「うーむぅ。そういうことなら、この部屋はお役御免ですかなぁ」
薄暗い拷問室。そこをモップで掃除しながら、ツィーボは悩ましそうに声を上げた。おどろおどろしい室内は夥しい血の跡や何とも知れぬ体液が染みつき、酷い有様だ。いくらモップで磨いたとしても、中々落ちるものではない。
「そうなる。お前の力は役立たないに越したことはないが・・・・・・すまない、ツィーボ」
同じく汚れをブラシで擦りながら、ラソンが申し訳無さそうに言う。彼がツィーボの元を訪れた時、ツィーボは拷問室の大掃除を行っていた。本来ならば、拷問室は残虐な雰囲気を出す為にあえて掃除をしないことが多いらしいが、その点ツィーボは定期的に掃除をしている。曰く、拷問はあくまで技術であり状況や道具に左右されてはならない、とのこと。
隠れ里からエリンドまで戻ってきた直後のラソンは、掃除を手伝いつつ近況をツィーボに語った。拷問の機会が激減するだろうことも。
「あぁいや、ラソン様のせいじゃあありません。共和国が平和を取り戻したというのら、あっしにとっても喜ばしいことですわ。ただ、ちと不安ですな」
「不安?」
「えぇ。あっしはまた聞きでしかないので確かなことは言えませんが、相手側が偽装してる可能性も0じゃないでしょう?話し合いだけで解決出来るなんて、そんな都合のいいことがあるんですかねぇ」
「その点に関しては全く同意だ。だが、実際に昇魂薬の被害は殆ど無くなり、魔物に「昇る」者も発見されなくなっている。巧妙に偽装しているかもしれない、というのはその通りかもしれないが・・・・・・今の所、判別は出来ない。警戒しながらも出方を伺うしかないというのが、主様の意見だ」
犬の亜人故、敏感な嗅覚が捉える名状し難い匂いに顔をしかめつつラソンが言う。実際、相手の尻尾を掴めていない以上起きたことに対処する以外は難しい。事件が起きないということは、そこから犯人に辿り着くのが困難とも言えるからだ。
「ふぅむ。まぁ、ニェーク様の判断なら間違い無いでしょう。それで、捕えていた魔物達はどうするんです?地下牢で世話してるのが相当数いますが・・・・・・」
「・・・・・・現状維持、とのことだ。死なないように、しかし逃げられないようにする必要がある。ツィーボ。お前の仕事だ。頼めるか?」
「はっは、そうでしたらあっしの本領ですな。まぁ、お任せください。文字通り性に合っていますので」
申し訳無さそうなラソンに、笑い飛ばすように答えるツィーボ。恰幅のよい体を揺らすようにして、愛嬌のある笑顔を浮かべる。ツィーボは己がまともではないことをよく知っていた。歪み捻じれた性状は、他者に必ず害を及ぼす。だから、ここでの仕事は気に入っているのだ。抑え難いそれを発散することが、国の為になるのだから。
「そう言ってくれると助かるよ。喜んでくれるなら、こちらとしても胸が痛まない」
「適材適所ってもんで。さ、次はこいつの中を磨いてください。肉片がこびり付いて大変なことになってるんですよ」
「・・・・・・むぅ」
ツィーボに促された拷問器具の中からは、とてつもない臭いが発せられている。鼻を曲げ、犬耳をピンと伸ばしながらラソンは異臭の除去に取り掛かった。
ハヤト達の襲撃から20日程が経過した。里はすっかりと落ち着きを取り戻し、平和な日常を謳歌している。・・・・・・と、言いたいところだが。実は、ちと困った問題が発生していた。
「足りないな、これじゃあちっとも・・・・・・どうする?魔力による精査は出揃っているが故に限界だ、別の方向からでなくては・・・・・・いや待て、そもそも昇魂薬の体系自体が魔術を下地にしていない可能性が高いのか。そうなると話は変わってくるぞ。いっそ『苦薬』に会いに行って意見を仰ぐのもありかもしれない。ただ奴では無理か、そもそもの思考がズレ過ぎている。だったらどうする?首都に赴き高名な学者殿達に意見を請うか?ふざけるな、あんな権威にしがみつく老害どもに何かが分かるはずも無い。それよりも在野の薬師を当たった方がいい。南東の大樹林には魔術師を凌ぐ者もいるからな。それならば魔術体系で説明のつかないこの結果を紐解けるかもしれない。しかしそうなると一部のみ魔物化する現象は・・・・・・」
