結局。翌朝目覚めても事態の進展は無かった。昨夜の魔物の件は夢でも何でもなく、兵士達に監視され縄で拘束されている中、カツヤと名乗ったハーピーはいびきをかいて寝こけている。度胸があるのか、単なる阿呆なのか。後者であろうと『水禍』は思っていた。
「何か、変わったことはあったか?」
「いえ、特には。相変わらず訳の分からない妄言を吐くばかりで。ですが、やはり通常の魔物ではないですね。一度露骨に敵意を向けてみたのですが、反応するどころか気付いた素振りすらありませんでした。なんの訓練も受けてない子供のように思えます」
「ふん、ただの子供であればどれほど良かったことか。兵士を二人付ける。エリンドまで護送出来るか?」
「このハーピーが協力的であれば容易いですが・・・・・・そうでない場合、難しいですね。拘束しておかなければ飛んで逃げられる可能性も高いですし、歩かせるにしてもハーピーは歩行に向いていないはずです。カルッツオ山脈の調査ということで、荷馬車類を置いてきたのが悔やまれます」
兵士の言葉はもっともだ。言葉が通じるとはいえ魔物は魔物、中途半端に部隊を分ければ逃げられてしまう可能性もある。背に腹は代えられない。苦み走った表情を浮かべつつ、『水禍』は呻くように声を漏らした。
「・・・・・・一旦、下山するぞ。この魔物をエリンドに届けることを優先する。業腹だがな」
「はっ。下山のルートは最短でよろしいですか?」
「あぁ。今は拙速だろうと急ぐべきだ。出来れば今日、日が落ちる前に降り切りたい。可能か?」
「大休止を取らなければ、なんとか。過酷な行軍になりますが」
「それでいい。他の装備等は兵士達に任せるが、ハーピーは私が魔術で運ぼう。恐らく、それが最も堅実だ」
命じ終え、兵士達が動き出す。その様子に軽く頷いた後、『水禍』は未だにぐうすか眠っているハーピーへと目をやった。この呑気さは、魔物や野生動物ではありえない。安穏とした暮らしを享受してきた人間のような態度だ。昇魂薬によって『昇った』魔物なのだろうか?
いや。それは違うだろうと思い直す。なんというか、彼女からは切迫した雰囲気を感じない。多かれ少なかれ、今まで出会ってきた昇魂薬で『昇った』魔物達には歪みが感じられた。しかし、目の前のハーピーにはそれが無い。こちらの気も知らず、気楽に寝こけているばかりだ。
「チッ・・・・・・」
舌打ちを一つ吐き、『水禍』は彼女を運ぶ準備を始める。いずれにせよ、このハーピーのことは色々と調べねばならない。面倒事というものは畳みかけるようにやってくるものだと、深く嘆息した。と、
「ん・・・・・・ふわぁ・・・・・・」
大口を開いて欠伸をしながら、ハーピーが目を覚ました。寝ぼけたような表情で辺りを見渡すと、未だ拘束されていることに気付いたようだ。くりくりとした瞳が『水禍』を映し、のんびりと声を上げる。
「おはよう、おっさん。なんか体がつりそうなんだけど、そろそろ縄解いてくれない?」
「馬鹿を言うな。これから貴様を都市へと連れていく。貴様は、何もかも怪しいからな。全部吐いてもらうぞ」
「別に俺、嘘ついたりしてないんだけどなぁ。それに知ってることだって昨日話したし。本当、気が付いたらこの山にいたから他にはなんも知らないんだよ」
口を尖らせて言うハーピー・・・・・・カツヤからは、毒気のようなものは一切感じない。人の虚実をある程度は知っていると自覚している『水禍』だが、これが本心を隠している行動かは分からなかった。どうにも能天気過ぎる。波長が合わないのだ。
「・・・・・・はぁ。これから山を降りる。大人しくしておかねば、意識を奪うぞ」
「うぉ、なんか怖ぇ。っていうか、昨日の夜俺を捕まえた時に魔法みたいなの使ってたけど、ワープとか出来たりしない?その、都市に瞬間移動みたいな」
「なんだそれは。貴様は、魔術のことをなんだと思っている。愚者なら愚者らしく黙っていろ」
「ひっどい言い方だなぁ。まぁ、実際この世界のことはなんも知らないけどさ。おっさん達についていきゃいいの?」
ここで、『水禍』はカツヤから妙な気配を感じた。敵意や害意ではなく、どことなく捨て鉢のような、自棄になっているような雰囲気。能天気な態度の裏から、ほんのりと匂ってくるかのようだ。
しかし、ここで追及してもはぐらかされるかもしれない。尋問は相応の準備を整えた方が効果は高いと、『水禍』は理解している。ひとまずは、カルッツオ山脈から下山するのを優先するべきだろう。
