こんにちは。有馬ウレイです。先日空崎先輩とイロハ先輩から忠告されたことは、一旦頭の隅に留めておくことにしました。今、アビドスの砂漠から帰って来るところです。ギラギラと照らしつける太陽が、ジリジリ私たちの気力を奪っていきます。
……現在、アビドスは本当に存続の危機です。借金だけではありません。美食研究会と走った砂漠も、先生が迷子になっていた中心部も、私がアビドスへ通うために乗っていた鉄道から見えていたアビドスの景色も……全部、カイザーの手中でした。柴関ラーメンの大将さんも、数年前に退去勧告を受けていて、あの爆破事件を機にラーメン屋を畳むつもりだそうです。
もちろん、先生も対策委員会も、そして私も、それを簡単に受け入れることなどできません。先生が空崎先輩からもらった情報を基に、砂漠に居るカイザーの動向を調査しようとしても、『宝探しをしている』、などという小馬鹿にしたようなカス言動しかしない上、利子率も無法の領域まで引き上げられてしまいます。PMCも本気でこちらを潰しにかからんとしていたため、こうして無様に撤退しているという状況です。対策委員会は、意気消沈の域まで来ていました。どのくらいヤバいかといえば、あのセリカさんが無言。本当に未曾有の事態です。
ですが、先生は諦めていません。目が、まだ折れていないんです。何か方法があるのではないかと、ずっと思案しています。
私は、先生がわかりません。それは職責ゆえに、ですか?どうして、見ず知らずの子供達を、そんなに必死になって助けるんですか?仕事がなければ、あなたは助けないでしょう?このまま何もできないまま「何かあるはず」と探して探して、探し続けて、気づいた時には、もう何も残っていませんよ。だって、その「何か」は最初からないのだから。仕組みが彼女たちをどん詰まりに案内したんです。そしてそれに乗ってしまった。もう詰みなんですよ。なのに、先生は先生であるために、探さないと……という義務感で動いているのなら、それは気の毒というものかもしれません。
校舎に帰ってからも、暗澹たる思いは取れません。事態がどんどん悪化して、永遠に抜けることができない罠に嵌められた。それに気づいてしまった。どれだけもがいても、ただただ苦しいだけ……
「徹底的に準備すれば、なんとか潜入くらい……真っ当なやり方じゃ……」
「ちょ、ちょっと待ってシロコちゃん……」
「私はシロコ先輩に賛成!」
「待ってセリカちゃん!ホシノ先輩が止めたのに、自ら進んで犯罪者になる気!?」
『人は追い詰められたら何でもする。馬鹿なようなことでも、何でも』……その通りだと思います。私にも覚えがあります。追い詰められたら、本当に何でもするのが人間です。今、アビドスは追い詰められています。ほんの少しでも小突けば、瓦解してしまう。それに自覚的だからこそ、酷く割れているのです。
「皆さん、少し───」
落ち着いて、という言葉を奪ったのは、ホシノ先輩でした。
「頭から湯気が出てるよ〜」
「……ごめん、こんな風にしたいわけじゃなかった」
「うん、わかってるよ〜。シロコちゃんも、いい子だからねぇ」
それまでの不和が、ホシノ先輩の言葉ひとつで勢いを弱めていきます。気の抜けた、冷静な声。年長者にしては、あまりにものほほんとしていて……酷い違和感を覚えました。確かに自分のことではあるんだけども、余裕のあるその声は、追い詰められた人間のそれじゃない。どこか他人事のような。余裕のある態度なんて、こんな状況で取れるものじゃないはずです。先生すら、思案に明け暮れてあまり会話に集中できていないというのに。先輩の心には、何があるんですか?
「今日のところは帰って、また明日話し合おう」
委員長命令による解散で、セリカさんとノノミ先輩、そしてアヤネさんが帰っていきました。シロコ先輩も、日が暮れてから先生と何らかの合図をして帰ります。私は……帰ったふりをして、残り続けるホシノ先輩と先生の話を聞きました。
─────それは、私の違和感の答えでした。ホシノ先輩はホシノ先輩で、余裕がなかった。余裕がないなりに、活路を見出していたんです。
「……きっと、何か方法があるはず」
────先生は、さっきからそればかりです。何も思いつかないけど、今は待って欲しいの言い換え。……さっきから、そればかり。
「ホシノ!」
「私が大人として、どうにかする!だから……!」
─────何も思いついてない癖に!
