「ここか・・・・・・」
城塞都市エリンドから遥か西、王国と共和国の国境線を跨ぐカルッツオ山脈。天険の地であるこの場所に、『水禍』の魔術師は十数人の兵士と共に訪れていた。
本来、カルッツオ山脈は戦略的には殆ど意味の無い場所である。尖ったような山々が連なるその威容通り、登るのにはあまりにも険しい。軍隊の行軍などもってのほかだ。例え体力や登攀能力に優れた亜人であったとしても、山脈を超え両国を行き来するのは困難だろう。故に、この周辺には開拓村すら存在しない。王国も共和国も、手を付ける労力を嫌い半ば捨て置かれているのだ。
しかし。ここしばらく、共和国内では不穏な事件が多く起こっている。殆どは昇魂薬に関するものだと思われていたが、ニェークの部下たちが改めて洗った所、昇魂薬絡みとは断定出来ない事件が複数確認された。その内容は、街道をゆく行商が纏めて殺されていたり、あるいは街中で大規模な火災が発生したり。どれだけ調べても魔物がやったという証拠は無く、犯人と思われる者を捕えることも出来ない。辛うじて尻尾を掴み足取りを追った結果、このカルッツオ山脈に辿り着いたのだ。
「ふん。ゆくぞ、お前達。目的は、共和国内を荒らしていると思われる人物、あるいは集団の捕捉と確保だ。事情を聞き出せればありがたいが、叶わぬならば身柄を共和国まで連行する。道のりは過酷だろう、覚悟を決めておけ」
周囲の兵士に告げつつも、目の前に広がる山脈を注視する。ここから見るだけでも、通常の山と違い酷く傾斜している。さながら騎兵槍のようだ。この勾配では、まともに登ることは不可能に近い。さらには、カルッツオ山脈には固有の魔物が生息しているという噂もある。困難な調査になると、『水禍』自身も覚悟を決めていた。
『水禍』は勿論のこと、周囲の兵士達も登山用の装備で身を固めている。その様は兵士というよりは野伏の集団に近い。それぞれがエリンド防衛隊から選抜された、えり抜きの精兵だ。外様である『水禍』が指揮を執ることも受け入れ、粛々と準備を始めている。
「さて・・・・・・鼠が何匹紛れ込んでいるのやら」
しかめ面で呟きながら、杖をカルッツオ山脈に向ける『水禍』。水晶が煌めき、淡い魔力を纏い始めていた。
『水禍』達がカルッツオ山脈に足を踏み入れてから三日。未だ痕跡らしきものは発見出来ず、調査は困難を極めていた。植生は岩山に近く、食料となる動植物も少ない。『水禍』の魔術により水分だけは確保出来るものの、既に持ち込んだ食料の半分以上を消費してしまっていた。
「・・・・・・」
夜、巨大な岩の陰に隠れるように野営をしている中で、『水禍』は夜番をしながら思案に耽る。そもそも、共和国はニェークの頼みを聞き入れず捜査に戦力を回すこともしていない。それで自分達がカルッツオ山脈まで調査に向かう羽目になったのだが・・・・・・『水禍』は政治的な駆け引きに長けていない。それを考えても意味が無いだろう。
現状、共和国内で問題を起こした犯人の手がかりは見つかっていない。それでも兵士達の士気は落ちておらず、粗食や過酷な環境にもよく耐えていた。ならば、結果を出さねば申し訳が立たない。そう思える程度には、『水禍』の態度は軟化していた。
この山脈に犯人が潜んでいる可能性は高い。だが、尋常なやり方では尻尾を掴むことすら出来ぬのではないか。『水禍』は折った枝を焚き火に放り込みながら思考を回す。
まず、犯人が潜んでいるとするなら少人数だろう。数が多ければその分痕跡も増える。一切見つかっていない現状から、大軍ではありえない。何より、険しく危険なカルッツオ山脈を行軍することは物理的に不可能だ。恐らくは『水禍』達のように十数人、多くても数十人程だと思われる。
「あるいは、単独という可能性もあるか」
呟いて、傍らに置いてあった杖を手に取る『水禍』。先端に付いている水晶を懐から取り出した布で拭き始めた。この布は、隠れ里にいた時に羊人から貰った羊毛製のものである。郷愁にような気持ちを微かに感じつつ、状況の分析を進めていく。