「その通りだ。だが、貴様を自由にするわけにはいかん。いつ飛び去って逃げ出すか、知れたものではない」
「そんなことしないって。せっかく話が通じる人に会えたのに、わざわざ逃げ出さないよ。だからさ、この世界のことを教えてくれない?王国だの共和国だのは昨日ちらっと聞いたけど、それだけじゃよく分かんなくてさ」
「・・・・・・いいだろう。この山を降りるまで大人しくしていれば、私の知っていることは話してやる」
「やりぃっ」
嬉しそうにはにかむカツヤを見ながら、『水禍』はこめかみの辺りを指で叩く。随分と甘くなったものだ。昔なら、このような輩は有無を言わせず処理していた。それが、交換条件を呑ませるようにまでなるとは。自己嫌悪に近い感情を抱きつつ、彼は下山の準備を整える。全てはあの里のせいだ。自身の甘さを呪うように、強く奥歯を噛み締めた。
昼下がり。まだ昼食も摂っていない『水禍』達は、区切りのいい所で小休止を取ることにした。疲れ切った兵士達がへたり込む中で、水球に囚われ首だけが外に出ているカツヤが口を開く。
「なんか、いいのかな。俺だけ楽してる感じだけど」
「貴様は虜囚と同じだ。無駄口を叩かず、面倒を起こさなければそれでいい」
疲弊しながらも言い返した『水禍』は、一旦魔術を解く。水球が弾け、カツヤが地面に着地した。初歩的な魔術だとしても、険しい道のりを移動しながらの行使は消耗が激しい。既に魔石に頼っている状況だ。下山し切るまでは持つだろうが、多少は無理をしなければならない。
「別に拘束解いてくれれば自分の足で歩くのに。あぁ、ごめん。こんな体だと無理か。飛ぶのは・・・・・・許してくれないよな」
「当たり前だ。貴様は大人しく運ばれていろ。しかるべき後に、洗いざらい吐いてもらう」
「脅さないでよ。うーん、洗いざらいって言ったってなぁ。俺が生きてた世界のことを話しても、どうせ嘘だと思われるだろうし・・・・・・」
ぼやいているカツヤから目を逸らし、『水禍』は懐から取り出した魔石を握る。残りは六つ程。予定通りにいけば十分足りるが、常に不測の事態を予測する必要がある。改めて気を引き締めようとしたその時、彼は遠くから放たれる殺気を捉えた。鋭いそれが肌に浴びせられた瞬間に叫ぶ。
「全員散開しろっ!」
目の前のカツヤを抱え、『水禍』はその場から飛び退いた。瞬間、大気を焦がさんばかりの熱波が彼らを襲う。先ほどまでいた場所に巨大な火球が直撃し、爆発した。
「っぐぅ・・・・・・!!」
外套が焼ける匂い。体勢を立て直しつつ、火の移ったそれを脱ぎ捨てる。カツヤは何が起こったか分かっていない様子で、目を白黒とさせているようだ。今の火球はおそらく魔術によるもの。北の方角から飛んできたそれは、地面を抉り焼く程の威力が見て取れる。
「岩陰に身を寄せろ!射線を切るぞ!」
周囲に怒鳴りつつ、『水禍』はカツヤを抱え直し岩陰に隠れた。焦げ臭い匂いが鼻をつく中、同じく岩陰に駆けこんできた兵士達に訊ねる。
「被害状況は!?」
「二名が逃げ遅れ重傷!残りは軽傷を負ったものもいますが、戦闘は可能です!」
見ると、兵士の内二人は酷い火傷を負っていた。他の者に手早く衣服を脱がされたものの、顔や上半身が惨たらしく焼け爛れている。それを見たカツヤが、『水禍』の胸の中で体を震わせた。恐怖が顔に張り付き、息が荒くなっているようだ。
「お前達は北側を警戒しろ!私は負傷者の応急処置を行う!」
言うが早いか、『水禍』はカツヤを置き捨て負傷者に杖を向ける。生き物のように水が蠢き、焼け爛れている患部へと張り付いた。ポーションを混ぜ込んだ水が染み込み、負傷している兵士が呻き声を上げる。
「意識を保て、この程度ならば治癒出来る!足手まといになりたくなければ気合を入れろ!」
助かるかどうか微妙な所だ。手持ちのポーションには、ここまで広範囲の火傷を癒す効果は無い。『水禍』の魔術も絡めれば延命自体は可能だが、一度強力なポーションか高度な回復魔術を用いねばジリ貧だろう。
「北側に何か動きはあるか!」
「今のところは何も!再び火球が飛んでくることもありません!しかし人影も見当たらず・・・・・・!」
「構わん、そのまま警戒を続けろ!」
