「やめろっっっ!!!」
ハヤトの怒声。いつの間にか長剣を拾い直した彼が、縦横に伸びていく闇の刃を斬り刻む。片手首を失っているというのに、凄まじい剣技だ。他人事のように思ったところで俺も我に返った。
「ここから離れるぞ!」
「わっ!?」
ミュリアちゃんの手を握り、洞窟へと駆け出す。ここにいては確実に殺される。だが、洞窟に逃げ込んでどうなる?いや、今は考えるな。とにかく足を動かせ。
「グロムちゃん達、大丈夫!?」
包帯塗れのイニマが洞窟の入り口で俺達を迎える。目を覚ましたらしい。
「こっちは無事だ!だが、旦那が・・・・・・!」
振り向くと、そこには予想だにしないものがあった。漆黒の半球状の何か。全てを覆い隠すそれの中から、剣戟の音が聞こえてくる。
「な、なに、あれ・・・・・・」
呆然と呟くミュリアちゃん。俺にもあれがなんだか分からんが、一つだけ確かなことがある。どうやら、未だにここは死地らしい。頼むぞ旦那、無事でいてくれ・・・・・・!
「むぅっ!?」
突如暗闇に包まれた視界に、異形は即座に飛び筒を構えた。背嚢は置いてきた為、四本の飛び筒はそれぞれ一発しか放てない。それ以上に、この暗闇で狙いをつけるのは不可能だ。
「ユウ、無事か!」
「無事だ、何がどうなっている!?」
懸命に目を凝らしながら、焦ったようなハヤトの声に返事をする。剣戟の音。ハヤトと『暗礁』が戦っているのだろうか。方向と大体の位置は音から推測出来るが、細かいことは何も分からない。
「お前は一旦この闇から出ろ!おいリグ、正気に戻ってくれよ!」
「逃がさないし、ワタシは正気だよ。今はボクじゃあないんだ。大体、にーちゃんがワタシ達を裏切ろうとしたんじゃないか」
ここにいては足手まといだ。そう考え駆けだそうとした異形の足に何かが絡みつく。ずぶずぶと肉に食い込むそれは、目には見えないが闇の刃だろう。無理に動けば、足首が千切られてしまう。引き剥がそうにも、先ほど戦った時よりも刃が研ぎ澄まされていた。力づくでは抜け出せない。
「裏切り、だと?」
「そう。国を造るんだろう?魔物すら超越した魔人達を率いて。なのに、途中で投げ出したら駄目じゃないか。ほら、そこの奇怪な見た目の奴も、洞窟に引きこもっている羊人達も、全員殺してしまおう。そうすれば、ハヤト。君の夢に一歩近付けるんだ」
「っ・・・・・・それは・・・・・・」
「まさか、そこの奴の言葉を本当に信じたわけじゃないだろう?この世界に、君の居場所は無い。だから、にーちゃんは居場所を生み出そうとした。屍の山を際限無く積み上げて、上に向けて手を伸ばしたんだ。それなのに、今更乗り換えるのか?甘い甘い愚者達に、身も心も任せると?そんなことだから、あの時も裏切られたんだ」
「リグ、黙れ・・・・・・!」
ハヤトは暗闇の中、ひたすらに刃を斬り払いながら苦悶の表情を浮かべる。目の前のリグが豹変した理由には、心当たりがあった。しかし、まさかこのタイミングで。やはり、自業自得なのだろうか。リグを利用し、己の欲望を叶えんとしたから。だから、ユウが差し伸べてきた救いの手も掴めなかったんだ。切断された片手から血を噴き出し、後悔に苛まれながらも動きを止めることは無い。四方八方に伸びる闇の刃を全て斬り落とし、暗黒の外に飛び出ていかないようにする。
「邪魔をしないでくれ。ワタシは、にーちゃんの為を思ってしているのに。それに、お友達が死んだとしても蘇らせればいいじゃないか。元々、そのつもりだったんだろう?少し手順が変わるだけだ、なんの問題も無い」
「いいから、魔術を止めろ!俺はお前に魂まで売り渡したつもりは無いぞ!」
「遅い。遅すぎるよ、その言葉は。もうとっくに、後戻り出来ない所まで来ているのにさ」
