女の人に抱きしめられた経験があまりないので、とっても困っています。
柔らかいのですが密着しているときにどう呼吸したらいいのかわからないですし、手をどこにやればいいのかもわかりません。
はい、あの後事後処理を他の部署に引き継がれて、誠実さんたちと部署に戻ってからようやく皆さんのボスこと碓井雲雀さんと対面しました。
「ほんっとカワイイ! 誠実のとこじゃなくて私のとこに住まない? お姉さんが養ってあげる」
「いえ、あの、あの」
初対面なのにやけに親しげなのでどうしたらいいのかわかりません。
慌てていると少し不機嫌そうな卯月さんが通りかかりにボソりと呟きました。
「お姉さんって歳でもねぇだろ……」
卯月さんの呟きは見逃されず、寧々を一旦放した雲雀さんにローキックをお見舞いされていました。
雲雀さんは悪い人ではなさそうですが、距離が近くて困ってしまうので誠実さんの後ろに思わず隠れてしまいました。
「あら、照れ屋さんなのね」
「そろそろセクハラですよ。本当に見境がないですね」
「見境がないんじゃなくて守備範囲が広いといってほしいわね」
茶髪の髪をかき上げて、雲雀さんはいかにもできる女という立ち姿で寧々を含めた全員に言います。
「私が不在の間、トラブルも多かったみたいだけれどご苦労様。一通りの報告は聞いてはいるけど、何か共有しておくことはあるかしら?」
寧々は特にないのでふるふると首を振っておきます。他の方々は細かい連絡を伝えつつ、共有をしていき、一通り終わったのを確認した雲雀さんはニッと笑います。
「結構。誠実の呪いについても、あと数日ってところでしょう。寧々ちゃんの転入準備は済ませた?」
「進めてはいますけど……」
「その様子だとまだまだってところかしら。いいわ。制服の手配なら私の友達に頼んだら明日にでも採寸してもらえるし」
そういえば呪いが解けたら寧々も異能者向けの学校に通わないといけないのでした。
その準備も、誠実さんにお願いしていましたが、雲雀さんは誠実さんの負担を減らしてくれているようです。
「誠実、とりあえずあんたは明日午後からでいいから。まずは寧々ちゃんの転入のことやっちゃいなさい」
「ありがとうございます」
「そういうわけだから寧々ちゃん」
雲雀さんがまた寧々をぎゅっと抱きしめてきます。
「デリケートなこととか、男に言えないようなお悩みとか、私にいつでも言うのよ。お姉さんがいつでも手取り足取り教えてあげる♡」
「だからお姉さんはキツいだろ三十路女……」
卯月さんがまた容赦なく蹴られています。卯月さんの失言がよくないのもわかるのですが、ちょかわいそうになってきました。
「え、えっと、ありがとうございます! でも、卯月さんにいつもお世話になっていますし……雲雀さんは皆さんの上司だから忙しいかなって……」
卯月さんのほうが付き合いも長いし、そういったことは相談しやすい、と思ったのですが……なんだか微妙な空気になってしまいました。
「…………誠実?」
「…………いや、だって説明がややこしいじゃないですか」
「そうね……」
雲雀さんと誠実さんがすごく困った顔をしています。
卯月さんはというと、素知らぬ顔で明後日の方を向いていました。
「寧々ちゃん、あのね。卯月に関しては女と思わない方がいいから。詳しくはまた説明するけど……」
女と思わない方がいい?
確かに卯月さんは男の人みたいな口調です。だからでしょうか?
