ミホノブルボンの口説き文句は実に辿々しかった。
彼女とはまだ出会って間もないが、彼女の性格が感覚的なものを言語として捉えるのが苦手であろう事は、何となく察しがつく。
彼女は、定量化された数字による表現を好むのだ。
だが、今本人の中にある感情は数字で表す事が出来ない。
それでも何とか、己の好む数字の形に落とし込もうとして失敗している。
少なくとも、私からはそのような印象を感じた。
拙くも微笑ましい、そして実にミホノブルボンらしい口説き方であると言える。
……流石にそろそろ止めてあげる方が良いだろう。
「ありがとう。ミホノブルボン。君から誘ってもらえてとても嬉しいよ」
「いえ……。それから、私の事は、是非ブルボンと」
機微に疎いブルボンだが、失敗した。と思っているらしい。そのように顔に出ている。
だが、決して失敗ではない。
そう、
私はまだ、彼女がスプリンターなのかステイヤーなのかすら把握しておらず、その脚質すら知らない。
「ブルボン。君の走りが見たい。
今日、授業が終わったら再び此処に来てほしい。私も準備を整えておくよ」
「! はい。是非、よろしくお願いします。マスター」
「いや、まだマスターになるかは分かんないよ?
どうしても相性っていうのはあるからね」
逸る気持ちを抑えて、まずは"お試し"と告げた。
私とて想いは同じだが、焦ってはならない。
だが、ブルボンがしなければ私から
そこに関しては結果オーライと言えるだろう。
尻尾を上げながら退出するブルボンを見送り、再び椅子に腰を下ろす。
モチベーションが出来た。昼までに全部終わらせよう。
昼食時、トレセン学園の食堂はとても大きな賑わいを見せる。
午前中の授業を終え、午後からはいよいよ本命のトレーニングが始まる。
そこに向けて英気を養う為に、彼女らは和気藹々と、しかして着実に飯を食らい入れるのだ。
人々の喧騒を他所に黙々と食を進める少女の隣に、また可憐な少女が腰を下ろした。
「ここ良い?」
そう伺いながらも、腰は既に下ろし切ってお箸に手を掛けている。遠慮をする様子はない。
互いに気心の知れた仲であり、そういったものはある程度無視出来る間柄なのだ。
「もぐ……。どうぞ。
こうしてお話しするのは、8日前の大浴場以来となります。つまり、『お久しぶり』です。テイオーさん」
「エヘ……ごめんね。中々時間が合わなくって」
「いえ、テイオーさんは既にメイクデビューを果たしています。未だデビュー前である私と時間が合いにくいのは当然かと」
山盛りの白米を箸に乗せ、大きく頬張る。テイオーも負けじと白米をかき込んだ。
「ごくん……。テイオーさんがデビューされた6月23日*1から今日で138日目ですが、その間、学園内でのエンカウント率は以前と比較して23.4%減少しています。
これは、テイオーさんがデビュー前と後でその生活に変化があった事を示しています」
「もぐ……うん。そうかも」
事実、テイオーの生活は変わった。
デビュー前はゲームセンターに足を運んだり、友達と遊んだりする機会もそこそこあったものだが、最近はずっと走っているか、走る事を考えているかのどちらかしかない。
友達から誘われる事も減った。デビューした娘は皆同じ状況だからだ。誘う暇もなく、誘われる暇もない。
「でもね、ボク前よりずっと楽しい」
「そう見えます。テイオーさんを見ていると、私もデビューしたいという欲求を覚えます」
「ブルボンも今年本格化始まったんだよね。トレーナーは見つかりそう?」
「もぐ……。はい。本日、マスター……トレーナーになってくれる方を見つけました。
そこで私の走りを見ていただく予定です」
「うん?」
走りを見ていただく、というのは、テイオーにとっては奇妙に思える言い回しだった。
スカウトするなら普通、選抜レース等で走りは既に見られているものだ。当人の走りを見てトレーナーがスカウトし、ウマ娘がそれに応える。それが普通の筈だ。事実、テイオーもそうした。
「レースでスカウトされたんじゃなくて?」
「いえ、エンカウントしたのはレースの場ではありません。三女神像の広場です」
「三女神様の……、それはまたどうして」
「紆余曲折ありましたが、私から逆スカウトし、走りを見てほしいとリクエストしました。
理由は……データベースから該当する概念をサーチ……一件ヒット。『一目惚れ』です」
うおぉ……。と、思わず声が出る。
互いに困難な道を乗り越えての三冠を目指す「三冠同盟」として、そこそこブルボンとは付き合いのあるテイオーだが、あまりにも珍しいブルボンの態度に面食らってしまった。
色恋はおろか、友人にも疎いブルボンとの交流には、さしものテイオーも少々苦労した。自我が薄く、会話も乏しい為に、始めの頃はテイオーの側が一方的に話しかけるだけだった程だ。
