「む・・・・・・!」
リグを担ぎながらも湖に辿り着いた異形は、そこにミーも『鏡像』もいないことに気付いた。やられたのか。いや、違う。隠れ里の方向に、湿った何かを引きずったような跡が伸びている。恐らくは、ミーが移動したものだろう。走り続けで息が上がっている身に鞭打って、異形は先を急いだ。
しばらくして、異形は森の中を進むミーを見つけた。『鏡像』を背負いながら、ずるずると音を立てて這いずっている。触手はいつもよりも縮み、太さや長さが見る影もない。彼女自身も相当衰弱しているようだ。
「ミー!」
「・・・・・・ア」
呼びかける声に振り向いた彼女は、一目見ただけでも憔悴しているのが分かる。『鏡像』の話では、ミーは水の無い場所では長く生きることが出来ないらしい。『鏡像』を背負い、湖からここまで進んでいたのはかなり無茶をしていることになる。
「無事か!?」
「ウ、ン・・・・・・大丈夫。ソレヨリ、キョウゾウガ・・・・・・」
その言葉に、背負われている『鏡像』の容体を確認した。魔力が枯渇し意識を失っているものの、呼吸は安定している。命の危険は今の所無さそうだ。
「命に別状は無い。ゆっくり休息を取れば、いずれ目を覚ますだろう。それよりも問題はお前だ、ミー。随分と弱っているぞ」
「私ハ、大丈夫ダカラ・・・・・・ソレヨリ、キョウゾウヲ安全ナ場所ニ運バナイト」
息も切れ切れに言うミーは、どう見ても大丈夫そうには見えない。ここで異形は一つの選択に迫られた。ミー達を置いて隠れ里の方へと向かうか。あるいは、ミー達を補助しながら向かうか。羊人達の安全を考えるならば、出来るだけ急いだ方がいい。しかし、目の前のミーは今にも死にそうだ。彼女たちを放置することは、異形には出来なかった。
「・・・・・・この距離ならば、湖よりも里の小川の方が近い。『鏡像』は俺が背負おう。ミーは、俺についてきてくれ」
背嚢を近くの木の根元に置いて、『鏡像』を背負える場所を確保する。背嚢に入っているのは主に飛び筒の為の魔石粉等々だが、今の状況ならば腰に巻いたポーチに入っている分で事足りるだろう。異形は置いた背嚢から水袋を取り出し、ミーへと渡す。
「水分を取れ。お前が死んでは元も子も無い。辛いだろうが、耐えてもらうぞ」
「分カッテル・・・・・・私ノコトハ、気ニシナイデ」
全てを救おうとしている己は、愚かなのだろう。異形は自嘲しかけて、それでも思い直した。これこそが、隠れ里の美徳では無かったか。生温い、現実にそぐわぬ理想論。犠牲を容認しない夢見がちな考えは、到底現実で果たせるものではない。だが。だとしても。
「すまんな。行こう」
言葉少なに、異形は再び歩み始める。のろのろとついてくるミーは、やはり速度が遅い。この遅れが致命的な問題になるかもしれない、置いていくべきだ。いや、ハヤトの本来の目的が彼女な以上、放置することは出来ない。何かあった時の為に傍にいるべきだ。刻々と過ぎる時の中、異形は進みながら答えの出ない問いを考え続けた。
結局何事も無く、相応の時間をかけて隠れ里に到着する。ミーは更に体躯すら縮み、意識も虚ろだったが、小川に入ることで徐々に回復したようだ。仰向けになって全身を水に浸しながら、明瞭さを取り戻した瞳で異形を見つめる。
「キョウゾウハ、大丈夫?」
「あぁ。さて、意識が戻ってほしいところだが・・・・・・」
背負っていた『鏡像』を横たわらせ、軽く頬を叩く。本来ならば寝かせたままにしておきたいが、状況が状況だ。ミーを守れる誰かがここに残らないといけない。里の羊人達は、予定通り洞窟に避難しているようだ。つまり、そこにハヤトもいる。と、
「ん、ぁ・・・・・・」
微かな吐息を漏らし、『鏡像』が目を開けた。思うように体が動かないのか、視線だけを彷徨わせている。
「『鏡像』、分かるか。俺だ」
