「っ」
大きな揺れを感じ、目を覚ました。全身の痛みに、包帯をきつく巻かれている感覚。寝かされている場所から察するに、馬車の中だろうか。
「目を覚ましましたか!良かった・・・・・・!」
懸命に看護していたのだろう。額に汗を滲ませた兵士が、安堵を抑え切れぬ表情で敬礼する。『水禍』がこのような態度を向けられるのも、以前からはありえないことだ。鮮明な夢の内容を振り払いながら問いかける。
「状況は、どうなっている」
「はっ!現在は襲撃から二日後、カルッツオ山脈からエリンドへ戻っている所です。『水禍』様の負傷が酷かった為、近場の街に寄り治療に専念することも考えましたが・・・・・・」
「いや、正しい判断だ。痛みを和らげる為ならまだしも、命を繋ぐだけならポーションで事足りる。エリンドに戻った方が、より適切な治療を受けられるだろうしな」
しゃがれた声で言い、『水禍』は痛みを表に出さないよう気を張った。無用な心配をかけるのは趣味に合わない。
「しかし、どうやって私を回収した?こちらの状況は把握していなかったというのに」
「それですが・・・・・・例のハーピーが我々に追いついてきまして。仔細を伝えられ戻った次第です」
その言葉に、痛みとは別に顔をしかめる『水禍』。逃げなかった上にここまで有用な働きをするとは。しかし、確かあれの片翼は焼け焦げてしまったはず。それを訪ねると、兵士はなんとも言えない表情を浮かべた。
「えぇ、仰る通りでした。しかし、その焦げた翼で飛んできたのです。通常ならば考えられないことですが・・・・・・」
兵士本人も納得はしていないのだろう。だが、実際に目にしてしまい信じるしかなくなったような様子だ。『水禍』としても不可解だが、一旦棚に上げて質問を続ける。
「そのハーピーは今どこに?」
「別の馬車で休んでいます。相当無理をしたのでしょう、命に別状は無いはずですが未だに目を覚ましません」
「そう、か。敵魔術師の遺体や装備は回収してあるな?」
「はい。可能な限り、周囲の痕跡も回収してあります」
「ならばよし。すまないが、もう少し休ませてもらおう」
明朗な返事に頷いて、『水禍』は再び眠ることにした。二日程度では到底治り切らない程消耗しているようだ。今はひたすら休息をとり、魔力と体力を回復するしかない。兵士から無言の敬礼を受けつつ『水禍』は目を閉じる。今度は、あのような夢を見ないよう祈りながら。
「これは、また。『水禍』殿は凄いですなぁ。こちらもしっかり働きませんと」
薄暗い地下室。綺麗に掃除されて尚陰惨な雰囲気を漂わせる場所で、ツィーボは目の前の死体をしげしげと見やった。胸にぽっかりと穴が空いているそれは、ついさっき地下室に運び込まれたばかりだ。
「まぁ、本業ではありませんが・・・・・・他に適任もいませんし、こればっかりは仕方ない。死体をいじくり回すなど、まともな方では気が乗らないというもの。こういう時こそ私がお役に立てる時ですな」
能天気に呟きながら、ツィーボは小振りのナイフを手に取る。異様に細身のそれをゆっくりと男の肉体に這わせると、ピンク色の肉が露わになった。血液は粗方抜かれているらしく、噴き出してくることは無い。
「魔術的な検査では呪いの類が発見され、後は物理的な検査、と。どうか気のままに恨んでくだされよ、お客様」
言葉とは裏腹に楽しげな様子で、ツィーボは「作業」を進める。隅々まで調べ尽くした結果、明らかな異常が二つ発見された。
「頭蓋に刻印とは・・・・・・私が言えたことでもありませんが、なんとも趣味が悪い。それに、臓腑の一部も奇妙な発達を見せているようだ。魔術か、あるいは薬物の影響か・・・・・・。ふぅむ、このお客様が王国の魔術師だとしたら、あちら側のやり方を見抜く好機なんですがね」