「っと……そろそろ報告書とこの後の会議の準備しないと。誠実、呪いが解けて転入も済んだら寧々ちゃんの歓迎会するからそのつもりでね」
「歓迎会なんてそんな見習いなのに大げさな」
「歓迎会! 歓迎会いいっすねぇ!」
誠実さんが否定的な中、正義さんが歓迎会と聞いてとてもいい笑顔で雲雀さんに言います。
「最近飲み会もなかったですしここらで一つパーッとしましょうしましょう!」
「まーくんは飲み会好きだね。でも寧々未成年だから飲み会にはならないっしょ、多分」
市蔵さんが雲雀さんにそうでしょ?という視線を送ると、雲雀さんは落ち着いた声で返しました。
「そうね。居酒屋はやめて焼き肉かしゃぶしゃぶにしましょう。寧々ちゃん、行きたい方選んでおいてね」
賑やかな部署が更に賑やかになったような気がします。
でも、さっきから卯月さんの様子が変な気がして、ちょっと心配です。
「そういや雲雀さん、出張の後の休暇は?」
「ないわよそんなもの。まあ織鶴と雷鳥も同じだし、文句なんて言えないわ。それ以外は明日休みだったはず」
正義さんの疑問に答える雲雀さんは淡々としていますが、お仕事、大変なんだなぁ……としみじみ感じてしまいます。
ふと、卯月さんが「うげ」と小さく呟いたような気がしました。
――――――――――
夕方頃、そろそろ誠実さんのお仕事も終わりなので片付けをお手伝いしていると男の人が一人部署にやってきました。
「失礼するよ」
黒髪に着物の男性は寧々を見て穏やかそうな笑みを浮かべたかと思うと、きょろきょろと部屋の中を見渡します。
「他のやつらは?」
寧々以外の人を探しているようで、どう対応したものかと考えていますと、誠実さんがすぐに来てくれます。
「穂高さん、お久しぶりですね」
「や、誠実。雲雀さんいるかい?」
穂高、と呼ばれた男の人は思い返せば魔物発生時に上位防人として同行していた方だということに気づきます。
確か鷹司穂高さん、だったはず。
誠実さんも丁寧な対応をしているので、きっと偉い人なんだと思います。
「あの人なら今席外してますけどすぐ戻るはずですよ」
「あ、そう? じゃあ少し待ってようかな」
慣れた様子でソファに座りながら、寧々にもニッコリ笑ってくれます。
「こんにちは。君は見習いの子?」
「は、はいっ! 高橋寧々といいますっ」
「寧々くんね。僕は鷹司穂高。稲穂の穂に高いでほだかだよ」
挨拶してくれた穂高さんはそのまま誠実さんに気安くケラケラと笑うように言います。
「誠実の方はなんか大変だったみたいだね。まさか雲雀さん不在時にトラブルなんて」
「本当にね。出張中に連絡来て何かと思ったわよ」
話をしていたら雲雀さんがちょうど戻ってきたようで話に入ってきます。
その後ろで、卯月さんが穂高さんに気づいて「うぇ」と苦いものでも口にしたような顔をします。
卯月さん、やっぱり様子がおかしい気がするのですが、どうしたんでしょう。
「何、穂高。直接来るような用事あったかしら」
「いやね、もののついでのようなものさ。ほら、頼まれてた件」
何か小さい記録媒体を雲雀さんに渡すと、雲雀さんは「ああ、早いじゃない」とだけ言って受け取ります。
「助かるわ。それで、他の用は?」
「そんな急かさなくてもいいじゃないか」
穂高さんはニコニコした顔で雲雀さんをすり抜けると、後ろで隠れるように視線をそらしていた卯月さんに近寄ります。
「卯月。今夜は鷹司の邸宅に顔を出すように」
「……」
卯月さんは聞こえているはずなのに、一切反応せずその場から離れようとしますが、穂高さんが追い打ちをかけるように言いました。
「返事が聞こえないけど?」
「……へいへい。飯くらいは出せよな」
声からしてあまりいい感情ではなさそうです。
穂高さんはそれを気にも留めず「忘れないようにね」と言い聞かせるように言って卯月さんから離れました。
その様子を、誠実さんはなんとも言えない不思議な表情で見ており、言葉にするのが難しいのですが、あえて言葉で表現するなら「めんどくさいなぁ」といったものでした。
――――――――――
お勉強をしたり、夜ご飯を食べたり、誠実さんから花札を教わったりしてお家で過ごしていると、ふと卯月さんの今日の様子を思い出してしまい、誠実さんに聞いてみます。
「そういえば、卯月さんですが……何か様子がおかしかったような……」
「ああ……穂高さん、というか鷹司さんちのことがあるからね」
花札のこいこいをしながら誠実さんは淡々と、穂高さんと卯月さんの話をします。
「あいつは、鷹司家の飼い犬だからね。多分今頃は鷹司邸で色々言われているんだろう」
「いぬ?」
おおよそ人に言うには悪い意味になりそうな表現です。卯月さん、いい人なのに誠実さんは卯月さんに冷たいときがあります。
誠実さんらしくない、というよりも誠実さんがそこまで言うのは何か変な感じです。
「あいつは正規雇用じゃなくて、鷹司家が特別に防人衆に入れてるんだよね。鷹司家は巫女の輩出家系だから、立場も高いし」
巫女の輩出家系。
それは防人衆における重要な巫女という存在が鍵となっています。
巫女と呼ばれる女性は異能に加えて強い霊力や才能を持ち、特に結界や退魔の力に長けているそうですが、数が少ないことや負担が大きいこともあって、安全のため表に出てこないのがほとんどだそうです。
巫女家系に生まれた女児は幼い頃から巫女として教育され、大切にされるそうですが……誠実さんのご実家、その本家は巫女輩出の家系なので多分夢子ちゃんの存在って、寧々が思っていたより結構ギリギリアウトなのでは……?