そんな先生の声が、あの人を引き止められるわけないじゃないですか…………
しばらくして静かになって、足音が一つになってから、先生の元へ姿を見せます。
「……先生」
「ウレイ?帰ったんじゃ……」
「……運賃、忘れたんで」
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アビドス市街地、エンジェル24
かしゅっ、アルミ缶だかスチール缶だかのタブが開く音がします。市街地のはずなのに、所々に砂が溜まって、辺りは電気もなく真っ暗……コンビニの光だけが、もっともらしく文明を主張しています。喉に流し込むのは、安い葡萄味の缶ジュースです。
「……ホシノ先輩、多分明日は来ませんよ」
「……」
先生は苦い顔をしています。
「どのみち、ホシノ先輩はカイザーへ行くでしょうね……」
「学校に来るかもしれないよ」
「……どうして、そう希望的な推測ばかりなんですか?もう殆ど願望ですよ?」
「……そうかもね」
「私には先生がわかりません、どうして、結果が見えているのに足掻くんですか?何やったって苦しむだけなのに……」
「ウレイ、それは違うよ」
「え?」
「結果は、最後の最後までわからない。本当にわからないんだ。足掻くだけ足掻いたおかげで逆転大勝利って流れも、あり得るんだよ」
「それで、一発逆転目指そうってことですか?博打じゃないんですよ!?」
「博打じゃないよ」
先生の瞳は、澄んでいました。ひたすらに、まっすぐに。
「私は先生だから、生徒が苦しんでいるなら、それを最後まで解決するのが義務であり、大人としての責任なんだ。だから、ホシノも、アビドスも、絶対に助けたいって思ってる」
「……」
「それに、今こそ先生が必要なんだよ。ここで見捨てたら、アビドスは本当に詰むし、先生として、そして、シャーレとしてここにいる意味がない。私たちの諦めは、苦しむ生徒たちにとって希望が潰えるのと同じなんだ。……それは、元から希望がないのと比べて、すごくキツいんだよ」
先生の声は、ふざけているそれではありませんでした。先生は、本気でそう思っているみたいです。『元から希望がないよりも、キツいこと』……ああ、先生は、生徒の苦しむ顔が見たくないんですね。辛い思いを、生徒にさせたくないんですね。
「ウレイは、希望が絶えたと思ったら、反射的に逃げる構えになるよね」
私の痛いところを突いてきました。責めてるわけじゃないんだけどね、と先生は続けます。
「それは、正しいことだと思うよ。その逃げは、下手に立ち向かうよりも賢い手段。引き際をわかっているんだ」
「……」
「ウレイ。君は引き際をわかっている。それで逃げたいという気持ちがあるなら、それは正しい。引くなら今だよ。誰も責めたりしない。こんな状況、まだ正気を保っていられるアビドスの子たちがむしろ偉大すぎる」
……私は、逃げていい。
「実際、私の頭は何も思いついていないんだ。諦めないって言った手前、絶対に助けてみせるけど。どこへ転んでも、ウレイは正しい判断をしたって、私は言うから」
逃げても、損なことはない。先生が守ってくれる。
「だから……」
だから、私に逃げろって?私に散々、逃げるな私が守るからって言っておいて……今更逃げろって?
「逃げません」
「えっ?」
私の言葉に、先生はすこし吃驚した様子。
「馬鹿にしないでください。そんな逃げてほしくないムーブをされて、私が察さないとでも?さっきまでのは、先生が何考えているのかわからなかったから訊いてみただけです」
「えっと、ウレイ?でも、私は本当に……」
「そうでしょうね、きっと赤の他人な生徒じゃキツいことが待ってるんでしょう。先生は、生徒の辛い思いを消したいと思うから、辛い道を歩ませたくないからこんな提案をしてるんです」
「……」
「先生、私夢があるんです。シャーレでやりたいことがあるんです。シャーレを頼ってくれた生徒の皆と、ご飯を食べたいんです。味気ないコンビニ弁当だって、あの時みたいにきっと美味しくなるんだから。でもそれは、今ここで逃げたらきっと絶対に手に入らないんです。それに、ここで逃げたら空崎先輩とイロハ先輩に笑われます。笑われるのは嫌いです。だから、先生。私は逃げません」
ひとしきり捲し立てて、先生の目を見ます。先生の目は、子供の歩みを見守る大人のそれでした。
「先生……?」
「うん、それなら、私はウレイを応援するし手伝いだってするよ。そうか、ご飯か。いいね。いい夢だね」
嬉しそうに、私の言葉を反芻します。
「じゃあ、一緒に考えながらシャーレに帰ろうか。居住区の仮眠室を貸してあげる。シャーレの方がアビドスに近いしね」
「ありがとうございます……」
真っ暗闇の中に、先生は駆け出しました。私もそれに着いて行きます。
「ちょっと、今度はなんで嬉しそうなんですか」
「ウレイがやっと青春っぽいこと言ってくれたから〜」
「ちょっ、ちょっと先生!茶化さないでください……!」
月は出てないけれど、どこか路地はそこまで暗くない気がしました。