あの火球は恐らく魔術の類いだ。それも、かなり優秀な魔術師が行使したもの。余波を受けただけでこの威力ならば、火球が直撃すれば文字通り消し炭になるだろう。王国の手の者か?いや、考えている余裕は無い。兵士に応急処置を施した後、ここからどう撤退するのかが最優先だ。魔力を練り上げながら思考を回す『水禍』の額にじわりと汗が滲む。考えれば考えるほど、状況の悪さを思い知った。
追撃してこないということは、こちらを完全に捕捉している可能性が高い。岩陰から移動しようとした瞬間、再び火球が放たれるということだ。少なくとも自分ならそうする。相手に逃げ場が無いのなら、ゆっくりと時間をかけて追い詰めればいい。場所が知られておらず、一方的に攻撃出来る有利を捨てることは無いはず。ならば、こちらが打つべき手は。
「っ・・・・・・!」
相手のことが何も分からなければ、『水禍』としても軽々には動けない。あれほどの火を放てる魔術師は数少ないが、そこから絞り込むのは現状では不可能だ。強引にここから離脱するのは自殺行為。相手を排除しようにも、能力も居場所も分からず。苦境を打破出来る策は全く浮かんでこない。と、呆然としていたカツヤが突拍子もなく声を上げた。
「お、おっさん!俺が囮になったら逃げられる?」
「急に何を言う、貴様を逃がすはずが無いだろう!?」
「でも、このままじゃ・・・・・・!みんな焼け死ぬよりはマシじゃんか!」
確かに、囮を出せば残りは上手く逃げ切れるかもしれない。そして、空を飛べるカツヤは囮としては適任だ。彼女が敵と通じている可能性を除けば、だが。何を考えているのか分からない者に任せるのは危険過ぎる。『水禍』は極めて当然にそう思っていた。しかし、他の手段は思いつけない。どうする。どうすればいい。
「・・・・・・っ。カツヤと言ったな。貴様、飛行するとしてどれほどの重さに耐えられる?」
「は、えっ?えぇっと、試してないから分からないけど、飛んでる時は結構余裕あったような・・・・・・」
「ならば、私を吊るして飛べ。貴様の胴体に水の縄を巻き、私がぶら下がる。あの火球は大層な威力だが、何度かは防げるだろう。決死の囮など下策も下策だ、貴様には話してもらうことが幾らでもある。分かったな!」
『水禍』がこの判断をしたのには三つの理由があった。一つは、カツヤを自由にさせない為。彼女が相手の仕掛けてきた罠であるとしたら、絶対に自由にするわけにはいかない。二つ目は、飛行能力があれば相手魔術師の場所を把握出来るかもしれないと思った為。根本的に、相手を撃退することが出来れば危機は去るからだ。そして三つ目は、全員が死なずに帰還出来そうな方策がこれしか無かったからである。
里で暮らした僅かな日々が、『水禍』を変えてしまっていた。王国で活動していた頃の彼ならば、指揮下にいる兵士達を平気で使い捨てにしていたというのに。弱くなった。仲間の死を、『水禍』は許容出来なくなっていた。命が容易く失われるような闘争において、それは明確な弱体化だ。
「っ、分かった!どっちに飛べばいい!?」
『水禍』の言葉に力強く頷くカツヤ。目の前の魔術師の心境に一切気付かず、拘束が解かれた翼を広げる。
「北だ!まずは高度を上げろ、誰にとっても分かりやすいようにな!」
水の鎖がカツヤの腰に巻き付き『水禍』と繋がった。二人が飛び立つ直前、兵士に叫ぶ。
「いいか、お前達は敵を振り切ることだけを考えろ!岩陰から離れるタイミングは任せる!合流地点は「イタチの宿屋」だ!」
「り、了解!どうかご無事で!」
暗号を交え、命令を下した『水禍』の体がふわりと浮き上がった。華奢な見た目からは想像も出来ない力強い羽ばたきで、カツヤが彼を引っ張り上げ宙に舞う。岩陰を離れグングンと空へ上がっていくと、予想通り火球が飛んできた。『水禍』は事前に練り上げていた魔力を以て魔術を行使、迎え撃つ。
「おおぉぉっ!!」
半円状の水の膜が形成され、火球を正面から受け止めた。水の膜はたちまち蒸発しもうもうと蒸気を上げるが、同時に火球の勢いも弱まっていく。ついには相殺され、『水禍』達の姿は蒸気に紛れ見えなくなった。
「さぁ、一手ご教授願おうか・・・・・・!」
意識して歪んだ笑みを浮かべ、己を奮い立たせるように声を上げる『水禍』。魔術師同士の戦いの幕が、切って落とされた。
この世界において、魔術師は単騎で戦局を変え得る強大な戦力です。才能ありきかつ一子相伝という性質から数を揃えられないのが欠点ですね。