【本編完結】ハリー・ポッターと何も知らない転生者 作:シャケナベイベー
ある春の日。
その報せを受けたダフネは魔法省の仕事を切り上げてセストラル付きの馬車を捕まえてゴドリックの谷まで送ってもらうとその足で谷を歩く。
サクサクと草を踏みしめる音だけが耳に届く。空には既に夕日が昇っていて人の往来も疎らだ。向かうのは谷の中心部にある邸──夫が待つアーデルの宅だ。
夫──リオン・アーデル。清廉潔白、千年の跡。アーデル家の現当主にしてグリーングラス家のダフネを嫁に迎えた男──彼に関する噂は挙げればキリがない。だがそんな噂の中にも決して知られてはならない秘密が隠されている。
真の騎士、大戦の英雄。そんな輝かしい称号を付けられた夫がその実かのグリンデルバルドの血を引いていると知ったなら世間はどう出るだろう。糾弾か処刑しようと動くか──どちらにせよそんなことはさせないが。
確かに彼は正義の人だ。魔法界の為にその身を粉にして動き回り、ヴォルデモートとその配下と真っ向から対立した。だが夫の曽祖父はあのグリンデルバルドだ。未だ大陸の方ではその悪名を晴らすことのない男。
『グリンデルバルドは死んだ。ヴォルデモートに殺されたんだ──奴はニワトコの杖の在りかを求めて……けどグリンデルバルドは口を割らなかった』
グリンデルバルドは愛を知っていたと夫は語っていた。愛を知り、それに背を向けたが最期の最期でそれに応えたのだ、と。
ダフネはグリンデルバルドのことはよく知らない。あの退屈で眠気の凄まじい魔法史の授業でチラッとその名前と起こした悪行の数々を話半分に聞いたくらいのものだ。
だが夫からしてみればそれは違うのだろう。何せグリンデルバルドが曽祖父なのだから。そのグリンデルバルドの娘は父と違い真っ当で最期はヴォルデモートに立ち向かい、死の呪文から夫の祖父を庇って死んだのだとか。
何より、リオンがグリンデルバルドの血筋であるというのは最重要機密だ。決して知られてはならない澱みであり呪い。知られれば祖母であるユスティアと彼女を妻に迎えた祖父エドワードの不名誉に繋がる。
死後、安らかに眠っているだろう彼らを辱める真似をリオンは許さない。
「だからこそ誓いを結んだのだけど……」
誰に聞かせるわけでもなく小さく呟く。リオンがこの秘密を打ち明けたのはごく一部の心の底から信頼できる人間だけだ。
その中には自分も含まれていて──この事実が心底嬉しかったのは墓まで持っていこうと決めた秘密だ──そうしてその秘密を聞かされた己は自分に誓いを打ち込んだのだ。最高位の束縛の呪いを。
秘密を漏らせば死ぬように。何より大切な夫の苦しみを抱え込むのだから。
『何故……何をしたか分かってるのかお前は……!』
青い顔に恐怖を貼り付けてリオンは絞り出すようにその言葉を発した。解呪しようとしていたが結局無駄に終わり、青い顔のまま彼は膝を打ち付けた。
だが私にとってそれは些細な問題だ。なにせ夫が既に己の命を秤に乗せているのだから自分もそうするべきだろう。
馬鹿な人。何かあれば自らを犠牲にしてでも妻だけ逃がそうと考えている騎士様。あちこちを駆けずり回り人脈を広げているのはその事前準備のためでもあるのだろう。
「私が貴方をむざむざ死なせるわけないなんてこと、とっくに知っているのでしょうに」
やがてたどり着いたアーデル邸の門が開き、足を踏み入れる。色とりどりの花や魔法薬草が植えられている庭園を抜けて本邸から少し離れた場所にあるアーデルの聖堂に寄った。
元々はリオンの実家であるスコットランドの森の隠された場所に位置していたのだがリオンがゴドリックの谷に家を構える際にこちらに移したのだとか。
そして踏み入った聖堂の中心にその影は居た。片膝をついて歴々のアーデル当主達のマグル方式で描かれた肖像画を眺めている。この肖像画は写しであり、本来の魔法界独自の動く肖像画はアーデル本邸の一部屋に纏めて飾られている。
