【推しの娘】 〜Trance Stars Family〜 作:かにみそスープ
★第一話★ Truth Sole Fiction
いつでも星は夜空にある。何光年の先で星は瞬く。
だが手を伸ばした星はそこにはない。届くことはない。何故なら視界に入る星は『星』ではなく『光』でしかないからだ。
光は時間の届け物。過去の残滓。それはどの星も変わらない。『一番星』であろうとも、光として届く時には過去の忘れ物になるしかない。
——それこそ『星野アイ』のように。
——ストーカーと『カミキヒカル』による犯行で命を落とした完璧で究極のアイドルは、あの日確かに時間の忘れ物となった。
「ああ、疲れた。ただただ疲れた」
復讐は終えた。カミキヒカルの命と尊厳を抹殺することができた。
だけどそれまでだ。俺の中に眠る復讐心が燃え尽きた今、心と身体の熱がコンクリートの壁に吸われて溶けていく。
——ああ。この感覚は久しいな。
——頭が真っ白になっていく。雪のように少しずつ記憶を白くしていく。
——走馬灯か。お迎えには早すぎると思うんだけどな。
朦朧とした意識の中で、これまで記憶と時間が逆流していく。
ビデオテープを巻き返したような雑音が頭の中で劈き、犇き、どこか他人事のまま記憶をなぞっていく。
さりなちゃん——。
ルビー、ミヤコさん——。
五反田監督、斉藤社長——。
黒川あかね、姫川大輝——
有馬かな、MEMちょ——。
東ブレの共演者——。
今ガチのみんな——。
プロデューサーやディレクター陣——。
『ああ。君のすべてを捨てるほどに復讐を遂げるとは……』
『それだけ僕の命に『重み』があったということか』
そして——カミキヒカルか。
結局この復讐劇は相打ちどころか、あいつの勝ち逃げとなったような気がするが、なんかもう全部どうでもいい。燃え滓の心では怒りも、悲しみも、憐れみも、喜びも湧いてこない。
もう——何も感じない。
冷たい空気が肺を突き刺す。針のように小さくも鋭く深々と。目の奥で血の巡りが止まり、光をなくして闇を超えて『無』と向かっていく。
世界にひっそりと押し殺されるような、あるいは世界に優しく息を止めさすような、そんな感触を抱きながらすべてが霞んでいき——。
…………
……
『なんにせよ、元気に育ってください』
『母の願いとしては、それだけだよ』
……
…………
最後に——アイの笑顔と言葉が脳裏に輝いた。
「……ごめん、ごめん……っ!! ごめん、なさいっ……!」
燃え尽きた今、俺の中に燻っていた幼児性が発露されていく。
何も見えない世界で『星』は瞬き続け、この心に極彩色に染め上げていく。
ああ、アイはこんな眩しかったんだ——。
そうだった。狂わずにいられない。蛾が火を惹き寄せられるように、この鮮明な記憶だけが手放したくない。
ガムシャラに星に手を伸ばす。その星が『過去』の輝きだと知っていても。
迷い人を照らす不動の『
——あなたに会いたい。星に願いをかけて。
…………
……
「いいこでちゅね、アクアマリン〜〜っ」
マジかよ——。それが意識を覚まして最初に思ったことだ。
覚めたら泣きたくなるほど懐かしい顔がすぐにそこにあった。
長くて艶やかな黒い夜空の髪。
誰も彼もが虜にされる星の瞳。
メディアを沸かす無敵の笑顔。
「あ、あぁ……」
『完璧で究極の
「っ……あっ……」
『一番星の生まれ変わり』——。
俺の、ルビーの『
『星野アイ』がそこにいた——。
「ぁあああああああああああああっ!!」
「おーどうしたの、マリン。あまえんぼさんだね」
「アイっ……アイィ!!」
「あいあーい。おかあさんですよ〜〜」
激情が溢れて止まらない。涙が押し出されて歯止めが利かない。
指先がアイの温かさを求めてる。あの冷たく消えるアイの命を塗りつぶすように強欲に。
「結構泣くね、珍しく。いつも哺乳瓶だし、おっぱいが恋しいのかな?」
アイドル活動や事務所で社長さんに甘える時は別ベクトルで、魅力的な甘い声。
