「『暗礁』殿、奴は何者なんですか!?あのようなものがいるとは聞いていませんぞ!」
異形に襲撃され、撤退してきた魔人の兵士が『暗礁』に詰め寄っている。その表情には、ありありと恐怖が浮かんでいた。それを醒めた目で見つめながら、彼女は思案に耽り呟いた。
「うーん、やっぱり素体の影響が強いんだなぁ。王国軍、精強だってにーちゃんから聞いてたけど。それだけ、人間の感性が濃く残っちゃったのか。駄目だな、失敗だ」
「な、何を仰っているのです!とにかく、あの化け物に対処しなければ我々が全滅しかねません!」
「あぁ、うん。そうだろうね。元々、君達はお試しの使い捨てだから」
「・・・・・・は?」
呆然としている魔人の兵士に、『暗礁』はこともなげに伝える。
「だから、使い捨て。だって、いくら頭をいじくって忠誠の対象をボクにしたとしても、これだけのことで撤退してくるんでしょ?それじゃ駄目だ、新しい国の兵隊には相応しくない。まぁ、所詮は人間の枠組みに囚われている常人達。人間の兵士としては優秀でも、魔人の肉体を使いこなすのは無理だったんだね。ワタシとしては、もう少し相性がいいと思ってんだけどな」
つまらなそうに杖を振ると、逃げ帰ってきた兵士の足元に暗黒が広がった。彼らは悲鳴を上げて、底の無い闇にずぶずぶと沈んでいく。・・・・・・そう。今回『暗礁』が率いてきた魔人の部隊は、元を辿れば王国軍の兵士達だった。ハヤトを通じて捕え、魔術によって認識を弄った上で昇魂薬を服用、魔人の兵士に仕立て上げたのである。
『暗礁』は魔術師としては優秀だが、軍隊に対する造詣は浅かった。だからこそ、王国軍兵士の知識や経験をそのまま転用する為に、あえて認識だけを操作したのだが・・・・・・彼女にとって、この結果は裏目だったようだ。
「うーん・・・・・・にーちゃんも、軍略は疎いーって言ってるし・・・・・・軍事行動には向かないのかなぁ。まぁ、別にいいけど」
溜め息を吐き、杖を構え直す。この間にも闇の槍は生成され続け、際限無く降り注いでいる。後少しで、障壁を打ち破れそうだ。最も、本気を出せば一瞬で粉砕出来るはずなのだが。『暗礁』はあえてそれをせず、ハヤトを湖へと向かわせた。余波で被検体が死んだら元も子も無いからである。
「後は、三部隊か。ユウがそれを片付けてボクの所まで来るのと、にーちゃんが被検体を持ち帰ってくるの。どっちが先かな。へへっ、やっぱり外で遊ぶと楽しいや」
少年のような無邪気な笑みを浮かべて、『暗礁』は両手を広げ空を見上げる。分厚い雲が空を覆い、一雨来そうな天気が彼女の瞳に映った。
「ははははははっ!そらそらそらぁっ!」
哄笑しながら縦横無尽に疾駆するハヤトは、何体目になるかも分からない『鏡像』の幻影を斬り刻んだ。閃光と共に爆発が起こるが、既にその場から離れている彼は次なる幻影に斬りかかる。
「なんだか懐かしいな!こういうの、昔やったことがある気がするぞ!」
凄まじい速度とは裏腹に、ハヤトの表情は晴れやかだ。多少は爆発で煤けているものの、怪我らしい怪我も無い。対する『鏡像』は、ひたすらに幻影を生み出し続け時間稼ぎに徹していた。魔石は尽きかけ、勝利の糸口は未だ見えない。だが、彼女の魔術はいつになく冴えわたっていた。圧倒的格上であるハヤトを翻弄するほどに。
「おっと!?」
突如、ハヤトの足元から光の柱が突き出てくる。避けたその先にも、待ち構えていたかのように光の柱が突き立った。柱を斬り払うも、幻影のように閃光を放ち爆発する。規模の大きいそれを、ハヤトは避け切れなかった。
「はっは、流石は魔術師!きっちり準備をさせると厄介だなぁ!」
焦げた服を破り捨て、笑うハヤト。黒ずんだ肌と、鍛え抜かれた肉体が露わになる。しかし、ダメージを受けているようには見えない。
「「「つべこべ言ってる暇があるのかい?」」」
『鏡像』の幻影から、折り重なったような声が聞こえる。音で本体を判別出来ないようにしているのだろう。細かい部分まで、精緻に組み上げられた魔術。『鏡像』が行使しているそれは、最早芸術品に近い。だが、
「あぁ、もう十分だ。粗方の目途はついた」
言うが早いか、ハヤトは神速の踏み込みで何も無い場所へと突っ込んだ。幻影が包囲するよりも外、張ってあるテントの近くに剣を振り下ろす。
パリィン!
