胸倉を相手の両腕が掴んでくる。苦しさを感じながらも、私は逆に相手の手首を掴んで固定した。そのまま、お辞儀をするように思いっきり頭を下げ、膝を着いてしゃがみ込む。
「うぉっ!?」
相手・・・・・・オーギスさんの体勢が私に引っ張られるように崩れた。そのまま倒れ込んだオーギスさんの手首を、胸元に引き寄せるように捻じ曲げる。すると、オーギスさんから苦しそうな声が漏れた。
「こ、降参降参!」
「っ、ご、ごめんなさい!痛かったですか?」
すぐに手を離すと、オーギスさんは手首をブラブラさせながら胡坐をかき、私ににっこりと笑ってくれる。
「いや、これぐらいは平気さ。しかしまあ、随分様になったなぁ。イニマの教え方が上手いのもあるが、やっぱりミュリアのお嬢ちゃんの才能かね」
「とーぜん!ミュリアちゃんは呑み込みが早いし、頭の回転も凄いからメキメキ上達してるよ!リーダーにもしっかり技をかけられたし!」
横で見ていたイニマさんが自慢げに胸を張った。なんだか嬉しくなっちゃうな。額の汗を拭いながら、私もおずおずと微笑んだ。
ここは隠れ里の外れ、いつもはグロムさんが飛び筒の練習に使っている場所。そこで私は、イニマさんに護身術を学んでいた。今日は実践形式ということで、オーギスさんを相手に護身術を披露してみたんだけど・・・・・・。
「いやぁ、分かってても対処出来んぞこれは。手首の関節を決められてるから立つことも出来ないし。というか、お嬢ちゃんの力が思ってたより強いのにも驚いた」
「あはは・・・・・・別に鍛えたりしてるわけじゃないんですけど。グロムさんと出会って最初の頃も、結構驚かれた覚えがあります」
「そう、そうなんだよ!ミュリアちゃんもグロムちゃんも、見た目とは裏腹に力も強いの!こんなに可愛いのにパワーがあるなんて、それもまた可愛さを際立たせると思いますよねリーダー!」
「いや、その話を私に振られても困るんだが・・・・・・」
「・・・・・・ふふっ」
和やかな空気で言葉を交わす私達。昼下がりの暖かな日差しに当てられて、笑い声が口から漏れてしまう。『暗礁』の魔術師とハヤトさんが襲撃してきた時からそれなりの日にちが経過したけれど、隠れ里は平穏そのものだった。里を守れるように皆で持ち運び用の柵を作ったけれど、今の所使い道は無さそうだ。と、
「おーう、やってるかい?」
「あ、グロムさん。どうしたんですか?」
「わーグロムちゃんだぁー!うーん相変わらず可愛いねぇ!」
凄いスピードでイニマさんが駆け寄り、グロムさんを軽々と抱え上げた。目にも留まらない早業だけど、いつもの光景でもある。
「イニマも相変わらずだな。っと、ちょいと降ろしてくれ。差し入れがあるんだよ」
そう言ったグロムさんは、抱え上げられたまま服のポケットに手を入れた。取り出されたのは小さな布袋。紐が緩められると、ほのかに甘い香りが漂ってくる。
「これは・・・・・・?」
「飴玉さ。ニェーク伯爵が贈ってくれたものなんだが、一人で味わうには忍びなくてね。おひとつどうだい?」
イニマさんに降ろしてもらいつつ、悪戯っぽい笑みを浮かべてグロムさんが言う。私も別のお菓子を贈ってもらったけれど、グロムさんの分もあったんだ。
「いいんですか?そんなに沢山あるものじゃないのに」
「いいさ、いいさ。甘いもんは嫌いじゃないが、皆で食べる方が美味く感じるからね。そら、どうぞ」
幼い指先でつまんだ飴玉が、ぽとりと私の手のひらに落とされた。淡い赤色で、少し透き通っている。おずおずと口に含んでみると、果物を濃縮したような甘酸っぱさがふわりと広がった。
「わぁ・・・・・・!」
「凄いだろう?なんでも、共和国の南東に居を構える鼠の亜人達が作っている甘味らしくてね。彼らの生み出す甘味はどれもこれも絶品だそうだよ」
「へぇー、世界って広いんだねぇ。ねぇグロムちゃん、私にもちょうだい!」
「勿論。ほら」
差し出された飴玉に、イニマさんは大きく口を開ける。グロムさんが苦笑しながら飴玉を放り込むと、幸せそうな表情で味わい始めた。カロカロと楽しげな音が響いて、なんだか私達も笑顔になってしまう。
「オーギスもどうだい?まだまだ数があるもんでね」
「んじゃあ、せっかくなんでいただきます。・・・・・・ん、本当に美味いな。エリンドにいた頃も食べたことない味だ」
「そうなんですか?前行った時は氷菓とか美味しいものが沢山ありましたけど」
私の疑問に、オーギスさんは飴玉を味わいながら答えてくれた。
「あー、まぁ。あの辺りは富裕層の嗜好品だからなぁ。とても手出し出来る値段じゃなかった。この里に来るまで・・・・・・いや、森の中でミュリアのお嬢ちゃんとグロムさんに会うまでは結構な貧乏人だったんだよ、私達は」
「ねー。明日のご飯も困るって程じゃなかったけど、10日後、20日後には生きてるかどうか分からないくらいだったんだ。冒険者って職業は結局、他の仕事が出来ない人が行きつく先みたいなものだから」
「そんな、イニマさん達三人はそれぞれあんなに優秀なのにですか?」