『暗礁』の魔術師は煽るように呟いて、暗闇の中で微笑んだ。埒が明かない。このままでは、いずれこの場の者は皆殺しにされる。どうすれば。と、
「目をつぶれっ!」
鋭い声と共に、こぶし大の何かが暗闇へと投げ込まれた。それは闇の刃に斬り払われるが、その瞬間に凄まじい閃光を放つ。ずっと身を潜めていたチャロが、『鏡像』から受け取っていた魔道具を投擲したのだ。閃光は暗闇と相殺し、一時的にとはいえ視界が開けていく。そして、丸見えとなった『暗礁』に突っ込む人影があった。イニマだ。
「はあぁぁぁぁっ!!」
「クソ、どうすりゃいい・・・・・・!」
暗黒に包まれた空間に目を向けながら、俺は思考を回していた。このままでは不味い。だが、俺に出来ることは・・・・・・。と、横にいたイニマが意を決したように口を開く。
「グロムちゃん。多分、あの闇をチャロが吹き飛ばしてくれると思う。確か、『鏡像』さんから貰った魔道具を持ってるから。合図をすれば、きっとやってくれる」
「そいつは本当か?助かる、それなら飛び筒で狙うことも」
「だから。私に行かせて」
俺の言葉を遮って、イニマはこちらの肩を掴み言ってくる。包帯に滲んだ血の染みが、視界に飛び込んできた。
「やれるのか?」
「やる。あの魔術師を倒さないと、皆死んじゃうんでしょ。それは、絶対に嫌だから」
「でも、イニマさん、その傷じゃあ・・・・・・」
「大丈夫。リーダーやミュリアちゃんのおかげで、動けるくらいにはなったから。だからお願い。早くしないと間に合わなくなる」
僅かな間、俺は躊躇する。行かせるべきか、否か。だが、猶予はもう殆ど無い。俺は頷き、立ち上がる。
「俺が飛び筒で支援する。頼んだぜ」
「グ、グロムさんまで!」
「ありがと、グロムちゃん。ミュリアちゃんも心配しないで。必ず戻ってくるから」
ミュリアちゃんを一度抱き締めた後、イニマは予備の細剣を引き抜き洞窟の外へと駆け出した。俺もそれに続きつつ、振り向きざまに叫ぶ。
「ミュリアちゃん、治療の準備を頼む!旦那もハヤトも、相当手傷を負ってそうだからな!」
「っ、は、はい!」
よし。それじゃあ、往くか。この肉体の本能だろうか、心の奥から恐怖が漏れ出してきている。俺はどんどん弱くなっているようだ。だが、それを無理やりに抑え込んだ。今は、まともになった感覚を味わっている場合じゃない。洞窟の外に出て、暗闇へと向けて走り出した。
猛然と突っ込んできたイニマに対し、『暗礁』は虚を突かれたように数瞬動きを止めた。すぐに妖艶な笑みを浮かべて魔術を以て迎撃しようとするが、同時にハヤトも斬りかかる。
「おおぉぉっ!」
闇の壁が『暗礁』の足元から這い上がってくるも、魔道具の放つ閃光の影響か勢いは弱い。それでも両者からの斬撃を難無く受け止め、壁から生えた刃がハヤトとイニマに迫った。機敏に退がる二人に追い縋り、刃は次々と本数を増していく。と、『暗礁』の頭上に向けてチャロから矢が放たれた。
「無駄だよ」
速射にて降り注ぐ矢を、『暗礁』は避ける素振りすら見せない。小雨を浴びるかの如く両手を広げて向かい入れると、全ての矢が彼女に突き刺さる直前で静止した。皮膚や衣服の表面を這う、粘性の黒泥が全てを受け止めている。
飛び筒を構えたままの異形は、引き金に指をかけながらも思考した。イニマとハヤトの斬撃には闇の壁を生成し防ぎ、チャロの矢は黒泥で防いだ。恐らく、黒泥には防げる攻撃は制約があるのだろう。先ほどの戦闘では、こちらが放った飛び筒の一撃を黒泥で防いでいた。相手の魔術、その仕組みを見抜くまでは軽々に飛び筒を放つわけにはいかない。
「むぅ・・・・・・!」
唸り声を一つ上げ、近くまで駆けてきたグロムに視線をやる。飛び筒を放つな。意志を込めた瞳、その意図が伝わったのかグロムは頷き、飛び筒を構えるものの引き金を引くことは無かった。しかし、猶予は無い。チャロが投げた魔道具の輝きが徐々に弱まり、比例して『暗礁』の魔術の勢いが増していく。魔道具の輝きが潰えれば、再び視界を塞ぐ暗黒の空間を展開してくるだろう。それまでに勝負を決めねばならない。
