聖女「ねっふぃぃ〜〜!!」 作:よくメガネを無くす海月のーれん
「ねっふぃぃ〜!!」
それは大凡人間が発声したとは思えない程に人間性を捨て去っていた。
金色の艶やかなロング髪に絡む木の枝や葉が、彼女が野生に帰ってしまった事実を如実に表している。頬についた土がまるでフェイスペイントのようで妙に様になっていた。
顔から下に目を向ければ、かつては綺羅びやかで清廉だったであろう白い貫頭衣が、装飾品は剥がれ穴も空き、ボロボロになってしまっている。そして、ボロ貫頭衣の隙間からちらりと覗く白い柔肌には無数の薄い傷が見て取れた。
顔を見なければ、どこかの国から亡命してきた高位の貴族令嬢としか見られないであろうに、凶暴で歯をむき出しにしてこちらに威嚇する姿は、四足歩行なのも相まって、さながら野生動物のようであった。
「お嬢、帰りますよ」
少年が声をかけるも威嚇は解けない。ふしゅー…!ふしゅー…!と歯をギラつかせながら息を吐く姿に、ここまで野生化が進んでしまったのかと、少年はため息をついた。
その隙を見逃さなかった彼女が、猛然と四足歩行でジグザグに動いた!少年が見せた隙を逃さんと言わんばかりに死角から迫り、姿勢を低くし、腰を打ち据えるように体当たりが…………!
来る前に、予め発動待機しておいたのであろう魔法の巨大トラバサミ(安全確保のため、歯の部分がゴム製)が彼女をガッチリとッ!挟まないッ!すんでで避けたッ!彼女の野生の勘と微かに残った人間の知性が、下から迫りくる危険を察知していたのだ…!
「ねっふぃぃぃ〜〜!!!」
全力で威嚇する。それは目の前の人間が本気を出せば、自身は容易に殺されていただろうことを少女に確信させた。恐怖に打ち震える自分を鼓舞するためだろうか。四足歩行から立ち上がった少女は両手を大きく広げ、自らを大きく見せようとしていた。
それは、奇しくも少年にアリクイの威嚇姿を彷彿とさせる。
相手は自身より一枚もニ枚もうわてだ。警戒を怠ってはいけない。しかし、警戒レベルをさらに2か3、上げる必要があるとアリクイ少女は判断した。本能に頼っていては、先の罠は避けられなかったッ!本能だけではない、要らないものと断じてきた人間の知性を積極的に使うしかない…!使えるものは全て使って、目の前の敵を打ち倒す!
今このとき、アリクイ少女は無意識のうちに縛っていた魔法を解放した…!
少女の周囲を突発的な強風が駆け巡る。乱離拡散する枝葉が次第に規則的な動きをし始める。ついには、目には見えないはずの風が自身の姿を表すかのように、枝葉が少女を中心にとぐろを巻くよう回り始めた……。輪郭は太く長く、大蛇のようであり、顔らしき部分が鎌首をもたげ、こちらを睥睨する。
風魔法。そう呼ばれるものだ。人間は風を感じることはできても、視認することはできない。だから、風魔法は人間が制御しやすいように、色や物体を纏う性質を持つ。世界は魔法の優しさで成り立っている……
アリクイ少女は、威嚇の姿勢のまま動かない。精一杯の威嚇に相手がどう反応するのか見たかったからだ。少年もまた、動けなかった。まさかの少女が両手を挙げて威嚇してくるという事実に、脳が理解を拒否したのだ。笑顔であったのも理解を拒む一因だったのだろう。
笑顔は古来より威嚇として扱われていたから、野生に帰った少女が笑顔をするというのは、不思議なことではない。そこまで、知性が退化しているという哀しい現実が残るだけだ。
しかし、考えても見てほしい。ある日、自身がよく知る少女が野生児となって、笑顔で両手を挙げて威嚇する姿にどう対応すればいいというのだ。どう対応するのが正解というのだ。ここで声を大にして助けを求めても、誰も助けてはくれない。
まるで時が止まっているかのようだった。
風だけが自身の存在を主張するように、枝葉を揺蕩わせている。
風魔法さんは自己主張を怠らない……。なぜなら本気を出せば誰にも認識されず存在をなかったことにされるからだ。大気を操る魔法だから、普遍的に存在する大気を異常なものとして見る人はいない。生命を生かしているのは自分だという強いプライドが、あって当然のものとして扱われることを許容することが出来なかったのだ。
数瞬の後、少年が動いた。外部に助けを求めることにしたようだ。遠隔通信ができる魔道具を取り出し、形式上の上司に連絡を取る。
「こちら、聖女付き、聖女付き。聖女と接敵した。これより捕獲を開始する」
数秒待つと、了解の返信が来たので、改めて相対する。
何故、彼女を捕獲しなければならないのか。それは彼女が唯一魔法と意思疎通出来る存在であり、魔法に願いを伝えられる存在、いわば救世主だからだ。
少年がいる国ではその救世主を聖女と呼ぶ。
そう…この野生に帰り、人間性を捨て去った鳴き声を上げる、見るも無惨な少女が、国を代表する聖女なのである。
アリクイの威嚇ポーズする野生の聖女に、貴方はどう対応しますか?
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