(情けない)
少年は服で視界が覆われた暗闇の中でそう思った。──だって、同じくらいの歳の女の子に、服を着させられているのだ。
この女の子は自分よりもずっと自分に対して積極的で、手際もいい。
それに対して何故か半裸で、寝起きで、おまけに会話のペースも持って行かれている自分は。
……なんて情けないのだろうか!
と、自罰的な気分を抱かずにはいられなかった。
いっぽうサンドラのほうは、彼女の指が少年の肌に触れた僅か数秒、または少年の上半身が服によって隠される直前のほんの一瞬の隙間に、これまでの人生では得難かったと言っていい高揚感を覚えていた。
だが、少年はそんな様子に気づくことはない。
サンドラは続けて上着も着せると、「その……どうだろうか、少年?」とおそるおそる着心地を伺う。
少年は「うん、ぴったりだ」と服を確かめる。
気に入っているようすだ。
着させたのは女物だったし、だぼっとしている気がしなくもないが、彼にとっては動きやすく、大きさもいい塩梅だったらしい。
サンドラは手鏡を取り出してきて少年に見た目を自分で確認させた。
新たな装いを摘んでは照れる少年に彼女が「似合ってるよ」と言うと、少年は恥ずかしくて目を逸らしながら「ありがとう」と答えた。
「少年、これも着てみようか?」
その時だった。
ぎゅるる、と少年のお腹から音が鳴ったのは。
「ごめん、お腹減ってるみたいだ……」
「気にしないでくれ。わたしもさっきからずっと空腹だったしな!」
サンドラは、少年にもう一枚の服を着させつつも、少年の恥をさっとフォローしてみせた。
少年は服を体に通しながら、サンドラが空腹を隠していた事実に驚いた。
「えっ全然そうは見えなかったよ」
「ふふふ。……腹が減るたびに鳴るようじゃきりがないからね」
謎に胸を張るサンドラ。
レーナは部屋の端でうずくまっていたが、話の要領が掴めない様子の少年を見て、「この人、こう見えて途轍もない食いしん坊だからね」と助け舟を飛ばした。
彼女は、サンドラが見ず知らずの少年と舞台劇のような会話を繰り広げている事実に一人でにショックを受けていたのだった。
「あんまり触れ回らないで欲しいんだけどな、人前では節制してるし」と笑うサンドラ。
「ごめんよ」と軽く謝罪するレーナだったが、サンドラは続けて「──それに、食いしん坊ではなく美食家だと、何度言ったら改めてくれるのか」と、撤回を迫る。
「しばらく無理ですね。あなた、ついさっき補給したばかりなのに、もう腹が減ってる」とレーナ。
冷静な指摘に、サンドラはあえなく撃沈。
そんな彼女に、レーナが切り出す。
「言いにくいのですが、この際ですし──」
まさか、この閉ざされた秘密の空間で、調査という名目を掲げながらも実際には起こした少年と寛いでいるだなんて、誰も思うはずないだろう!
「──食事にしたらどうですか? この部屋の三人のうち二人も空腹なのだし」
彼女の口調はかなり投げやり気味だったが、それをサンドラが気にかけることはなかった。
彼女は「名案だな!」とレーナの方を見つめ、勢いよく賛成の声をあげた。
その様子を見たレーナは「あなた、ずっと待ち構えていたでしょう? 節制中かつ、外に部下を待たせている手前、自分からは言い出せないからって」と突っ込んだが、彼女は「どうかな?」とはぐらかした。
サンドラは再び少年のいる方へ振り向くと、着替えの服を眼前に積み上げた。
「私、広間で先に食事の準備をしてるからさ──ここにぐったりしてる人もいるし」
サンドラの面白がる視線の先には、部屋の隅で縮こまったままのレーナの姿があった。
「ほっとけ!」
レーナが顔を上げて即座に突っ込むと、サンドラは「ほっとかなーい」と微笑を浮かべて返し、そのまま部屋を後にしようとしたが。
「あの……お姉さん」
サンドラを少年が呼び止めた。
足を止めて、(どうしたの?)と振り返る彼女に対し、彼が漏らしたのは純粋な疑問だった。
「着替えだったり、食事だったり。どうして、こんなにも俺に良くしてくれるんですか? さっきから不思議で」
「寝起きに優しくしてくれるひとがいたら、嬉しく思うものだろう? ──とは言っても、服も飯も有り合わせの、何のことはないものだが」
サンドラが答えている間、レーナが立ち上がる素振りを見せ、言葉が終わるなり間髪入れずに言った。
「傷心中のうら若き乙女にも優しくしてくれたらな」
サンドラはその様子を面白がって一言。
「拗ねてる貴方もとても可愛い」
「サンドラはずるいなあ……」
レーナはそう小さく呟くと束の間、サンドラにおぶさるようにして肩を掴み、少年の方をちらと見て、挑発的な微笑を浮かべた。
「両獲りったってそうはさせないんだから……ね? 少年」
いっぽうのサンドラは、レーナが少年に向けてつくった、嫉妬と妖しさの入り混じった表情を見るなり、少年に、ばつの悪そうな顔で「私たち向こうで待ってるから。また後で会お──」