奇怪な装置の近くに置いてある机に齧りつき、『鏡像』殿は早口で独り言を零し続けている。彼女の元を訪れてもう数十分以上経つが、ずっとこの調子だ。先日研究用の装置が届き、それから彼女は異形の旦那が持ってくるサンプルを元に色々調べていたらしいのだが・・・・・・この有様である。声をかけても反応せず、肩を叩いても無視される。今の『鏡像』殿を暗殺するとしたら、俺でも容易いだろう。
問題とはこれだ。『鏡像』殿が余りにもハッスルし過ぎていて、人の話も聞かずロクに睡眠も取っていない。ミュリアちゃんが心配して食事を差し入れているらしいが、それも片手間にかきこむだけだそうだ。排泄の時間以外、ずっと装置の周囲に張り付き何かを操作したり紙に書き込んだりしている。
というわけで。最後の手段として、『眠りの聖女』である俺が呼ばれたというわけだ。数日前から『鏡像』殿が寝ていないという話は耳にしていたが、実際見ると凄まじい。ミュリアちゃんに料理を習ったりしていた間にこんなことになっていたとは。もっと早く察するべきだった。
「おーい、いい加減気付いてくれないかねぇ!」
耳元で怒鳴っても効果は無し。一体どうなってんだ、これ。極度の集中状態にしても限度があるだろ。ただでさえ魔力枯渇からの病み上がりだというのに、仕事中毒の気があるな、彼女は。と、突如として『鏡像』殿は立ち上がり、ブツブツと呟き続けながらふらつく足取りで歩いていく。トイレのようだ。当然、俺のことは目に入っていないらしい。
「やれやれ・・・・・・人間、色んな側面があるもんだ」
ぼやいて、さっきまで彼女が座っていた椅子に座った。流石に、ここに座っていれば嫌でも気が付くだろう。・・・・・・もし気が付かったらどうするかは、その時に考えるとしよう。
程なくして、『鏡像』殿はふらふらとしながらも戻ってきた。椅子を引こうとして、ようやく俺の存在に気が付く。虚ろな瞳に光が灯り、正気が取り戻されていくようだ。
「・・・・・・あ?グロムじゃないか。どうして私の椅子に座っているんだい?」
「どうして、はこっちの台詞だぜ『鏡像』殿。目の隈も酷いし肌もカサついてるぞ。昇魂薬を調べるのはありがたいけどな、いい加減休んでくれ。見てるこっちが不安になっちまう」
「・・・・・・んー、あー。何日経った?」
「『鏡像』殿がこうなってからは、大体三日だよ。自覚も無いとは重傷だなぁ、おい」
「うぅむ。いや、どうにも思考が煮詰まっていてね。もう少し、取っ掛かりがあれば何か掴める気がするんだけど・・・・・・」
言い訳染みた様子で呟く『鏡像』殿。どこか拗ねたような表情は、年頃の少女のようだ。しかし、どろどろに疲れ切った雰囲気には全く似つかわしくない。追撃戦終盤の兵士でももうちょい生気に溢れてるぞ。
「うん、いいから休もう『鏡像』殿。しっかり休息してから考えりゃあ、上手いこと思いつくはずさ」
「心配してくれるのはありがたいけど、ちょっと区切りがつくまで待ってくれない?ここで休んだら大事な何かが遠のきそうでね。喉元まで出かかってる感じがするんだ」
「そう考えてる時点で、『鏡像』殿は限界超えて行き詰ってんだよ。自覚してくれって。ミュリアちゃんもオーギス達も、勿論里の皆も心配してる。頼む、大人しく休んでくれ」
「あー、そうか、うーん・・・・・・」
唸る彼女は自分の手指で髪を梳いて、困ったように眉尻を下げる。濃い目の隈さえなければ、中々魅力的だ。まぁ、疲れ切ってるせいで何から何まで台無しになっているが。
