「アリウスは露見した」───否。アリウスは公的に扱われる問題ではない。既に締結され残すは調印式という今、羽沼マコトやティーパーティーホストの暗殺のような話が起きなければ問題とならない。アリウスは現状風紀委員会の奇襲と『万魔殿』への敵対行為、そして受刑者の誘拐未遂を行ったが、そのどれもが「些事」であり、この時勢にこのような不祥事への対応は一つである。
隠蔽。これに尽きる。緊急事態とはいえヒナに知らせれば、調印式へ向けて協力態勢にあるトリニティに問題が露呈することになる。トリニティは内政に問題を持たない。より厳密に言えば、「持っていないと見せかけること」に成功している。
これは点数の問題だ。ゲヘナとトリニティは互いに外聞で90点を取っているために対等なのだ。この事件が露呈してしまえば、90点のトリニティは89点以下のゲヘナを相手に「勝ち」を確信する。エデン条約の下に隠した悪意は止められないだろう。
ただでさえ危うい均衡を保つ二大マンモス校の関係において、外交上明確な上下関係が生まれてしまう。「内政・防衛体制への対応不十分につきトリニティが支援する」などという事態になれば、そこをきっかけに内政干渉までされかねない。それをされて困るのは他ならぬ権力者の羽沼マコトであり、その主体たるゲヘナ学園の生徒である。
羽沼マコトはこの件に関して我関せずの姿勢を貫き、イロハの出撃も火力演習の一環として扱われた。風紀委員会には「温泉開発部による同胞救出作戦であった」として、一旦の解決とした。真相を知る者たちは皆『万魔殿』の徹底的な管理下に置かれることになる。また、このことをヒナ、アコ、イオリ、チナツは知ることがない。
先生は、珍しく険しい顔をして学園の門をまたいだ。先生もまたこの事件の真相を知る者である。ウレイとフキの話、さらにトリニティにおけるアリウスの暗躍。それらを知っている先生は、アリウス攻略の鍵であると同時に、トリニティあるいはゲヘナの権威失墜の鍵でもある人物であった。傍目から見れば、先生という存在は今や危険人物となってしまった。かつてアビドス事件の際に天雨アコが行おうとしたこと……それが、よりどうしようもない状況で……ゲヘナ学園の中で起きる。
『万魔殿』の部屋に続く廊下は、赤い絨毯が敷いてある。土汚れや足跡で随分白くなるはずなのだが、そこは羽沼マコト。権威に関わるところは可能な限り見栄を張る。毎日5回取り換えているため、それらが目立つことはない。
そんな絨毯に感心しながら、先生は歩く。『万魔殿』の扉はすぐ目の前まで来た。ノックする。扉はすぐに開いた。
「待っていたぞ?シャーレの先生」
「やあ、君がマコトだね。お話はかねがね聞いてるよ」
「キキッ、だろうな。何と言ってもこのゲヘナの首脳、『万魔殿』の議長なのだからな!連邦生徒会お抱えの組織の者が自らご足労になる程の存在なのだ!」
羽沼マコトは、先生から応接長机を挟んだ執務机の先に居た。噂を聞かないことすら難しいだろうと自慢げに胸を張る。先生にとっては微笑ましく感じるものではあるが、先生にとって事態はそこまで穏やかなものでもなかった。
幾らかのアイスブレークののち、先生は本題へと切り込んだ。
「ウレイたちは、元気してるかな」
「あぁ、ウレイか。元気にしているとも。勉学に励み、友人と楽しいひと時を送っている」
「そっか。じゃあ帰りに寄ってみるね」
「……表情が晴れんな」
「そうだね、マコトが話したいことはこれで全部じゃないから、かな」
「キキキ、そうだな。まだ話すべきことがある」
「そっちの要件は何かな?」
どうぞ、とマコトは先手を取られる。会話の主導権を取られるが、この程度で余裕を崩すほどマコトは小物ではない。
「……4日後に控えたエデン条約調印式。これにゲヘナ、トリニティは二人三脚で調整を進めているのは知っているな」
「うん。ニュースでもやっているからね」
「条約そのものには何ら影響はしない。ただの式典だ。しかしされど式典。調印式は公的な条約発布の合図であり、関係の仕切り直しを対外的に示す重要なイベントだ」
マコトは顔の前に両手を組み、如何にもという表情で先生を見る。
「その大事な式典で、だ。我々がトリニティより劣るという印象を与えてはならない。トリニティが格下、最悪でもトリニティとは対等な関係であるという自覚と対外アピールをしなければならない。そこでだ、先生」