一つは頭蓋への刻印。恐らくは、王国に連なる一派の紋章だろう。生まれてすぐに印された可能性が高く、硬いはずの頭蓋に克明に刻まれている。もう一つは、ある内臓の異常発達。内臓が魔力を生成することは無いが、果たして如何なる理由で発達したのだろうか。
「やれやれ、共和国がまともだとは思ってませんが、王国も大概なようですな。ま、私は言われたことをやるだけだ。それをどう考え、生かすかはニェーク様達お上の仕事ですわな」
腑分けした死体の様子を精密にスケッチしつつ、血と油に塗れた衣服のままツィーボは呟いた。自身の意識が及ばぬ事象は考えない。それが、彼の生存戦略だ。
「ん、ぐぅ・・・・・・」
強烈な空腹に背を押され、カツヤはゆっくりと意識を覚醒させた。目を擦ろうとして自身の腕が羽になっていることを思い出す。
「夢、じゃない・・・・・・?あれ、どこからどこまでが?」
重たく感じる体を起こそうとするが上手く動けない。疲れ切っているのか、酷く消耗しているようだ。と、
「目を覚ましたか」
不機嫌そうな声。鈍重に視線を声の方に向けると、そこにはベッドに寝かされている男・・・・・・『水禍』の魔術師がいた。全身に包帯が巻かれ、まるでミイラのようだ。
「おっさん・・・・・・良かった、生きてたんだ」
「ふん。業腹だが、貴様のお陰でな。それで、あの時何故戻ってきた?危険なのは分かり切っていただろうに」
感謝かと思えば視線鋭く詰問してくる『水禍』に、カツヤはやや気圧される。それでも、黙り込んでいては何も始まらない。元々、全てを話そうと心に決めていたのだ。深呼吸を数回して、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「・・・・・・最近、家族が亡くなってさ。あー、えっと、元々両親を早くに亡くしてたんだけど。唯一の家族が妹で、その」
拙い言葉は覚束ず、整理されたものではない。しかし、『水禍』は急かすことなく黙って聞いている。
「妹は昔から体が弱くて、入退院を繰り返してて。それでも、めげずに生き抜こうとする強い奴だったんだ。・・・・・・でも、現実は非情でさ。つい先日、当然のように死んじゃった。奇跡は起こらなかった。俺はやけっぱちになって、飛び降り自殺をしたんだよ。そしたら、気付いたらこんな異世界だ。それも人間の体じゃないしさ」
理解出来ない言葉もあったが、『水禍』は口を挟まない。真剣な様子のカツヤを見つめたまま、険しい面持ちを崩さなかった。
「結局、目の前で人が死ぬのが嫌なだけなんだと思う。いや、炎使ってた人は死んじゃったのかもしれないけど。あぁもう、分かんない。でも、死んでほしくなかったんだよ。俺は、おっさん達のお陰で助かったようなもんだし」
話している内に、カツヤの瞳には涙が溜まっていく。表情がぐずぐずに崩れ、少女のような顔つきがくしゃくしゃに歪んでいく。
「言っても分からないかもだけど、俺は中卒でバイト始めててさ。妹の為に頑張ってきたんだ。妹がいたから、頑張れたんだ。でも、妹はもういない。生きる気力も何もかも失って、自分で死を選んで。それなのに、もう一度生きろって?馬鹿馬鹿しいと思ったよ」
出会った当初から、能天気に見えたカツヤが微かに纏っていた危うい空気。その正体がこれだ。『水禍』は、目の前のハーピーの本質は絶望なのだと理解した。大切な家族を喪い、悲嘆に暮れる子供。
「だけど、わざわざ二度目の自殺する気も起きなくてさ。適当に野垂れ死ぬんだろうなと思ってたら、おっさん達に会ったんだ。異世界転生モノの醍醐味だよな、その世界の人との交流って。ははは」
渇いた笑いを上げ、カツヤは翼をもぞもぞと動かした。焼け焦げた片方の翼は、見た目は治ったように見える。
