アカネアイ   作:青空の夜天

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役者

 

 

 

 

 まず初めに俺には役の感情を咄嗟に引き出す技術は無い。監督から教わった映像技術の知識と現場の環境を駆使すれば少しの間、俺に注目を集める事は出来るだろうが所詮はそれまでだ。

 

 この場の雰囲気を緊迫感がある恐ろしいものに変える為には俺に注目を集めるだけでは足りない。今までの様な準備した演技でも駄目だ。ヒロインに逆恨みするストーカーという役を完全に演じきらなければならない。

 

(その為にはどうすればいい?ストーカーの感情を用意するなんて俺には……)

 

『ふはっ……痛いかよ、俺はもっと痛かった!苦しかった!』

 

(かはっ!ハッ……ハァ……こ、これは……?)

 

 俺の始まりとも言える光景が頭の中に浮かぶ。今でも鮮明に覚えている。あの時、アイを刺して恨み言を吐くあいつを……アイの言葉を受けて逃げ去っていく奴を。冷たくなっていくアイの温もりを……あの景色は一日たりとも忘れたことはない。

 

 そうだ、俺には感情を用意出来ない。なら他の奴を使えばいい。幸か不幸か、今回俺が演じる役はヒロインを勝手に信じて、勝手に裏切られたと思い込むストーカーだ。この状況は奴と酷似している。

 

(足りない才能を補う為に使える物は使うんだろ?だったら俺はアイを殺した奴でさえも利用する!)

 

 今はとにかく時間が無い。手っ取り早く同調させる為には奴と俺の共通点を見つければいい。共通する感情の糸口から、俺と奴の心をリンクさせる。

 

(アイ……アイ……!!裏切りやがっ……!?ごはっ!ハァ……ハァ……クソッ!)

 

 胃の中の物が逆流してくるのを感じる。強い動悸(どうき)と頭痛もだ。アイを殺した奴の感情を俺に宿すなんて考えただけで反吐がでる。だが、俺はもう慢心はしない、この場を乗り切る為には奴の感情が絶対に必要。この現場で評価を得ることは復讐にだって繋がるはずだ。

 

(早くしろ!頭を回して考えろ!あのリョースケとか言う奴と星野アクアの共通する感情を!)

 

 しかしいくら考えても奴とリンクできそうな感情は見当たらない。当然だ、あいつの事なんて今まで考えてもこなかったんだから。それを急に星野アクアと共通する感情を引き出すなんて……

 

 もうダメか……と、一瞬あきらめかけたその時。ある人物の心の叫びが頭の中で響き渡る。

 

 

『推しのアイドルが妊娠しとる!ショック過ぎてゲボ吐きそうなんですけど!!』

 

 

(………そうか!これだ!!)

 

 星野アクアとして考えたらあいつと感情をリンクさせるなんて不可能だ。だが、雨宮吾郎として考えた場合、奴と僕には共通点がある。

 

(推しのアイドルが妊娠してる事実を知った時のショック。この点に関しては僕もあいつも変わりはなかったはずだ!)

 

 まさか……僕を殺した奴を演じることになるとはな……赤ん坊の時は殺した奴に感謝したいなんて思ってたんだから皮肉で不思議な巡り合わせだよ。最近、雨宮吾郎を思い出す機会が増えて助かったってとこか。

 

 共通点さえ見つけ出せば後は勝手に奴の感情が構築される。俺なりの解釈で、恐ろしく、醜く、奴の心情を積み上げていく。

 

 目の前で凄い演技を見せつけられた高揚感なのか、それともこの極限とも言える緊張があるからなのか。初めての作業であるにも関わらず、スムーズに奴の人格が俺の中で形成されていくのが分かる。

 

(よし、これなら……)

 

 視界が狭くなるのと同時に熱くなった感情を保ちつつも思考はクリーンになっていくのを感じる。俺にはもう、目の前の景色しか見えていない。

 

『散々好き好き言って釣っておいてよ!!全部嘘っぱちじゃねぇか!』

 