まるで先生の相槌など求めていないかのように、言葉を続けた。
「先生は、ゲヘナに、トリニティについて、どれだけ知っている?」
「思ったよりも直球だね」
「あの事件の真相を知る者は、『万魔殿』が保護すると決めている。有馬ウレイ、戦木フキ、吽堂リッカ、上山アキヨ、そしてウチの棗イロハについては厳重な保護下に置いた。今回ばかりはゲヘナの為だ。身内だろうが元アリウスだろうが区別はつけん」
ゲヘナの為、というのは確実に嘘である。羽沼マコトは権力に対して貪欲であり、基本的に自分の権力拡大のことしか考えていない。が、それも些事である。実際に、どちらかが下に見られるという状況は良くない。均衡を保つ必要は今更強調するまでもないだろう。見方によれば、アリウス襲撃をリークする恐れがある人間を人質に取った、と考えることも可能……と言うより、そう見るのが自然なまである。
「先生がどれだけ知っているか、その情報をどう扱うつもりなのか。それ次第で対応を変える必要がある。わかるか?先生は、ともすればゲヘナ、トリニティに対する脅威になりうるのだ」
あり得ない話、と先生は言わない。ただでさえシャーレとの接点はウレイのみ、先生のことは噂に若干聞く程度のものだ。人柄を知らない人間が、大人の何を信用できようか。
特に羽沼マコトは特段何も考えていない部類ではあるが、こうしたことへの嗅覚は鋭い。彼女は人事采配と場を読む力の点においてトリニティをも上回りかねない実力を持っている。現に、この会話を知る者は彼女が秘密裏に手を回す腹心だけだ。
「先生が多忙なのは理解している。そこの穴は風紀委員会と『万魔殿』が埋めようじゃないか。何、4日ほど、『万魔殿』に滞在してほしいというだけだ。何かを制限しようというわけじゃあない」
彼女は何も考えていない。しかし、何をも信じていない。手駒の思考を軽く見過ぎるきらいはあるが、肝心なところは誰も信じない。そういう人物であるとも思われていない。自分のキャラに自覚的なのだ。そして、先生はそのキャラをキャラであると見抜く人物であると、既にマコトは見抜いていた。故に、こうして直球の会談に切り替えた。
「うん、いいよ」
「キキキッ、理解が早くて助かる!では早速だが───」
「ただ、条件がある。それを呑んでくれるなら、言う通りに保護されるよ」
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どうもこんにちは……有馬ウレイです……
あ、テンションが低いと思ってるでしょ。そりゃ低くもなりますよ、夏休みはシャーレと一緒に問題を解決した生徒とご飯を食べて過ごす生活を志していたんですよ。それが初日であのザマ。悲しいというか、やるせないです。
あれから3日経ちました。アリウスの襲撃は徹底的に情報封鎖されています。私たちはエデン条約の調印式が始まるまでの間、厳重な保護下に置かれるという決定が下りました。……まあ、あちこちから感じる視線的に考えると普通に謹慎処分というか軟禁というか……なので、シャーレには行けていません。
ゲヘナ校舎での保護は、私たちに一見退屈をもたらしました。授業のない、夏休みの校舎はがらんどうで静かです。いつも銃撃や声に満ちていて騒がしかったんですけどね。
吽堂リッカはそのまま風紀委員会に引き取られました。なんだかんだで拘留場が一番波風が立たない場所なのでしょう。アキヨ先輩はこれを良いことに図書館の中へ引きこもって出てきません。便利屋の皆さんは風紀委員会に睨まれまくっていますが、一応保護下に置かれており、逮捕!というわけにはいかないようです。アル先輩は「こんなのハードボイルドなアウトローじゃないわ……」って意気消沈してますが。
そしてフキ先輩は、最近風紀委員会本部と中庭を往復しています。フキ先輩は風紀委員会を辞めた身ですから、勝手に先輩にとって風紀委員会本部は敷居の高いものだと思ってたのですが……とりあえず、何をしているのか気になったため、私は今日、そんな先輩のところへ行きます。
手入れのされていない中庭が、いつになく整理されていました。息を張る音、空を切る音、銃声……フキ先輩へ近づくにつれて、空気が張り詰めてきます。
「っ、はぁ、ハァ……フゥーッ」
