べ、べべべ、別に便乗なんてしてませんよよよよよ(汗)
荒木先生が『岸辺露伴、ルーブルへ行く』を描くにあたっての裏話を知って書いた短編です。
あらすじとしては露伴がルーブルからオファーを受けて、ルーブルをテーマにした漫画を描くというモノです。
「何度でも言うさ。……いや、やっぱりあと一度だけにさせてくれないか」
岸辺露伴は受話器に向かって言った。
「次の短編は少し待ってくれ」
別にスランプに陥ったとかではない。むしろモチベーションは今、最高潮に達しているといってもいい。だからこそ、この瞬間も湧き上がる創作意欲を逃したくなかった。
しかし、電話口の相手にそういった漫画家の感性は微塵もないようで——
『えぇ——⁉︎ 露伴先生、どうしちゃったんですかァ——! 短編の依頼なんて、いつもなら二つ返事でOKしてくれてたじゃないですかァ』
「その『短編の依頼なんか』っていうのが気に入らないな。僕にとっては読み切り45ページも週刊連載も同じ熱量をもって取りかかる原稿だッ」
自宅のソファに放り出したままのスマートフォンからでも泉京香の声はよく聞き取れた。
そのうえ電話を切りたい相手に喋らせるテクニックまで備えているらしい。漫画編集より通販の電話営業に回った方がよっぽど合ってる気がしたが——
テーブルに置かれた封筒が目に入り、露伴は頭を振った。
「悪いけど、泉くん」
『はい、どうしました、先生。もし体調が優れないようでしたら編集長には私から——』
「君ねェ……、気を利かせるのか話を長引かせるのか、どっちかにしてくれないか〜〜?」
スマートフォンの通話時間は既に3分11秒。
漫画家にとって『時間』は同じ価値の砂金より重い。
しかし時間の価値も健康あってのこと。だから、この場において泉京香の心配は必ずしも間違っているとはいえなくもないのだが——
「僕の体調より自分のスマホの充電を気にしたらどうだい」
『あれェ〜〜、なんで分かったんです? もしかして露伴先生、エスパ……』
「さっきからゴゾゴゾゴゾゴゾと、机の上を漁る音が入ってるんだよッ!」
まただ。冗談や例えなどではなく本当に彼女には電話を切りたい相手に話させる能力がある——、そんな風に感じてしまった。
これは良くない。
ほんのわずかでも『短編のネタになるかもしれない』と思ったとしても……。
「はァ……、とにかく短編は少し待ってくれ」
正直なところ同時並行で別々の漫画を描くことも技術的にはできる。やろうと思えば2つの出版社から同時に週刊連載だって可能だ。
しかし、それは1つのフライパンで2つの料理を作るような行為だ。
どれだけ優れたアイデアであっても、混ざってしまえば完全な『不純物』になってしまう。そうなれば、その漫画は立ち所にダメになってしまう。
何より片手間で描いたような漫画を読者の目に触れさせるなど、露伴が許さない。そして今、露伴が心から描きたいと思える漫画は——
そこまで考えて露伴は再びテーブルに目を落とす。
「——実は原稿の依頼が入ったんだ」
拾い上げた封筒は赤白青のストライプ——国際郵便用の封筒であった。
『えぇ〜〜⁉︎ どこの出版社ですかァ、それぇ〜〜!』
電話を切ろうとして、露伴は思い留まる。
集英社としても露伴が別の出版社に鞍替えしたと思ったままでは気が気でないだろう。
ましてや岸辺露伴が金や名声になびいて
「——ルーブルだ。ルーブル美術館」
言って露伴はスマートフォンの電源を切った。
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バンド・デシネ・プロジェクトという企画がある。
小難しい説明はなしにして一言で表すなら、
『ルーブル美術館をテーマにした漫画を描く』
それがこのプロジェクトのすべてだ。
フランス、ルーブル美術館が出版社と共同で行なっている、漫画のアルバムコレクションを作ることを目的としたプロジェクトとも言える。
もちろん他にも紹介すべきことや大勢の関係者がいて成立しているプロジェクトなのだが、ここでは割愛させてもらおう。
最も重要なのは、このプロジェクトに『日本人の漫画家』を入れたいと声が上がったこと。
そして、その漫画家に『岸辺露伴』が選ばれたことだ。
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「露伴先生ェ〜、歩くの速いですよォ〜」
「……泉くん、僕は観光に来たわけじゃないんだよ」
一ヶ月後、梅雨時にしては珍しく晴れたある日。
露伴はフランス、パリを訪れていた。
「そうですけど——。あっ、ここからだとエッフェル塔がキレイに見えますよ、先生。ほら青空がちょうどイイ背景になって——」
「君ねェ〜〜〜〜〜。もう一度言うぞッ、僕は観光にきたわけじゃないんだッ」