 信じてたのに裏切られた。愛してるとか言って、ファンのことなんてまるで考えちゃいない。この世は全部が全部嘘なんだ。俺のことなんか誰も覚えていない……だったら裏切ったやつら全員……

 

「は……ははっ!やってやるよ……」

 

 

 何もあいつらの為にやろうってんじゃない……ここで俺が無様な演技を晒せば、確実にアイの事を知っているであろう鏑木勝也からの評価は悪くなる。そうなってしまえば、ようやく手に入れたアイへと繋がる道がまた遠のいてしまう。

 

 そうだ……決して人の為じゃない……俺は……俺の目的の為に演技をする。

 

 

 演じることは僕にとっての復讐だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピチャリ、ピチャリという水音をマイクに乗せて、俺は奴らに近づいていく。

 

「何だよそのチャラついた男は……お前は俺と同種の人間だろ?」

 

 台詞を発したと同時に場の空気が凍りつくのを感じる。水たまりの音を拾ってもカメラは止まらない、それも当然か……もう散々あいつらが好き放題やってるんだから監督としては行くとこまで行くつもりなんだろう。

 

 俺に照明が当てられるのと同時に有馬が一歩近づいてくる。友達を守ろうとしてるのか拳を握りしめ、唇を噛み締めながら俺に向かって台詞を放つ。

 

「か、カナタは関係ない……」

 

「どうしてその男を庇おうとする?お前にとってそんなに大事な奴なのか……?は、ははっ……ははは!──」

 

 

この嘘吐きがっ!!

 

 

「ひぃ……………」

 

 立ち塞がった有馬は小さく悲鳴を漏らしながら先程と表情を大きく変え、その顔は恐怖へと染まる。

 

 さすが芸歴が長いだけはある、ヒロインの感情を自在に引き出す技術。巻き込みたく無いという意思を示しながらストーカーの恐ろしさを煽る為に恐怖を感じている表情も忘れてない。考え()る中で最高の対応。

 

「なんだよ……どうして離れるんだよ……お前は俺と同じなんだろ?日陰でしか生きられない……そこに居る奴とは違う。誰にも必要とされない人間なんだから!」

 

「ち、違う……私は……」

 

 ヒロインとの絡みはこれで充分だろう。後は視聴者が待ちに待っているであろうヒーローとストーカーの対決。ここいらでメルトが俺たちの間に入ってくれば……

 

「ま、待て……」

 

 まさに今という完璧なタイミングで俺の前に両手を広げて立ちはだかるメルト。しかし、その表情はヒーローと言うにはあまりに頼りなく、酷く怯えている様な、自信がない表情をしていた。

 

「あ?なんだよお前?ヒーロー気取りか?言っとくが、そいつに守る価値なんてない。お前みたいな男とは絶対に相容れない」

 

「うるせぇ……テメェに何が分かる」

 

 鳴嶋メルト、それじゃダメだ。ここは友達を絶対に守るという強い意志が必要な場面。あいつだってここがどれだけ重要なシーンなのかは分かっているのだろう、現に割り込んでくるタイミングは完璧だった。しかし、今のあいつには表情とセリフに力強さが無い。

 

「そうか……お前が変えたのか?ふ、ふはっ!ああ、そうか!そうなんだな!だったらこんな女も、お前も……」

 

 俺はフードを更に目深に被り。小道具のナイフをちらつかせながら、メルトへと近づく。

 

「くっ……」

 

 一歩、また一歩と近づく度にメルトの表情は険しくなっていく。その表情からはヒロインを死んでも守ろうとする意思を感じられない。

 

 メルトが力を出しきれない原因は恐らく疲労にあるのだろう。何とか空気に飲まれまいと耐えてはいるが、その顔は先程までの覇気がまるで無くなってしまったかの様に見える。

 

 このままでは有馬へ繋ぐ最高のシーンを撮ることは不可能。ヒロインの涙を際立たせる為にはここでもう一度、カナタが起こす感情の爆発が必要だ。逆にそれさえ出来れば、メルトと有馬が作り上げたさっきのシーンとの相乗効果が高まり。もしかしたら原作を超えられるかもしれない程の、最高のシーンが出来上がる。

 

(メルトの感情をもう一度引き出す為にはどうしたらいい?)