誠実さんははぐらかしていますが、多分……いやかなり駄目なことをしているはずです。
巫女に危害を加えること、巫女の力を悪用すること。
これらは防人衆、異能者全体に共通してしてはいけない大罪らしいです。
「でも卯月さんは鷹司さんのお家でもないですし、巫女さんでもないですよね?」
「まあね。あくまで鷹司の”モノ”。それを防人衆に貸し出してる形になる」
もの扱いときました。
ますますわかりません。卯月さんのそういう複雑な立場が寧々を見習いにできな理由の一つだったのでしょうが……。
「これ以上は寧々に言っていいのか僕も判断に困るんだよね。結構機密情報みたいなものだし。……気になるなら明日にでも寧々に教えていいか聞いておくよ」
「わーい」
気になりますし、今後も卯月さんにはお世話になるでしょうから、ご迷惑でなければ知っておきたいです。
お家の問題には首を突っ込めないでしょうが、寧々でもお手伝いできることがあるかもしれないですから。
「それより、学園だけど寮に入れようと思ってたんだけど……」
誠実さんに鶴の札を取られながら、大事な話が始まりました。
「防人衆の先行見習いがあるから、寮だと門限とかの都合もあって厄介だから僕の家から通う方がいいって言われたんだけど、寧々は寮がいい?」
「誠実さんのおうちがいいです! 絶対! 絶対!」
ちょっとでも寮に興味を示したら誠実さんは絶対にそのまま寮に入れてたまに会ったら「元気そうでよかった」みたいなお話とお仕事しかしてくれません。寧々にもわかりますよ、それは。
寧々の気迫に、誠実さんはちょっと苦笑しながら先に三光が完成させて「わかったわかった」と寧々をなだめます。
「呪いの方が完全に解けたら転入してもらうから。それまで、勉強もしておこうね」
「はーい」
次の勝負をするために札を混ぜながら、寧々はこれからのことを思って、楽しみと、ちょっぴりの不安を抱えていました。
――――――――――
次の日の午後、制服の採寸などをすませてから誠実さんと一緒に出勤すると、眠そうな卯月さんがコーヒーを飲みながら出迎えてくれました。
なぜか、あちこちに怪我をしたような姿で。
「う、卯月さん!? どうしたんですかそれ!」
極端な話、ある程度の怪我は治療してもらえることがわかっているので慣れてはいけないとおもいますが驚くことではありません。
しかし、卯月さんは顔や首、腕あたりにガーゼや包帯をつけていて一見するとかなり怪我をしたままで仕事をしているような状態。
そんな怪我をしても治してもらえないのだとしたらひどい話ですし、そもそもなぜそんな怪我をしたのかという疑問で驚きがまず最初に出てしまったのです。
「あー、寧々公。ちょっと静かにしてくんね? 眠くてうるさいと頭いてーんだわ……」
生気のない目でコーヒーを啜りながら、卯月さんは誠実さんの方を見もせずに言います。
「マサとイチは外出てるぜ。俺らはこの後、魔物発生多発地帯の確認と警報の点検」
「わかった。準備してくるからそっちも支度しといて」
誠実さんは特に気にした様子もなく、点検道具を取りに行き、卯月さんもいつも通りといった風に身支度を整えています。
「あ、あの……卯月さん」
「ん?」
どこか諦観の混じった静かな声。なんとなく、放っておけなくて、声をかけてしまう。
「その、何か困っているなら寧々はまだまだ未熟ですが……お話を聞くくらいはできますっ」
言えないこともきっと、誠実さんの昨日の言っていたことからしてあるんでしょう。
でも、1人で抱え込むのはきっと辛いはず。
だから、寧々でも聞けることがあれば、力になりたいと思うのです。
「――ははっ、さんきゅ。そーだな……そのうち、寧々公に助けてもらうかもな」
そう、乾いた笑みを向けた後、背を向けた卯月さんの感情はわからないままでした。
ただ、吐き出されたタバコの煙だけが揺らめいて、ますます卯月さんがわからないように隠しているみたいに。