ガラスが砕けるような音。光が乱反射し、苦渋の表情を浮かべている『鏡像』が姿を現した。
「・・・・・・よく、見抜いたね。隠し通せていると思ったんだが」
「魔力の流れだな。上手く欺瞞していたけど、それでも幻影を生み出す魔力は絶対に必要だ。いや、まさか地面に魔石を埋め込んでいたとはな。そのせいで、随分と手間取った」
その言葉に、『鏡像』は目を見開く。つまり、魔石及び組み込んだ術式を起動する為の微弱な魔力、それを感知した上で場所まで把握したということだ。例え魔術師であっても、そこまで見抜ける者は数少ない。目の前の怪物は、魔術にも精通しているというのか。
「どうせここで死ぬんだ、最後に教えてくれよ。あんた、どうやって魔力を感知した?喧騒の中で、羽虫の飛ぶ音を正確に聞き分けるようなものだよ、それは」
「なーに、この体・・・・・・魔人の肉体は純粋なスペックが高い。だからだよ。俺は、一介の剣士に過ぎない。ま、運が悪かったな」
呑気に呟いて、ハヤトは長剣を『鏡像』に向ける。ここまでか。積み上げてきた準備や策も、この状況では最早意味を為さない。せめて、ミーは逃がさなくては。逃げろと『鏡像』が声を上げようとした直前、湖から無数の触手が這い伸びてきた。
ミーと名付けられた彼女は、どうすればいいのか分からなかった。自分が守られているというのは分かる。自身を守る理由も、納得はしないが理解は出来た。でも。
「ウ、ウゥ・・・・・・」
離れた場所で、『鏡像』と名乗った魔術師が斬り刻まれている。幻影だと分かっていても気分は良くない。もし、あの刃が自分に向けば。容易く、殺されてしまうだろう。それはとても恐ろしいことだ。しかし、それよりも。
「ウウウゥゥゥ・・・・・・!」
目の前の『鏡像』も、すぐに駆け出していった背中に腕を生やした異形も、前に会いに来た人達も。きっと、自分を守る為に戦っている。命を賭けて、血を流して戦っているのだ。それが、ミーには耐えられない。苦しいし、痛いのも嫌だ。だけど、それ以上に他者が傷付くのが嫌なのだ。何故だろう。思い出せない過去に、何かがあったのだろうか。
「ワ、ワタ、シハ・・・・・・!」
どうする。どうすればいい。何が出来る。自身が何者かも分からず、記憶は曖昧で。こんな自分に、何が出来るというのだ。ミーの心は動揺し、狼狽える。恐らく、人間だった頃にも感じたことの無いもの。彼女はしかし、動くことが出来ない。目の前で起きている殺し合いを、見つめることしか出来ない。一歩踏み出せば、殺されてしまうかもしれないからだ。
自己嫌悪が渦巻き、それでも体は動かない。こんな自分を受け入れてくれた者達が、死ぬかもしれないというのに。動け、動け、動け。どれだけ命じても、身は竦み心は怖気づいていた。と、
パリィン!
何かが割れるような甲高い音。ハッとして視線を向けると、幻影が消え去り本物の『鏡像』とハヤトが相対していた。何か会話をしているようだが、ミーの耳には届かない。このままでは、『鏡像』が殺されてしまう。自分を守って。自分のせいで。嫌だ。それだけは、認められない。長剣が『鏡像』に向かって振り上げられた瞬間、ミーの中で何かが爆発した。
「ウウウゥゥッアァァァァァァアアアァァッッ!!!」
訳の分からぬ声を上げ、触手をハヤトに向けて伸ばす。触手はみるみる内に肥大化し、まるで波濤の如き勢いで二人の入る場所に押し寄せた。長さも、太さも、本数さえもが異常になっている。数百本の肥大化した触手は、『鏡像』とハヤトを飲み込まんと迫った。
「なんだこりゃあ!?」
驚きを顔に浮かべつつも、ハヤトの長剣が煌めき触手を斬り捨てる。しかし勢いは殺し切れない。斬られた端から触手が再生しているからだ。いくら神速の剣技で細切れにしようとも、質量そのものを押し留めることは出来ない。不味い。一旦『鏡像』と触手から離脱しようと彼が足に力を込めると、頭上に光の障壁が出現した。魔力の流れ。見逃していたのか。視界の隅に映る『鏡像』に構っている時間は無い。障壁を斬り捨て、跳躍を───
「ぐぅっ!?」
間に合わない。『鏡像』の咄嗟の時間稼ぎが功を奏し、ハヤトは触手の群れに飲み込まれた。四肢に絡み付かれ、湖へと引きずりこまれる。彼の膂力を以てしても、それを振りほどくことは敵わなかった。