 

 俺から見たあいつは誰にでも分け隔てなく接することが出来る好青年といった印象。そんな奴から……しかも疲労している状態から大きな感情を引き出すのは難しい。

 

(試しに見た目でも(けな)してみるか?そうすれば怒りの感情くらいは……)

 

 いや、駄目だ。ここは絶対に失敗できない場面。特に理由を用意しないで実行する事は出来ないし、今の疲労仕切っているあいつにただの罵倒をしても意味が無い可能性が高い。それに今必要なのは怒りと共に絶対にヒロインを守るという決意の感情。普通だったら新人にそこまでは求めないが……メルト、お前になら出来るはずだ。

 

(だとしたらどうする?あいつの役者としての実力を(おとし)める?)

 

 それならば何かしらの反応は期待できそうだ。しかし、まだ足りない。メルトは自分の実力を自覚している。だから仮に「大したことない」と言ったとしてもあいつの立ち上がる力にはならないだろう。

 

 何かないか?あいつの言葉から何かヒントは……演技に情熱を持っていることには間違いないんだ。じゃなければ一話のどうしようもない演技力からここまで仕上げてくる事は無かったはずだ。

 

(何か……よく思い出せ!あいつの言っていた言葉に何か……)

 

 

 

 

 

『教わってきた成果が少しは出てるのかな』

 

 

 

 

 

(────フッ……成程な……)

 

 何も俺が一人でやる事はないんだ。俺はメルトと今日会ったばかりの人間。そんな俺が何かを言った所で大した成果は得られないだろう。だから俺がどうにかしてやる必要はない。ただ少し、誘導してやればいいだけ……

 

 数分にも感じられた思考を打ち切りメルトの前まで近づいた俺は、耳元で小さく囁く。

 

「何だ、こんなもんかお前……はっきり言って拍子抜けだな」

 

 それを聞いたメルトの顔から更に覇気が無くなっていく。悔しい気持ちを感じていながらどうすればいいか分からない、自分の力の無さは自分自身が一番分かっている、そう言いたげな顔だ。

 

 予想通り、こんな事を言えばメルトの心情が沈むのは分かっていた。

 

 だからこそここで終わらせない。メルトの目線がしっかり俺の目を見ているのを確認すると、自身の目線を少しだけズラす。最も基本的な視線誘導のテクニック。人は目の前の奴が何処を見ているのか気になってしまう生き物だ。だから俺はゆっくりと視線を動かし、ある人物へと誘導させる。

 

 その人物は黒川あかねだ。メルトは確かに言っていた、黒川達から教わっていたと。その言葉と黒川を先輩と慕っている態度、察するにメルトをここまで教えてきたのは黒川あかねで間違いないのだろう。

 

 だとしたら俺の言葉よりも黒川の目の方が影響は大きいはず。俺の言葉で自分の力を再認識させ、先程見た黒川の厳しい表情をメルトに確認させれば。

 

(よし!)

 

 メルトは目だけを動かし俺が見ている先を追う、視線誘導は成功。後は黒川あかねの表情が言葉を交わさなくともメルトを奮い立たせる力に……

 

「────っ!?」

 

 そこまで思い至り黒川の表情を確認した瞬間、俺は言葉を失ってしまう。前見た時と同じ位置で撮影現場を観察している黒川の顔は先程とは打って変わり、優しく微笑んでいる表情をしていた。そう、その顔はまるで……

 

(────あ、アイ……!?)

 

 自分の力をまるで疑っていない自信に満ち溢れた表情。母親を思わせるかの様な優しげな口元。視線を向けざる得ない不思議な引力。何よりも俺の心を動かすのは、目を見ただけで引き寄せられる天性の瞳。

 

(そんなはずはない!しっかりしろ!)