と告げようとするが、レーナに背中を押されたことにより部屋の外まで押し出され、台詞は途中であえなく遮られた。
出ていくサンドラとレーナを見届けて、一人部屋に取り残された少年は、茫然とあたりを見まわした。
部屋に広がっていた黒煙は、ベッドにほんのり残るのみであとはすっかり消えていた。
彼女達が広間へと向かっていく足音は少年の元へも響いた。
この部屋と広間は直接つながっているので記憶喪失の少年にとっても迷う心配はない。
目の前にはサンドラのくれた服が折りたたまれている。
少年はそれを手に取るなり、着替えの続きをあっという間に済ましていった。
着重ねたことで、寒さが和らいでいく。
寝起き特有の怠さの抜けなかった頭も一応の冴えを取り戻し、世界のありようを思い出すような錯覚に駆られた。
少年はつづけて、食事の待つ広間へ向かうために立ち上がってベッドから降りようとする。
だが、足元にふわふわと慣れない感触が去来したのに驚き、彼は戸惑いを見せた。
そして、両の足が床に接地し歩みを始めたところで、彼は自分の眠っていたベッドが宙に浮いていることや、その形状の奇妙さに気づいて二度驚いたのであった。
さらに、進んで行った時、足元に奇妙な黒い宝石が落ちていることに気づき拾い上げた。と同時に三度目の驚きが訪れた。
その石は掌に難なく収まる大きさであるにも関わらず、割りに合わない質量を有していたからである。
不思議に思った少年はその石を持って行くことにした。──何気なく拾ったこの石は、王女が呪文を詠んだ時に使った夢見石の、使い古しだ。
少年は王族以外触れてはいけない石に触るという禁忌を犯したが、そのことに気づく様子はなかった。
なぜなら、王女が少年を目覚めさせたときは宙に浮いてあんなに光っていた宝石だが────いまは何の反応も示さない黒い石にすぎず、もはや何ら大した特異性も有していなかったからだ。────体積あたりの質量が、この世のあらゆる物質と比べてはるかに大きい、という点を除けば。
*
「サンドラ」
二人きりの広間にて、王女の名をレーナが呼んだ。
「どうした? レーナ」
「あの子……何者なのでしょうか。殿下は彼に、正体を明かすおつもりで?」
「ああ。そのうちな。王女だとわかれば、驚かせてしまうかもしれないが……。どう反応するかも楽しみだしな」
「いいんです? 見ず知らずの少年に」
「敵対している様子はないしな。それに……」
「それに?」
「どうやら凄くタイプ……みたいなんだ、顔が良い」
「あの少年が?」
レーナは、大きなため息をつくようにして言った。
「……わたしというものがありながら」
彼女の心中にて、ふつふつと怒り、もしくは嫉妬のようなものが湧き出ているのは明白だった。
だが、サンドラはそれが何故こんなに露骨なのか掴み損ねていた。
「いやまあ、君のことも大切なんだが」
そう言うサンドラだが、レーナの方を見つめてはいない。
「それなら、どうして」
レーナは心の中で涙が出そうだった。
「わたしだって、恋の一つもしてみたい年頃だしな……それに、冒険での出会いというものは、楽しまなければ損ではないか」
サンドラは一瞬物思いにふける表情を浮かばせるも、一転、冗談めかして目に笑みを浮かべた。
レーナは「そう。いいなあ、呑気で」と吐くしかなかった。
サンドラはニヤリと笑い、「貴方にだけは言われたくないのだが」と軽口を叩く。
──と、そんなふうな会話をしながら、二人は食事の準備にあたった。
……とは言っても、それはほんの数分で終わる簡素な物だったが。
*
それからほどなくして(着替え終わったよ)と少年が広間に顔を出した。
サンドラは少年が見えるとすぐに「ほら、来てきて」とテーブルに招いた。
卓上にはサンドラの用意した大きな茶色いパンの乗った二つの皿と、三皿の白いスープが置かれている。
彼女が、森での補給用にと袋と水筒にそれぞれ入れて、鞄に詰めて持ってきていたものだった。
質素な食事だが、長い間飯にありつけていない少年の食欲の喚起には十分だった。
サンドラの「食べましょう」との号令で、彼女と少年はそれぞれパンを手に取った。
顔をも覆い隠してしまえそうなほどのパンの大きさに少年は圧倒されながらも、かじって口の中に運んだ。
ライ麦でできた生地の芳醇な香りと芳ばしい味が、彼らの舌を打った。
「おいしい」
「ああ、うまいな」
続いて、レーナがスープを啜ったのを見た二人は、合わせるようにしてスープを手に取った。
じゃがいもやにんじん、鮭がごろっと入った牛乳スープは、近くにあった調理台で加熱しており、ほんのり小さく湯気が出ている。
「スープもおいしい」
「よかった、私が作ったんだ」
「そうなの。すごい。すごいよ」
「ありがと」
少年が目を光らせたようにサンドラのスープを絶賛するのに気圧されサンドラは照れを隠しきれない。
まろやかなスープはパンとの相性もよく、パンははじめより柔らかくなって二人の体に染み渡った。