こちらの行動は気付かれている前提で動かねばならないが、逆に相手が『水禍』達に脅威を感じ、手を引くのならば次善としてはいい。昇魂薬とは別の脅威、それを排除出来たのと同義だからだ。しかし、そうはならないと彼の直感が告げている。カルッツオ山脈に潜んでいるのが何者であれ、そう簡単にはいかないだろう。と、
「む」
周囲に張り巡らせた結界に反応があった。隠れ里の結界と違い細かい状況を確認は出来ないが、この反応だと野生動物とは思えない。人間大の何かが、50歩程先にいるようだ。突如現れたように反応したのは、ハヤトのように跳躍してきたのか、あるいは単純に飛行能力を持っているのかもしれない。反応は近くの岩陰に身を寄せ、もぞもぞと動いている。敵にしては随分と悠長だ。
交代で睡眠を取っている兵士達に小声で伝達し、可能な限り静かに戦闘準備を整える。その間、反応は岩陰から微動だにしなかった。夜闇に紛れ、兵士と共に取り囲むように動く。徐々に包囲を狭めるが、反応は未だ動かない。こちらに気付いていないようだ。里にいた頃よりも暗く見える月明かりを頼りに、『水禍』は岩陰に魔術を放つ。手ごたえは・・・・・・あった。
「えっうわっ!?」
女性のような声が響くと同時に、『水禍』は水の鎖を引き寄せる。岩陰から引きずり出されたのは、両の腕が翼へと変化している人間のような存在だ。一糸も纏わぬその姿は、四肢以外は少女のように見える。全身に絡みつく水の鎖を引き剥がそうと無茶苦茶に動いているが、その程度で拘束が解けるわけが無い。
「くっそ、なんだよこれ!って、お前ら誰だ!?」
雁字搦めになった誰かが叫ぶ。じたばたとさせている脚は、人のものとは違う形状だ。羽毛に覆われ、鳥のような鉤爪状となっている。鳥のような澄んで可愛らしい声色は、過酷な山脈の現状に合っていないと『水禍』は感じた。拘束を緩めぬままに問う。
「貴様は何者だ?何故、カルッツオ山脈にいる」
「はぁ!?なんだよ、何を言ってるんだお前!カル・・・・・・なんだって!?」
要領を得ない答え。拘束されている者の見た目からして、恐らくは魔物だろう。それも、言葉を解す類の。まさか昇魂薬と関係があるのかと考えながら、『水禍』は厳しい口調で問い質した。
「聞いているのはこちらだ。貴様は何者で、何か目的だ?」
「目的・・・・・・?知らないよそんなこと!むしろ俺が聞きたいくらいだ!気が付いたらこんな場所にいて、こんな姿になってて・・・・・・!どういうことなんだよ、これは!?」
叩き付けるような叫びに、僅かに警戒を緩める『水禍』。こちらを騙す意図は感じられない。むしろ、困惑と動揺が一心に伝わってくる。
「頼むよ、ここはどこであんたらはなんなんだ!?俺だって急にこんなことになってわけが分からないんだよ!ちくしょう、なんなんだ一体・・・・・・!」
気が付けば、拘束されている存在はぐったりと全身の力を抜き、困惑に染まった顔をこちらに向けてきていた。幼いながらに色っぽい顔立ちは、到底魔物とは思えない。だが、鳥の亜人ではありえない。彼らは背中に羽が生えている者であり、両手が羽に変じているような亜人は今までに発見されていないからだ。
『水禍』は思考する。魔物の中には、人間の姿をしつつも異形の部分を有してする魔物がいるということは知っていた。両手が鳥の羽になっている魔物は、確かハーピーと呼ばれているということも知識としては理解している。だが、目の前の存在は言葉を理解した上で理性もあるようだ。さらには、魔物特有の他者に対する殺意を感じない。
「・・・・・・いいだろう。私は『水禍』の魔術師だ。カルッツオ山脈に共和国を害する人物が潜んでいると聞きつけ、調査にやってきた。そら、答えたぞ。貴様の番だ」
「スイカ?魔術師?うーん・・・・・・お、俺の名前はカツヤ。気が付いたらこの山にいて、こんな体になってて・・・・・・本当、なんも分かんないんだよ」
要領を得ない答えに『水禍』は目を細める。嘘をついているようには見えないが・・・・・・。