 

 どうやら俺はストーカーの男をラーニングしすぎて本当におかしくなってしまったらしい。黒川あかねと星野アイが重なって見えるだと、馬鹿馬鹿しい。黒川とアイに一体なんの関係があるんだ?そもそもアイはもうこの世に存在しない。

 

(ハァ……ハァ……くっ!息が……詰まる……!)

 

 怒り、恨み、悲しみ、後悔。アイを殺した奴と俺自身の感情、それら全てが混ざり合い胸の奥を強く締め付けてくる。今にも倒れそうな疲労感に何とか耐え抜き、歯を食いしばって黒川から視線を外す。

 

(これ以上黒川を見るのは危険だ。俺の中に作り出した奴の感情がアイの幻覚を見せているのかは知らないが、今倒れたら全てが終わるのは確かだ)

 

 霞んでいく視界で改めてメルト表情を確認にすると、疲労感に(さいな)まれながらも決意を持った眼差しが俺を貫く。

 

 どうやら上手くはいったらしい。あいつにどんな心境の変化が起きたのかは分からないが、今のメルトなら悪意と恐怖の感情をぶつけても折れる事はないだろう。

 

「ははっ!もう一度言う、そんな女!守る価値ないんだよ!!」

 

 俺を裏切ったヒロインにドス黒い感情を向けるが、メルトは俺の胸ぐらを掴み、毅然とした態度で立ち向かう。

 

「そんなの関係ない、この子は──俺の大事な友達だっ!!」

 

 予想以上の絵だ。この現場に入る当初はここまでになるとは夢にも思っていなかった。事前にヒロインとの繋がりを強調しているからこそ、カナタの"友達"と言う言葉が輝く。

 

「諦めて流されろ!」

 

 掴まれていた手を払い、ヒロインに向かってナイフを振りかざし迫る。そこへカナタが割って入り、俺は地面へと倒れ伏した。

 

 ここからはヒロインに対する恨み言だ。この後のシーンを際立たせる為にも暗く、粘着質に、感情の暴力をヒロインにぶつけろ。

 

「んだよ……俺は、俺がしたいのはこんなんじゃ……そ、そうだ、お前が悪いんだ!身の程をわきまえて生きないから!俺に夢なんて見せるから!」

 

 息が苦しくてなってきた、そろそろ限界らしい。視界が霞んで有馬の表情もよく見えないが、俺の方はきっと醜く歪んでいる事だろう。だけどあと少し、あと少しで終わる。

 

(それまでは気を失うな、意識を保ち続けろ!星野アクア!)

 

「どうせこの先もろくな事はない。お前の人生は真っ暗闇だ!!」

 

 最後の仕上げはヒロインの涙だ。ここで有馬が上手く涙を見せてくれれば、このシーンは完成する。最も心配はしていない。涙を見せるなんてのは有馬の得意中の得意。

 

 何故か有馬は俺の方に一歩だけ近く。そして数秒経つと、有馬の瞳から大粒の涙が溢れてくる。

 

「それでも、光はあるから……」

 

 ぼやけた俺の視界には、まるでストーカーの身すら案じているかの様な、優しく、慈愛に満ちた涙に見えた。

 

「カット!」

 

 有馬の涙と同時にスタッフの声が現場に届き、撮影が終了する。

 

 こうして俺の代役としての出番は、カチンコの音と共に終わりを告げたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 撮影は中断されたがスタッフは忙しなく動いており、監督と何やら協議をしているみたいだ。

 

 どうやら今のシーンを本当に使うのかで大分意見が分かれている様子だ。この分だと撮影の再開までそれなりの時間が掛かるだろう。

 

「アクア、ちょっといいか?」

 

 何とか立ち上がって、肩で息をする俺にメルトが声をかける。その表情は疲れこそ見えるが、後悔は無く、全力を出し尽くしてやり切ったという顔をしていた。

 

「はぁ……はぁ……どうした?」

 

「さっきの撮影、お前が俺に黒川先輩たちの存在を思い出させてくれなかったら、きっとお前の演技に飲まれて失敗してた……だから、その……礼が言いたくて……」

 

