エデン条約、それはゲヘナ学園とトリニティ総合学園の間で紡がれた、長きにわたる抗争の歴史の終着点です。連邦生徒会長の提案を、トリニティのティーパーティーがまとめ直して、ゲヘナはこれに応じました。ゲヘナ、トリニティで起きる抗争やテロのような騒ぎに対応する新しい組織「エデン条約機構」を発足させ、両校の治安改善と公認武力組織の負担軽減を可能にします。
「新しい武力組織を以って楽園の名を冠するとは、皮肉なものだが……名前など入れ物に過ぎん」
「……それで、その条約と今回の依頼が、どう関係を……?」
「よく聞いてくれたな!」
大仰に構えるマコト先輩は、そのまま話を続けます。
「エデン条約は敵対する二つの学校が手を取り合うための条約。ゆくゆくはこのマコト様が独占するとはいえ、乗り出しから失敗しては意味がない」
「はぁ……」
「そこで、だ。トリニティが条約締結に向けて治安維持に躍起になっている今、こちらから騒ぎを起こすわけにはいかん。しかし、あの風紀委員会では現状の抑制に手一杯だ。イレギュラーに対処しうるとは思えん」
「だから、風紀委員会への加勢として、私が?」
「ああ。だが荒事に対処しろ、というわけでも、風紀委員会に付き合えと言うわけでもない。そもそも、私がヒナに貴様を差し向けたとて、その意図に関係なくヒナは貴様を頼るまい」
「では、私は何を?」
「……思想犯の摘発」
シソウハン?初耳の言葉です。
「その顔を見るに、ピンと来ていないようですね」
説明するのはイロハ先輩の役なようです。
「風紀委員会は基本的に対症療法です。犯罪や騒動が起きてから出動します。その圧倒的な強さは結果的に抑止力となって犯罪を抑制しますが……逆を言えば『犯罪は実行に移すまでは風紀委員会だろうと手出しができない』ということでもあります」
「……それは、調印式でテロが起きても、起こす前に防げない、ということですか」
「大雑把に言って仕舞えば、だがな。テロと言っても、食堂を爆破するなんざ好きにすれば良いが、こうした深刻な政治的問題に関わるものは準備することも罪だ。その辺りも風紀委員会は網羅している。だが、それだけでは不十分」
「つまり、そのシソウハンっていうのは……」
「潜在的犯罪者、とも呼べますね。わかりやすく言えば、エデン条約反対派のことです」
それって結構な数になりませんか?私は訝しみます。しかし、マコト先輩の表情は余裕綽々。
「そう心配そうな顔をするな。確かに、空気感だけのエデン条約反対派はうんざりするほど多い。空気感だけならな」
「ゲヘナ自体、気分で動く生徒ばかりですからね……嫌だと思ったら即座に行動するでしょう。そうなれば風紀委員会が掃除してくれます。マコト先輩が言うのは、ごく少数の……ゲヘナで政治に関心を持つ3.8%の生徒、その一部ですね」
3.8%以下、つまり、在校生が100人なら3人以下、1000人なら38人以下、1万人なら380人以下、という具合です。もちろんゲヘナはマンモス校、3人でも30人でも終わるわけがありません。確実に、面倒なことになるでしょう。マコト先輩は続けます。
「政治に関心を持つ賢いゲヘナ生の殆どがこのマコト様を支持している。だが、愚かなまま政治に関心を持っている奴も居るには居るのさ」
「つまり、マコト先輩は政敵の排除をしようと?」
「いいや、対象はあくまで、『エデン条約』締結の妨害をしようとしている愚か者の中の愚か者だ。マコト様の思想を理解せずとも構わんが、それでも『エデン条約』の必要性を解さない阿呆が、残念ながらゲヘナに存在するわけだ」
「ですが、『計画するだけで規制対象』では風紀委員長が黙ってないでしょう。というわけで、臨時策としてシャーレの超法規的権限を以て万全を期したい、という意図があります」
「もちろん、報酬が必要なら弾むぞ……キキキッ」
話はわかりました。エデン条約を危機に陥れるかもしれない勢力を事前に排除して、安全を確保したい。でも風紀委員会やゲヘナの校則では不十分。新しい校則を作っても、ラインを越えた校則では却ってテロが増えかねないし、空崎先輩の目もありますから……マコト先輩の真意はわかりませんが、エデン条約が平和のための条約ならば、シャーレの負担も減ることですし、良いことです。
ですので、受けることにしました。流石に報酬はお断りしますが。
「……やっぱり受けるんですね。めんどくさいので受けない方がいいと思いますけど」
「キキキッ……!良いッ!キヒャヒャヒャッ!!」
「先輩……?」
「気にするな。さて、『万魔殿』の情報網はすでに容疑者を把握している。後でリストを送るから確認しておけ?なに、裁量は貴様に任せる。方法は問わん。ただ、エデン条約がつつがなく締結されればそれで良い……話は以上だ。イロハ、送ってやれ」
「自分で送れば良いじゃないですか」
「面倒だ。そういうのは書記の仕事だろう?」
「はぁ……議長の仕事が少なくて羨ましい限りです」
そうして、私は『万魔殿』の部屋から出ることになりました。
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かつ、かつ、かつ。2人の足音が夕暮れの廊下に響きます。
「依頼、受けるんですね。マコト先輩の頼み事なんて碌でもないのばっかりですから、さっさとサボった方が良いですよ。それに、私たちは忠告しましたよ。しばらくシャーレとしてゲヘナとトリニティに関わるなと……」
「……でも、エデン条約は確実に結ばれないと意味がない。でしょう?」
「それはまあ、そうですけど……私は風紀委員会に任せれば良いと思います。実際、それで十分でしょう。犯罪件数も増加しているわけではありません。エデン条約が暴れるための丁度いい理由になっただけです。それに、ことを起こすであろう人を弾き、制圧する警備体制も、風紀委員会と正義実現委員会の間で協議が進んでいます。ですから、ウレイさんが……」
「……イロハ先輩?」
「あ……すみません、喋り過ぎました」
そのまま階段を下って、下駄箱へ。そして校庭へ出ます。
「まあ、これは私の言うことではありませんが。気をつけてくださいね。マコト先輩は、必ず別の意図を持っています。まあ、先輩は馬鹿で単純なので、おおかたエデン条約の独占でしょうが……」
「とにかく、『万魔殿』には気をつけてくださいね」という忠告を頂きました。まあ、あの人悪いこと考えてそうでしたし、行政官タイプでしょうからね。気に食わない人種です。もしこれが『万魔殿』とかじゃなかったら喧嘩ですよ。
「わかりました。ありがとうございます、イロハ先輩。でも、私はシャーレの部員ですし……私は私のやり方で、エデン条約の安全を確保します」
「はぁ、わかりました。これ以上止めても止まらないでしょうし……では、先生によろしく言っておいてくださいね」
そうして、私は帰ります。エデン条約……これまたでかいお仕事任されましたね。まあ、マコト先輩が変なこと考えてたらマコト先輩を天誅すれば良いですし、本当にヤバい人たちだったらそっちをシバけば良いですし。いずれにせよシバき倒せばいいので、意外に簡単な話かもしれません。
「先生はトリニティで頑張るなら、私はゲヘナで頑張るとしますか!」
高揚感と共に踏む地面は、なんだか少し弾んでいる気がしました。