赤子を抱える腕はおっかなびっくりながらも、基本に忠実で愚直で固さがある。子供を守ろうとする優しい温もりが確かにある。
アイってこんな母親だったんだな。
知っていたはずなのに、赤子として素直に接したことがなかったから意識したことがなかった。
——『あんまり良いお母さんじゃなかったけど』
確かに色々と危なっかしい所はあったけど。
確かに色々と杜撰でいい加減な所はあったけど。
確かに色々と自由すぎてどうかと思う所はあったけど。
——『私は産んで良かったなって思ってて』
『良い母親になろう』という意思はあったじゃないか。
アイはこんなにも——分かりやすく愛してたんだ。
「お腹減った? おっぱい飲む?」
本能がアイを求めて甘えてしまう。貪りつくように体が引き寄せられて、理性なんて物は溶け切ってしまう。
自分が何しようとしてるのか判断がつかない。だけど倫理的にまずいことは分かる。でも止められない。やめられない。
「あはは、くすぐったいよっ!」
ああ——なんかすごい、解放的で——。
なんかすごいフワフワしてて——。
すごいなんか癒されて——。
ごいりょくがうしなっていく——。
「バ、バブー……」
「ウチの兄が、バブみを感じてオギャってる……」
——なんかすごい冷え切った視線を感じた。
視界の端で、ドン引きしてる赤い瞳の妹こと『ルビー』兼『さりなちゃん』を見て、俺は自分の生き恥を悟ってしまった。
もう兄貴面できねぇな、と——。
…………
……
「きんもーっ!! 流石にきんもーっ!! 累計50歳間近の男が、16歳のアイドルのおっぱいに包まれてご満悦なのはきんもーっ!!」
「我が身を振りかえろよ、ルビー」
感動の再会というには、あまりにも見っともない痴態を晒してしまったせいで一気に頭が冷静になる。おかげで現状を把握するのにも大して時間もかかずに済んではいるんだが。
「しかしまた一緒とはな。『転生』だけじゃなく『時間遡行』も体験できるなんて……」
「縁があるよねぇ。『せんせ』と一緒にいた時もそうだったけど」
俺とルビーは、アイがまだ売れっ子になる前に住んでいた賃貸マンションにいる。時期としてはアイが16歳であり、俺たち(星野兄妹)が産まれてから1ヶ月ぐらいだ。
本日星野アイは芸能界復帰を果たし、これから夢見る東京ドームでのライブ公演に向けて邁進していく。それが本来の道筋。本来の未来。
同時にそれは——あの『悲劇』が待っていることを意味してもいる。
「ところでお兄ちゃんはさ、どこまで覚えてるの? 前の世界のこと」
「カミキヒカルと決着をつけたところまでは覚えてるぞ。それがどうした」
「ふーん、なるほど……」
「なんだその含みのある言い方」
「私と同じ感じで安心したの! こういうの漫画とかアニメだと、同じ時間軸じゃなくて『並行世界』って感じで、ちょっとズレたところから流れてきた〜〜、とかありがちじゃん!」
「ここはアニメでもゲームでも漫画でもないんだぞ。んなこと早々ねぇよ」
「うわぁ、リアリスト〜〜」
とはいっても『転生』と『時間遡行』の後だとあり得ない話ではあるんだがな。
そう考えると意外とこの世界は不思議に満ちている。医者じゃなくて研究員でも目指せばよかったと思ってしまうほどに。
しかし、どうしてこうも俺たち二人は奇妙奇天烈なことに巻き込まれるんだ。これもあの『カラスの少女』——『疫病神』の仕業か。
だとしたら分からない。『転生』の時もそうだったが、どんな目的があってこうも俺たちを弄ぶ。いや、弄んでるかどうかは直接聞いたわけじゃないから想像にしか過ぎないのだが。
やり直しをさせてまで見たいものがあるのか——。
あの顛末は、お前にとって好みでもなければ望んだものでもなかったのか——。
だとしたら随分といい加減で、出来の悪い脚本だな。こういう形でしかアイを救えないなんて都合が良すぎるなんてものじゃない。脚本家的には『没案』にしたって意味じゃないか。
だったら——あの話は何のために——。
