焚かれし騎士の手記   作:匕囗

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約束

 狼―聖火神の後について祭壇を横切り、洞窟の中を進んでどれくらい経っただろう。時折どこかで水滴が落ちる以外に物音と言えば、私たちの足音ばかり。

 雪と風に晒されないだけで、体感温度はずいぶん違う。さすがに暖かいとまでは言えないけれど、こうして動いていれば凍えることはまずないだろう。

 隣を歩くロンドをちらりと見遣る。彼は私よりしっかりと着こんでいるし、特に凍えたりもしていないようだ。良かったと思う一方で、気になることはある。

 そうして見ていた所為かロンドが視線に気付き、どうかしたんですか?と言うように首を傾げた。私は少し迷った末、彼に尋ねることにした。

「傷、大丈夫?」

 手合わせの時、攻撃は全て急所を狙った。躱せるように少し加減してはいたのだけれど、彼が当たらずに回避できたものはそう多くない。

 彼の服に残る、時間が経ち黒くなった服の染み。その奥には治療を待つ傷がある。

「痛むようなら―」

 と、ポーチから傷薬を出そうとするのを、やんわりと止められた。

「大丈夫ですよ。もう血は止まってますし、深い傷はあなたが手当てしてくれたでしょう? おかげで痛みもありません」

「本当?」

「はい」

 朗らかな笑みは自然なもので、無理をしているようには見えない。でもランタンに照らされた顔色は白く、血を流し過ぎたことが判る。

 大丈夫という言葉は嘘じゃない、だけど万全でもない。…私はやりすぎたんだ。

「なら、せめてこれを」

 取り出した小瓶をロンドの手に乗せた。それを不思議そうに持ち上げた彼の視線の先で、瓶の中身がちゃぷちゃぷと揺れる。

「賦活の飲み薬。この洞窟を出た後、短い距離でも吹雪の中を歩くだろうから、飲んでおくといいよ」

「いいんですか? 貴重なものじゃ…」

「その傷を負わせたのは私だし、必要があればまた調達するよ。だから気にしないで」

 それならと彼は瓶の中身を呷った。呷る寸前、小さく聞こえた「頂きます」に彼の育ちの良さが窺えて思わず微笑んでしまう。

「わ…なんか体がぽかぽかしてきました」

「即効性なんだ。効果は数時間続くから、街に着くくらいまでなら保つと思うよ。ただ、今日は眠りが深くなるだろうから、早めに休んで」

「なるほど…わかりました」

 前に一緒に旅をした時もそうだったけど、ロンドの素直さは接していて気持ちが良い。きっと皆に慕われ、親しみやすい聖火守指長になるだろう。

 “彼”とは違う道だ。…それで良いと思う。

「ミトスさん? どうかしましたか?」

「ん…ロンドは素直で良い人だなって思ってただけだよ」

「え」

 きっとみんな、ロンドを頼りにするだろう。外からはもちろん、中からも期待を寄せられる。

 聖火守指長として、これからもその聖火で大陸を守ることを望まれる。

 それはロンド自身の望みでもある。

 今日聖堂で会う前は、ロンドは期待に応えようと頑張りすぎるんじゃないかと心配していたのだけれど、…杞憂だった。

「ロンド、約束を忘れないでね。あなたの周りにはあなたを想うたくさんの人がいること、忘れないで」

 もうあんな悲しいことが、起きないように。

「……もちろんです。もう忘れたりしません」

 真摯な目に、心からの安堵を覚えた。

 これならきっと、“選ばれし者”が役目を終えても大丈夫。“選ばれし者”が、私がいなくても――

「だから、何も言わずにどこかへ行ったりしないでくださいね。ミトスさん」

「――!」

「サザントスさんみたいに…独りで遠くに行ったりしないでください」

 迷子のように手を繋がれる。

「もう、あんな思いはしたくありません」

「ロンド…」

 ――できない約束を、したくない。誠実でありたい。

 でもどちらを選んでも、彼を悲しませる答えになってしまう。

「…仕方ない次期聖火守指長さんだね」

 繋がれた手をそっとほどいて、ふわふわの髪を撫でた。彼の方が背が高いから、見上げるようにしながら。

「私は旅人だから一所には留まれない、ずっと一緒にはいられない。でも約束するよ、ロンド」

 彼の自身の炎とよく似た青の瞳を見つめて、誓う。

「お別れする時は、ちゃんとあなたに“さよなら”を言うよ」

「……その日が遠いことを祈ります」

 本当に祈りたいのは『その日が来ないこと』だろうに、優しい彼は『せめてその日が遠いこと』を祈った。

 でも彼の目は正直で、寂しさを隠せていない。思わず、少し背伸びをしてその頭を柔く抱きしめていた。

 驚きに彼の体が強張るのを感じながら、柔らかな髪をよしよしと撫でる。

「強くなって、ロンド。大切な人たちを守れるように。いつか来る別れに、心が壊れないように」

「―――はい」

 最後にぽふぽふと撫でて、体を離した。

「大丈夫、まだ暫くはこの世界にいるよ。だからほら、帰ろう」

 ランタンを持ち上げて先を照らす。洞窟の出口と、傍で待つ聖火神が見えた。

「そうですね。帰って、美味しいシチューでも食べましょう」

「その前に治療を受けてね?」

「あ、そうでした」

 ふふ、と穏やかに笑い合いながら二人で出口へと向かう。

 今はまだ、別れに怯えなくていい。寂しさに心を寄せなくていい。どうか安らかであってほしい。

 大きな喪失と悲しみを乗り越えて前に進むあなたは、きっと大陸を照らす温かな光になる。

 

 希望の灯火は一つじゃない。

 かつて“守り手”と呼ばれた彼らこそが、今の大陸を照らす灯火だ。

 ロンドは「みんなも思い出したい筈」と言ったけれど、私はやはり……思い出してもらうことは望まない。

 今の彼らが安らかであること。希望を持って明日を望んでいること。苦難に屈しない強さを持っていること。

 ひとりではないこと。

 私は、それを見届けられればいい。

 

 ロンドも今はまだ少し未熟だけれど、経験を積めば立派な炎を宿すだろう。

 そう…“彼”にも劣らない、青く純粋な炎を。きっと――




いつか夕暮れに導かれることになるのかも知れない
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