早朝、家の台所。俺とミュリアちゃんは昨夜から準備していた通り、バスケットに沢山の料理を詰め込んでいた。汁物は大きめの竹の水筒に入れ、あちらの焚き火で温め直せるように鍋も持っていく。うん、いい調子だな。
「ミュリアちゃん、ソースの出来はどうだい?濃い目に作った方がいいと思うんだが」
「そうですね、いい感じです。本当は肉汁と合わせたいので、出来るなら湖の方で続きをしましょう」
せっせと動いているミュリアちゃんの表情は充実感に溢れている。昨日の夜、俺が提案したのはとっておきの料理を異形の旦那と『鏡像』殿にご馳走したらどうかということだった。キョトンとした顔を浮かべた彼女に、こういう籠城に近い状態で一番心を安らげるのは、何よりも食事だと説明する。実際俺の傭兵時代も、どれだけ戦況が悪かろうと飯の時間だけは楽しみだったんもんだ。人の三大欲求に根差すものだから当然だが、美味い飯さえ食えればどうにかなるという気力も湧いてくるからな。
そういうわけで、俺とミュリアちゃんはいつもよりも早起きして調理に精を出しているのだ。まぁ、俺はちょっとした手伝いしか出来ないけども。湖まで持ち運びしなければいけない為、ミュリアちゃんは色々と工夫を凝らしているようだ。下準備だけを済ませ、あちらに着いてから仕上げをするようにしたり。冷めても問題の無い料理はバスケットに入れ、ミー用に魚料理も豊富に作っている。
改めて思うが、本当に彼女は手際がいい。裁縫しかり、料理しかり、羊毛の手入れしかり。素早く丁寧にこなす様は貫禄すら感じさせる。真剣そのものな横顔は、可愛らしいだけでは無く職人のような雰囲気が漂っていた。と、俺が向けていた視線に気付いたミュリアちゃんはこてんと首を傾げて聞いてくる。
「どうしました?あ、もしかしてほっぺに何か付いちゃったりしてます?」
「あぁ、いや。真剣な横顔がどうにも凛々しくてね、見惚れてたんだよ。すまんすまん、手が止まっちまってた」
「凛々しい、ですか?」
自覚が無いのか、自身の頬をぐにぐにと揉みながら言うミュリアちゃん。うむ、眼福だ。
「裁縫や料理で、真剣な表情を浮かべてる君はカッコいいってことさ。腕も一級品だしな。そこも、ミュリアちゃんの強みだ」
「もう、お世辞は止めてください。大したことじゃ無いですよ」
「ははは、本人がそう思っていても周りはそう思わない。特に、俺はね。一緒に暮らしてるんだ、ミュリアちゃんの凄さは身に染みて分かってるよ。ミュリアちゃんが、俺や異形の旦那を凄いと思ってくれてるようにね」
「・・・・・・そう、ですね。ありがとうございます、グロムさん」
しんみりした声に、俺は軽く手をひらひら振って返事する。そして、バスケットに手早く料理を詰めていくのだった。
里から湖まではかなりの距離がある。そこを移動する間、敵からの襲撃が無いとは言い切れない。それでもミュリアちゃんに料理を運ぶことを提案したのは、相手の出方を伺う為という理由もあった。当然、ミュリアちゃんには説明して了承を貰っている。
こちらの動きを完全に把握した上で、結界を無効化出来るなら。湖へと料理を持っていく俺達を放置するとは思えない。自慢じゃないが、俺は里の防衛に関してはリーダー的な立ち位置になっている。頭を叩けば全体が混乱する。戦術の鉄則だ。
だから、俺はあえてこの身を囮にすることに決めた。料理の差し入れは、数日に一度のペースで行うつもりだ。その間襲われないとしたら、こちらとしても取れる手段が増える。もし襲われた時の為に、チャロが空から俺達を監視してくれることにもなっていた。まぁ、賭けには違いない。何より、俺としてはミュリアちゃんも一緒というのには抵抗がある。だが、
「お願いです、一緒に行きましょう。危険なんだとしても、私はグロムさんと一緒にいたいです。それに、もし襲われても二人なら切り抜けられるかもしれないから」
決意を込めた声色で言うミュリアちゃんを、俺は突っぱねることは出来なかった。・・・・・・里に残っていてもリスクはある。なら、せめて傍にいてくれた方が俺も安心かもしれない。全面的に同意することはしないまでも、俺はミュリアちゃんの提案を受け入れた。そして、今に至る。
「ふぅ、ふぅ・・・・・・相変わらず疲れるねぇ。こりゃあ、いい鍛錬にもなるな」
「大丈夫ですか?もう少し、私の方に荷物を分けてくれれば・・・・・・」
「いや、このまま行こう。丁度、もっと足腰を鍛えなきゃいけないと思ってたんだ」
息を切らしながらも、俺はずっしりと重い背嚢を背負い直した。心配そうな視線を送ってくるミュリアちゃんに微笑んで、ひたすらに歩を進める。今の俺にとっては重労働だが、だからこそ鍛錬にもなる。元々、過酷な行軍には精神的に慣れていた。この程度で根を上げるのは馬鹿馬鹿しいからな。
