あのあと、帰宅しようとして本庁の廊下で急に声をかけられました。
「や、誠実。寧々くんも」
以前お会いした鷹司穂高さんでした。確か卯月さんの関係者の……。
ですが卯月さんはいません。お一人のようです。
「吉田組が介入してたんだって? 大変だね、そちらも」
「まあ、そうですね……」
あんまりこの話をしたくないという様子の誠実さん。やっぱり触れられたくないのでしょう。話を変えるように寧々が穂高さんに質問を投げかけます。
「あ、あの! 卯月さんは元気にしてます、か?」
「元気に……って」
誠実さんが呆れたように言います。今、折檻中でしたっけ。そういえば折檻ってなんでしょう。
穂高さんは何かツボに入ったのか吹き出して口を抑えながら笑いながら答えてくれます。
「くく……元気といえば、まあ……元気かな。ふふっ……。とはいえ、反抗的すぎてもう少し戻るのはかかりそうだけどね」
卯月さんはまだ戻ってくるのは先、と。
ふと、穂高さんが寧々をじっと見ています。なんでしょう。首を傾げて見つめ返すと誠実さんが間に入るように位置を変えます。
「他に用がなければそろそろ帰らせてもらいます」
「おっと。結構過保護? まあ、それくらいのほうがいいのかもね」
からかうような帆高さんの声に、誠実さんの機嫌が悪くなったような気がします。
「まあまあ、そんな顔するなって。でもね、一部の家はもう動いてるよ?」
「え?」
「うーん、頭硬いところは様子見ってとこだろうけど……私の把握した範囲でも二家くらいは今頃、奥方か夜彦氏に打診でもしているんじゃない?」
「なにを……?」
誠実さんが本当にわからないという様子で穂高さんに尋ねます。寧々も顔を出してなんでしょうと返答を待つと、満面の笑みで穂高さんは答えました。
「そりゃ寧々くんへの婚約の打診さ」
こんにゃく?
いや、こんやくですね。……こんやく?
婚約って結婚の約束をしてるあれですよね?
「……は? ちょっと待ってください。婚約って……学園だってまだ初日ですよ?」
「そうだねぇ。ただ、初日にしては随分目立ったようじゃないか、彼女」
目立った……? 特に目立つようなことはしていないはずですが……。
身に覚えがないので首を傾けすぎて世界が横向きに見えてしまいそうなくらいです。
「元々、傍流とはいえ阿賀内の人間が身内に入れた子だからね。注目度は高かっただろう。そしたら……あの鈴木家の傘持ち女帝と親しげで、嵯峨家のご令嬢とも対立したとなれば、目ざといところは早々に動いてもおかしくはない。ま、私から言わせれば少々青田買い気質だとは思うけどね」
楽しげではありますが、鈴木家と名前が出たあたりで帆高さんの目がどこか探るように誠実さんを見ているような気がしました。ですが誠実さんは……考え込むような様子で動きがありません。深刻そうではありますが、その様子から穂高さんが望んだものは得られなかったようで肩をすくめています。
「まああの奥方であればうまく対応してくれるだろう。異能なしでこの世界を渡り歩くだけはある。夜彦氏は……どうだろうね。あの方は真面目だが少々権力や人脈作りとなると……ねぇ?」
「そもそも俺が引き取っているのになんで俺の方に連絡がこないんだよ……!」
あ、誠実さんが動揺してます。こうして見ると結構わかりやすいんですね。
「そりゃ舐められてるんだろ。お前がダメだと言ったところで本家や夜彦氏を動かせばいいだけなんだし」
「……………………」
「嫌ならもっと努力するんだな。それか、お前が婚約者になれば一番早いよ? いやマジマジ。本当に」
「穂高さん?」
「誠実さん! 婚約しましょう!」
「寧々?」
寧々にはよくわかりませんが寧々が誠実さんと婚約すればだいたいオッケーだとみました。寧々はバッチコイです!
