オーギスさん達の家を後にして、グロムさんは私の手を握ったまま引っ張っていく。いつになく強引というか、余裕の無い態度だと私には感じられた。その背中に、私は何かを聞くことは出来ない。二人とも無言のまま、私達の家へと向かっていく。
ふと、グロムさんの髪の毛が気になった。ハヤトという人に斬り落とされ、不揃いになった羊毛はその翌日に私が整えた。今となっては、いつも通りに伸びて触り心地が良さそうになっている。私や、他の羊人よりも、グロムさんの羊毛はふわふわしていて暖かい。なんでだろう。
そんなことを考えていると、あっという間に家に到着した。中に入って扉を閉めたところで、私の手が解放される。グロムさんは疲れたような様子で、テーブルの向かい側に座った。
「ふぅ・・・・・・すまんね、ミュリアちゃん。あんまり、他の人にゃあ聞かれたくないことだったから」
「は、はい。えっと、話したくないことなら無理に話さなくてもいいですよ?」
「んぅ、うーん・・・・・・そういうわけじゃ、無いんだが。ほら、俺がこの姿になったのは、同族化の影響だろう?」
グロムさんの口から出てきた言葉に、きゅっと胸を締め付けられたようになる。それは常々私が心配していたことだったからだ。幼い子供の体になって、グロムさんは苦労している。私が勝手に同族化の秘術をかけたのを、よく思ってないんじゃないかって。
「まぁ、アレだ。俺は元々男だからさ。だからその、なんだ。年頃の娘の裸を見るのには、慣れてないんだな、これが」
「・・・・・・え?」
予想外の言葉。私はてっきり、弱くなってしまった体に対することだと思っていたんだけど。どうやら違うみたいだ。
「あぁいや、分かってる。一応俺らは夫婦なのに、誠実じゃないよなこれは。すまん」
「え、っと・・・・・・それは別に、全然いいんですけど。私、てっきりその体になってることを後悔してるんじゃないかって・・・・・・」
思わず口走ってしまうと、グロムさんはきょとんとした顔で固まった後、苦笑を浮かべる。なんというか、複雑な笑い方だ。
「ははは、いや、違う違う。別に後悔はしちゃいないよ。そも、同族化の秘術が無ければ俺は死んでいた。前にも言ったが、ミュリアちゃん達は俺の命の恩人だ。・・・・・・まぁ、正直に言えば、前みたいに戦えなくなったのはちと辛いかな」
「ごめんなさい。私も、若返った上に性別も変わるなんて思ってなくて。あぁもう、今更ですよね、ほんともう」
「落ち着けミュリアちゃん。君が俺の命を救ってくれたんだ、心から感謝はしても恨むことなんざありえない。ただ、里の状況が切迫してるからな。俺が戦えたら、旦那やオーギス達も多少は楽になったんじゃないかと思うことはあるよ。随分、無理させちまってるから」
そう呟くグロムさんの表情は、悔しいというよりは寂しそうに見えた。確かに、里の状況は良くないと思う。でも、今も里が残っているのは、他ならぬグロムさんのおかげだ。グロムさんがいなかったら、エリンドに向かうことも出来ずどうしようもなかったに違いない。
「でも、グロムさんがいてくれたから今も里が残っているんです。私達じゃ、里を出てどこかに助けを求めるなんて考えられませんでした。私は、戦術?とか戦略とかはよく分からないですけど、それでもグロムさんがこの里に住んでくれたおかげで助かったということは分かります」
「・・・・・・そんな、大したことはしてないさ。旦那やカロロの働きがデカいよ、それは」
「カロロさんは、グロムさんを訪ねて里に来たんですよね?じゃあ、この里で暮らすことを決めてくれたグロムさんのおかげじゃないですか。それに、オーギスさん達と知り合えたのも、『鏡像』さんやニェークさんが協力してくれたのも、最初は敵だった『水禍』さんが味方になってくれたのも。私には絶対出来なかったことです。きっと、他の里の人や前の守り神様でも無理だと思います」
はっきりと言い切って、グロムさんを見つめる。そうだ。私は外の世界を知らなかったし、前の守り神様は喋るのが苦手だった。言葉を使って、交渉や説得で里の未来を切り開いたのはグロムさんだ。
「グロムさんは戦ってくれてますよ。話し合いで、ずっと最初から。本当にありがとうございます」
「そいつは、まぁ。年の功だよ。それに、相手も大体が誠実な奴ばかりだった。人に恵まれてるんだな、この里は」
「グロムさんも、もうその里の一員です。だから、グロムさんが人に恵まれているのと同じですって」
「それは流石に暴論じゃないか・・・・・・?」
首を傾げるグロムさんに、私は更に言い募る。感情が、溢れてきて止まらない。