「飛び筒、使い・・・・・・。っ、ミーはどうなった!?状況は!?」
「落ち着け。ミーは無事だ。現在地は隠れ里の小川。羊人達が避難している場所に、ハヤトが向かった可能性が高い。俺はそちらに行く。すまんが、ミーの護衛を任せられるか?」
無理に体を起こした鏡像に、出来る限り簡潔に説明した。彼女は既に限界を迎えているはずだが、それでも気丈に言葉を返す。
「・・・・・・あぁ、分かった。私が気絶している間、随分と迷惑をかけたみたいだね」
「気にするな。後の事情はミーから聞いてくれ」
未だに意識を取り戻さないリグを背負い直し、異形は僅かな焦りを滲ませながら小川を後にした。最悪の場合、里の者が全員斬り殺されているかもしれない。いや、殺戮の気配も血の匂いもまだ感じないということは、最悪は避けられているということか。早く向かわなければ。
「頼む・・・・・・!」
誰に向けたのか分からない祈りの言葉が口から零れる。濃い疲労が溜まる肉体を強引に動かし、異形は洞窟へと疾駆した。
「・・・・・・あ、あの。治療をしなくても、大丈夫ですか?」
オーギスを洞窟に運び込んで、それなりの時間が経った後。ミュリアちゃんが、おずおずといった様子でハヤトに話しかけた。さっきまで、ミュリアちゃんと羊人達が話し合っていたのだ。目の前のハヤトは酷い怪我である。手持ちの医薬品で、治療をするべきでは?と。馬鹿げた話だ、俺もそう思う。だけど、それが隠れ里の羊人達だった。
「いらない。黙って、待っていろ」
「で、でも、酷い怪我です。早めに処置した方が」
「いらないって言っている。そもそも、お前達のお仲間から喰らったもんだ。それを何故、治そうと思える?」
「それ、は・・・・・・」
俯いて黙り込むミュリアちゃん。実際、ハヤトの怪我は酷いものだ。全身の火傷に、抉れたような傷が複数個所にある。突き刺さっていた砲弾の破片は取り除いたようだが、傷が再生することは無い。生きているのが不思議なくらいの有様だ。
「お前達の偽善に、付き合うつもりは無い」
そう吐き捨てて、ハヤトは再び俯き動かなくなる。最初に会った時とはまるで別人だ。どっちが本性なのかは分からないが、余裕が無いことは確かだろう。俺はミュリアちゃんの肩を叩き、首を横に振った。
「あぁ言ってるんだ、今は大人しくしとこう」
「・・・・・・はい。それが、いいですよね」
哀しそうな表情でハヤトを見やるミュリアちゃんは、ぎゅっと両手を握り締めて何かに堪えている。俺は何も言わず、その手に自分の手を重ねた。互いの体温が混ざり合い、じんわりと広がっていく。
「大丈夫。もうすぐ異形の旦那が来るはずだ、そうすりゃ状況は変わる。その時の為に、今は休もう。ハヤトが納得したらすぐに治療出来るようにさ」
「やっぱり、そうですね。そうします。グロムさんも、ちゃんと休んでくださいね」
「あぁ、分かってるよ。俺に出来ることは、もう殆ど無さそうだしな」
そう返事をしながらも、俺は何か自分に出来ることが無いかを考えていた。だが、何も思いつけない。それどころか睡魔が襲ってくる始末だ。ええいクソ、体力が足りない。戦場を一昼夜駆け回っていた頃が懐かしいな。
結局寝落ちしてしまっていた俺は、周囲のざわめきで目を覚ました。すぐさま身を起こし、両頬を叩いて気を引き締める。
「何があった?」
「守り神様が帰ってきたみたいです。ハヤトさんが立ち上がって、洞窟の入り口から離れていっちゃいました。どうしましょう?」
「ふむ、ありがとうミュリアちゃん。少し様子を見てくるよ」
立ち上がろうとしたところで、服の袖をミュリアちゃんに掴まれた。真剣な瞳が俺を射抜き、思わず動きを止めてしまう。そのまま、彼女もゆっくりと立ち上がった。
「私も、一緒に行きます」