そのブルボンが、あのサイボーグのようだったブルボンが、テイオーとの交流を通じて多少なりとも話すようになり、三冠以外の欲求も、食べ物に関連しているならば口には出すようになり、ついに恋まで。
テイオーとしては感無量であると同時に、自分の知らない色恋の領域に一足早く行ってしまったらしい友人に戦慄する思いだった。
でも、能力ではなく見た目でトレーナーを選ぶというのは、テイオーとしては
そんなのは今まで聞いたこともない。
「大丈夫なの?」
「何がでしょう?」
「そのトレーナー。上手いかは分かんないんでしょ?」
テイオーのトレーナー選びとはほぼ真逆だ。
テイオーは、スカウトしてきた全員の人となりを確かめ、ほぼ全員のトレーニングを実際に受けて選び抜いた。テイオー自身、キッチリとベストパートナーを選ぶことが出来たと満足している。
だからこそ、ブルボンの言は危険に思えた。他人のやり方に口を出すのは良くはないが、だが『一目惚れ』が理由は正直無い。
ましてや、ブルボンが目指すのは艱難辛苦の茨道。ともすれば、テイオーの目指す無敗三冠をも超える難易度に挑まんとするのだ。
その栄光は浪漫であれ、その手段に浪漫は無い。彼女らは互いに、浪漫を成す為にどこまでも残酷なリアリストでなければならない。
おかずを突くテイオーを尻目に、ブルボンは静かに味噌汁を啜った。
「ごくん……。トレーナーにも、『相性はまだ分かんない』と念を押されました。事実、私には確証がありません。あの人が本当に私のマスターとなる方なのかは」
「だからこそ、先ずは見てもらうって事?」
「はい。そして確証はありませんが、確信はしています。
きっとあの人こそ、私のマスターと見て間違いありません」
それは、普段のブルボンらしからぬ物言いであった。
だが、彼女の根底を知っていれば腑に落ちる部分もある。ブルボンはこれで結構ロマンチストなのだ。
そうでなければ、スプリンターの身でクラシック三冠になど挑まない。
「そういえば、そのトレーナーにはもう伝えたの?三冠路線に行くって」
「いえ、目標も適性も、まだお伝えしてはいません。これからです」
「大丈夫そう?」
「……確証は、ありません。大変困難な道のりである事は自覚しています。
断られる可能性も高いでしょう」
一瞬、箸の止まったブルボンだったが、すぐに再稼働し、白米に手を付けた。
だが、少し喉に突っかかったのか、流し込むようにお茶を飲む。
味は分からなかった。
「まぁ、駄目だったらその時はその時か。
でも、順調に行ったら来年デビューだよね」
「はい。このままトレーナー契約まで行けば、順当に行けば来年にデビューし、そのままクラシック路線に乗るかと。
テイオーさんとは一年遅れになりますので、戦えるのはシニアクラスからです」
「楽しみにしてるよ。一目惚れしたからって、トレーナー選び妥協しないでよね」
「もぐ……無論です。もぐ……」
それっきり。二人に会話は無かった。
ブルボンはただ、その後の未来に思いを馳せ、テイオーもまた、来るクラシック戦に思いを馳せていた。
テイオーは強い。メイクデビューも一番人気で挑み、4バ身差で圧勝した。
正直に白状して、デビューが被らなかったと知った時は心底安心した。
テイオーはそれほどの相手だと、ブルボンは思っている。
次走の若駒ステークス*2を思うと、テイオーは思わず手に力が入る。
緊張は薄い、今の自分達なら何の憂いも無く、誰が阻むでもなく勝てるだろうという自信がある。
だが、これはクラシック初戦。己が目標とする無敗三冠に繋がる第一戦だ。そう考えるだけで、臓腑の底から滾るように熱がせり上がってくるようだった。
その情動のままに、チラリとブルボンを見やる。
専属のトレーナーとのトレーニングを経て、テイオーの審美眼は多少なりとも研ぎ澄まされている。己の実力を知り、相手の力を測り、彼我の差を知る。その
そんな今のテイオーから見て、今のブルボンは敵ではない。中〜長距離で負ける事はまず無いだろう。
だが、それはブルボンに担当トレーナーが居らず、未だメイクデビュー前であり、教官による画一的なトレーニングに甘んじている今までの話だ。それが今日、変わろうとしている。
テイオーは
苦難に満ちた三冠の夢を分かち合ったあの時から、或いはそれよりも前から、彼女と一戦交えたいと想い続けていた。
皐月賞前の消耗を避けた事もあり、若駒ステークスは現状ライバル不在と言って差し支えない。
それどころか、クラシック戦線自体テイオーの一強*3で、ライバル不在なのではないかとすら思える。
無論、ただ無敗三冠を取るだけなら、ライバルなど居ない方が良い。
だが、同期が弱いから取れたなどと思われるのも、自分がそう思ってしまうかもしれない事も、テイオーとしては
燻る熱を腹の底に抱えたまま、テイオーは静かに手を合わせた。
ブルボンもまた、一拍遅れて手を合わせる。
「ご馳走様でした」
重なる声音に色は無く。
ただ、熱だけが残った。