「お、乗り気じゃないか。実際、婚約者なしで祝鳴に通うのはワンチャン婚活みたいなもんだしねぇ……」
「そんなの一部でしょうが……」
「んまぁ、中流階級あたりがそういうノリだからねぇ。誠実には縁がないだろうよ」
穂高さんは「あーおもしろ」と呟いてへらっと一際にやけた様子で誠実さんを指差します。
「とりあえず、昔のよしみで教えてあげたけど、今回だけだからね。あとはそっちで頑張れ」
「……まあ、ありがとう、ございます……?」
「なんで疑問形なんだよ。素直に礼言えばいいのに」
穂高さんがぼやいていると、本庁内で魔物出現の放送が聞こえてきます。ですが放送の内容からあまり危険ではなかったり、対応できる部署への連絡といったようで緊急性は低そうです。
「おや、最近多いなぁ」
「この様子だと予知してないやつですね。最近予知の精度が悪いような……」
誠実さんが予知担当の人を責めるようにぼやくと、穂高さんが苦笑します。
「まあねぇ……腕のいい異能者も不足気味だし……どこもかしこも人手不足だよ、ほんと。いったいいつゆっくりできるんだか――」
次の瞬間、緊急連絡のアラートが本庁に響き渡る。
耳を塞ぎたくなるような音量に一瞬びくっとなって、放送に耳を澄まします。
『緊急! 本庁待機中の戦闘可能防人は至急情報部に出動ポイントを確認してください! 現在、先程の魔物出現を含めて東京に計5ヶ所の魔物出現の反応があります! 繰り返します! 戦闘可能防人は――』
これは、つまり……。
「……帰れそうにないねぇ」
穂高さんが肩をまわしながらぼやくと、誠実さんも困った顔で「ですね……」と頷きました。
その後、寧々と誠実さんは魔物討伐へと向かい、全て終わった頃には夜になっていました。
防人衆は本当に忙しい。それをわかっていたはずなのに、次の日、その忙しさを更に理解しました。
――――――――――
朝、やけに誠実さんがバタバタしていたので不思議に思って目覚ましより早く目を覚まします。
「誠実さん……? どうかしました?」
「ごめん寧々! 出動! 朝食自分でやってくれ!」
「えっ」
誠実さんがいつものスーツを急いで着ています。本当に余裕がないような様子で、誠実さんは朝食を食べた形跡がありません。
「寧々も行きます!」
「ああああああっ! 行く行かないで揉めてる時間が無駄だから五分で支度できなかったら置いてくよ!」
急いで着替えて車で移動しながらパンと飲み物を急いで食べながら誠実さんに状況を説明してもらいました。
朝早くから未申告異能者の異能事故による火災。それと別場所で魔物出現。更にossが事件を起こした……など、朝からやたら活発な様子で、誠実さんも早めに出てくるよう言われたようです。
仕事としては本庁でまずメインで動いている部署の補佐のようですが……。
運転中、雲雀さんからの連絡が入りました。
『悪いけど新しい魔物出現。多分今あんたの位置が近いから現場向かって。正義が市蔵連れて直行してるから合流しといてちょうだい』
ほぼ言い切りの形で通話が切られ、誠実さんが深々とため息を付きます。
「すごい慌ただしい……ですね」
「忙しいときはこんなものだよ……忙しくなってほしくないけどね……」
――――――――――
その後。
「ヤバイヤバイ魔物多すぎ4体いるんだけど誠実さん!」
「応援くるまで足止めかなぁ……」
「てか寧々も来たの? 学園は?」
「今その話してる余裕ないだろ」
「あっ! 1体この場から離れそうですっ」
「んもぉぉぉぉ……正義、市蔵! 魔物にテレポートと魔物に浮遊は!?」
『ちょっとデカすぎて連発無理』
「応援応援応援応援応援」
「そんな連打しても早くは来ないっすよ」
――――――――――
本庁に戻って報告書作成中……。
「はい、戻ってきてデスク中悪いけど新しい案件回ってきたわよー。ご飯食べたらさっさと行け」
「まだ午前なのに2件も現場案件!?」
「寧々……君は学園行っていいからね……?」
「いや昨日の今日あって送り迎えできないのはよくないでしょうが」
「あああああああああああ……」
「誠実さん! 寧々は大丈夫です!」
「というか実際、誠実より寧々の方が対魔物戦闘では役に立つんだよなぁ……」