「・・・・・・危険があるのは分かってるよな?」
「はい。でも、守り神様とハヤトさんのことは、見届けなきゃいけない気がするんです」
「そう、か。よし、分かった。理解してるなら、俺はこれ以上止めない。行こう」
オーギスとイニマの看護を周囲の羊人に任せ、ミュリアちゃんと俺は洞窟の外に出る。少し離れた場所に、誰かを背負っている異形の旦那とハヤトが向か合っているのが見えた。恐らく、背負っているのは例の魔術師か。
「随分と遅かったな、ユウ」
「すまん、色々とあってな。羊人達は無事なのか?」
「あぁ。無駄口を叩いてくれたが、斬らずにおいてやった。さぁ、被検体とリグを引き渡せよ。そうじゃなきゃ皆殺しだ」
「待て。その前に聞かせろ。俺が覚えていない記憶、あの時に何があったのかを」
旦那の言葉に、ハヤトは無言で長剣を引き抜いた。切っ先を旦那にまっすぐ向けながら、そろりと口を開く。
「嫌だと言ったら?」
「理由も聞けずに、引き渡しは出来ん。交渉の席に着く為にも、どうか教えてくれ。頼む」
「交渉?いいや、これはただの宣告だよ、ユウ。渡さないなら、俺は全てを斬り殺す。交渉の余地なんか無い」
頭を下げる旦那に、取りつく島も無いハヤト。さっきの俺の説得では、彼の考えを変えるには至らなかったか。
「ハヤト・・・・・・」
「そら、どうするのか早く決めてくれ。リグと被検体を渡して生き延びるか、それともここでみんな仲良く殺されるか。分かり切ってる話じゃないか。お前には、帰る場所があるんだから」
「・・・・・・帰る場所、か。ハヤト、お前は国を作ると言ったな。自分たちの居場所を作る為に、と」
「それがどうしたんだよ。話を逸らすな。そこで盗み見してる羊人二人を、見せしめに殺すぞ」
殺気。最初に比べて随分と鈍くなったそれは、しかし浴びるだけで全身が総毛立つ。だが、俺もミュリアちゃんも逃げ出すことは無かった。そして、異形の旦那が言い放つ。
「お前に、彼女たちを殺すことは出来ん」
「・・・・・・あ?」
「お前は居場所を、帰る場所を尊重している。自分だけでは無く、他人のものだとしても。だから、俺の居場所だと言った隠れ里の者を殺すことは無い」
「はっ、俺の言ったことを鵜呑みにするのか?昔に比べて迂闊になったじゃないか。そう思わせるのが、俺の狙いかもしれないのによ」
「・・・・・・ハヤト。もういい」
哀しそうな目を向ける旦那に、ハヤトは苛立ったように頭を掻き毟る。焼け爛れた頭皮が崩れ、彼の手が血でぬめついた。
「その目はなんだよ、俺を憐れんでいるつもりか?そうだよ、俺は居場所が欲しい。あの頃は、俺達は同じ場所にいたんだ。お前も、セリナも、ジュンも。俺と同じ場所に立ってたんだよ。それなのに、この世界はそれを奪ったんだ。取り戻したいんだよ。あの頃の、楽しかった日々を」
「それは無理だ。過去には、戻れない。仮にお前が国を作っても、俺達が旅していたあの頃は返ってこないし、帰れない。本当は、理解しているはずだ」
「だったらなんだよ、ユウ。もう、今更止められない。俺は俺の願いを諦めることは出来ないし、この世界の奴らが何人死のうが知ったこっちゃないんだ。それでも止めたいってんなら、力づくでやってみろ」
吐き捨てて、ハヤトは長剣を構え直す。部外者の俺から見ても、虚勢を張っているようにしか見えない姿だ。表情は今にも泣き出しそうに歪み、長剣の切っ先はふらふらと揺れている。俺には彼が、痛みや辛さを飲み込もうとしている子供に思えた。
「やらん。お前は、夥しい数の人間を殺した大罪人だ。王国にも、共和国にも甚大な被害を及ぼしている。俺がいなければ、里も滅ぼしていただろうな。だが、それでも。それでも、お前は俺の旧い友だ。俺は、お前を殺したくはない」