迷宮めいた庭園の角を曲がれば、先輩の姿が見えました。ドローンを相手に格闘や銃撃をしています。ドローンはひょいひょいと避け、死角から他のドローンたちが銃撃を浴びせていました。やって良いんだ、てっきり『万魔殿』から止められるものかと。
……恐らく、戦闘演習なのでしょう。彼女のその洗練された身体の使い方に、見ているだけで圧倒されます。接近、踏み込み、突き、銃撃、蹴り。格闘ゲームのコンボのような一連の動作が、さも簡単であるように展開されていきます。
彼女に殴り合いで勝てる人はいません。しかし、それは体力や筋力、強度だけではありません。それを生かす技術があってこそなのです。
「……そんなに見ているのは、私の訓練を助けたいからというわけじゃないだろう」
ふいにそんなことを言われて、少し驚きました。
「いつから気付いていたんですか?」
「多分ウレイが視認してからだ。視線というのは存外感じるものだな」
ドローンの電源を切って、近付いていいぞと先輩は呼びかけます。
「訓練、ですか」
「何もしなければ身体が鈍ってしまうからな。それで、何の用かな」
「ああ、いえ。フキ先輩が何してるのか、気になって」
「……大したことじゃないさ。私はあの時、アリウスの『姫』と呼ばれる生徒と交戦した」
「コードネームですかね」
「さあな。その生徒は回復を扱う一方で、私の攻撃に反応し、回避したということは無視できない事実だ。実際、それで15分も時間を稼がれてしまった」
恐らく、君と出くわした黒い生徒は、私なら一対一でやり合えば1分もかからず制圧できただろう、と続けます。目には悔しさが滲んでいました。
「相性の問題、そう言えば簡単だ。だが、相性の良し悪しでつけ入られる隙をそのままにできるほど、私は弱くない」
「……それで、より強くなるために?」
「ああ。回避できない、必中の一撃……それを手に入れなければ、少なくとも『姫』は今後私と君たちを分断し続けるだろう」
ああ、違います。それは違う。
「殺意を持った敵は、このキヴォトスのあらゆる勢力の中でも異端の部類だ。ヘイローの破壊をも辞さない気迫は、転じて何をしてでも勝つという意志になる。そうした敵は何よりも強い。圧倒的な実力差がなければ、身を守ることすら難しいだろう」
だから、守れるだけの力がある自分が守らねばならない、というのは違います。私たちは守られるだけの存在ではないのです。
「フキ先輩。今後、アリウスが私たちに立ちはだかる可能性はありますよね」
「あいつらの狙いは私達……特にリッカだ。その目的は皆目見当もつかないが、たかだか作戦一つ失敗した程度で諦めてくれるとは、思うべきではないだろうな」
「なら……私は、私も強くならないと意味がありません。フキ先輩、あなたは自分だけでなく、他人を守ることができます。ですが、フキ先輩の身体は一つです。私たち3人を同時に守ることはできません。相手が分断してくるなら猶更です」
「……ウレイ?」
強くならないと。みんなが、もっと。もっと強く。
フキ先輩が呆気にとられた表情をしても止まりません。
「私はまだまだです。せめて自分の身を自分で守れるくらいにはならないと。今のままでは情けなくて……話にもなりません」
「じゃあ、どうするんだ?」
「特訓します。フキ先輩が15分時間を稼がれたなら、最低でも16分耐えられるようにしなくちゃいけません。20分足止めされるなら、20分以上耐えられるようにしなければ。できれば、みんなでアリウスを倒せるようになるまで強くなりたいです」
「……私の特訓は古巣でも恐れられていたが」
「4日後に調印式があります。アリウスが行動を起こすなら、それまでにやるでしょう。時間がありません、お願いします」
頭を下げます。私は弱いです。もしかすると、フキ先輩が強くなった方が早いのかもしれません。ですが、自分の力で守れなければ、強くなければ、きっと後悔する日が幾度となく来るでしょう。
「……わかった。さっき開発した戦法の実効性も確かめたかったことだし、ちょうどいい。幾らか銃を借りて来るついでにアキヨも呼んで来よう。リッカとカヨコは……まあ現時点で自衛できる程度の実力はあるし、アドバイザーとして頼もうか」
「っ……ありがとうございます!」
こうして、対アリウス演習の4日間が幕を開けました。
キャンプハレが可愛すぎる……防寒ファッションが似合うハレの魅力が眩しいぜ……