隠れ里近くの小川。昼下がりの陽気の中、ミーと『鏡像』の魔術師は水辺て語り合っていた。木製のコップには赤紫色の液体が入っており、ミーはそれを一息に飲み干す。
「ムゴゴ・・・・・・プハッ。美味シイネ、コレ」
「だろう?一度果実を粉末状にしているみたいでね、普通の果実水よりも味が濃い。っと、少し失礼するよ」
コップを横に置いて、『鏡像』はミーの下半身、触手の付け根辺りを確認した。しげしげと眺めつつ、思案に暮れているようだ。
「何カ変?私ノ足」
「いや、そういうわけじゃないんだけど・・・・・・ふぅむ、やっぱり変異は魔力によるものでは無さそうだ。となると、昇魂薬の原材料に・・・・・・」
ブツブツと呟く『鏡像』をしばらく見つめていたミーは、肩をすくめて『鏡像』の分のコップを手に取る。まだたっぷりと残っている果実水を美味しそうに味わいながら、腑抜けた表情でポツリと呟いた。
「平和ダナァ」
隠れ里近くの小川に棲み付いてから、ミーは穏やかな日常を過ごしている。里に住む羊人達は皆優しいし、『鏡像』やミュリア達も度々様子を見に来てくれるのだ。その上、美味しい料理までご馳走してもらっている。平和で幸せだ。ミーにとって、ここはまるで楽園のような場所だった。
隠れ里に馴染んできている。その自覚がありつつも、ミーは心の隅で居心地の悪さを感じていた。こんな自分が、ここにいていいのだろうか。周囲の者達は誰もが肯定してくれるだろうけれど、それでも考えてしまう。先日の襲撃は、自分のせいで起こったのだから。
「うーん、内臓の位置が気になるな・・・・・・でも、解剖する訳にもいかない。肉体への負担が無さそうなら、あの魔術を試してみるか・・・・・・」
恐ろしげなことを呟いている『鏡像』の頭をなんとなく撫でながら、ミーは果実水を一気飲みした。この里にいてもいいのか否か。襲撃からそれなりに経った今も、彼女の中で答えは出ていない。爽やかなはずの果実水の後味も、そこまで良く感じられなかった。と、
「ミー。君さえよければ、透視魔術を試してみたいんだけれど」
「トーシ、魔術?痛クナイ?」
「一応、自分の体で試した時は痛みは感じなかったよ。ただ、ミーの体は特殊だからね。私の時とは違う作用が出るかもしれない。だから無理強いは出来ないな」
「ウーン・・・・・・別ニイイヨ。キョウゾウノ頼ミダシ」
そこまで深く考えず、気軽に頷くミー。捕えられていた時のような凄惨な事態にはならないだろう。そう思いながら、『鏡像』の頬をつまんで引っ張る。
「ほいふはありあたい。っと、私は少し小屋に戻って準備をしてくるよ。ちょっと待っていてくれ」
ミーの手をそっと振り払い、『鏡像』は勢い良く立ち上がった。早足で離れていく彼女に視線を送りつつ、ミーは小川の水へと全身を浸す。ここでの日常も、他者との関わりも、何にも代え難いものだ。だからこそ、彼女は考え続ける。自らが出すべき答えを。
「・・・・・・ありゃ、何やってるんだ?」
時は夕暮れ、日課である飛び筒の鍛錬を終えた俺は、汗やら煙の匂いやらを流そうと小川に赴いた。先日からミーが棲み着いたそこに、『鏡像』が箱型の装置とにらめっこしているのが見える。近くには不思議そうな表情のミーもいるわけだが、何をしてるんだ?