「大体、グロムさんは普通に戦うこともしてるじゃないですか。飛び筒を使って、何度も。自分は戦ってないみたいに言うの、おかしくないです?」
「いやぁ、あれは最後の美味しい部分を掠め取ってるだけで」
「何が違うんですか?私より幼くて非力な体を危険に晒してまで、戦う場所に立ってるのに。私達を守ってくれてるのに、そういう言い方はズルいと思います!」
「う、うむ・・・・・・」
「だから、そんなに気に病まないでください。グロムさんが戦っていないなんて、誰も思ってませんから」
グロムさんが口ごもってしまったところで、私はテーブルの向かい側に回って彼を抱き締めた。私より華奢で、柔らかくふわふわな感触。本来なら頼りないそれは、私にとってはかけがえの無い強さを感じさせるものだ。
「私はグロムさんが危険な目に遭うのは嫌です。でも、そうまでしないと里を守れないというのなら。せめて、胸を張ってください。グロムさんがやってきた、里を守る為のいっぱいのことを、誇ってください」
「ミュリア、ちゃん・・・・・・」
「本当に、心から感謝してるんです。私だって、貴方達と共に戦いたい。それが出来ないから、後ろから見ているだけで。それなのに、グロムさんが自分を卑下するのは嫌です!」
「・・・・・・面目無い。そりゃ、確かにそうだ。ミュリアちゃんや里の皆も、いい気分じゃないよな。全く、己の未熟さに恥じ入るばかりだよ。分かった。俺は俺なりに戦っている。だが、それはミュリアちゃん達もだ」
私の抱擁に抱きしめ返しながら、グロムさんは温かな声で言葉を紡ぐ。
「えっ?」
「いやな。あの時、ハヤトも治療しようと提案したのには痺れたぜ。しかも、最終的には他の羊人の皆も納得した上で本当に治療しちまいやがった。あの場で最も勇敢だったのは、ミュリアちゃん達里の皆だよ。自分を害そうとしてくる、しかも見ず知らずの奴を助けようなんざ普通は無理だ。平和ボケなんざ言ってられない。目の前の戦いを見た上で、治療を選択したんだからな」
「それは、その。洞窟の中で、皆と話し合って決めたことです。相手が誰でも、助けられる力があるなら助けたい。それが、グロムさん達を傷付けて、私達を傷付ける敵であっても、って」
あの日、あの時。守り神様が来るのを待っていた間、私達は皆で話し合った。すぐそこにいる、私達の平穏を壊しに来た全身ボロボロの人をどうするのか。結局、満場一致で助けたいという結論が出た。きっとそれは、外の世界を殆ど知らない私達のエゴなんだろう。普通なら、ありえない選択肢なんだろう。でも、私達はそれを選んだ。ハヤトさんが、私達を殺すことも厭わないと理解した上で。
「それだ。正直、俺よりもよっぽど強いよ、里の人達は。例え世間知らずだとしても、相当に肝が据わってる。里で暮らしてて分かってたはずなんだが、それでもここまでとびきりだとは思わんかった」
「そう、なんですかね。でも、実際に戦ったわけじゃないですし・・・・・・」
「同じことだ。さっきミュリアちゃんも言ったじゃないか。話し合いも戦うことになるって。結局、ハヤトは治療を受けた。それは里の皆の勝利だろうさ」
グロムさんはにっこりと笑って、私の頭をがしがしと撫でる。力強い感触が心地いい。
「え、えへへ・・・・・・って、話を逸らさないでください!今はグロムさんの話をしてるんですよ!」
「おっと、バレちまったか。でもまぁ、安心してくれ。思えば、戦争で最も大事なのは後方を固めて、前線の兵士が万全の力を出せるようにすることだ。今の俺は、それに近いことをしてる。ミュリアちゃんの言う通り、飛び筒頼みで前線にも出張るしな。誇るさ。ミュリアちゃんに旦那、オーギス達に里の皆・・・・・・それに俺も。全員が、戦ってるってな」
「それなら、いいんです。私ももっと頑張りますから。これから先何があるかは分からないけれど、一緒に頑張りましょう!きっと、乗り越えられます!」
「おぅ、任せな。さぁて、それじゃあ飯を作るとしようか。ほら、ミーと約束しただろ?色んな料理を振る舞うってさ」
「あっ、そうですね。じゃあ、グロムさんも手伝ってくれますか?具沢山のスープを作ろうと思ってたんですけど、煮込む時間が長いと火加減が難しくて」
「あいよ、火加減の管理はそこそこ得意だからそっちは俺が見るわ。そういえば、ラソン達が運んできた中に面白い調味料があるって聞いたけど・・・・・・」
「一応私の所にも届けてくれましたよ。でも、ちょっと癖が強いかな。好き嫌いが分かれるかもしれない風味でした」
さっきまでの真剣な雰囲気が消えて、穏やかな日常が帰ってくるような感じがする。やっぱり、私はグロムさんといると楽しい。なんというか、ほっとするんだ。この人と一緒になれたのは、私の人生の中でもとびきりの幸運なんだと思う。