「がぼっ、ごぼぼっ!!」
水中に引きずり込まれ。水が口へと入り込んでくる。見えるのは、水中に揺らぐ人型の何か。目が煌々と赤く光り、中性的な顔立ちは激情に染まっていた。ハヤト達が被検体と呼ぶ魔物が、目の前にいる。
「コロ、殺サセナイ・・・・・・モウ絶対ニ、殺サセナイ!!」
水中だというのに、澄んだ楽器のような声が響いてきた。燃え上がるような殺意を感じ、ハヤトは冷静さを取り戻す。絡み付いてくる触手をすり抜けるように、長剣を振るった。かつて『水禍』の水鎖に捕われた時にも使った、拘束状態からの斬撃。周囲の触手を斬り刻んで自由になったハヤトは、そのまま浮上しようとする。だが、それより早く無数の触手が彼に襲い掛かった。
「行カセナイィィッ!」
ミーの絶叫と同時に、水面を塞ぐように触手がハヤトを取り囲む。斬り飛ばそうにも量が膨大過ぎる。さらに、水中ではハヤトの動きが僅かながら落ちていた。逃れられない。
「アァァァァァアアアァァァァッ!!!」
斬っても斬っても再生する触手に押し潰されるように、ハヤトは再び絡み付かれる。鋼鉄よりも強靭なはずの骨がミシミシと悲鳴を上げ、空気を求め口が開きそうになる。これ程か。被検体の想定外な進化に、彼は驚愕と可能性を感じていた。昇魂薬によってここまでの怪物が作れるなら、間違い無く己の目的は達成出来る。その為に、まずはこの状況を切り抜けなければ。再び触手を斬り刻むと、ハヤトは再生し縋り付いてくる触手を足蹴にして水上へと向かった。分厚い触手の壁に、渾身の斬撃を叩き込む。
「ウギッグゥゥゥゥゥッッ!!」
ミーの苦悶の声。超速で再生するとはいえ、痛みは感じているらしい。触手の包囲網が僅かに緩んだ。その隙を逃がさず、ハヤトは脚に力を溜め一気に蹴り込む。触手の隙間に潜り込み、水上を突き出て脱出に成功した。が、
「逃がさないよ人斬りぃっ!」
勢い余って宙に浮いた体に、数多の魔法陣から光線が放たれる。ハヤトが湖に引きずり込まれてから、『鏡像』は迷っていた。湖の中に身を投じるべきか否か。結局、ハヤトがミーを殺すことは無いと割り切り、水面に姿を現した時の為に魔術を練り上げていたのだ。
「あぁクソッ!!」
罵声と共に避けようとするハヤトだが、複数の光線が身を焼き肌を焦がす。水面を蹴り上げ、湖から離脱する頃には全身が焼け爛れていた。想像以上の被検体の成長に、『鏡像』の実力。そして自身の消耗。気付けば、降り注いでいたはずの光の槍も見当たらない。もしやリグに何かあったのか。これは、一旦退くしかない。そう判断したハヤトは、『暗礁』の元へ離脱していった。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ・・・・・・!」
浮上し、荒い息を吐くミー。触手は徐々に縮小し、八本に戻っていく。相当に消耗しているのか、彼女はぐったりとして湖に浮かんでいた。
「大丈夫、かい?ミー・・・・・・」
ふらふらと、『鏡像』がミーに近付く。その足取りはおぼつかず、顔面は蒼白だ。魔石を使い切り、己の魔力を限界以上に消費した『鏡像』は、そのまま湖の畔に倒れ伏す。ぴくりとも動かない。
「キョ、キョウゾウ!?大丈夫!?シッカリシテ!!」
ミーが慌てて触手を伸ばすも、反応は無い。完全に、意識を失っている。湖を覆っていた障壁がパラパラと崩れ始め、光の粒子が雪のように舞い散った。
「オ願イ、死ナナイデ・・・・・・!モウ、嫌ナノ!私ノセイで人ガ死ヌノハ!」
何故こんな言葉が出てくるのかも分からず、ミーは泣き喚く。『鏡像』の元まで這い寄り、縋るように抱き上げた。息はしている。だが、明らかに尋常な状態ではない。生命力が感じられないのだ。このままでは、『鏡像』が死んでしまう。最悪の想像が、ミーの脳内を駆け巡った。
「ウ、ウウゥゥゥゥッ・・・・・・!」
唸り声を上げて『鏡像』を担ぎ上げる。触手をうねらせ、ミーは地上を這いずり進んでいく。行き先は、隠れ里。異形やグロム達がいつもやってくる方向に、ミーは必死に向かい始めた。
『鏡像』、脱落。