異形達は恐れを感じていないように見える。たかが数度会って話し込んだだけの、自分を助ける為に動いている異形達は、彼女にとって理解しがたいものだ。

 

「モウ、寝ルカラ。私ヲ守ルナンテ、止メタ方ガイイノニ」

 

捨て台詞のように呟いて、ミーは湖の奥深くへと潜っていく。感謝の言葉は、口に出せない。そのまま、彼女はもどかしい気持ちのまま眠りにつくのだった。




さて、果たして本当にミーを取り返しに来るのでしょうか?
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