あれはいつだったか……そうだ、ちょっと前の稽古の日だ。そういえばあの時も外は雨だったな……
「うん!だいぶ良くなったね!キミはやっぱり飲み込みが早い」
「そんな事ねぇよ。俺が頑張ってついてこれてるのは先輩と、有馬と、お前のおかげなんだから」
「私のおかげでもある……か……むふふ、嬉しい事言ってくれるねぇ〜」
いつもの様に自信に満々とでも言いたげなその表情はとても先輩と同じ姿には見えなくて別人と言ってくれた方がまだ信じられる。コイツは先輩とはまた違う、スゲェ演技の才能があってそれが自信や表情に繋がってるのかもって、特に考えずに言ったんだ。
「いやーやっぱ黒川もスゲェよ!先輩と違って、あー……なんて言うか目が離せねー演技っつーの?特別惹かれるものがあんだよな〜。才能が無い俺みたいな凡人には羨ましいったらありゃしないぜ!」
その時は特に褒めようだとか、機嫌を取ろうとか思ってなくて。単に思った事を言っただけ、だからいつもみたいに明るく元気に、笑顔を返されると思っていた。だけど、俺の予想は大きく外れることになる。
「演技の……才能か……キミは何か勘違いしてるみたいだから言っておくね……」
「私に演技の才能なんて無いよ…………」
俺はコイツが何を言っているのか分からなかった。あれだけ凄い演技が出来て、尚且ついつも自信ありげなもう一人の黒川がこんなこと……
「謙遜しすぎなんじゃね?俺はまだ素人だから間違ってるかもしんねぇけど、お前も先輩に負けないくらい凄いと思うし、主演でもバリバリ活躍出来ると思うんだけど……」
「そうだね……注目される見栄えのいい演技なら私も出来る。自分を良く見せる方法なんて今までいっぱい考えてきた。だからその点については誰にだって負けない」
「でもね……私には大事な物が足りないの……演技で人の心を動かす何かが……観る人に感動を伝える
「うん、さっきの言葉はちょっと違うね……こう言った方が正しいかな────」
「"私に役者としての実力なんて無い"」
「そ、そんなことねぇ……だろ……」
「あるよ、キミも色んな天才を見てきたら。私の言っていること、分かる日が来るから」
「んだよ、それ……」
いつもと違って少しだけ悲しそうな笑みを浮かべながら、もう一人の黒川はなおも続ける。
「だからキミは私を見ないで……撮影が全部終わったら私のことなんか忘れちゃっていい。私に憧れたり、ましてや羨んだりなんてしちゃいけない……それだけは分かってほしいかな☆」
もう一人の黒川は今までずっと訳わかんない奴だと思ってたけど更にコイツが分からなくなった。だけど、この時は少しだけ……コイツの本心が見えた気がしたんだよな。
「なーんて!ちょっと変な事言っちゃったかな?要は誰かを目標にするんじゃなくて、自分なりのやり方を見つけていかなきゃダメってこと!」
「ってな訳で、今からキミに教えるやつも使い方はキミが考えてね!弱い自分を強く見せる方法、《自分すら騙す嘘》一種の自己暗示?って言うと大袈裟かな?まあ、自分を良く見せるなんて皆んなやってるんだから余裕でしょ!」
さっきとは打って変わっていつもの調子を取り戻した黒川は不気味なくらい明るい声で俺に伝えてくる。
「忘れないでね、キミはあくまで新人!難しい事は他の人に任せちゃってやりたい様にやっちゃえば良いんだから!」
☆
胃の中に石でも詰まっているかの様なズシリとした重い気分の中、本番が始まりカメラが回る。この緊張感には未だに慣れていない、と言っても俺はまだまだ新人で経験した回数は少ないけど。
こんな集中しなきゃいけねぇ時だってのに俺は今、稽古をしている時にあった出来事。あの人との会話を思い返していた。
(難しい事は他の人に任せろか……)
もう一人の黒川に言われた事を思い出しながら俺は決まっている立ち位置を少しズラす。少しだけ有馬に近づくようにちょっとだけ……カメラの位置は本番前に確認済み、どの位置で立てば自分の映りが良くなるかはあの人とみっちり練習した。
俺は少しづつ有馬に近づきセリフを吐く。だいぶ好き勝手してると思うが、監督が撮影を止めることはなかった。
カメラが止まらないって事は問題無いって事だ。俺の見てられない演技でもOKを出してた監督だ、演技力はそこまで重要視されてねぇんだろ。雰囲気さえ出てりゃ多少のアドリブも許される。
(もっと厳しい現場だったらこうもいかないんだろうな……ある意味この現場で助かった)
まずは俺自身の見せ場の為に時間を作る。もう少し有馬に近く、セリフを気にならない程度に速く。少しで良いんだ、三十秒も作れたら上々。
これからを考えながら演技をしてたら急に、有馬が予想外の行動に出た。
「ほっといてよ!勝手に着いてきて……!」
(なっ!?そのセリフは少し早いんじゃ!?)