「俺は礼を言われる様なことをやったつもりは無い。良い演技が出来たと思うなら、それはお前の実力だ」

 

「何だよ素直じゃないな、まあいいや。お前に拍子抜けって言われた時にさ、自分がすげー情けなくなるのと同時に、俺に対する怒りが湧いてきた。こんなんで黒川先輩たちに合わせる顔があんのかって。そんで歯食いしばって何とか最後までやり抜こうと耐えてたら撮影が終わってた。アクアのおかげだよ、ありがとな」

 

「そうか……フッ……いい芝居だったよ」

 

 俺の言葉にメルトは親指を立てながら返す。

 

「アクアの演技もすげー怖かったぜ!」

 

「褒めてるのか?それ」

 

 これで有馬の「私達と良い作品を作ってください」と言う依頼は完了か。もう俺の出番は無いし、ここでやる事も無い。しばらくはゆっくり身体を休め……

 

「おい!大丈夫か!?」

 

 マズイ、絶大な疲労感からもう立っているのもやっとだ。気を抜いたらすぐにでも冷たいコンクリートの床に身を預けてしまいそうになる。もう少しだけ、せめて静かに休める場所へ移動しなければ。

 

「だ、だいじょ……」

 

 言い終える前に足の力が抜ける感覚。朦朧(もうろう)とした意識ではもう一度立ち上がることなんて出来ないだろう。自分が思っているよりも俺の体は限界だったのかもしれない。

 

「アクア!」

 

 メルトの叫びが聞こえるのと同時にフワリとした浮遊感が俺を襲う。このまま倒れる。そう思った俺に待ち受けていたのはコンクリートの冷たく固い感触では無く。暖かく、柔らかい物に抱き止められた感覚だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様、アクア……」

 

 

 

 

 

 

 

 

「────黒川……あ……か……ね……?」

 

 その言葉を最後に、俺の意識は深い闇へと途切れていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、あああ、あんた!何してんのよ!」

 

「何って、アクアさんが倒れそうだったから支えてるだけだよ?」

 

 アクアさんを抱き抱えている私の元に、かなちゃんが焦った様子で近づいてくる。

 

「黒川先輩、アクアは大丈夫なのか?」

 

 メルトくんの言葉を受けて私はアクアさんの状態を確認する。私達がすぐ抱き止めたので目につくところに外傷は無い。と、なれば気道と動悸の確認。耳を近づけてみると心臓はしっかりと動いていて、呼吸も問題ないのが分かる。いや、むしろこれは……寝息?

 

「うん、大丈夫。疲れて眠っちゃっただけみたいだね。ちゃんと睡眠をとってなかったのかな?」

 

「なんだ、良かった……」

 

「全く、心配させて人騒がせな奴ねー!──でもそっか……この作品の為にこいつ……こんなになるまで頑張ってくれたんだ……」

 

 彼がここまで消耗してしまった原因に心当たりはあるし、興味もある。しかし、今は静かに眠らせておこう。この作品の為に……私達の為に、死力を尽くして演技してくれたであろうこの少年を……

 

「かなちゃんも良かったよー。アクアさんに凄まれて怖がってるとこ、すっごくゾクゾクした!」

 

「良い趣味してるわねあんた……でもあれ、演技じゃないわよ。あの時のアクア……ほんっっっとうに!怖かったんだから!!いやもうおしっこ漏れちゃうかと思ったくらいよ」

 

「かなちゃん……その表現は女の子としてどうなのかな……」

 

 かなちゃんの不適切な表現を聞きながら。とりあえず彼を放置する訳にはいかないと思い、アクアさんを背負う。

 

「よいしょっと」

 

「ちょっとあんた、まさかアクアを運ぶつもり?」

 

「そうだよ。こんな所に置いておくのも良くないし、スタッフさんも忙しそうだしね。せめて大人の所まで運ぼうかなって……」

 

