得意距離を走ってみて欲しい。そう言った私に対し、ブルボンはしかして、沈黙を返した。
「……ブルボン?」
何度か口を開き、だが言葉は出ず。
何度目かの深呼吸を待って、ようやく彼女は、拳を握り込んで、言った。
「得意距離は1200m、1800mまでなら、現時点で平均タイムを上回る事が可能です」
「良いね。スプリンターか」
「ですが、私には目標としているレースと、称号があります」
「聞こう」
「クラシック三冠です」
それは、今まで歩んで来たトレーナー人生の中で、いや、過去未来を見渡したとしても、これ以上ない程の難問だった。
その後、1000、1600、2000、2400(決して無理はしないように念押しした)をそれぞれ走って貰った。
「遅くてもいいし、歩いてもいい、先ずはゴールしてみる事」と事前に言い聞かせた上で、タイムはキッチリと測り、様子を観察する。
本人の発言する通り、マイルまでのタイムは良い。短距離マイル路線ならば、かなりの活躍が見込めるだろう事は想像に難くない。
2000まで来ると一気に厳しくなる。デビューまでは今のままでもなんとか漕ぎ着けられるだろうが、後が続かない。2400はノーコメントだ。
「ふむ……」
思案する。
端的に言って、このままでクラシック三冠は不可能だ。ブルボンにそっちの才能はない。
本人は三冠を望んでいるようだが、人にはどうしても向き不向きというものがある。というより、ブルボンの場合はスプリンター向きすぎる。というのが正しいか。
いっそどちらも同程度の実力であれば、どちらを選んでも良かった。大成はせずとも、迷いなく挑む事が出来た。
だが、スプリンターとしての才能が三冠路線の邪魔をする。挑む選択を迷わせる。
無理に三冠に挑んで才能を潰すくらいなら、望まない短距離であっても活躍させてやった方が良いと、そういう風に取る事も出来る。
「難問だな……」
無表情ながらも、拳を握り込んで震えるブルボンを尻目にそう呟いた。
本人としても、歯痒い思いをしている事だろう。レースの才能を持ちながら、しかして最も望む所には手が届かない。
私の方から、何を提案出来るかを思案する。肝要なのは、説得すべきか、挑むべきかだ。
「一応尋ねるんだけど」
「はい」
「短距離路線に行く気はない?」
「ありません。私がトレセン学園に入学した目的は、クラシック三冠の達成。ただそれのみです」
それのみ。と言い切るブルボンの気迫は、普段の彼女らしからぬものだった。
己の距離適性に自覚があり、それでもなおクラシック三冠を譲れないと言う。ならば次に来る話は、リスクの話だ。
「適性に合わない距離を走るのは、身体を壊すリスクを抱える。並のウマ娘の比ではないものを。
つまり、挑んだ結果、何も成し得ず、ただ悪戯に身体を痛め、走る事もままならずに終わる可能性を、他の娘たちよりも多く抱える。
それでも、と君は言うか?」
「……」
さしものブルボンも、即答は出来ないようだった。
大袈裟に脅したつもりはない。ただ、事実としてそうだから、確認をしなければならなかった。
それが残酷な事であったとしても。
「道は私が組み上げよう、身体を作り上げ、挑むべきものを定め、作戦を練り、そこまでの道は私が作ろう。
けど、走るのは君の意志だ。抱えるリスクは、どうしても君の比率の方が高い。
ならば、分かっててなお挑む。覚悟が必要となる」
「……」
大博打だ。賭け金は青春と己の肉体。外れクジは故障して引退、当てれば三冠……かは分からない。しかも外れの比率の方が高い。
分の悪い賭けだ。一世一代の決心を迫る。
ハッキリ言って、年端もいかぬ少女にさせるには、あまりにも酷な決断だろう。
深く、深く思案して、徐にブルボンが口を開いた。
「三冠に挑む場合、あなたはトレーナーになって下さりますか?」
「勿論。勝つ為に全力を尽くすと誓う」
「結果として私は何も成せず、あなたに不名誉を与えるかもしれません」
「構わない。それもまた、覚悟の上だよ。けどブルボンの方こそ、それで良いのか?
三冠どころか、デビューすらままならないまま終わるかもしれないんだよ」
瞬きを一つ。
瞳の色が大きくかわる。
「……それでも、それでも私は、三冠に挑みます」
据わった目をしていた。
過去にも何度か見た事がある。これは覚悟だ。
艱難辛苦を知ってなお、それに挑まんとする者の目だ。
「マスター。私はクラシック三冠が欲しいです。
苦難の道となりますが、ご同行願えますでしょうか」
「望むところだ。やろう、ブルボン。
これからよろしく」
「はい。よろしくお願いします。マスター」
此処に契約は成立した。
私達は、苦難を共に歩み、自ら艱難辛苦を往かんとする
契約を以って覚悟と為し、覚悟を以って走る者。
私は晴れて、ミホノブルボンの担当トレーナーとなった。
木の裏に隠れてコソコソとしている担当に、何とはなしに声をかけた。
「テイオー?」
ピクンと肩を跳ねさせたテイオーだったが、相手がトレーナーだと分かると一気に力を抜いた。
「なぁんだトレーナーか」
「ご挨拶だなぁ。
そんなとこで何してるの。誰か偵察?」
「まぁね。この前話してた子」
「ミホノブルボンだっけ?短距離は強い子」
「そう」
テイオーに倣って、木の影からコース場を見下ろす。
一人の少女と、トレーナーが話し込んでいる様子を暫くの間観察した。
ウマ娘の方は、ハッキリ言って、テイオーが偵察する程の相手ではない。
ブルボンが未だデビュー前というのもあるにはあるが、そもそも、今のテイオーにライバル足り得る存在などいないのだ。
しかし、トレーナーの方は、知らない相手では無かった。
「……おっと、あのトレーナーか」
「知ってる人?強いの?」
「まぁね。何度かやり合ってるよ。
でもまぁ、私達の方が強い」
当然のようにトレーナーは謳う。
クラシック戦線に敵はない。私達なら、無敗三冠は夢ではない。
トレーナーは言う。寧ろ肝要なのはその後だ。と。
ライバル不在の燻る炎を、如何にして鎮め奉るか。
もし、ミホノブルボンがそれを担ってくれるならば、そうなってくれるならば、とても嬉しい。
そうなれば、トウカイテイオーは今以上に強くなれる。地の果てを越えて駆り征けるだろう。
トレーナーの目の前で、テイオーの耳がピコピコと動いた。
「契約成立だって、じゃあ来年デビューして、ぶつかるのはシニアからだね」
「良いね。ようやく来たじゃない?私たちの『熱』を鎮められそうな相手が。
リサーチはしとく。仕上がってきたら
「……いいの?」
「だって退屈でしょ?」
「まぁね」
差し出された手を握り返し、更に持ち上げて頰に当てる。
ぶり返すような熱を誤魔化すように、テイオーは強く、強く自らの頬に押し付けた。
「さ、私たちも走ろう。若駒はぶっ千切って、まず一冠目、取りに行くんだから」
「もっちろん!ちゃーんと、ボクの事見ててね、トレーナー」
手を繋いで歩く様は、親子か兄弟姉妹のよう。
和気藹々とした和やかな雰囲気を纏い、その実、内に燻る炎のような熱源を二人で抱えて抑え込むだけ。
未だ炎は盛えず、燃え上がるのは、まだ、もう少し、あと少しだけ、先の話。