「お前の考えそうなことだ!」
有馬のアドリブになんとか反射で返す。何であいつはこんな事を?有馬に限ってセリフが飛んだとかは考えられない。
まさか……有馬は立ち位置の僅かな変化で俺が時間を作ろうとしているのを見抜いてこんな真似を……?だとしたらどんだけ察しがいいんだよ、今の状況を瞬時に察知して俺に合わせ、違和感が無い程度に修正する"適応力"これも長い芸歴が成せる技なのか?
(やっぱお前と演技するのスゲェやりやすい!こんなに合わせるのが上手い役者は居ねぇよ!)
よし、これなら三十秒どころじゃない、もっと時間が作れる。俺に最初から最後まで全力でやれる体力も実力も無い。だからこの短い時間に俺の全力をぶつける。
(もう少しだけ後輩のワガママを聞いてくれよ!有馬先輩!)
手始めに自身の頭の中を真っ白にする。意識を切り離す様にまっさらに慎重に。これは俺が黒川先輩から最初に教わった技術。余計な事を考えずに反射で演技を返す方法。
大丈夫、この場面は有馬と何度も合わせたから考えなくてもセリフが出てくる。感情の乗りはイマイチかもしれないが感情を乗せて演技なんて集中したってそう易々と俺に出来る事じゃない。意識は違うものに向けろ。
次に俺はある人物を思い出して自分に写す。真っ白になったキャンパスに新たな色を加える様に、大胆に塗りつぶしていく。
俺は先輩みたいに誰かになりきって演技したりは出来ねぇし、あいつみたいに騙すのが上手い訳でもねぇ。急に何かを用意したりは出来ないってことだ。
だから、俺が使うのは昔の俺だ。テキトーにやってれば何もかも上手くいくと思い込んで敵なんか何処にも居ないと過信してた自信に満ち溢れた俺。幸い、カナタと俺はちょっとだけ似ている。ある一人の人物のおかげで優しさが芽生え。不器用ながらも打ち解けていく、そんなキャラクター。
(ここからが俺の見せ場だ。なんとかしてくれよ有馬!)
「私なんて必要とされてない!もう一人になりたいのよ!」
「ふざけんなっ!!」
今の自分も昔の勘違いしてた自分も俺だ。両方受け入れてそこからカナタを重ねる。本当に俺がカナタと同じ様に強いかなんてのは知ったこっちゃないしどうでもいい。だが、今だけは周りも俺自身も騙して強くあれ。
「じゃあ今までの事、全部嘘だったって言うのか!?スポーツ大会の時も!オープンキャンパスの時も!お前はずっとつまんねぇ、鬱陶しいって思ってたのか!?」
「そ、そんな……私は……」
「俺たちは友達じゃねぇのかよ!!」
原作の出来事やカットされたセリフを引用し、俺自身が持っている感情も全部載せてのアドリブ。黒川先輩から教わった技術と原作理解、あいつから教わったカメラに注目される強い自分の魅せ方。全部、このシーンに注ぎ込む。
有馬がどんな対応をしてきても今度は俺が絶対に受けてやる。俺が一番一緒に演じてきたのはお前だ、有馬。どんなセリフで返してきてもお前から教わった対応力で必ず俺の物にしてみせる。
(俺のせいで本気が出せなかったんだろ?だったら堪えた分は全部このシーンで吐き出せ。全力を見せてくれ有馬!)
「だから……友達だから!巻き込みたく無いから!カナタに何も言わずにこんなとこに来たの!!」
「なっ……!?」
「それなのに……一人だったら何も辛くないのに……なんで追いかけてきたの!?カナタ……本当に危ないんだよ……」
人を信じなくなった少女が初めて他人に弱みを見せて、人を思いやる。原作でこれに近いシーンが出てくるのはもう少し後、つまりドラマではカットされてしまう部分だ。それをここで出してきたということは……
「……俺も一緒だ。友達だから、助けたいから。追いかけた……確かに俺も怖いけど、一人で怯えてるお前の方がもっと怖いと思ってんだろ?だったら俺が側に居てやる!」
こっちもドラマでは描かれないカナタで答える。本来は病が発覚するシーンで使われるセリフを一部取り込み、恐怖を感じても前へ進むカナタを。
もう時間は残されていない、俺の集中力も限界に近い……もう一度同じ事をやれと言われても多分出来ないだろう。だから全てを使え、終わったら倒れても構わない。先のことよりも今を。
『弱い自分を認めて、受け入れてくれる人がいるからこそ……キミの嘘は輝く』
最後にあの人に言われた言葉を思い出しながら有馬の目を真っ直ぐに見つめ……俺は、新人としての我儘を通す。
(この一瞬は誰にも負けねぇ!俺が……俺が主役だっ!!)