「いいから、ほら!時間はあるんだ、ここで無理する方が悪手だぜ」
無理やりに手を取って、『鏡像』殿が間借りしている小屋へと引っ張っていく。彼女は抵抗する事無く大人しくついてきてくれるが、足取りは相変わらずおぼつかない。まったく、ここまでになるまで没頭出来るってのも才能だな。
小屋に着いた俺は、まず『鏡像』殿の服を脱がせ、濡らした羊毛のタオルで体を拭く。彼女の手前口には出さなかったが、体臭が結構キツかったのだ。イニマの時と同じで意識しないように意識しつつ、体の垢や汚れを落としていく。緊張の糸が切れたからか、『鏡像』殿は体を拭かれながらも既にうとうとし始めていた。・・・・・・俺じゃなくてもよかった気がするな、これ。
「よーし。『鏡像』殿、せめて服を着直すまでは耐えてくれ」
粗方拭き終わり、俺は火照る自身の頬を叩きつつ言う。だが、彼女から返事は無い。夢うつつなのか、半目開きで首をかくかくさせている。仕方ないので手早く服を着せて、ベッドに寝かせ毛布をかけた。赤ん坊の世話みたいだな。そう思いながらも、俺は穏やかな寝息を立て始めた『鏡像』殿の手を握る。少しでも、彼女の眠りが穏やかなものになるように。
「お邪魔します・・・・・・あ、グロムさん」
「おう、ミュリアちゃんか。見ての通りだ、そこに置いといてくれ」
しばらくして。完全に爆睡している『鏡像』殿の元を去ろうとした俺は、握り返された手の力が思いのほか強く離れることが出来ずにいた。ほとほと困り果てていた所にやってきたのは、小鍋を抱えたミュリアちゃんだ。どうやら、食事を届けに来たらしい。
「分かりました。あっちの変な装置?の方にいなかったので、もしかしたらと思ってこっちに来たんですけど・・・・・・ふふ、ぐっすりですね」
「信じられんくらい疲れてたんだろうなぁ。多分、『眠りの聖女』の力とやらも関係無いぞ、これは」
「でも、これだけ気持ちよく熟睡しているのはグロムさんのおかげだと思いますよ?私も、昔はたまに怖い夢を見たりしてましたけど、グロムさんと暮らし始めてからは一度もありませんから」
「そんなもんかねぇ」
俺がぼやくように呟くと、ミュリアちゃんはクスリと笑みを浮かべて俺の頭を撫でてきた。いつも通りの感触が心地いい。
「はい、そんなもんなんです」
「・・・・・・そうかい。それなら、嬉しいね」
ミュリアちゃんの手が髪を梳き、巻き角の生え際をなぞる。こそばゆい感覚。この里に来てから何度も味わってきたそれは、心に染み渡るような安堵を感じさせた。
「明日辺り、羊毛のお手入れをしましょうか。斬られた分の不揃いさは無くなりましたけど、ちょっと痛み気味ですし。そういえば、先日ラソンさんから整髪料を貰ったんです。すぐに帰ってしまったので、ロクにお礼も出来ませんでした」
「へぇ、気配りが利いてるな。手紙に書いておくよ、ミュリアちゃんが感謝してたって。ま、とりあえず話は後で、だ。折角爆睡している『鏡像』殿を起こすのは忍びないからね」
小声で交わすやり取りに、『鏡像』殿は一切の反応を見せていない。時折りいびきをかいて、幸せそうな寝顔だ。まぁでも、配慮するに越したことは無いからな。
「そうですね。それじゃあ、私は家に戻ります。『鏡像』さんが起きたら、スープを召し上がるように伝えてください。冷めても美味しいように工夫してみたので」
「はいよ。それじゃあ、また」
ミュリアちゃんが小屋を後にすると、再び静寂が訪れた。いや、『鏡像』殿の寝息が存外に大きいので静寂ではない。外はまだ明るく、里の住人の生活音が遠くから聞こえてくる。悪くない。未だ強く握られて離されない手の感触を感じながら、俺は穏やかな時間を過ごすのだった。
欠点があるほど女性は可愛いという説もあるよネ。