「ふぅむ、それじゃあ今回は止めといた方がいいか。ミーの好みがしっかり分かってるわけでもないからな。ま、味付けはミュリアちゃんに任せるとして・・・・・・まずは、食材を切らないといけんか」
「ですね。色々な野菜を入れようと思ってるんですけど、火を通す順番が重要で・・・・・・」
なんでもない話をしながら、私は思う。こんな平穏がずっと続けばいいのに。夢見がちな願いを秘めながら、私はグロムさんと料理にとりかかった。
「・・・・・・」
馬車に揺られながら、『水禍』の魔術師はむっつりと黙り込んでいる。失った左腕が疼くのか、時折り包帯の巻かれた肘の辺りをさする以外には動かない。馬車の外からは雨音が聞こえ、じっとりと空気が湿っていた。
先日、ニェークからの連絡があった。ハヤトと『暗礁』の魔術師が、脱走した被検体を確保する為に隠れ里方面に侵攻。撃退した、と。そこまではいい。問題は、里側の対応である。
可能ならばハヤト達を説得し、隠れ里に迎え入れる。書簡に記されたその文言を読んだ時、『水禍』は暫し呆然としてしまった。ありえない。よもやそこまで、彼らの頭はおかしくなったのかと。平和ボケという言葉では収まらない、まさしく狂気の沙汰だ。
だが。『水禍』はそれを批判することは出来ない。このとんでもない提案は、異形やグロムだけではなく、イニマ達羊人の総意らしい。焚きつけたのは、元より自分だ。結果がこれだとしたら、受け入れるしかあるまい。
肘の先から無くなった左腕が疼く。借りを返すとは言ったものの、一切の目途は立っていなかった。そこに、この一報である。『水禍』は、複雑な心情のままに黙りこくっている。他にどういう反応をすればいいのか分からないのだ。
しかも。ハヤトと異形達の会話通り、昇魂薬の事件は激減していた。その為わざわざ『水禍』が奔走することも無く、現在はニェークから別の任務を与えられている。それとは即ち、王国側から侵入してきている部隊、その調査と排除だ。あくまで可能性の話だが、ハヤトや『暗礁』が暴れる裏で行動している部隊がいるのかもしれない。雲を掴むような話だと思いつつも、『水禍』は了承した。他にやることも無かったからである。
「やれやれ」
数刻振りに口を開いた『水禍』は、嘆息を吐き出し左腕をさすった。恐らく、本当に王国軍の部隊が侵入している可能性は少ないだろう。ニェークは飄々としているように見えて、こちらのことを気遣っているのは知っている。休ませるよりは任務を与え続けた方が、『水禍』の為になるとでも思っているのだろうか。どこを向いても阿保らしい善人ばかりだ。吐き気がする。
そういう自分はどこに向かっているのだろう。最近、よく考える。師を殺した後、泥水を啜るように生き抜いてきた彼は魔術を磨き『水禍』の魔術師として名声を高めた。己の身を守り、立場を確立させる為にはどんなこともやったのだ。圧政に耐えかね反乱を起こした農民たちを殺し、依頼者に敵対する貴族一派を殺し、伝染病が流行り出した村の者を皆殺しにした。体のいい掃除屋だということは自覚している。それでも、彼は殺し続けた。それが己の価値だと信じて。
そして、彼はシリュートの依頼を受け、異形とグロムに敗北を喫した。身柄を確保された挙句、交渉に乗ってシリュートを裏切ることになったのである。里を仮住まいにすることとなった訳だが、決して長くは続くまいとも思っていた。『水禍』自身、一か所に長く留まった経験は無い。己の真の実力がバレないよう、依頼を受ける度に各地を転々としてきたのだ。
しかし、予想に反して彼は里に馴染み始めた。シリュートの殺害に成功した後も、まるで躾けられるかのように平穏な日常に浸る。それはとても不快で、心地よかった。今までの『水禍』の生き様が否定されるかのような、牧歌的な生活。酔った勢いでミュリアを焚きつけたこともあり、彼は息苦しさを覚えてしまう。ここは、自分のいるべき場所ではない。
だから、『水禍』は里から距離を置くことにした。ニェークの指揮下に入り、精力的に働く。王国の時と違い、支援は手厚く汚れ仕事というわけでもない。それでも、余暇には里のことが頭に思い浮かぶ。考えた。あの場所に、己は帰るべきなのかどうか。答えは、未だ出ていない。
「チッ」
舌打ちを吐き、目を閉じる『水禍』。女々しく弱くなった己を半ば呪いながら、それでも雨は降り止まない。本来ならば、雨は好ましいはずなのに。鬱々とした気分を忘れんが為、彼は意識して惰眠を貪り始めた。
隠れ里の日常は、呪いに似た所があります。誰もが憧れる平凡で穏やかな人生は、心の隙間にするりと入り込むのです。