「や、やめろ!」
物陰から一歩踏み出し、剣を引き抜きながら叫ぶ。声がどもり、裏返りかけたのは極度の緊張からだった。稽古以外で、グロムが剣を人に向けたことは未だに無い。
声に振り向いた男は、胡乱な目つきでグロムを見やる。しげしげと眺めた後、つまらなそうに言い放った。
「なんだぁ、ガキ。お楽しみを邪魔するんじゃねえよ。物騒なもん抜きやがって、とっととどこかに行っちまえ」
「女の人を離せ!嫌がってるじゃないか!」
興味無さそうな態度の男に、グロムは震える声で、それでも言い放つ。目の前の女性を見捨てるわけにはいかない。例え、相手が人殺しに慣れた傭兵であっても。稽古とは違い、命を落とす危険があるとしても。
「ガキがよ、舐めた口聞くんじゃねぇ!俺の邪魔ぁするんなら、どうなっても知らねえぞ!」
「っ」
獰猛な殺気が男から噴き出し、彼も腰に提げた剣を抜く。流石に一端の傭兵だ、構えが様になっている。そして、他者の命を奪うことにも躊躇が無いだろう。稽古の時とは、あまりにも違い過ぎる空気だ。だが、だからといって引き下がるわけにはいかない。息を深く吸い、吐く。手の震えを必死に抑えて、グロムは剣を大上段に構えた。下手な小細工をする余裕は、今の彼には無い。
「へっ、なんだぁ一丁前に構えやがって。身の程を知らねえかこのガキ!死ねぇっ!」
無造作に踏み込んできた男が、グロムの胴体目掛けて突きを放つ。大上段からの斬撃で迎撃しようとしたグロムはしかし、意に反し横に飛びのいて避けてしまった。今の突きが当たれば自分は死んでいた。その実感がどろりと湧き上がってくる。
怯えていることを察したのか、男は嗜虐的な笑みを浮かべつつ嵩にかかって攻め立てる。乱暴だが力強い斬撃がグロムを襲い、押されっ放しだ。そしてついに、グロムは壁際まで追い詰められてしまう。駄目だ。稽古の時に比べて、半分も力が出せていない。どうして。
「へっ、ビビリ野郎がよ。さっきまでの威勢はどうしたガキィ!」
男に口汚く威圧され身が竦む。いつものキローヌの方が何倍も恐ろしく、気迫に満ちているというのに。これが殺し合いだからなのか。恐怖に混乱、動揺。グロムは荒い息を吐きながら、湧き上がってくる感情に振り回されていた。
このままでは殺される。そう思った時、ふと男越しに女性の姿が見える。グロムと同様に身が竦み、逃げられないようだ。その表情には恐怖が張り付き、体を震わせている。
「っ・・・・・・!」
ここで自分が死ぬのは仕方が無い。身の丈に合わぬ行動をした代償だ。しかし、彼女に罪は無いはず。グロムの四肢が徐々に熱を持ち始める。ここで負けるわけにはいかない。なんの罪も無い彼女を、害させるわけにはいかない。
「っ、あぁぁぁぁぁっ!」
「うおぉっ!?」
がむしゃらに踏み込み、肩から男にぶつかった。背中を斬りつけられたが知ったことではない。ぶつかる勢いのまま、男の腹に剣を突き刺す。柔らかい肉と内臓の感触が、剣を握るグロムの腕に伝わってきた。
「がぁぁぁっ!?てめぇっ、このガキが!」
ぶん殴られ、壁に叩きつけられるグロム。その勢いで剣が引き抜かれ、夥しい量の血が男の腹部から噴き出した。
「ころっ殺してやるっ!」
絶叫と共に男が迫り、グロムに向かって剣を振り上げる。後頭部を壁にしたたかにぶつけたグロムは、動くことも出来ずぼんやりと男を眺める。剣が振り下ろされ、刃が彼の肉体に食い込む直前。口から血を吐いた男が目の前で崩れ落ちた。
「ぐぅっ、ごぼっ・・・・・・!ガキ、がぁ・・・・・・!」
