【推しの娘】 〜Trance Stars Family〜 作:かにみそスープ
「《新宿クラスタ。厄介な奴等みたいだな》」
「《何も考えてないバカの集まりですよ。全員倒せばそれで良いと思ってる》」
一方その頃、渋谷クラスタと呼ばれる主演陣の面々であるあかね、フリル、鴨志田の三人も負けずと稽古に明け暮れている。
あかねもフリルも鴨志田の全員が界隈では売れっ子の名声がある実力派だ。制作陣が顔見せする以外で全員が揃って稽古できるなんて割と珍しいことであり、積極的に三人が揃い踏みするシーンを行なっていく。
「《どうします? あいつ等攻めてきますよ》」
「《俺は姫の懐刀だ。持ち主の指示に従うだけ》」
あかねの演技は冷静に淡々と。しかし刀鬼の心情に寄り添い、匁には一瞥たりとも視線を向けることなく鞘姫の動向を追い続ける。
その視線は『忠義』——。指名を受けるのは主君だけであると態度だけで語る。自分は物であると言いたげに、練習用の木刀さえも微動だにさせず視線だけで鞘姫を追う。
「《鞘姫——。決断を》」
匁役の声に、静観していた鞘姫は目を見開く。瞼に錘でもついてるかのように気怠そうに。戦いたくないと言いたげに重苦しく。
「《刀を抜けば……血が流れる》」
鎖を一つずつ解くかのように重厚に。躊躇いを溢すように息を吐き出す。
見惚れる演技——。文句なんてない。
ないはずなのに、そこでフリルは「違う」と一人納得できない表情で演技を止めた。
「……ごめんなさい。なんか違うよね」
「いやフリルさんが気にする必要はないよ。元々やたら動きだけで表現する部分が多すぎる台本だし。2.5次元慣れしてる俺ですら、ちょっと難しいところあるんだから今回のは規模の割に結構難易度高いんだよ」
鴨志田の優しく諭すが、フリルはご機嫌斜めに視線を逸らして頬を膨らませる。
元々役者というのは負けず嫌いだ。それが正論だと分かっていても、納得できるかはどうか別問題なのである。
「黒川から見てフリルさんの演技はどう思う?」
「う~~ん……そうだなぁ」
いきなりアドバイスを求められても返答に困るのが今のあかねの状態だ。
正直自分の中では答えはとっくにある。前の世界で演じた鞘姫を模倣してバージョンアップすればいい。それだけのことであるが、それはあくまで『黒川あかねが演じる鞘姫』としての答えであり『不知火フリルが演じる鞘姫』としての解答ではない。そこが非常にネックになっていて、現在の渋谷クラスタ組は伸び悩みを感じていた。
「脚本の意図は明確。鞘姫役にフリルさんを選んだってことは、同時に『フリルだからこそできる鞘姫』を求めてることの裏返し。その意図を組まない限りは私からは何とも」
「でも演技指導の金田一さんからは「これでもいい」ってお墨付きはあるんだよね。ここは一つの見せ場ではあるけど、鞘姫の最大の見せ場は合戦だからって」
つまりはフリル自身の問題。このシーンに納得できないのは彼女自身が追っている『鞘姫』との解釈違いがあるのだ。
もちろんこのシーンで「《皆殺しにしてやるわよ〜〜!!》」とか言って殺戮クレイジーになるのも当然違う。というか役者に提供する前の脚本では、そういうシーンに近くとも遠からずなあたり、元々鞘姫のキャラ像がある程度ブレてるのが実情であり、その『見えない部分』をフリルは掴めずにいた。
——脚本家はいったい鞘姫のどんな新しい一面を求めてるのか。
——そしてその一面にどうして不知火フリルが必要なのか。
その答えがいまだに見えて来ない。本番までは2週間しかないというのに。
…………
……
手探りの状態のまま今日の夕刻を迎える。
とりあえず一度原作を見直したりしたし、脚本家と演出家であるGOAと金田一共々に相談したが「別にそれでも問題ないよ」と言われてしまい、フリルに求められている鞘姫の演技の見当がつかないまま本日の制作陣立ち会いの稽古はお開きとなった。
「お疲れフリルさん。これあげる」
「お疲れ。最近やたらと私に絡んでくるね。気がある?」
「半分ぐらい」
冗談だと分かる小粋なトーク。鴨志田も自分の分として取っていた運動用の飲料水を含むと、疲労感も吐き出すように大きく噯気を溢した。
「うし。居残り稽古でもう一本やらないとな」