「俺を側に居させてくれ……お前を一人にさせねぇよ……」
強くも優しいヒーローの問いかけに、ヒロインは心底安心した笑顔で答えた。
☆
(なんだ、コレ……)
俺は少しの間あいつらに目を奪われるのと同時に自分の見通しがいかに浅はかだったのかと思い知った。
今目の前で繰り広げられている光景はとても事前に調べていた現場と同じものには見えなかった。これは俺が何度も挫折を味わった、敵わないと思った役者が居た現場によく似ている。
(鳴嶋メルト、有馬かな……お前たちにはあるのか?アイみたいな目を引く特別な才能が。俺には無いものが……)
俺はやはり……頭の何処でこの現場を甘く見ていたのだろう。俺が有馬に本気を出させてやる、素人の演者を引っ張ってやると。散々自分には才能が無いと自重しておいてそれでも俺が変えてやると、そう思ってた……
(あいつら……好き放題やりすぎだろ……)
俺の目的は鏑木プロデューサーのDNAを手に入れる事。そしてその目的は吸殻を採取するという方法で果たしている。だからこれ以上、俺は何か特別なことをしなくてもいい。与えられた役割をただこなす、それだけで良いはずなのに。
『うぅ〜アクアのフォローがあったけぇ……』
『あんたがどんな演技をしようとも、私が全力でフォローする!』
『今日あま組ぃーーファイッ!!』
『お願いします……私達と一緒に良い作品を作ってください……』
最近はおかしい事ばかり起こる。もうずっと経験してなかった感情や、昔の記憶が頭の中で思い起こされるみたいだ。ようやくアイについての手がかりが手に入って俺の頭はおかしくなってしまったのかもしれない。
その証拠に今まで何かする度に「アイを忘れるな」と俺の頭に鳴り響いていた重苦しい声は最近、鳴りを潜めている。代わりに眠っていた……忘れかけていた雨宮吾郎としての記憶を度々思い出してしまう。
(僕は一体何がしたいんだ……)
このまま俺が演技をしたらどうなる?予定では水溜りの音を使って場の空気を変え、俺に注目させようとしていた。だが、それだけで今の空気を変える事は難しいだろう。あいつらに対抗する為には俺の最も苦手な分野である感情的な演技。目の前の奴らを全部ぶっ壊してやる、そんな狂気とも言える感情が必要だ。
(俺に出来るのか……?挫折して諦め、役者の道を一度閉ざした俺に……)
出来る訳が無いと、そんなの求められて無いと何度も考え直す。しかし、喫煙所で聞いた会話が頭に浮かび、復讐とは違うもう一つの感情が俺を突き動かしてくる。
『かなちゃんねー。雑に据えておくには丁度いいよ。安いギャラで知名度だって使えるし』
『有馬さんと黒川さんが演者を宥めてくれるのでこっちも助かってますよ』
『ああ、黒川あかねか……彼女何者?そこそこ演技は出来るみたいだけど』
『さぁ……?僕は聞いたことありませんね。何処にでも居る役者って奴じゃないですか?』
『ふーん、まあ良いや。使い勝手がいいことには間違いないんだし』
『ただ……この現場に演技力なんて求められて無いってのを。分かって無いみたいだけどね』
今も全力で演技しているであろう有馬とメルトを俺は見つめる。その顔はとても楽しそうで。もっと演じていたい、誰も邪魔をするな。そんな声が聞こえてくるかの様に感じる。
次に現場の隅で撮影を観察している黒川あかねをチラリと見ると一瞬だけ目が合う。その顔はとても厳しい表情をしていて瞳を見た途端に俺の全てが見抜かれそうな、俺を
(分かったよ……やればいいんだろ!)
これは監督が言っていたぴったりの演技とは程遠い行為だ。俺の全力なんてこの作品の監督もプロデューサーも誰も求めてなんか無い。一歩間違えば作品が破綻してしまう危険性だってある。こっちはぶっつけ本番。しかもメルトの疲労具合を見る限りもう一度同じ演技は出来ないだろう、つまりは一発勝負。
それでもお前らがそう来るならこっちだって──
滅茶苦茶やってやるよ