血に塗れたまま、男が睨んでくる。返り血で赤く染まったグロムは、先ほどの感触が残っている手に力を込めた。
「うわあぁぁぁぁっ!!!」
剣を振り下ろす。力任せのそれは頭蓋を直撃し、それっきり男は動かなくなった。むせ返るような血と臓物の匂い。血がしたたる剣を持ったまま呆然としていたグロムは、ふと我に返って女性の方を見る。無事だ。
「だ、大丈夫ですか?」
声をかけた瞬間、女性はビクリと体を震わせた。グロムを見るその目は、未だ恐怖に染まっている。そして、震える声で言い放った。
「来ないで!人殺し!」
ピタリ、と。グロムは動きを止める。人殺し。足元に転がっている男は、恐らく死んでいるのだろう。ならば、女性の叫んだ言葉は正しい。自分は今、人を殺したのだ。怯えと嫌悪を隠そうともせず駆け去っていく女性の背を見送り、グロムは視線を下に落とす。返り血に塗れた体に、同じく真っ赤に染まった剣。生温いはずなのに、何故か寒いような感覚を覚えた。
「・・・・・・うぷっ」
足元に倒れている男は、後頭部を砕かれ中身が飛び出ている。凄惨な様子に、喉の奥からこみ上げてくるものを感じるグロム。そのまま、宴会で食べたものを全て吐いてしまった。血溜りにへたり込み、ひとしきり嘔吐する。
「おぇっげほっげほっ!く、そ・・・・・・!」
傭兵団の者達が、返り血もそのままに帰還してくる姿は何度も目にしていた。慣れる為に家畜の屠殺を受け持ってもいた。それなのに、これだ。生理的な嫌悪感と恐怖で、グロムの精神はぐちゃぐちゃにかき回されている。
それでも。それでも、さっきの女性を助けられたのは良かった。惨状の真ん中で、喘ぐように息をしながらグロムは思う。それだけが、心の支えであるように。
「で、呆然自失になってた所を傭兵団の奴に見つけてもらってな。死体やらなんやらの厄介事はキローヌがもみ消してくれた。色々と疲れ切った俺の背を叩いて、言ってくれたよ。『よくやった、これでてめえも多少はマシな男だぜ』、って。下手な励ましが、身に染みたねぇ」
「・・・・・・そんなことが。昔から、グロムさんはグロムさんだったんですね」
「ん?そいつはどういうことだい?」
いつの間にか料理も終わり、俺達はテーブルに夕飯を並べていく。メニューはかぼちゃのポタージュにサラダ、川魚の塩漬けだ。
「貴方は、他人の為に戦える人。この里に来てからも、それは変わっていないんだなって。私のせいで戦えない体になったのに、それでも出来ることを頑張って。すごいです、本当に」
「・・・・・・照れるね、どうにも。俺の過去は血塗れだってことを伝えたかったんだが、そういう受け取り方をされるとはな」
「誰かの為に戦えるのは尊いことだと思います。それで血に塗れても、あるいは血を流しても、グロムさんが優しい人だということは変わりません」
真っすぐに見つめ、ミュリアちゃんが俺に言う。そこには嫌悪感も恐怖も存在していない。彼女は俺の話を聞いても、何一つ揺らいでいなかった。強い子だ。本当に。
「そう言われると、俺はお手上げだよ。まぁ、うん。夕飯食べようか」
「はい、そうしましょう」
ニッコリと微笑むミュリアちゃん。・・・・・・なんだろうな、包容力と安心感を感じ過ぎて彼女が年上に思えてきた。いや、実際見た目で言えばミュリアちゃんの方が年上に見えるわけだが。うぅむ。
「そういえば、話の続きですけど。その後、グロムさんは傭兵団の一員として頑張ることになったんですか?」
食事も終わり、小川に洗い物に行く途中。相変わらず綺麗な星空の下、ミュリアちゃんが訊ねてきた。