「積極的だね。鴨志田くん、この舞台稽古に入ってから『女遊びしてない』って友達から聞いたけど、どんな心境の変化があったの?」
「……あの演技見せられて、悠長に遊ぼうと思える?」
鴨志田の視線があかねを追う。そのあかねは一人で殺陣の練習中だ。
刀鬼はクールなキャラ性もあって元々セリフは少ない。動きと感情演技を中心として彼が内包する世界を体現しないといけない。
その演技力には鬼気迫る物がある。元々刀鬼のこの時点での原作での強さは『ブレイドとつるぎの二人を相手にして対等』という抜きん出た実力を持っている。
故に動きだけで強さを表し、冷静さを匂わせ、鞘姫の許嫁としての覚悟と忠義を見せつける。
静でありながら動——。
動でありながら静——。
矛盾にも等しい、ある意味では『凍てついた炎』や『燃えたぎる氷』とでも言うべき絶妙な表現をあかねは見事に表現し切っている。
振るわれる激情の一閃は瞬間でありながら永遠。
彼の怨讐は嘆きと叫びであり、声に出さずとも刀だけで悲鳴と慟哭を表現しきる。空気を断つ太刀筋は、まるで心の残響でも刻むかのように世界を深く斬り裂いた。
それは物語のクライマックス。
鞘姫を守れなかった自身に対して、無念と無力を周囲に当たり散らす自罰的行為。死に場所を求めて戦い続ける痛々しい戦い方。
あかねは見事にセリフに出さずとも刀鬼の鞘姫に対する想いを吐き出させていた。
あまりの演技力に幻覚を見せつけられるほどだ。
その幻覚は蜃気楼のようで輪郭が定まらない。あかねが演じる刀鬼の姿にノイズでも奔るように、一瞬だけあかねの姿そのものが歪む。
黒川あかねに『誰か』が乗り移っているのかと錯覚するほどに——。
それを感じ取れるほどに、あかねの演技力と表現力は群を抜いていた。
主役としての見せ場さえ与えられたら観客の視線を釘付けにする独壇場。彼に対抗できるのは有馬と姫川くらいであり、あかねの一次元違う演技力を遺憾なく発揮する意味でも、あの二人は新宿クラスタ組にキャスティングされた事情も垣間見えるほどに。
——だからこそ、そんな演技を見せられたら役者としては歯痒い思いを背負わざるをえない。
——刀鬼と関わりが深い鞘姫役の不知火フリルは、それに拮抗しうる才覚を制作陣は見出してるということ。
——そして遠回しに刀鬼と関わりが薄いキザミと匁役である鴨志田とメルトの二人は、あかねや有馬と比べたら数段格下であると突きつけているにも等しいのだから。
「正直すごい舐めてた。俺は実力もルックスも自他共に認める役者。どんな相手が来ようとついていけるし、合わせてやろうと意気込んでいた」
「自惚れてるね」
「自惚れるくらいの自尊心ないと、この世界でやっていけないだろ」
その言葉にフリルは頷く。ハッキリ言って、この業界は良くも悪くもナルシストの輩は非常に多いし、フリル自身もその一人だ。
自分に自信がなければモデルを筆頭にマルチタレントなんかやらないし、そもそも自分を応援してくれるファンの前で「私は自信がありません」とかいう応援を裏切るような真似なんかできない。この業界は押し付けつけるだけ押し付けて、潰されない者だけが生き残れるのだから。
「けれど正直俺は主演陣として見たら下から数えたほうが早い。トップは当然黒川あかねと有馬かな。次点で姫川さんって感じだけど、この三人は次元が違う。どんなに下駄を履いても追いつける気がしない」
「……わかる」
本心からの同意をフリルは溢す。
稽古を2週間も続ければ痛いほど実感する。マルチタレントとして幅広く活動しているフリルの実力では有馬、姫川、あかねの三人に張り合うには1ヶ月という期間はあまりにも短すぎると。最低でも1年間は役者業だけに集中して研鑽しないと影を踏むことさえできないほどであると。
「メルトだって『今日あま』の時から目覚ましい成長はしている。そりゃ未だにヘボな演技してる部分はあるけど、アイツの芸歴は『一年ほど』だろ? 俺なんか『10年近くいて、しかも主演陣では最年長』だっていうのに——」
「そういえば年齢22歳だったね。鴨志田先輩って呼んだ方が良かった?」
「そういうの柄じゃないから平気。……フリルさんだって最初は舞台の演技の経験値がなくて、まあ及第点って感じだったのに回数を重ねるたびに成長していく。本当伸び盛りな時期ってのは羨ましいよ」