「で、うん。俺は死んでもいいけど、おっさん達が死ぬのは違うじゃん?しかも、わざわざ俺を逃がそうとしたおっさんを見捨てるなんてことは出来なかった。死ぬなら、一度自分から命を手放した俺であるべきだって」
「・・・・・・下らんな」
重々しく口を開いた『水禍』は、敵意すら感じさせる視線でカツヤを貫いた。泣き笑いのカツヤは表情を崩さず、ただそれを受け止めている。
「命に優劣などあるものか。誰もが生きようとし、誰もが死んでいく。俺は、生きる為に目の前の敵を殺した。殺される可能性も高かったが、私は生き残ったのだ。だがな、それは敵が私に対して劣っていたからではない」
「へぇ、へへへっ。じゃあ、なんで?」
カツヤは笑う。本心が零れ落ちているのか、あるいは隠す為か。そんな態度にも構わず、『水禍』は声を張り上げた。
「お前だ。お前があの時突っ込んでこなければ、私は確実に殺されていた。私が生き残った理由はそれだけだ」
「そっか、なら無理した甲斐もあるよ。まぁ、俺も死に損なったみたいだけど」
「いいや、貴様が生きているのは私達のお陰だ。見つけた時点で殺すことも出来た。食料を分けないことも、囮にすることも出来た。理解出来んかもしれないが、貴様の生はこちらの裁量次第だったのだ」
あまりにも唐突で傲慢なその物言いに、カツヤは一瞬キョトンとした表情になる。言葉の意味を飲み込んで、顔に苦笑いを張り付けた。
「すっごい言い分。確かにそうかもしれないけどさ」
「そうだ。だから、死なせんぞ。貴様には生きて我々に協力する義務がある」
「・・・・・・いやいや。流石に、それは暴論でしょ」
「知ったことか。わざわざ体を張って助けた奴が下らない理由で死ぬのは気分が悪い。それだけの話だ」
支離滅裂にも見える言葉を吐きながら、『水禍』は内心後悔していた。感情的になり過ぎている。その理由は、ひとえに目の前のハーピーの話と己の過去が重なり合ったからだ。境遇も何もかも違っても、全てを喪った孤独は同じ。あの時兎を食い殺した自分は生き残ったが、カツヤは捨て鉢になり生きることを諦めようとしている。それが、『水禍』には我慢がならなかった。
「いいか、カツヤ。貴様の話が嘘だろうと本当だろうと、言葉を解する魔物というだけで価値がある。相応の待遇も与えよう。だから死ぬな。分かったか」
これでは駄目だと理解しながらも、『水禍』の口は止まらない。熱に浮かされたようにカツヤへ語り続けた。まるで、隠れ里で泥酔しミュリアに介抱されていた時のようだと思いながら。
「どうしてそこまで俺に構うんだよ。別にいいじゃんか、俺の勝手だし」
「いいわけ無かろう。偶然にしろなんにしろ、私達は関わり合ってしまった。好き勝手に死なれては迷惑だ」
「むぅ・・・・・・おっさん、お節介ってよく言われるでしょ」
「生憎、生まれてこの方そのように呼ばれたことは無いな」
素っ気無い言い方に、カツヤは再び苦笑する。やや皮肉げに、しかし確かな安堵を滲ませながら呟いた。
「まぁ、うん。おっさんがそこまでごり押しするんだったら、しばらくは生きてみるよ。この世界のことも知りたいし」
「最初からそう言っていればいいのだ。全く、骨が折れる。私は寝るぞ」
言い合いをして疲れたのか、『水禍』はカツヤに背を向けて目を閉じる。似合わないことをした。このハーピーが死のうと死ぬまいと自分には関係無いはずなのに。湿ったような後悔は、先ほどの自身がのたまった言葉を思い出し羞恥心へと変わっていく。頬が紅潮しているのは負傷のせいではないだろう。
「ありがとう、おっさん」
背中にかけられた声を無視して、きつく目を閉じ続ける『水禍』。しばらくは、どうあっても眠れなさそうだ。
『水禍』編、これにて一段落。