それに。ミュリアちゃんは、俺の二倍以上の荷物を背負っている。男として情けない限りだが、今の俺の体は幼女だから仕方ないことだ。それでも、せめてこれくらいはしっかりと運ばないといけない。息は切れるし足腰がガクガクでも、俺の気分は充実していた。やはり、頭を使うよりこっちの方が性に合っている。
そうこうして、数時間森を歩き続けた俺達はやっと湖付近まで辿り着いた。事前に伝えていた上に結界もあるので、異形の旦那は俺達に気付いているだろう。木々が流された結果開けた場所になっている湖付近は見晴らしがいい。すぐに異形の旦那がこちらを向き、手を挙げて合図をする。
「ふぃー、お疲れさん旦那。状況はどうだい?」
「特に、なんの進展も無いな。今の所、結界はまともに機能している」
「というか、一体何しに来たんだい?随分と大仰な荷物を背負っているけれど」
おっと、そういえば『鏡像』殿には事前に話してなかったな。疲労の色が濃い彼女に、ニッコリと笑って答える。
「我らがミュリアちゃんからの差し入れでさぁ、『鏡像』殿」
「は、はい、そうなんです!無理をさせる二人に、せめて美味しいものでもと思って。ちょっと待ってくださいね、すぐに用意しますから!」
「あ、あぁ。・・・・・・いや、もう少し詳細に説明してくれるかな?」
「はいよ、説明は俺が。まぁ、簡単な話だが」
料理の準備はミュリアちゃんに任せて、俺は『鏡像』殿に事の発端から説明することにした。にわかに騒がしくなったからか、ミーも水中から顔を出しこちらに寄ってくる。
「何シテルノ?ア、グロムニミュリアモイル」
「やぁ、ミー。丁度よかった、君にも差し入れがあるんだ。つっても、食えるかどうかは分からんが」
中身はともかく、ミーの体は魔物になっている。人間と同じものが食べられるかは分からないので、彼女用に色々と持ってきた。まぁ、食べられないなら食べられないで俺達が食えばいいだけだからな。
「そら、まずはこれだ。クアロの実とヒビザクロって言ってな、里の周辺に生えてる果実だ。口に合うか、試してもらえるかい?」
クアロの実は共和国全域で採れる赤く楕円形の果実で、生で食す他料理の材料としても使われる。甘酸っぱく美味しいが長持ちしないので、採れる現地で消費されることが殆どだ。ヒビザクロは粉状にして水に混ぜて飲んだりするのが普通だが、今回は実をそのまま持ってきた。生で食べると酸味が強烈で、好みが分かれる。さて、ミーは気に入ってくれるかな。
「フゥン・・・・・・」
触手を伸ばして二つの実を受け取ったミーは、鼻をひくひくさせて匂いを嗅いでいる。ややあって、ギザギザの歯でクアロの実にかぶりついた。僅かに咀嚼した後、目を見開く。
「へー。へー・・・・・・」
しきりに頷いて、残りを一口で平らげた。ヒビザクロの方も丸ごと口に放り込み、美味しそうに咀嚼している。どうやら、口に合ったみたいで何よりだ。
「おかわりもあるけど・・・・・・おっと」
返事の前に触手が目の前まで伸ばされた。今度は三つずつ渡してみると、全部まとめて大口を開けて吞み込んでしまう。人とは思えない挙動だが、どこか愛らしい。リスのように頬を膨らませながら、ミーは幸せそうに目を細めていた。
「ウン、ウン・・・・・・美味シイ。生臭クナイシ、甘ミト酸味ガイイ感ジデ。ネェ、マダアル?」
「おぅ。ここに全部置いておくから、好きに食いな」
残りの実を全部背嚢から出し、地面に置いておく。他にも用意はしてあるが、果実だけでも結構な量なので少し時間を置くか。さて、ミュリアちゃんの方はどうなってるだろう。目を輝かせて果実を食べ始めたミーから目を離し、そちらの方に視線を向けてみる。焚き火に鍋を設置したミュリアちゃんは、漬け汁に漬けておいた肉を焼きながら声を上げていた。
「もうちょっと待ってくださいね!それまではそっちの料理を食べてもらえれば!」
地面に敷かれたシートに並べられているのは、ナッツ類が練り込まれたパン、温め直した野菜スープ、たっぷりとチーズをかけたふかし芋、焼き魚の香草焼きのほぐし身等々。ここまで運んでくるのは大変だったが、その分より取り見取りの料理が並んでいる。どれもこれも、ミュリアちゃんが腕によりをかけて作ったものだ。ちょっとは俺も手伝ったけどな。
「あ、あぁ・・・・・・」
目を白黒させながら、『鏡像』殿はパンに手を伸ばす。一口食べて、感嘆の息を漏らした。
「これは、んんん。焼き立て?」
「はい、朝早くに窯を借りて焼きました!幸い材料には余裕があったので!お口に合いましたか?」
「それは、まぁ。エリンドどころか、タリレアノのパン屋にも劣らない代物だよ。いや、凄いわね本当に」