「いっちー、それセージさんがガチで凹むからダメだって」
――――――――――
夕方――。
「帰りてぇ……帰り帰り帰り亭……」
「市蔵、うるさい。帰りたいなら報告書仕上げなよ」
「午後ずっと動きっぱなしで流石に疲れたんだって……」
「はい。新しい仕事よー」
『今から!?』
「なんだか、寧々だけ先にご飯いただいてるのが申し訳なくなってきました……」
――――――――――
夜――。
「ありえねぇ……この時間になってもテレポで帰れないとか……」
「え? 使っちゃダメなんですか?」
今度こそ帰るつもりの皆さんが最後の報告書を仕上げている中、正義さんが地を這うような声でぼやいたことが気になって思わず聞き返します。
「ん? ああ……瞬間移動とか空間能力って基本的に日常での使用は禁じられてんの。防人衆での仕事で使うのは問題ないけど、通勤とかはNGだね」
「はえー」
寧々の感心した声に誠実さんが目を細めながらこっちを見てきます。
「寧々、君もその能力、普段遣いはダメって講習やったよね?」
「…………はい!」
「今完全に忘れてただろ」
「まあ一応電車は残ってるしまだマシ――」
市蔵さんが苦笑しながらパソコンをシャットダウンすると、ガチャッという音に皆さんビクッとして振り向きます。
「お疲れ……ってあんたたちそんな怖い顔で睨むんじゃないわよ。寧々ちゃんこれ活動証明ね。次登校するとき担任に提出しなさい」
「はーい」
見習いはこういう仕組みなんですね。
――――――――――
次の日。今日は土曜日なので寧々は学校もありません。
昨日はとても忙しく、皆さん最後には帰りたいと呟く壊れた機械みたいになっていましたが、無事帰宅できたのが夜中でした。
帰り道にコンビニで適当なものを買い、それを食べて誠実さんはシャワーも浴びずそのまま寝てしまいました。寧々も疲れたのでシャワーのあと寝ましたが。
寧々は見習いなので今回みたいな手伝いなどの理由があれば公休となるみたいです。月曜には普通に行くつもりですが、二日目にしてサボってしまったようでなんだかちょっぴり罪悪感。
あくびをしながらお部屋を出ると、誠実さんはまだ起きていません。
よっぽど疲れていたのでしょうか。たしか今日は「一応」「多分」「可能なら」一日休みだったはずなので寝かせておいてあげましょう。
冷蔵庫を覗いてみますと……あんまりないですね。
とりあえずお米を炊いておきましょう。お米を炊くくらいなら寧々もできますとも。
あれ、お米を水に浸けるのって何分くらいでしたっけ……まあ多分大丈夫でしょう。
お米を炊き始めてしばらく考え……おかずがないと気づきました。なにか使えそうなものは、と考えて卵が二つ残っていることに気が付きます。
『寧々が朝食を作ってくれたのかい? なんて偉いんだ。結婚しよう』
『はーい!』
完璧なイメージですね。これには誠実さんも一撃必殺です。
そう思っていたんですけどね。
フライパンに張り付いた目玉焼きの残骸を見て寧々は……強火の恐ろしさを身にしみて理解しました。
これは……生半可な覚悟では挑んではいけないことなのだと……。
パチパチと何か弾けるみたいな音にどうしていいかわからずあたふたしていたせいで完全に対応を間違えました。
「……なんか焦げ臭いけど大丈夫?」
目玉焼きだったものに頭を悩ませていると誠実さんが起きてきたようでメガネをかけずに近寄ってきます。
「これは……その、えーと……」
「ああ、お腹空いたのに何もないからか。ごめんごめん。あ、でも米は炊いてくれたんだ」
あまり気にした様子もなく、炊飯器を見てから改めて眼鏡をかけて誠実さんは言います。
「全然食材ないし、ふりかけとその目玉焼きでご飯食べたら買い物行こうと思うけど……一緒に行くかい?」
「行きます!」
目玉焼き(残骸)のショックが吹き飛びました。誠実さんとデートです。
どうか願わくば今日一日は平穏で何事も起きませんように……。
ご飯が炊けて焦げた目玉焼きは誠実さんが比較的マシな部分を寧々に取り分けで残りを自分のものにしていました。
とても罪悪感。寧々も料理を勉強しなければいけません。