「おぅい、お二人さん。なんだか妙なことをしてるみたいだが、どうしたんだい」
「ん・・・・・・グロムか。いやなに、少しミーの中身を調べたくてね。透視魔術を準備している所なのさ」
「中身って・・・・・・ようは臓腑を見てみたいってことか?」
その通りだと頷く『鏡像』に俺を顔をしかめた。傭兵時代、戦場で散々見てきた者が脳裏によぎる。あんなもん、好き好んで見るものではない。
「趣味が悪いぜ、『鏡像』」
「これも仕事の一環だよ。私は『昇った』魔物を解剖して色々調べたりもしたけど、ミー相手にはそうもいかない。だから、肉体を傷付けない透視魔術を使うんだ。ま、専門じゃないから魔道具に頼るけどね」
がちゃがちゃと箱型の装置を弄りながら、『鏡像』はあっけらかんと言い放った。未だに昇魂薬のことは分かっていない。ミーの負担にならない限り、調査をするのは悪いことではないはずだ。それに、他ならぬミーは『鏡像』の傍らで呑気に欠伸をしていた。そこに恐れや気負いは感じられない。
「そりゃあ、そうか。ミーがいいなら俺がとやかく言うことでもないな。それじゃ、俺は離れた所で水浴びさせてもらうよ」
「ア、待ッテ」
そそくさと退散しようとした俺にミーが声をかけてくる。振り返ると、淡くきらめく瞳と視線が合った。
「どうした、ミー。俺が見ても分からんだろうし、いても邪魔になると思うんだが」
「ンー・・・・・・ソウジャナクテ。コノ里ノコト、後デ聞カセテ。改メテシッカリ聞イテミタイ」
予想外な願いに、思わず目を丸くする。叶えてやりたいが・・・・・・俺じゃあ荷が重いな。
「それは構わんけど、俺も新参者だからなぁ。そうだ、夕飯のおすそ分けついでにミュリアちゃんとここに来るよ。それでいいかい?」
「分カッタ。待ッテルネ」
頷いているミーに手を振って、俺はやや離れた場所で服を脱ぎ、体を洗い始めた。ミュリアちゃんなら喜んで賛成してくれるだろうけど、ミーからあんな言葉が出るとは。彼女が里に来てから、ほんの少し壁を感じていたのだ。居心地が悪そうというか、精神的に距離があるというか。でも、里のことを知ろうとしてくれているのは一歩前進だろう。
手早く身を清め、俺は用意していた羊毛のタオルで水気を拭う。さて、それじゃあミュリアちゃんに相談しにいかないとな。俺はさっぱりした気分で、夕焼けを浴びながら帰路に着いた。
「・・・・・・これは」
ミーの腹部を箱型装置越しに見つめていた『鏡像』は、思わず声を漏らした。魔力によって駆動している装置は正常に働いているようで、ミーの肌を透過し内部を映し出している。
「ドウカシタ、キョウゾウ?」
「あぁ、いや。予想通りと予想外が半々といった感じかな」
曖昧な言葉を返し、『鏡像』はじぃっと目を凝らした。人間のものと殆ど変わらぬ内臓に、見たことも無いような器官が混ざっている。ざっと見た限りでは、魔物の体内に生成されることが多い魔石は確認出来ない。
今までの調査から、「昇った」魔物達は魔石を生成しないことが分かっていた。しかし奇妙なのは、人間のものとそうでないものの臓腑が混在しながらも整然と配置されていることだ。特に、人のものではない臓腑はどのような機能があるのか想像もつかない。これは、魔術という学問の外にある。
あるいは、ニェークが雇っている拷問官のツィーボならば何か分かるだろうか。彼は職業柄、人間の身体に非常に詳しい。野生動物や魔物の解剖にも慣れているらしく、その手の知識と経験は『鏡像』を遥かに凌駕していた。
「すまない、ミー。もう少しだけじっとしていてくれ」
「イイケド・・・・・・何カアッタ?」
「ちょっと様子をスケッチしたくてね。手早く済ませるよ」
やや不安そうなミーは、その言葉に渋々と頷いた。『鏡像』の手が素早く動き、用意された紙に内部の様子を写し取っていく。やがて、可能な限りを描き終えた『鏡像』は装置から目を離し長い息を吐いた。
「ふぅぅ・・・・・・」
「大丈夫?凄イ汗カイテルケド」
ミーの言葉通り、『鏡像』の額にはたっぷりの汗が滲んでいた。頬を伝わり、顎からぽたぽたと滴っている。それを袖で拭いながら、『鏡像』はにやりと微笑む。
「あぁ、大丈夫さ。少し魔力を使って腕の動きを補助しただけだから。ただ、慣れないことはするもんじゃないね。模写なんてやったのは十数年振りだよ」