「・・・・・・言うねぇ。口も上手くなったんだな、ユウ。だけど、お前は居場所があるじゃないか。かけがえの無い日常を過ごせる場所を、得てるじゃないか。お前に、俺の気持ちは分からない」
「ならば。里に来い、ハヤト」
ぴたり。揺れていた切っ先が止まる。
「なんだと?ハヤト、お前自分が何を言ってるのか分かってんのか?」
「無論だ。かつて、里に攻め寄せた者が里で暮らしていたこともある。『水禍』のことは、知っているだろう」
「だから、俺も受け入れるって?ここまでした俺を?はははっ、笑える話だな。この100年ちょっとで、ユウの頭の中はお花畑にでもなったのか?そういう都合のいいおとぎ話は存在しないんだよ」
「かもしれん。だが、国を造るよりは現実的だ。考えてもみろ。俺が隠れ里に訪れた時点で、この姿だったんだぞ。魔物にすらいないような、異形の体躯。それを、里の者達は受け入れてくれたんだ」
噛み締めるような、旦那の言葉。そうだよなぁ。考えてみれば馬鹿な話だ。隠れ里の皆は、大体の奴は受け入れちまう。本能的な危機感が欠如してるって言ってもいい。だから旦那も、俺も、ここで毒を抜かれちまった。
「よく回る舌だ。そんな甘言を、俺が信じると思うのか?」
「お前が俺を信じまいと、俺はお前を信じている。過去に戻りたいと悔いるのならば、俺と共にやり直そう。気に食わぬならばこの首を刎ねるがいい。俺は、抵抗せん」
ずい、と。異形の旦那が、長剣の切っ先に向けて歩いていく。ハヤトは動けないようだ。そして、旦那の胸に切っ先が触れる程の距離まで近付いた。
「選ぶのはお前だ。俺を信じるか、己を信じるか。選べ、ハヤト」
旦那は真っすぐにハヤトを見つめ、静かに問いかける。あまりにも無防備なその様に、ハヤトは気圧されたようだ。数歩後ずさって、刃が旦那から離れる。
「おい、待てよユウ。狂ってるぞ、それは。俺が何をしてきたか、知ってるだろうによ」
「それが、どうしたというのだ。気が違えたようなことを言ってるのは自覚している。里の者にも、迷惑がかかるだろう。しかし、俺はお前を救いたい。どんな手を使ってもな」
旦那の剥き出しの感情が、俺達の方にも伝わってきた。正直、ハヤトを里に迎えるのには反対だ。だが、旦那がここまで言うのなら頷くしかない。何よりも、80年に渡って隠れ里を守ってきた男の言葉だ。この程度の我が儘は許されると、俺は思う。
後は、羊人達が受け入れてくれるかどうかだが。ちらりと洞窟の方を見ると、彼らは心配そうな瞳をハヤトに向けていた。・・・・・・うん。際限の無いお人好し共だ。普通なら、恐怖と憎しみを向けるような状況だぜ。
「・・・・・・」
彼らの視線にハヤトも気付いたのか、戸惑いの表情を浮かべて長剣を下ろす。今にも泣き出しそうな赤子のように、揺れる瞳が旦那に向いた。
「・・・・・・ユウ。お前、もしかして、本当に」
長剣が地面に落ちる。ハヤトが震える手を伸ばすと、旦那はそれをがっちりと掴んだ。戸惑いの表情の中に安堵が混ざり、ハヤトが声を
「それは駄目だ、今更降りることは出来ないよ」
───女の声。同時に、旦那が掴んでいたハヤトの手が切断される。
「っぐ・・・・・・!」
「ハヤト!?何を、がぁっ!?」
「随分長く寝ていたみたいだ。でも、駄目だよにーちゃん。それは、許されない」
旦那の背中。拘束された状態で背負われていたはずの魔術師が、いつの間にか拘束を解いて地面に降り立っていた。最低限の衣服以外、なんの装備も見当たらない。それなのに、闇で形作られた蛇のような刃が周囲に蠢いている。
「リグ、お前・・・・・・」
「さぁ、始めようか。皆殺しの時間だ」
『暗礁』の魔術師は、見惚れる程の美貌を歪めて嗤う。瞬間、荒れ狂う闇の刃が俺達に襲い掛かった。
話し合えば必ず分かり合えるという考えは幻想です。しかし、話し合わなければ分からないことも確かにあるのです。