「それはあかねくんと君のおかげだよ。あかねくんが具体的なイメージを提供してくれて、鴨志田くんが培ったノウハウでイメージへと最短の道を導いてくれる。おかげで私は主演として恥じない演技ができてる」
渋谷クラスタも新宿クラスタとは別の方向性で信頼関係は厚い。しっかりとした報告・連絡・相談というサイクルができているからだ。
フリルは見た目と雰囲気が大人びてるせいで勘違いされがちだが、これでも今年高校に入学したばかりの15歳だ。当然アクアとルビーと同い年であり、当然あかねと有馬より一つ年下の後輩だ。ならば当然のように鴨志田とは7歳も歳が離れており、渋谷クラスタ組において最年少であるフリルは遠慮も配慮もなく猪突猛進で相談しまくり、それに鴨志田とあかねが応えるという良い循環が生まれていた。
おまけに姉がいるおかげで潜在的に末っ子気質がある。
遠慮なくガツガツと思いを口に出すのは、フリルなりの信頼と甘えの象徴。それを渋谷クラスタ組は理解しているからこそ人間関係の壁を無視して多少踏み込みすぎなフリルの間柄を見事に受け入れ、健やかに育つよう導いてあげた。
——けれど、それで劣等感が刺激されないというのは別問題の話だ。
「俺だけが何の成長もしてない——。それが嫌ってほど分かって、焦りを感じている。もしかしたら舞台当日になったら俺が一番下手くそで、舞台の足を引っ張る可能性もあるんじゃないかって——」
「……そんなことは」
「あるんだよっ!!」
普段のチャラついた鴨志田からは想像できないほどの感情の発露。
彼もまた芸能界にいる才能の一つ。役者としての誇りを持つもの。女遊びをしているとはいって、彼も彼なりに仕事人としての最低限のプライドとメンツというものはあるのだ。
「俺だって役者なんだよ! この世界に何年もいるっ!! だけど主演はみんな俺より若くて才能に溢れてて……嫌でも自分が『凡人』なんだって稽古を重ねるたびに感じるんだよっ!!」
慟哭も同然な悲痛な叫び。本当は泣きたいほど不甲斐なさを感じているのに、鴨志田の最後の意地がそれを許さない。
年長者なんだからしっかりしないといけない。この舞台で2.5次元の基礎とノウハウを教えられるのは俺しかない。むしろそのために呼ばれたところがあるのが鴨志田朔夜という役者だ。
彼も彼なりに重圧と戦っていた。天才と凡人の間に揺れる責務に。
妬ましいなんて思わないわけがない。
流星のように登場し、共演した演者からスタッフまで何かしらの焼き跡を遺す期待の役者である有馬かなに。
あらゆる才覚を飲み込み、身につけていく成人前なのに未だに成長が止まることを知らない姫川大輝に。
完全や完璧のその先を目指すお手本や正解だけでは貶し言葉にしかならないキャラとしての深層心理と真実を考察する黒川あかねに。
うざったいと思わないわけがない。
努力してきたとはいえ、顔とプロデューサーのお気に入りというだけで主役の席を陣取る鳴嶋メルトに。
名声だけで主役の席を捧げられた売れっ子タレントの不知火フリルに。
全部自分にはないものだった——。
鴨志田朔夜が持っていなかった芸能界で生きる力を、主演陣はみんなが宿していた。
逆に言えば努力だけでたどり着けるのがここまでという意味でもある。10年も直向きに頑張ってもここ止まり。アイデンティティが崩れそうになるのを何度だって味わってきた。
鴨志田だって芸能界で何年も活動しただけあって最低限の才能はある。努力も嫌気が差すほどに重ねてきた。意地だって雑草のように根付いている。
——世の中にはこういう格言がある。『天才は1%の閃きと、99%の努力』だと。かの有名な発明家であるエジソンの言葉だ。
一目見れば『努力は大切です。才能なんか大したことじゃない』って言ってるようにも見えるが、現実は違う。
実際に言葉を正確に翻訳すると『1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄である』という事を申していた。
——要はどんなに努力を積み重ねても『努力を実らせる才能がなければ意味がない』という残酷を突きつけた言葉なのだ。
