「……説明して。これはどういうこと?」
小さな銀髪は、この世の何よりも理解できないという顔でその少女と辞表を見つめた。その気迫は、並のチンピラでは目にすることすら叶わない。「これからはっきりするまで何時間でも費やすことを厭わない」という決意は、業務の上ではあり得ない勢いであった。
「説明するも何も、公では不自由があるからな。私はのびのびと暮らしたい。これでは不足か?」
「戦木フキ、あなたのその言い分では誤魔化せない。あなたは私と同期。だからあなたの事はわかっているつもり。無駄な嘘はやめて」
詰問を受けている少女は、観念したというふうに肩を上げた。
「嘘は言っちゃいない。現に、私みたいなことを考えているのは私だけじゃない。そうだろう?風紀委員長殿」
「……話を逸らさないで」
「じゃあ何が欲しいんだ。納得できる理由か?それとも『じゃあここに残りますね』という返答か?前者なら私は用意できそうにないし、後者はもっと無理だ。引き継ぎはもう済ませたしな」
つまる話、この対立は平行線だった。風紀委員会という肩書きが邪魔だった少女と、そんな少女を必要としていた組織、そしてその長。少女は些か無責任だった。言い換えれば自由ともいえなくもない。しかし、自由の中の秩序を司る組織として、そのような自由は到底受け入れ難かった。辞めるか、辞めないか。確固たる決意が双方にあればあるほど、この話の線は交わることがない。
「エネルギーにも使い道がある。私は私人としてできることをやる。お前は公人として、できることをすれば良い。それだけの話だ」
「その言い方、癪ね」
正直な話、少女は今ここでこの組織の長と戦う覚悟すらもあった。方向性こそ違うものの、最強に比肩しうる実力はあった。どうしても駄々を捏ねるようであれば(そういう人ではないとわかってはいたが)、殴り合いで決めるという道も彼女にはあった。それゆえに、剣呑な空気があった。
「……本気で言ってるの?」
「ああ。本気だとも」
「そう。じゃあ、止めても無意味ね。今は事実だけで十分」
しかし、長は気迫を解き、矛を収めた。理由が分からずとも、無理を言って止める力が風紀委員会にはないということもわかっていたし、それをして得られるメリットがなかったのだ。本気であるかどうか。これがわかればよかった。
「じゃ、私はこの辺で」
少女はくるりと背を向けた。少女には、風紀委員会という場所の居心地が悪かったのだ。風紀委員会は暮らしが保障される。一定以上の水準で衣食住、そして多くはないが一般的な娯楽も保証されている。そういう身で暴動や犯罪を犯すチンピラの制圧をしていると、罪悪感でいっぱいになるのだ。より良い生活のためにテロや強盗をする人も少なくない。警察的方法だけでは、犯罪を抑止するのが良いところだ。犯罪の根本的な解決はできない。
誰かがやらなければいけないことだと、少女は思ったのだ。
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だが、残念なことに、少女はこうした行いには向いていなかった。元風紀委員会という肩書きは消せず、また、思考も脳筋よりであったが故に。やることと言えば、風紀委員会の頃と大して差がなかった。そのことには薄々自覚があって、だが気付かないようにしていた。少女が住んでいるスラムでは犯罪が見事に減っていたのは事実であったし、少し理想のようにはいかないだけだと言い訳できたからだ。
だからだろうか。トリニティで騒動を起こした犯人を引き渡す時、あの子と目が合わせられなかったのは。
「誰があなたに吹き込んだのか知らないけれど、どう言えば良いかしら。余計なことを、と言うべきか……良かった、と言うべきか」
トリニティとゲヘナを繋ぐ橋の上。二人は救急医学部の搬送車両に揺られながら、窓から吹き込む風に髪をなびかせていた。
風紀委員会でも、少女の行方を知る人はそう多くない。2年か3年の幹部級……あの子には誰が少女に泣きついたのか、おおよその見当はついた。
「……余計な事、ではなかろうか。あの場にはツルギが居たから、どの道解決できたであろう故な」
「……これが、風紀委員会を辞めてまでやりたかったこと?」
「そうだ、と言ったら?」
「もしそうなら失敗ね。キヴォトスには既にシャーレがいる。それに、条約によってゲヘナとトリニティの争いを規制できる。武力に関わる問題は、エデン条約と連邦生徒会によって解決可能になる世の中がもう直ぐ来る」
「……本当にそう思っているのか?」
「ええ。エデン条約は幾度となく調整が行われた。『万魔殿』だけでなく、私も関わっている。いえ、むしろ私がゲヘナで一番関わっているわ。だから断言できる。ゲヘナとトリニティに存在する全ての紛争はエデン条約機構を通してより円満に、効率的に解決される。風紀委員会も、私抜きで回るようになる」
少女は何か言いたげにしていたが、しかし特に言えることもない。少女よりもエデン条約について詳細を知るあの子に、言えることはないのだ。
「そうか。それなら良いんだ。それが良い。エデン条約がそういう条約なら、私も安心できる」
少女の本心だった。あれほど警戒していた内戦のリスクがないとなれば、あれこれ心を痛めながら奔走する必要がないのだから。
───取り越し苦労なら、それが一番良い。そう思っているのに、なぜか心は苦しかった。