専門外な事だったようだが、書き上がったスケッチは見事なものだった。色こそ着いていないものの、細かい部分まで丁寧に描かれている。それを見たミーは露骨に嫌そうな表情を浮かべ、すぐに目を逸らしてしまった。
「コレガ私ノ中・・・・・・ナンカ、気持チ悪イナ」
「生き物の中身ってのは大概が気持ち悪い見た目をしてるものだよ。私の中身も、ミーとはそこまで変わらない。見てみる?」
「嫌ダ。ワザワザ見タイモノジャナイシ」
箱型の装置を差し出してくる『鏡像』に、ミーは触手で押し返して拒否を示す。『鏡像』のことは嫌いではないが、気持ち悪い腹の中身を覗く気にはなれなかった。
「ははは、ごめんごめん。さて、時間を取らせてしまったし今度何かお礼でも持ってくるよ。今日はありがとう」
周囲の諸々の器具を片付け、『鏡像』は立ち上がる。既に日は殆ど落ち、空には月と星が映し出されていた。美しいと思いながらも、ミーは去ろうとする『鏡像』を呼び止める。
「キョウゾウ」
「ん?なんだい、ミー」
振り向いた『鏡像』を真っすぐに見つめるミー。僅かな沈黙の後、おずおずといった感じで口を開いた。
「私ハ、コノ里ニイテモイイノカナ」
ずっと、胸の奥でわだかまっていた疑問。一度口にしてしまうと、川の流れのように止まらなくなってしまう。
「里ノミンナガ優シイ人達ナノハ分カッタケド・・・・・・ヤッパリ、ココニイタラ危ナイ気ガスルンダ。ダッテ、アノ二人ガ襲ッテキタノハ私ガ湖ニイタカラナンダカラ」
「ミー・・・・・・」
「私ハ、モウ二度トアイツラノ所ニハ戻リタクナイ。痛クテ、苦シクテ、自分ガ自分デ無クナッチャウカラ。デモ、コノ里ニ迷惑ヲカケルノハモット嫌ダ。傷付イテホシクナインダ」
楽器を奏でたような人ならざる声を震わせてミーは言った。この小川に来てから、彼女は暇さえあれば考えていた。本当に、自分がここにいていいのかを。
「キット、キョウゾウ達ハ私ヲ受ケ入レテクレル。ドンナニ迷惑ヲカケテモ、助ケヨウトシテクレル。オカシイヨ。私ハコンナ姿ノ怪物ダシ、ナンノ役ニモ立ッテイナイノニ」
「待った。色々と言いたいことはあるけど、今のは聞き捨てならないな」
次々と言葉を零すミーを遮り、『鏡像』は険しい顔で彼女へと歩み寄る。鼻と鼻がくっつきそうな程に顔を近付け、両手でミーの頬を挟み込んだ。
「ンゥ、ナ、ナニ」
「いいかい、よく聞いてほしい。あの男・・・・・・ハヤトと戦っていた時。私は、力及ばず死を覚悟した。刃が眼前に迫り、数瞬後には殺されていただろうね。そんな私を助けてくれたのは、誰だい?」
「っ・・・・・・」
よく、覚えている。がむしゃらになって暴走したあの時のことを。
「私は元々、ハヤトと『暗礁』の魔術師とは決着をつけるつもりだった。例えミーがいなくてもね。だけど、あのザマじゃあどれだけ策を練っても殺されてたに違いない。まともにやったら、私一人では歯が立たないのさ」
「デ、デモ」
「でもも何も無い。そんな私を救ったのは貴女だよ、ミー。心の内で何を考えていようが、理由がなんだろうが事実は変わらない。貴女がいなければ、私は今ここにいなかった」
力強く断言されて、ミーは瞬きを繰り返した。目を逸らしたくても、まるで引き込まれるかのように逸らせない。頬から『鏡像』の手のひらの温もりが伝わってくる。
「この隠れ里ではね、助け合いは何よりの美徳とされているらしい。我が身を顧みず私を助けたミーには似合いの場所だと思うけどな」
「ウ、ウゥ・・・・・・」
言い返すことも出来ず、ミーはそっと『鏡像』の胸元に頭を寄せた。全身が濡れるのも厭わずに抱き締められ、彼女の身が僅かに震える。温かい。
「まぁ、思う存分悩むといいさ。悩めるのは生きている者の特権だ。だから、辛くなったら誰かに吐き出すといい。こうして苦悩を聞くくらいなら、いつでも歓迎だよ」
「キョウゾウ、ングッ、ンンゥ・・・・・・!」
小川の水とは違う、澄んだ雫がミーの瞳から溢れ出す。嗚咽を堪え切れずに『鏡像』の胸元へ縋りついた。安堵に心が満たされて、体から力が抜けてしまう。静かな泣き声は、完全に日が落ちても続いていた。
精神的な繋がりは、表に出てこないからこそ大事なものです。誰も彼もが、心の中に問題を抱え込んでるんですな。