「そうだなぁ。そこから5年くらいは傭兵団で働いたよ。何度も死にかけたが、運が良かったんだろうな。歳が20を過ぎても、ありがたいことに五体満足でいることが出来た。ただ・・・・・・」
「ただ?」
「・・・・・・うむ。その頃、デカい依頼が舞い込んでね。西部の国境線で、大規模な王国軍の動きがあったんだ。侵攻の可能性が高いと共和国は判断し、少しでも兵数を補おうと傭兵をかき集めた。その中に、キローヌ傭兵団も含まれていたのさ」
月明かりが俺達を照らしている。よく磨かれたミュリアちゃんの角が、月光を反射して淡く光っているように見えた。どこか、幻想的だ。
「各地で武功を上げていたキローヌ傭兵団は、好待遇で雇われることに成功した。あの頃の共和国は金払いが良かったからな、師匠も上機嫌だったよ」
「えっと。今はよくないんですか?」
「そうさな、10年近く前に大陸全土で不作が続いたからね。そこから立て直せていないんだろう。まぁ、そういうわけでいつもの通り、俺達傭兵団は戦場に向かったわけだ」
そこまで話して、俺は視線を動かした。小川の近くに建てられた、異形の旦那の小屋が見える。明かりが付いていないということは、鍛冶場の方にでも行っているのだろうか。
「・・・・・・えぇっと。それで、どうなったんです?」
「全部話すと長くなるがね。死んだよ。キローヌ含めて、傭兵団の殆どが」
俺の言葉に、ミュリアちゃんは口をつぐんでしまう。そりゃそうだ。こうなるのを分かった上で、俺は言ったんだから。
「ま、今宵はこれくらいにしとこう。こういう話は傭兵にゃあよくあることだが、一気に話すとミュリアちゃんに悪影響かもしれん」
「そ、そんなことは無いですよ。私なら大丈夫です」
「ん・・・・・・そうだよな。悪い、本当の所は俺が話したくないんだ。中々、他人に過去を知ってもらうのはしんどくてな。大したことは無いと思ってたんだが、実際やってみると案外キツい。すまんが、時間をくれんか」
今まで、他人に過去を話すことは殆ど無かった。どうやら俺はこういうのが苦手らしい。苦痛というわけじゃないんだが、少し疲れてしまったようだ。
「それは・・・・・・ごめんなさい、無理に聞き出すみたいなことをしてしまって」
「あぁ、やめてくれ。別に責めたわけじゃない。むしろ、自分にはこういう一面もあると知れたし感謝してるよ。自分の過去を仔細話すのはミュリアちゃんが初めてだからな」
そうなんだよな。この長い人生、好き好んで自分の過去をひけらかすことはしてこなかった。つまりは未経験の素人ってことだ。免疫が無いのかね、どうにも。
「だから、すまん。時間をくれ。また今度に話すからさ」
「それは全然大丈夫です。でも、無理はしないでくださいね。グロムさんが辛い思いをしたら、私も辛いので」
心配そうな表情で言われ、俺は苦笑して頭を掻こうとした。が、洗い物を手に持っているので出来ない。あぁ、なんとも気恥ずかしい。元々弱かったのか、最近になって弱くなってきているのかは知らないが、どうやら俺は自分で思っていたより心が弱いようだ。
「あぁ。ありがとな、ミュリアちゃん」
俺が感謝を伝えると、ミュリアちゃんはふわりと優しい笑みを向けて返事をしてくれる。全く、これじゃあ見た目通りみたいじゃないか。年長者の威厳って奴はどこに行ったんだろうねぇ。溜め息を吐きかけたが飲み込んで、夜空を見上げた。俺の悩みも露知らず、星たちの瞬きは俺達を淡く照らすのだった。
グロムが童貞を捨てる話でしたとさ。