「うん。だから、こういう美味しいものを食べられることは滅多に無かった。それより日持ちする干し豆や干し肉、カチカチのパンの方をいっぱい買った方が良かったからさ」
なんてことのないように言うイニマさんに、私はなんの返事も出来なかった。だって、隠れ里で生まれてずっと過ごしてきた私にとって、今まで無縁なものだったからだ。守り神様に守られて、質素ながら満ち足りた日常を送ってきたから。己の無知が、恥ずかしい。
「ごめんなさい。無神経な質問をしてしまって」
「謝らないで、ミュリアちゃん。今がよければ全てよし、だよ。少なくとも、私もリーダーもチャロも今は幸せなんだし。そうですよね?」
「そうだなぁ。これだけ穏やかな日常は人生の中で殆ど無かった。先日みたいな危ない目だって、冒険者として日銭を稼いでいた頃は数えきれない程あったもんだ。それに比べれば、この里は楽園だよ」
頷く二人を見つめながら、私は少しはにかむ。そう思ってもらえるのはとても嬉しい。だけど、言いようの無い変な感情が胸に浮かんできたことも確かだ。なんだかもやもやする。と、黙って話を聞いていたグロムさんが唐突に口を開いた。
「そういや、チャロはどうしてるんだい?姿が見えないが」
「あぁ、あいつなら守り神さんに呼び出されてましたよ。見張り台に設置した飛び筒がどうとかで」
「あぁ、そんなことも言っていたな。んじゃ、家に帰った時にチャロにも渡してくれ」
グロムさんは薄紙にくるんだ飴玉をオーギスさんに渡し、私の背中をポンと叩いた。やっぱり、内心感じているものに気付かれていたみたいだ。
「ま、気張らずやりな。ミュリアちゃんなら大丈夫さ」
小声で囁かれた言葉で、心のわだかまりがすっと無くなっていく。グロムさんの言葉はまるで魔法みたいだ。不思議に思いながらも、私はしっかりと頷いた。
「・・・・・・はい!」
「それで、角度はこれくらい。大体狙った所に飛んだけど、思った以上に風の影響を受けなかったと思う」
「ふむ。爆風の範囲はどうだ?適切だったか」
隠れ里の外周に点在する見張り台の一つ。つい先日ハヤトに破壊され、羊人達が総力を上げて修復した場所で異形とチャロは話し込んでいた。
「まともな奴が相手なら過剰だと思うけど・・・・・・まともな奴は、ここまで攻め込んでこないでしょ」
「違いない。幸い、飛び筒は無事だったからな。迎撃としては十分か」
彼らは先日の戦い、その検証をしているようだ。高所から撃ち下ろされた巨大な飛び筒の弾は、ハヤトに少なくないダメージを与えていた。
「直撃を狙うなら策を練らないといけないな。爆風に巻き込めれば上々だけど、周囲への損害も酷いから」
そう言ってチャロが見下ろす先には、半円状に抉られた地面がある。通常の何倍もある飛び筒の一撃によって生まれたものだ。巨大な弾の内部に大量の魔石を積み込んでいる為、これほどの威力が出せるのである。
「そこは考えねばな。最悪の場合、里への侵入者を撃つこともあるかもしれん。守るべき里を己で壊してしまっては本末転倒だ」
頷いて、異形はそっと視線をチャロの背中に移した。そこに生えている羽の片方には、痛々しい傷が今も癒えずに残っている。先日の戦いでハヤトに負わされた傷だ。
あの日以来、チャロは飛ぶことを禁じられていた。ポーションでも治りきらないその傷は、鳥の亜人にとって致命的である。空を飛べない鳥人は非力な人間と同じだ。本人も自覚しているのだろう、チャロは羽の怪我を半ば無視して出来ることをする為駆けずり回っていた。
「・・・・・・ところで。傷の具合はどうだ」
「・・・・・・。まぁ、少しずつは良くなってる。でも、思っていた以上に治りが遅い。無理をすれば飛べるだろうけど」
「それは、駄目だ。完治するまで飛ぶことは我慢してもらおう」
「分かってる。・・・・・・分かってるよ」
気ままに空を駆ける鳥の亜人達は、己の飛行能力に絶大な誇りを抱いている。ともすれば、命よりも優先する事柄だ。チャロは俯きながら答えた後、細く長い息を吐く。
「あんたに言われなくても、理解はしている。今の僕に出来ることをしながら、早く癒やすしかない。幸い、出来ることには事欠かないからな」
「無理はするな。擦り切れ、疲れ果てた心身では為せることも為せん。かつての俺がそうだったように」
その言葉に顔をあげると、異形はしんみりとしたような表情を浮かべていた。恐ろしげな異相に似合わないそれは、どこか滑稽でもある。
「いいか、チャロ。この里には、頼りになる者が何人もいる。頼れ。そうすれば、必ず道は開ける」
「・・・・・・うん」
素直に頷いて、チャロは視線を遠くにやった。そこには小さい人影がいくつも見える。どうやら、イニマやミュリア達が集まってわちゃわちゃしているようだ。ここからでも伝わる愉快そうな様子に自然と微笑みながら、ぽつりと呟いた。
「恵まれてるね、お互い」
「そうだな。本当に、そう思う」
異形の返事に再び頷きつつ、そのまま無言で彼女たちを見つめ続ける。二人は沈黙したまま、しばらく穏やかな空気が流れるのであった。
戦訓を更新するのは大事なことです。