「リオン」
呼び掛ければ膝をついていた彼が振り返ってこちらを見る。何よりも愛おしい見惚れるような青の目はくすみ、顔は青白く頬も些か痩せこけてしまっている──また食事を抜いたりしたのだろう。馬鹿なのか、馬鹿だった。
大規模な死喰い人討伐任務を終えてその足で帰ってきたのだろう。魔法で綺麗に洗い落とされてはいるものの微かに血の臭いがした。
「ダフネか。お帰り」
「貴方、聖マンゴで療養を取るべきと伝えられていなかったかしら」
それに夫はバツが悪そうに顔を背ける──確信犯だこのお馬鹿。
「貴方の主治癒のロボスカ先生からお手紙が届いた時は危うく卒倒しそうになったわよ」
「いや、そんな大した怪我じゃないしさ……」
「休みが必要と判断したからシャックルボルト大臣は貴方を聖マンゴに送ったのでしょうに」
聞き分けのない人だ。そんなに病院が嫌なのか……まぁ嫌だろう。学生時代から何かと怪我を抱えてくる夫だがこうしてみるとジッとしていられる性分ではないとこの十何年の付き合いで身に沁みていた。
「顔色だって悪いじゃない……よくそんな状態でここまで帰ってこれたわね」
「帰巣本能が優秀だったんだろう」
「貴方は人でしょう」
鳥じゃないんだからと呆れれば夫は軽く笑うだけで再度視線を肖像画に向けた。それに釣られるようにダフネも肖像画を見上げる。夫が見ているのは祖父エドワードの肖像画だ。
「アーデルの姓を持つ者は短命である──どこぞの評論家がそう評したらしいがそれはある意味で的を射ていると思わされる」
「利他的だものね貴方達は」
「……違いないな」
英国で戦争などが起これば真っ先に首を突っ込んで事態の収拾と人助けを進んで行うような善人一族なのだ、そりゃ短命だと揶揄されるのもさもあらんと言うやつだろう。
「それで? 貴方も短命かもと?」
「ん、それは……可能性が無いわけじゃない」
リオンが腕の傷を擦る。あの戦争の最中、ヴォルデモートに捕らえられてマルフォイ邸で拷問された時の傷だ。
思わず舌打ちしそうになり堪える。淑女たれ淑女たれ……よし。一歩一歩歩みを進め、夫の背後に立つとしゃがんで彼を後ろから抱き締めた。
「まったく……馬鹿ね。私が貴方をみすみす死なせると思うの?」
「思ってないさ……だが万が一もある」
「ならそんな未来なんて否定してしまえば良いじゃない」
彼の痩せこけた頬を撫で耳元で優しく囁く。ろくに食事もしていないのだろう。今晩はロボスカ先生と相談しつつしっかりと食べさせてあげなくては。
「ねぇリオン、私の……私だけの騎士様? 貴方は十分に頑張っているわ。だから少しくらい気を楽にしたってバチは当たらないと思うの」
「そうは言ってもまだ死喰い人の残党があちこちに──」
「駄目よ。しばらく休みなさい。親愛なるロバース局長からも溜めていた休暇を消費させるよう頼まれたことだし、明日は家でゆっくり過ごしましょう」
背後から回していた腕を退かし、労うように背を優しく撫でる。
彼には休息が必要だ。そうでなくては壊れてしまうかもしれない。
「愛してるわ……ずっとずっと、傍にいるの」
それに夫が身体を震わせる。目を見開いてまるで初めて言われた言葉であるかのように驚愕の色を顔に貼り付けていた。
「……学生時代から変わらない直球な告白。いやぁ参るね」
「これが私だもの。変えるつもりなんてないわ」
お互いに柔く微笑んで身体ごとこちらを向いた夫と額を突き合わせる。そして指同士を絡ませ、一つ口付けを交わす。
「それで、貴方からの返答がまだよ騎士様」
それにリオンは小さくフッと笑い、かつてホグワーツの湖畔で告白した時と全く同じ少年のような笑みを浮かべて言った。
───愛してるよマイ・ディア