ハヤトは闇の刃を斬り飛ばしつつ、果敢に攻撃を仕掛けるが闇の壁に阻まれている。イニマは負傷の影響もあり、闇の刃に対処するので精一杯だ。チャロの矢は全て無効化され、異形とグロムは飛び筒を放てずにいる。膠着した状況の中、己の有利を理解している『暗礁』が笑みを絶やすことは無かった。
しかし。彼女には、二つ誤算がある。一つは、敵対している者達の精神力が図抜けていたこと。絶望の中でも決して諦めず、立ち向かう者達だったということ。そして、もう一つは。
「っ、え?」
───彼女の肉体が、想像以上に消耗していることだ。『鏡像』が湖に張った障壁を、リグはなんの策も無く力押しで突破する為に凄まじい量の魔術を行使した。いかにその体に魔力が豊富とはいえ、消耗は免れない。なにより、今の『暗礁』は自身の状況を理解し切ってはいなかった。
本来、彼女は表には出てこない存在。ハヤトが絆されそうになっているのを感じ、無理に肉体の主導権を奪ったに過ぎない。全能的な力を持っている故に、魔力の枯渇に気付かなかったのである。ようやく自覚した『暗礁』は、体内に埋め込んである魔石から魔力を賄おうとしたが、致命的な隙を異形達が逃すはずも無かった。
「撃てぇっ!」
魔力の流れが途切れた僅かな間に滑り込むように、飛び筒が放たれた。迫る鉛玉を迎撃しようとする『暗礁』は、しかし横合いからも放たれた鉛玉に気付く。グロムの飛び筒から発射されたそれは、小さな鉛玉の集合体。10粒ほどのそれは、突風のように彼女に襲い掛かる。瞬く間の一瞬、『暗礁』の体に鉛玉がめり込んだ。
「ぐっ!?」
魔力が足りず、防ぎきれない。痛みに怯んだ彼女の足をイニマが細剣で払う。転倒。即座にハヤトが覆い被さり制圧した。まだ魔術を行使しようとする『暗礁』の顎を柄頭で殴りつけ、意識を飛ばす。辺りに漂っていた闇が霧散していき、ほぼ同時に『鏡像』の魔道具が輝きを失った。
「・・・・・・やった、か?」
静寂の後、異形が呟く。それに答えるのは、『暗礁』・・・・・・リグを肩に担ぎ上げ、立ち上がったハヤトだ。
「あぁ。すまん、迷惑をかけた」
どこか吹っ切れた様子の彼は、異形達に首だけで頭を下げる。周囲や羊人達の視線を感じながら、こう続けた。
「お前達さえ構わなければ、一度退かせてもらいたい。さっきの話、もう少し考える時間が欲しいからな。だけど、ここに留まったままじゃいつリグが暴走するかも分からないからさ」
「み、身勝手過ぎない?自分が何したのか分かってるの?」
膝をつき、痛みに顔を歪ませながらイニマが言う。その横に降り立ったチャロも、矢を番え油断ならぬ視線をハヤトに送っていた。当然だと苦笑を浮かべ、それでも言い放つ。
「あぁ、そうだな。でも、今更斬り合うのも気が乗らない。被検体・・・・・・ミーって名前なんだっけか、彼女のことは諦める。それに、もう里に攻め入ったりはしない。これは、ユウの友人としてではなく、ハヤトという剣士としての誓いだ。ま、信じてもらえるとは思ってないけど」
斬り落とされた手首を拾い上げて、ハヤトは片眉を上げて奇妙な表情を浮かべた。滑稽さを感じる顔のまま、異形へと視線を移す。
「悪い、やっぱすぐには決められねえや。お前の提案は、本当にありがたいんだけどな」
「・・・・・・そうか。俺としてはここに残ってもらいたいが。流石に、これ以上皆を危険に晒すわけにもいかん。撤退に関しては・・・・・・」
異形はぐるりと辺りを見回した。考え込む素振りのグロムに、明らかに不服そうなイニマとチャロ。さて、どうするべきか。本来ならば、ここで逃がす道理は無い。多少無理をしてでも、後顧の憂いは絶っておくべきだ。たとえ、それがかつての親友だとしても。