「そ、それだったら私がやるわよ!こいつを連れてきたのは私なんだから私がやるのが筋ってもんでしょ!」

 

「待てよ有馬。ここは男の俺がやるべきだろ。黒川先輩変わるよ、任せてくれ」

 

「無理は良くないよ二人とも。かなちゃんは体格的に難しいし、まだ撮影が残ってる。メルトくんはさっきの演技でアクアさんに負けないくらい疲労が溜まってるよね?凄い汗だよ、しっかり休んだ方がいい」

 

「うっ……」

 

「ぐっ……」

 

「大丈夫、寝てる人は重いって聞いてたけど意外と持てる。これならスタッフさんの元に運ぶくらい余裕だから」

 

 アクアさん、ちゃんとご飯食べてるのかな?いくら私が鍛えていると言っても軽すぎる気がする。

 

「わ、分かったわよ……ほら、ちゃっちゃと行きなさい!」

 

「すまん、黒川先輩。おれ実は……立ってるのもやっとなんだ……」

 

 私の指摘が効いたのか、かなちゃんは渋々、メルトくんは申し訳なさそうに了承する。

 

「任せて。メルトくんはお疲れ様、かなちゃんは最後まで気を抜かないでね」

 

「言われるまでもないわ」

 

 私はアクアさんを運ぶ為に一歩づつ丁寧に、なるべく背負っているアクアさんに負担をかけない様にして運ぶ。期待以上の働きをしてくれた彼を早く休ませてあげなくちゃ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アクアさんを大人の人達に預けたあとまもなくなくして本日最後の撮影が始まる。出演するのはかなちゃんだけ、ラストシーンの恋に落ちた乙女の顔の撮影。

 

 私はその撮影の様子を、周りに誰も居ない現場の隅で静かに見つめていた。

 

「アイさん……やはりアクアさん達の面倒を見ているのは現、苺プロ社長の斉藤ミヤコさんみたいですね」

 

『そっか……ミヤコさんが……』

 

 アクアさんを預けた時に思わぬ収穫があった。スタッフさんがどうしようか戸惑っている所にお偉いさんが来て、苺プロの社長はこの子の母親だから事務所に連絡するようにと、指示しているのが偶然聞こえた。

 

 これによって現在のアクアさんの母親が斉藤ミヤコさんという情報が掴めた。二人の境遇から考えるに離れ離れで暮らしているのは考えられない、なのでルビーさんも同じ所に居るのだろう。

 

「どうでした?直にアクアさんを見た感想は……」

 

 さっきの撮影の途中で私はアイさんと密かに入れ替わっていた。諸々理由はあるけど、やはり一番の理由は演技をするアクアさんを直に見てほしかったから。私の事を無視するアイさんを説得するのに少々骨が折れたけどね。

 

『嬉しかったよ!アクアの演技、すっごく怖くて良かった!でも……気分はちょっと複雑かな……』

 

 アクアさんが演じたのはストーカーの役。母親として息子があの演技を見せた感想を言葉にするなら、複雑以外の表現は難しいか……

 

『ねえ……あかねはさ、アクアがどうしてああなったのか分かるんだよね?』

 

「私の想像になってしまいますけどいいですか?」

 

『それでもいいよ、聞かせて……』

 

 多分アイさんも分かってはいるのだろう。今はその確信を他人から聞いて欲している。聞かせるべきか迷う内容だけど、アイさんから聞いてきたのだから素直に話そう。

 

「恐らくですが彼が使ったのは"メソッド演技"。過去の経験から感情を引き出し、役に当てはめる事でより自然な……リアリティがある役を作り出す演技法です」

 

 遠くで見ている私が緊張してしまう迫力。芸歴が長いかなちゃんですら恐れさせるリアリティ。それは普通の演技、例えばリハーサルまでのアクアさんだったら絶対に出来なかった事だと思う。リハーサルまで普通だったということは本番までの短時間で何かが変わった。役の特殊性とアクアさんの境遇を考えると自分の過去を使ったというのが一番しっくりくる。

 