――――――――――
まだ少し早いですが午前中にお家を出てデパートに向かいました。
誠実さんの車で外を眺めながら「学園に持っていくもので必要そうなものある?」など買うものを決めるためのお話をしています。
一日だけなのでまだ思いつきませんが、文房具はちょっと欲しいかもしれないです。
「あとは……そういえば服も買っておかないとね。今あるものだけだと少ないだろ?」
「そんなことないですよ?」
それに普段は制服ですし。
元々私服を多く持っていなかったのであまり不便さは感じません。
「…………まあ、夏服はもう少し先にならないと並んでないか……。でも今日も欲しいものがあったら言うんだよ」
「はーい」
あっという間におっきなデパートへとやってきました。食材は最後に買うとして……いざ欲しいものとなると思いつきません。
今は行楽フェアでピクニックとかに使う商品が目立つように並んでいるのが目に入りました。
ちょっとだけ気になって近寄って見ます。かわいいお弁当箱が気になりましたが学園ではお弁当ではないので必要はないのでお別れです。
「いいのかい?」
「はい。他の場所に行きましょう」
いざ色々と見て回りますが必要なものと言われるとあまり……具体的なものが浮かびません。誠実さんのおうちは物は多くないですが必要なものは揃っていますし。
「本当にいいのかい? せっかくだから欲しいものがあったら言っていいんだよ?」
「えーと、えーと……」
困りました。本当に思いつきません。
こういったお買い物は小さい時に1回あったくらいなので欲しい物と言われてもよくわからないのです。
でも何か、何か言わないといけないような気がします。
「……別に無理はしなくていいからね? いつでも、は仕事もあるし難しいかもしれないけど……また行こうと思えば行けるからさ」
寧々が悩んでいるのを見透かしたように誠実さんは優しく声をかけてくれます。
昼は何食べたい?とここにあるお店を確認しながら誠実さんは寧々の手を引いて、半歩先を行きます。
なんとなく、それが今の寧々の立ち位置のような気がして思わず早足で隣に並ぶ。
それを受けてか誠実さんは困ったように苦笑します。
「そんなに急がなくても置いていかないよ」
きっと、本当にそうでしょう。
だからこれは寧々が勝手に不安になっているだけ。
ファミレスに入ったものの、注文に悩んでいると、誠実さんはもう自分の分は決めたのか、寧々が悩んでる姿を見ながら「決まったら教えてね」と言ってきます。
ふと、ファミレスで楽しそうにはしゃぐ子供を静かに、と咎めるお母さんが目に入ります。
お父さんもいて一家でお出かけでしょうか。他にもそういった家族連れが目立ちます。昨日の魔物騒ぎがあっても、防人さんたちのおかげで彼らはこうやって笑顔でお出かけができるんだな、と改めて実感します。
前までの寧々も、防人さんたちの頑張りの上に成り立っていた日常を当たり前のように享受していました。
「寧々? どうかした?」
誠実さんが不思議そうに寧々に声をかけてきます。心配そうに見る姿に慌ててメニューを見直しました。
「大丈夫ですっ。その、寧々って、大したことができないと思っていたんですけど……」
賑やかな人々の声を背に、自分ができることを改めて噛み締めて、思わず口角があがってしまいます。
「少し、考えが変わったかもしれません」
「ふぅん?」
「寧々の力が、人の役に立って、誰かのこんな穏やかな時間に繋がってるのかも、って思ったら」
それは、誇れることなのだと、身が引き締まる。
きっかけこそただ寧々のエゴでした。でも、強くなりたいと思うことも防人として恥じない人になりたいと、この当たり前の日常を見て思うのです。
誠実さんとあの時出会わなかったら寧々はきっとこんなこと、考えもしなかったと思います。
「寧々は誠実さんと出会って本当によかったと思えるんです」
寧々の素直な気持ち。メニューを決めて顔をあげると、誠実さんが少し顔をそらしていました。
「誠実さん?」
「決まった?」
「あ、はい」
誠実さんはそのまま店員さんを呼んで話は続かなかったのですが、誠実さんはどこかご機嫌そうでした。