「わかってますよ〜〜。でも先生、いつも言ってるじゃないですか」
「うん?」
「リアリティ、その土地を訪れて空気感を味わわないと『リアリティ』のある作品は描けないって」
「ああァ〜〜そうだねッ、言ったともッ! だが、だがだよ、泉くん。それは取材先を訪れてからの話だッ! 空港を出てまだ15分と経っていないのに、その間に君は何度スマホのシャッターボタンを押した? ギャラリーを見なくても分かるから言ってやろうか、もう30回は超えているとッ!」
「もォ〜〜〜先生ったら、そうピリピリしないでくださいよ。せっかくの花の都ですし」
と、泉京香は凹むどころか笑顔を向けてきた。花の都にあてがって『花のような』という使い古された例え文句が露伴の頭に浮かんだ。
……まったく。
露伴にここまで言われて凹まない編集はそうはいない。
過去には露伴の機嫌を損ねないよう打ち合わせのたびに菓子折りを持参したり、普段は聞きもしないレッド・ツェッペリンの曲を聞いてきて同じ趣味をアピールしたりしてきたのに。
それがどうだ、と露伴は泉京香を見る。
さすがにスマートフォンはしまっていた。それでも興奮を抑えきれない表情は人気漫画家の編集者というより観光客のそれに近かった。
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岸辺露伴は漫画を描くにあたって一切の妥協を許さない。
徹底したリアリティ。それこそが漫画に命を吹き込むと確信している。だから取材先には必ず赴く。例えそれが海を超えた先であったとしても。
しかし、露伴ほどの意思の持ち主でも、どうしようもないモノが世の中にはある。
例えば金、つまり旅費だ。
あの『ピンクダークの少年』の作者が飛行機代を払えないなんて冗談のように聞こえるかもしれない。だが
「——少し前に山を買ってね。経緯は……まぁ泉くんに聞いてもらえば分かるはずだ。とにかく手元に金がないんだ」
集英社でも露伴が破産した話は広まっていた。しかし大半は『あの露伴先生が珍しく冗談を言っている』という認識だったようだ。
事実、電話口で応対してくれた相手も事実だと知らされるなり慌てふためいていた。
「それで、またで悪いんだが、原稿料ちょっと前借りできないかなって」
具体的には旅費代を、と露伴は付け加えた。
その翌々日、出版社から飛行機のチケットが届いた。往復の飛行機からホテルの予約まで集英社が手配してくれたのだ。
恐ろしく仕事の早いヤツもいるものだ。一度くらい顔を見てみたい。
そう思っていると、
「オイオイオイ、ちょっと待てよ。オイオイオイオイオイオイ」
「どうかしましたか先生、もしかしてエコノミークラスの方が良かったですか?」
「そうじゃあないッ。これッ、このチケットッ」
露伴はたった今、確認したばかりのパリ行きのチケットを広げる。
羽田空港からフランスまでの直航便。日時もキッチリと露伴が指定したもの。
しかし、問題はそこじゃあない。
「何でチケットが2組あるんだァ〜〜〜〜、えぇ〜〜〜〜? 僕は1組しか頼んでないぞッ」
「そりゃあ、もちろん私が行くためですよ」
チケットを届けに来た泉京香は、さも当然というような顔で言ってのけた。
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「そんなことよりも先生ェ〜〜、バンド・デシネ・プロジェクトから話が来てたなら早く言ってくださいよぉ〜〜。そしたらもっと早くに飛行機だって取れたのに」
ルーブルへ向かう道すがら、泉京香が言った。
「だからってなぜ君が一緒に来るんだ?」
「そりゃあ、露伴先生の担当編集ですし、それに」
「それにィ?」
立ち止まって振り返った露伴に、泉京香はずずいっと身を寄せる。
「露伴先生とルーブルのコラボ。これ、ぜっっったいに面白いと思うんですよ」
確実に売れる。だから出版社として一枚噛む——と、この場にいない者なら思っただろう。それが自然な考えであり、出版社として当然の判断だ。
しかし、露伴は泉京香という編集者を知っている。編集者として自分が担当する漫画と、その作品にどう向き合っているのかを。
何より今ここで、その意思の宿った瞳を見ている。
「……確かに。そうだな」
この岸辺露伴がつまらない漫画を描くなんてあり得ない。
露伴は目的地へ向かう足を速める。
パリの風はすずしく漫画家を迎え入れていた。
作中で出したバンド・デシネ・プロジェクト(BDプロジェクトとも)は実際にあって、日本人漫画家として荒木先生が選ばれたそうです。
『岸辺露伴、ルーブルへ行く』も発売当初は売り切れ続出だったそうです。
そうとは知らず、作者は映画公開に合わせて書店で再販されていたのを買いました。すごいッ、面白かったですッ!