「過去の経験を追体験し、思い出す。アクアさんの役はヒロインを想うストーカーでした。普通の人はストーカーの感情なんて一切分かりません。だけどアクアさんにはできる。つまり今回彼が使った自分の過去とは──」

 

『私が死んだ時の記憶…………』

 

「十中八九、間違いないでしょう……」

 

 アクアさんはアイさんが刺された現場を実際にその目で目撃している。いくら小さい時の話だとしてもその光景は鮮烈にはっきりと刻み込まれているはずだ。

 

『そっか……やっぱり私の事は、今もアクアの傷になってるんだね……』

 

 アイさんは悲しそうな声を出すと、続けて小さな独り言を呟く。

 

『アクア……ルビー……ミヤコさん……わ、私は……私がいな……』

 

「だ、大丈夫ですか?あまり思い詰めるのは良くありませんよ、ゆっくりと……まずは呼吸を落ち着かせてください」

 

『うん、分かってる。分かってるけど……ごほっ……!ごほっ……!うっ……!』

 

「アイさん!?」

 

 こんなに苦しそうなアイさんは初めてだ。咳き込み、苦痛に悶えているかの様な声をしている。アクアさんの演技を見てあの事件のことを思い出してしまったのだろうか……?

 

『ご、ごめん。ちょっと寝るね。あはは……心配しないで!久しぶりにアクアと会えて興奮しちゃったのかもー、なーんて!』

 

「……分かりました、アイさんもしばらく休んでください。今は何も聞きませんから」

 

『──ありがとう、あかね……』

 

 そう言ってしばらくすると、アイさんの声は聞こえなくなった。

 

 やはりあの事件の記憶はアクアさんだけじゃなくてアイさんの精神にも何かしらの影響を与えたのかもしれない。

 

 子供の目の前で死んでしまった母親の気持ち……私では察するに余りある。

 

「でも、アクアさんを見てる時のアイさん……笑ってた……」

 

 アイさんの問題についてはすぐにどうすることは出来ない。今はそれよりもさっきのアクアさんの演技についてもう少し考察してみようかな。

 

 まずはアクアさんが見せたストーカーの演技。同じ事が私にも出来るだろうか?

 

「うーん……」

 

 自分なりにしばらく考えた結果、難しいという結論に至る。ある程度は出来なくないだろうけど……アイさんにすら影響を与えたアクアさんの完成度には届かない。

 

 私が役作りをする上で一番大切にしているものは"情報"だ。大きな出来事から誰も気にしない様な些細な事まで、目標とする役の情報を記録してそれをパズルの様に組み合わせていき、人物像を形作る。

 

 アイさんを刺したリョースケと言う人物は私も調べた事がある。しかし当人がその日の内に自殺してしまい、アイさんの事件も長い間騒がれることはなかった……だから私が持つ情報はあまりにも少なく、彼を形成できるほどの量を持ってはいない。

 

 いや、そもそもの話として今回はアクアさんがストーカーの役なのだから使用した感情は自分では無く、彼の記憶のリョースケさんという事になる。それの何が問題かと言うと、アクアさんは母親を刺した人の感情を正しく理解して使用した?それも短時間で……?

 

「根本的な問題としてありえない……よね……」

 

 こういうので一番手っ取り早いのは何か共感できる部分を見つけたとかだけど、母親を刺した人に共感?ちょっと考えられないな。被害者からしたら共感どころか思い出したくもない記憶のはず……

 

 もし、そういう事情や個人的感情を完全に別のものとして考えられる人なんだと言うのなら、それは最早天才とか言う話では無い。明らかに人として何処か壊れてしまっている兆候だ。

 

 考えれば考える程どつぼにハマっていき、状況が一向に好転しない。ただの天才と本人が言ってくれればスッキリするくらいだ。アクアさんがどういう人間なのか益々わたしは分からなくなってきた。

 

 

 

「アクアさん……あなたは一体、何者なんですか……?」

 

 

 

 

 





この作品は一応、アイドルを目指す女の子の作品であります。
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