タリレアノとは共和国の首都のことだ。気に入ってもらえたってことだな。よかったよかった。
それから、パンを一口食べて緊張がほぐれたのか、『鏡像』殿は中々の勢いで料理を平らげていった。異形の旦那も負けず劣らず食べ続け、あれだけ苦労して持ってきた料理や食材があっという間に消費されていく。見てて気持ちのいい食いっぷりだ。
「んむ。このソース、さっぱりした風味で猪肉にぴったり。フルーツソースなのかな?」
「はい。山ぶどうはそのまま入れて、後はクアロとかの果汁を少し搾ったんです。それを一度目に焼いた時に出た肉汁と合わせてみて。前、視察団の人が教えてくれた調理法なんですけど、いかがでしょう?」
「かんっぺき!ミュリア、いっそエリンドに出稼ぎに来ないかい?貴女なら店開けるよ。資金はニェークに出させるからさ」
「えっ、いや、その、それは・・・・・・」
狼狽えるミュリアちゃんに冗談だよと返して、『鏡像』殿は快活に笑う。気分が前向きになったようで、ありがたい限りだ。と、
「料理ッテ、スゴインダネ」
果実を全部食べ終わったらしいミーが、『鏡像』殿達を眺めて呟た。素直は調子で言葉を続ける。
「アンナニ張リ詰メテタ心ガ、スッキリシテルミタイ。私モ、モットオ腹空イテキチャッタ」
「はっはっは。大概の悩みは、美味いもんをたらふく食べたらどこかに吹き飛ぶもんだからな。困難に向かうからこそ、心は健康でなくちゃいかん。そら、ミーにもこれはどうだ?」
「ワァ。コレ、ナニ?」
俺がミーに差し出したのは、木箱に包まれた川魚のパイ包み焼きだ。野菜と煮込んだたっぷりのクリームソースと、骨を綺麗に取った川魚をパイで包んである。パンと一緒に焼いたものなので、一応は焼きたてだ。そう説明すると、彼女は恐る恐る触手で一切れ受け取り口に運ぶ。瞬間、ばしゃりと水面が波打った。
「オ、オ、オ、美味シイ!サクサクデ、トロトロデ、魚ノ味ガ全部閉ジ込メラレテルミタイ!」
全ての触手をうねらせ、水飛沫を散らしながら至福の表情を浮かべるミー。思った以上に豊富な語彙で美味しさを伝えてきてくれる。昨日の仕込みから今までの苦労が報われる、素晴らしい反応だった。ふと視線を感じて後ろを向くと、調理が一段落したらしいミュリアちゃんがこちらを見て微笑んでいる。俺も思わず相好を崩して、大きく頷いた。うん、良かった。本当に。
後片付けをしている途中、満足気な様子で木皿を洗っている『鏡像』殿がぽつりと呟いた。
「ありがとう。随分、気にかけてもらったみたいだね」
「いえ、自分に出来ることをしたかっただけですから。でも、喜んでくれたなら嬉しいです」
はにかみながら返事をするミュリアちゃんは、それでも少し心配そうに続ける。
「あの、私が言っていいことじゃないですけど・・・・・・ミーさんを、どうかお願いします。私は戦えないから、これくらいのことしか出来ないんです」
「ははは、そう謙遜しなくてもいいよ、ミュリア。貴女の料理のおかげで、心身共に満たされたから。なぁに、どんな相手でも返り討ちにしてあげるとも。なぁ、そうだろう?」
『鏡像』殿が横で鍋を洗っている旦那に問いかけると、彼も微かに口角を上げて頷いた。背中の六本腕で器用に食器を拭きながら口を開く。
「あぁ。食事は活力の源だ。それにしても、ここ最近で料理の腕をさらに上げたな、ミュリア。見事なものだ」
「も、もう、守り神様まで!と、とにかくまた少ししたら差し入れしますから。・・・・・・だから」
手を止めて、ミュリアちゃんは旦那と『鏡像』殿をじっと見据えた。様々な感情が折り重なった、複雑な視線。
「二人とも、絶対に無事でいてくださいね」
「・・・・・・うん。約束するよ、必ず五体満足で守り切ってみせるさ」
「無論だ。どんな敵が来ようとも、撃退してみせよう」
頼りになるな、二人とも。ミュリアちゃんは安心したように笑って、食器洗いを再開する。俺が何か言うまでも無かったみたいだ。どいつもこいつも、里に関わる者達がお人好しなのは運命なんだろうか。だとしたら、俺にも当てはまる。精々、お人好しのまま里に平穏をもたらしたいもんだな。
そんなことを思いながら食器を洗っていると、かなり離れた湖の水面にミーが浮かび上がるのが見えた。さっきの話を聞いていたのだろうか、顔をしかめてこちら側を見ている。否定というよりは、諦観を感じる表情。差し入れの料理を食べて狂喜乱舞していた姿からは想像もつかない、大人びた雰囲気だ。しかし、ミーは何かを言うことも無く再び潜り、姿を消してしまう。彼女は、心に何を抱えているのだろうか。
魔女の宅急便に登場するニシンのパイを一度でいいから食べてみたいんですよね。