「……あ、あの〜、幽香さん?」
「んー?なぁに、日向?」
「どうして僕は、その……幽香さんの膝の上に乗せられてるのでしょうか?」
「私がそうしたいからよ」
天気の良い、まさに向日葵日和の真夏。そんな中、とある畑にぽつんと佇む一件の家の縁側に、二人組の男女の姿があった。
片やまだ年端もいかぬ黒髪の少年。日向と呼ばれたその少年は、人間でありながらもその目には真紅の色がある。それを興味深そうに膝枕をしている彼女はのぞき込んだ。
そして幽香と呼ばれたもう片方たるその彼女は、少年と同じ真紅の色をした瞳に、妖艶な翡翠色のショートボブ、そして大きく成長した二つの双丘を携えた美少女。……いや、美人と言っても差支えがないだろうか。それほどまでに、彼女は
「あ、あのですね、幽香さん……」
「なぁに?」
「そんなに見られるとですね、あの、恥ずかしいと言いますかですね……?」
幽香に見つめられ続けて、遂に限界が来たのだろう。日向はその真紅の目に負けず劣らずに顔を朱に染めると、見つめ続けてくる幽香の顔から目を背けるために顔を逸らすーーが。
「だーめ」
「うぅ……っ!」
それを許さないというかのように、幽香は日向の逸らした顔を掴むと、元の位置ーーつまり、幽香と強制的に向き合うようにした。
あたふたと目を泳がせる日向の様子に、くすっと幽香は一つ微笑みを零し、可愛いと一言告げた。……その瞬間に更に顔を朱に染める日向。
「ゆ、幽香さん、だ、ダメです……っ!」
「なんでよ、いいじゃない」
慌てる様子が可笑しいのか、幽香は日向の頭を撫でながら首を曲げ、顔を近付ける。
その行為に、更に赤みが増す日向の顔を楽しみながら距離を近付けていくと、遂には日向がギュッと目を閉じて体を震わせた。
「……ぷっ!」
「ーーわっ!わらっ、笑いましたねっ!?」
その様子に我慢の限界が来たのだろう。幽香は声を上げて笑い始めた。そんな幽香に対して、彼女の膝元からバッと勢いよく立ち上がった日向は、羞恥に身体を震わせながらも幽香を精一杯睨みつける。……が、効果は全くない。
「ぐぅっ……!いつもいつも来る度に僕を弄んで!そんなに僕を弄んで楽しいですか!?」
「えぇ、楽しいわ。それはもう、心の底から」
「少しは謙虚になってほしいですね!?」
幽香の飄々とした態度に声を荒らげるが、しかし日向も理解している。我が道を行く、を言葉通り体現したような存在が幽香であり、そんな彼女が自分の願いを聞き入れてくれるわけがない、と。
だからこそハァ、とため息を一つ零し、幽香さんは意地悪ですと独りごちる。
それが聞こえない幽香ではなかったが、あえて聞こえないふりをして可愛いなと心の中で思う。口にすると更に不機嫌になりそうだからだ。
「ーーさて、日向。そろそろこの子達の世話をしましょうか?」
「へっ?あ、あれ?もうそんな時間ですか……?」
時間も時間であったし、日向の怒りの矛先を躱すためという意味でも最適だったため、幽香は自分の向日葵達の話を振った。
効果は抜群。幽香の育てる花を気に入っている日向は、先程までの怒りが嘘のようになりを潜め、畑に咲く向日葵達の方を見つめて笑顔を浮かべる。
その姿を横から見ていた幽香は、日向の横顔、そしてその真っ赤な目に、昔を思い出す。ーーいつも飄々としていて、彼女のことをいつも弄ってきて、そしていつも優しかった、向日葵の妖怪を。
ーーー
ーー
ー
向日葵達の世話を初めて数十分。ここ、広大な畑であり向日葵達が咲き誇る『太陽の畑』では、数十分などでは向日葵達の水やりは終わらない。
しかし日向は嫌な顔一つせず、寧ろ嬉嬉として向日葵達に水やりをしている。凄い人間だと、素直に幽香は思った。
「ーー幽香さんは、向日葵は好きですか?」
唐突に、日向は幽香の方を見らずにそう言う。その目はじっと向日葵の方を見つめているが、しかしどこか遠くを見つめているかのようにも幽香は感じた。