「気が付いたら、か。普段はどこで過ごしているのだ?」
「普段って、ここに来る前は普通に家で暮らしてたけど・・・・・・横浜のマンションで、家族と一緒に」
「ふむ。ヨコハマノマンションとは地名か?聞いたことは無いが」
「はぁ?何言ってんだ、おっさん。もしかしてここ外国?でも、じゃあなんで言葉が通じて・・・・・・んー?」
首を傾げ唸っているハーピーは、理性的に見えるが妙な様子だ。『水禍』は当面の危険は無いと判断しながらも、鋭い目つきで彼女を睨む。どこか、何かがずれているような雰囲気を振り払うように、高圧的に告げた。
「洗いざらい話してもらおうか。貴様の知っていること、あるいは疑問でもいい、何もかもをだ。ひとまず、こちらについてこい」
「洗いざらい話せって、こっちが話してもらいたいくらいなんだけど。あぁクソ、引っ張るなって!」
水の鎖で雁字搦めにされており、ハーピーは抗うことが出来ない。そのまま『水禍』と兵士達に連れられ、野営地の場所まで連行されてしまった。その表情には怯えと困惑が浮かび、これから起こることに恐怖しているようだった。
「・・・・・・それを、信じろと言うのか?」
「いや、だから俺は正直に話したって!王国と共和国、だっけ?とにかく、ここは俺が生きてた世界とは別の世界なんだよ!異世界転生って奴!」
やや興奮気味のハーピーに『水禍』は頭を抱える。彼女の口から語られたことは、到底信じられないものだったからだ。
彼女・・・・・・カツヤが言うには、自身はこことは別の世界で暮らしていた。ある日目が覚めたらこのような姿になっており、どうすればいいかも分からず懸命に生き永らえてきた、と。カツヤの口から語られる「別の世界」の話は妄想と切って捨てるには珍妙であり、本人の物言いも真に迫っている。しかし、頭から信じるには異常過ぎる話だった。
「でもなぁ、女神様とかには会わなかったし、チートスキルとかも無さそうだし・・・・・・そういうタイプなのか?あぁもう、どういうことなんだよ全く」
「それはこっちの台詞だ。狂人か、貴様?別の世界からやってきたなど、子供の寝物語にすらありえない話だ。証拠も無いのによくもぬけぬけと・・・・・・」
こめかみの辺りを抑え、呻くように呟く『水禍』。彼が今まで生きてきた経験において、カツヤが語った話は妄想の域を出ないと結論付けていた。しかし、だとするならこのハーピーは何者なのか。魔物特有の殺気も無く、言葉が通じる知能を持った謎の存在。理解は出来ないが、捨て置くことも出来ない。
「そんなこと言われても、俺は嘘なんかついてないし。大体こっちは困ってるんだよ、急にこんな体になってさぁ。というかあんまり飯食ってなくて腹減ってるんだけど、何か食べられるものあったらくれない?」
「・・・・・・」
このハーピーは状況を分かっているのだろうか。兵士に囲まれ、魔術師と相対しているというのに能天気過ぎる。現実として認識していないのか。それともさっきの話が真実なのか。『水禍』には、判別がつかなかった。
「ふぅ・・・・・・おい、こいつに私の分の食料を与えてやれ。一食分までは構わん。ただし、縄で縛ってからだ。夜番は通常通りに。私は、少し休む。鎖の魔術はすぐに解いても大丈夫か?」
「はっ」
兵士の一人に命じ、カツヤと名乗るハーピーに背を向ける『水禍』。魔術を解くと同時に後ろからやかましい声が聞こえてきたが、意図的に無視して焚き火の近くで毛布にくるまる。酷く疲れた。肉体もそうだが、特に精神が。
「ありえんな」
ひそやかに呟き、目を閉じる。こことは別の世界からやってきたなど、あり得ない話だ。しかし、心の底から否定し切れないという自覚もあった。気が狂った魔物の狂言であればいい。しかし、もし真実だとしたら・・・・・・。
妙な胸騒ぎに囚われる前に、『水禍』は意識して思考を無にする。疲れ果てた心身が眠りに落ちるまで、それ程時間はかからなかった。
まぁ、そういうことです。異世界転生はこの大陸ではよく見られる現象なんですね。