『何のために■■■■——?』
「……っ?」
「大丈夫お兄ちゃん!? 具合でも悪くなった!?」
「ただの立ちくらみだ。そう深刻にするな」
なんだ、今の感覚——。PTSDに近いが、どこか差異がある。
思い出せないとか、思い出しちゃいけないとかそういうのじゃない。『気づいちゃいけない』とでも言いたげに、それ以上は脳が理解を拒絶しようとしてくる。
「……いや、いいさ。どうせ一度は無力に、二度目は捨てた人生さ。今更どうこう気にしても些末なことだろう」
大事なのはアイだ。アイの命を何としても——。
出来が悪かろうと、都合が良かろうが、恥をかこうが、なんでもいい。
何があっても、未来を変えなきゃいけない——。
…………
……
なんて決起しても、おんぶに抱っこしてもらって、泣いて食って寝るのが基本の赤子ではやれることは少ないわけで。
とりあえずは立って歩いて、喋っても問題ない年齢になるまでは前までと一緒で大人しく過ごすしかなかった。養母代わりのミヤコさんの精神的ケアも行ったり、気分転換も兼ねてアイのライブに赴いたりと、本当に変化なく過ごしてきた。
だから気づかなかった——。本当に気づかなかった——。
ここまで何も変化なし。ただただ緩やかに毎日を過ごし、少しずつ焦燥感が募っていく無力なだけの赤子時代。
ルビーに『決定的な変化』が実はすでに起きていたことを言われるまでは——。
「ねぇ、せんせ……。あの……ちょっと見て欲しいんだけど……」
「何をだよ。医者といっても20年近く現場離れるから、アテにはできないぞ」
「えっと……女の子でもアレって生えてるもの?」
「………………アレが無駄毛のことなら、女性でもスネ毛や脇毛は生えるぞ。あまり口にするべきじゃないが当然デリケートゾーンとかもな。だけど早すぎないか? 俺達赤子だぞ」
「流石にそこに幻想持ってないよ。そういうんじゃなくて……とにかくこっち来て見て!」
ルビーに引っ張られて共々にトイレにぶち込まれる。その勢いを落とす事なく妹は生まれたままの姿を曝け出して、俺に直視させてくる。
推しのアイドルの裸なら神聖なのもあって多少たじろぐが、赤子や幼児の裸なら今まで何度も見てきてる。元々は産婦人科医だからな。むしろ仕事スイッチが入って冷静になるほどだ。
さてルビーが何がお悩みで俺を呼んだのか。触診のためには、まずは外傷や外的な変化がないかを目視する必要がある。
至って健康な優良男児の肉体だ。なんの問題もなく健康体そのものだ。あのさりなちゃんがこれだけ元気の肉体を持ってるなんて誇らしくて歓喜の涙が——。
「ん? あれ?」
——至って健康な優良『男児』とな。おかしくないか。
だって『天童寺さりな』の時も『星野ルビー』の時も、どちらの人生も『女の子』として命を授かったはずだ。これは真実だ。嘘なんて介入する余地がない。
——妹が弟になった? そんなことがあるのか?
——はは。アニメや漫画とかあるな。そういうのあるある。
——『Trans Sexual Fiction』で略して『TSF』とか言われるやつだよな。
——じゃねぇよ。だったら『俺』はどうなってるんだ?
分からない、分からない。幼い体では性差による肉体的な差異はまだ分かりやすくでない。衣服の上からでは分かるはずがない。
なら確認する方法はたった一つ。
ルビーに背を向けて、俺はスラックスの中を覗き込んで『ソレ』の確認をした。
なにせ風呂の時はアイと一緒に入っていて目を瞑っていたし、ミヤコさんにオムツを替えてもらう時は赤子らしく振る舞うために鳴いて要求して天井のシミを数えていた。
こうして一人である程度動けても問題がない年齢に成熟するまで自分の『生殖器』を観察したことがなかった。
——だから、こうして初めて気づいて知った。自分の性別というものを。
「なんで俺『女の子』になってるんだよ!?」
「私も『男の子』になってるんだけど!!?」
そう。今世の俺たちは『兄妹』ではなく『姉弟』としてアイから命を授かっていた——。