しかし、異形は受け入れることが出来ない。ただのエゴで、状況が見えていない我が儘だと自覚はしている。それでも、肯ずることは出来なかった。瞑目し、呼吸を整える。どのような選択を取っても、正解は無い。ただ、何を優先させるのかというだけだ。と、
「あ、あの・・・・・・!とりあえず、応急処置だけでもさせてください!」
気付けば、包帯やポーション、その他医療道具を抱えたミュリアが駆け寄ってきていた。危ない。そう止めようとして、しかし言葉を飲み込む。ハヤトが本気で殺そうとすれば、洞窟にいてもここにいても大して違いは無い。元より、遥か格上なのだ。
ミュリアはそのまま、返事も聞かずにイニマの元に行く。この場で手酷く傷を負っているのは、イニマに異形、そしてハヤトだ。リグは鉛玉を撃ち込まれ重傷だったはずだが、既に傷は癒えている。他の羊人達が異形に駆け寄り、全身の切り傷にポーションをかけ始めた。そして、
「おぅ、入り用か?」
「・・・・・・」
ハヤトに話しかけたのは、里の鍛冶屋を仕切るマノルギだ。今回、ハヤトが初めて出会った羊人の一人。一歩間違えば斬り殺されていただろうに、マノルギはしかめっ面で彼に問いかける。
「ポーションやらは入り用かって聞いてるじゃねえか。あん時みたいに、朗々と喋れんのか」
「・・・・・・なんで、あんたが俺に」
「目の前で死なれたら気分が悪い。それだけじゃわい。あぁ、後は里の者も賛成しとる。お前を死なせないよう治療することをな。そら、いいから座れ。そっちの嬢ちゃんは・・・・・・大丈夫か」
困惑のままに、言われた通り座り込んでしまうハヤト。そこにグロムが近付いて、マノルギが下ろしたカゴからポーションを手に取った。
「まぁ、そういうことだよ。里の羊人達は、どいつもこいつも度を越したお人好しだ。殺そうとしてきた相手にも、そいつは変わらない。ここまでとは、正直俺も思ってなかったが」
「しょうがないだろうグロムさん。わしらはこうやって生きてきた。こいつがどんな奴だろうと、今更見捨てられるか。というかこの火傷と傷でよう生きとるな、どこから手を付ければいいのか分からんぞ」
愚痴を吐きながらも、マノルギは手早くハヤトの体に薬草のペーストを塗り込む。爛れた肌に染みて、ハヤトは顔をしかめた。
「本当なら再生するはずなんだが・・・・・・『鏡像』の魔術師、あいつの魔術だ。回復を阻害されてる。数日もすれば効果が解けて、再生するようになるから治療は必要無い」
思わず口走り、しまったと更に顔をしかめる。戦いにおいて、情報は与えなければ与えないほどいい。だというのに、なにを自分は馬鹿なことを。マノルギはそんな彼の心中も知らず、手の動きを止めることも無かった。
「やらんよりはやった方がいいだろうて。ほれ、腕上げろ」
「そうそう。ここは諦めて治療を受けてくれや。あんたというよりは、こっちの気分の問題なんでね」
布にポーションを染み込ませたものを胸に当て、上から包帯を巻いていく。戦場での経験からか、グロムの手際はハヤトが舌を巻く程のものだった。事情を知らない彼からすれば、年端もいかぬ幼子が応急処置に手慣れているのは奇異に映ったのだろう。疑わしげな視線を受けて、グロムは苦笑を浮かべる。
「そんなに見ないでくれ。あんたと同じで、俺も訳ありでね。元はただの老いぼれた傭兵だ。同族化の秘術を受けたら、どういうわけかこんな体になっちまったんだよ。世界に不思議は尽きないねぇ」
飄々と言う姿に、確かに幼さは欠片も感じない。言葉が真実ならば、随分と妙な話だ。それこそ自分と同じ程に。毒気を抜かれたように、ハヤトは体の力を抜く。そして、大人しく羊人達の治療を受けるのだった。
戦いは終わり、後は選択だけです。