「……えぇ、好きね。私は向日葵が好きよ。太陽に向かって、自分を見てと言わんばかりに一生懸命咲いているあの子達を、私はとても誇りに思うわ」
だからこそ彼女は、真摯に、そして丁寧に答える。これが彼の求めている答えなのかはわからなかったが、しかし彼女はそう答えた。
「僕も……僕も、向日葵が好きです。んー、いや、なんて言うんでしょうね?好きっていうよりは、
そう言って笑う日向。その姿はやはり何処か『彼』と似ていて、それでいて似てないと思わせるような……そんな不思議な感覚を幽香に抱かせた。
幽香は目を閉じて深呼吸をすると、頭の中にある『彼』の姿を消し、目の前にいる日向を見る。……向日葵に話しかけながら水やりをする彼の姿に、自然と笑みがこぼれた。
花達と話す力もない、目が赤いこと以外は至って平凡の、ただの人間。
周りの人間や妖怪から見れば、頭のおかしいやつだと思うだろう。しかし一生懸命一つ一つの花達に話しかけるその姿は、花を愛する幽香にとっては、とても美しく思えたのだ。
ーーそれこそ、
「……ねぇ、日向」
「?どうしました、幽香さーーへっ!?」
幽香の呼びかけに、なんの疑問も抱かずに振り向いた日向のをーー正確には頬を、幽香の手が掴む。
「ひゃ、ひゃんでしゅか?」
「ーーぷっ。ふふっ、いえ、なんでもないわ。全く、弄りがいがあるわねー日向は」
なんでですかー!と摘まれた頬を膨らませてプンスカと怒る日向。もちろん本気で怒ってるわけじゃなく、羞恥といった感情から来るものであることは幽香にもわかっていたので、くすくすと笑いが止まらない。本当に可愛いものだと、なるほどあの時の『彼』は私のことを、こんな風に見ていたのかもしれない。
ーー今は無き、それでいて目の前にいる『彼』であり『彼』ではない日向を見て、幽香はそう思った。
「幽香さん?どうしてそんな、悲しいような、嬉しいような顔をしてるんですか?」
そんな彼女の様子がおかしいと思ったのか、ふと日向の口から心配の声が。いけないいけない、と彼女は摘んでいた手を日向から離すと、そのままじょうろを持っている彼の手のひらを握る。
最初は手を握られることが恥ずかしかったのか顔を赤くして抵抗した日向だったが、一緒に水やりをしている幽香の表情はとても慈愛に満ちており、その顔を見ていると次第と抵抗もなくなった。
「……本当に幽香さんって、花が好きなんですね」
「あら、花の妖怪にそれを言うのかしら?ユーモアがあるのね、日向は」
「そのユーモアを寺子屋でも発揮出来てたらよかったんですけどねぇ……幽香さんのとこに入り浸ってるからって、怖がられて友達少ないんですよ僕」
「ふふっ。私がいるからいいじゃない」
「むぐっ……で、でもやっぱり幽香さんに会えない時は友達といて寂しさを無くしたいですし、欲しいものは欲しいんですー!」
その気持ちは、分からなくもない。幽香がそう思うには、彼女の過去は十分に寂しいものだったからだ。そこにいたのが『彼』であり、目の前にいる小さな彼は、過去に自分の味わった寂しさを味わっている。……昔と違って、妖怪に対する恐怖の認識が薄れてきているのが、不幸中の幸いだろうか。
ーー自分のように、殺されそうになったりなんてしないだろうから。
「あぁ、そうだ日向」
「?なんですか、幽香さん?」
だから風見幽香は、少年ーー日向に会う度に、こう思うのだ。
「ーー確かに私は花が好きだけれど、それと同じか、それ以上にあなたの事も好きよ?」
飛びっきりの微笑みでそう告げると、赤い顔でパクパクと口を開かせながら日向は視線を泳がせる。そんな愛おしい反応を、表情を、その全てを見る度に改めてーー風見幽香は、こう思うのだ。
自分が過去には味わえなかった……いいや、『彼』から味わった、それ以上の愛情を日向に注いで生きていくのだと。
「あはっ。ほーら、水やりはまだまだあるんだから、早く続きをするわよ?」
「だっ、だだだっ、誰のせいだとーー!?」
今日もここ、『太陽の畑』に、1人の少年と1人の妖怪の楽しそうな声が響き渡る。