スープだけをぼんやりと飲むレーナをよそに、サンドラと少年はパンとスープを堪能していて、そんなふうにしばらくは順調に食べ進めていたが。
少年のペースは次第に滞りはじめた。
「あのう、お姉さん」
「なあに」
「食べさせて貰ってる手前申し訳ないんだけど……長く寝てたからなのかな、これ以上はいらないや」
少年はお腹いっぱいという表情を見せたが、サンドラはまだまだ余裕そうだった。
「じゃあこのパンはわたしが貰う!」
「ごめんなさい。俺、食べきれなくて」
「良いんだ。自分で食べるために大きめに作っていたからね!」
サンドラはそう言うと、先ほどまでとは打って変わり、無心で、勢いよく、パンを夢中で放り込んでいく。
今までは少年の食べるペースに合わせていたのか、それともパンが2倍になったことによりスイッチか何かが押されたのか──はわからないが、ともかくその様子は圧巻で、そんな本気の食べっぷりを初めて目の当たりにした少年はうわああああ、と驚きを露わにした。
「ははは、みんなそんな顔するんだよね。早食いモードになるとと別人になるから、サンドラちゃん」
そうしてレーナがうっかり名前を読んでしまった時点で、当の本人は少年から貰ったパンを残すばかりで、ほかは殆ど平らげた後だった。
「ごめんね、名乗っていなかったね。私、実はサンドラなんだ。驚いたかな?」
「いや」
サンドラは素っ気なく自らの正体を明かした。
サンドラと呼べば王女を指すというのはこの国の共通認識で、急に名前を明かすことで目の前の人物を驚かして楽しむのが彼女にとっては日常茶飯事であったが。
目の前の少年は動揺する様子もなく、平然としていた。
サンドラはそれに当惑し、どう言うことだ? とレーナに訊くが、釈然としないのは彼女にとっても同じことだった。
2人とも、口を閉ざしてしまう。
「どうしたの? 2人とも黙っちゃって」
少年は純粋な疑問を口にしたが、サンドラとレーナの心中はそれに応えるどころではなかった。
彼女達は悩んでいた。……サンドラといえば王女様、というのはリシャレアの人間なら誰しもが知っているはずなのに、目の前の少年は知らない。
王女とそのお付き、という立場上今与えるべき情報は何なのかを考える。
仮に、この少年が祖国に敵対する者だったとしたら、小屋という閉ざされた空間で自らの立場を明かすことは致命傷になりかねない。
ただ、目の前の少年とは至って普通に談笑し、こうして食事もしている。
見た目も幼いし、とても敵対者には見えない。
たが、万が一のため警戒が必要なのも事実。
奇しくも、2人共そう考え、探りを入れようと思い至った。
先に口を開き、沈黙を破ったのはサンドラだった。
「ともかく、わたしがサンドラで、横の女がレーナだ。わたしの世話なんかを引き受けてくれてる。サンドラ、と聞いて、何か思い出したりはしないか?」
「いや」
「そうか……」
少年はなおも首を振る。
サンドラは何だかがっかりした様子に見えた。
次に口を開いたのはレーナだ。
「じゃあさ少年、リシャレアはわかる?」
「もちろん。俺の生まれ育った国だ。……ここもそうか?」
「そうよ。……そうよね。────言葉が通じるのだから、あなたもリシャレア人……なんだよね」
「ああ」
「でも、私を知らないなんて」
「もしかして、有名な方ですか」
サンドラは少年の問いには答えなかった。
戸惑いながらも自分の世界に籠り、思考を巡らせる。
少年の顔が目に入り、彼の名前をまだ聞いていないことを思い出した。
「少年、あなたの名前を伺ってなかった」
「俺はエンシオ。エンシオ=アウノラ」
少年は間を置かず、素直に答えた。
──途端、サンドラは驚きのあまり、少年から貰っていた食べかけのパンを皿に落とし、レーナと顔を見合わせた。
エンシオ=アウノラ。
国中が知る偉大な冒険者のフルネームと全く同じ名前だ。
……ただし、目の前にいるのは少年で、年齢が完全に矛盾していたのだが。
(なんなんだ今日は……。謎の獣といい、空飛ぶ魚といい、この少年といい……)
サンドラ王女は再三の不思議現象を前に、頭を抱えるしかなかった。
世界の情報
4. エンシオ=アウノラ
東部出身の冒険者。
名はエンシオ、姓はアウノラ。
性別は男。
十三年前、濃霧に包まれた王国最北の地「エリア50」より唯一帰還に成功。
以来、国中に名を馳せた。
当時の年齢は二十八歳。
ただし、その年のうちに姿を消し行方不明に。
最大の功績は「エリア50」に関する画や書の執筆。
とくに、「エリア50」内部に、この世界では未発見のものの存在を示唆し話題となった。
ただしアウノラのほかに「エリア50」より帰還した者がいないため真偽は確認できていない。
ただ一人快挙を成し遂げたことに加え、身体能力・精神力・観察力や目にしてきたものを詳細に表現する技術を持ち合わせており、全ての冒険者にとって模範的な存在といえよう。