「クソっ……なんで俺が匁役なんだよ。今の俺ならキザミ役の方が絶対いい演技できるだろうに……」
そう。今の彼はキザミが匁と対立する時に抱く『自分より強いやつがいて、情けなくて、みっともなくて、悔しい』という感情が渦巻いている。
今の彼に才能があるとすれば、鴨志田自身が自覚してるように『キザミを演じる』という部分の方が秀でているだろう。
もちろん今の弱気な気持ちだって『匁を演じる』という意味では絶好の感情だ。
だが匁の真髄は『戦いたくはないが、戦うのであれば負ける気もなければ勝ちを譲る気もない』という結構狡猾的な一面もある。それは渋谷クラスタ組が根本的にある『戦わなければ守りたいものが守れない』という葛藤があるからに他ならない。
その部分が今の鴨志田と致命的に噛み合っていない。
今の鴨志田は心の奥底で『負けを認めてしまっている』のだ。そこが感情演技をする際に歯止めになってしまう恐れを彼自身感じ取っている。
だというのに、鴨志田は匁を演じなければならない——。
彼もまたフリルと同様に『鴨志田が演じる匁』というキャラについての定まりが不安定なのだ——。
「漫画は何度も読み込んだ。元々アビ子先生のファンだったからな。『匁』という人柄自体は理解している。でも今の俺じゃ『鴨志田が演じる匁』が何を求められてるのか分からないんだ」
「……待って。だったら聞かなきゃいけないことがある」
鴨志田が溢した真っ直ぐな不安にフリルは妙案に気づいた。
聞かなきゃいけないこと、とは言ったがそれは即座に鴨志田のことではないと本人も気づく。
フリルが向けた視線の先には、殺陣の練習を終えて瞑想にも等しいほどの落ち着きで自身の演技を思い直す黒川あかねの姿があった。
「あかねくん。ちょっと質問していい?」
「……どんな質問? 演技に対するアドバイスならいくらでも聞くよ」
「ちょっと違うかな。私が聞きたいのはあかねくんは『黒川あかねが演じる刀鬼』についてどう思う?」
ここまでフリルも鴨志田も『自身が演じる役』について掴みきれてない所感があるのを理解した。
ならばフリルは当然疑問に思う。これは「黒川あかねにも言えることではないか?」と。何故ならあかねが演じる刀鬼には、常に『誰か』の影が纏わりついているのだから。
「私が演じる刀鬼についてか……」
「演技を重ねれば分かる。あかねくんも有馬さんも『誰か』の幻影を追ってることは。そしてその幻影は『誰かが演じた刀鬼』で……」
フリルは一度呼吸を置く。頭を整理して間違いないと自分自身に頷くと、鈴でも鳴らすかのような凛とした声で言葉を紡いだ。
「私の予想だとそれは『星野マリン』じゃないかって。私にはあかねくんが追ってるのは『星野マリンが演じる刀鬼』で、それを求めて『黒川あかねが演じる刀鬼』を極めようとしてる気概を感じる」
「……ハズレなような正解なような」
返答については濁すしかない。説明したって理解されるわけがない。
黒川あかねが目指している演技の先にいるのは、前の世界でキャスティングされた『星野アクアが演じる刀鬼』がいるなんて、説明したところで理解できるはずがない。
もちろんあかねの演技は完璧を超え、完全を上回る等身大のキャラを身に宿すメソッド演技だ。
何度も熟せば『星野アクアの刀鬼』を上回る部分は多く出てくる。台詞に対する感情の質も。殺陣のクオリティも。
——だけど、私にはあの『感情演技』を超えるものが出せる気がしない。
——アクアくんが『アイさんが生き返ることを願った都合のいい奇跡を夢想した』ことでしか出せない感情の爆発を越えることができない。
あかねにはそれが大きな障害となっている。
前より良いものにしたいとは思うし、脚本と演出が求めてる『躍動感』については満たす確信がある。
だけど『感情演技』だけはどうしてもダメなのだ。
要所の表現はアクアより上手く表現できてる確信はある。自惚れでも何でもなく、客観的な事実で、役者としての自負と自信。あかねだって負けず嫌いなのだから当然アクアに負けるわけはいかないと躍起にはなる。
それでも超えられないのが、物語のクライマックス——。
刀鬼にとって最大の見せ場となる場面。深く傷ついて倒れる鞘姫に、己の無力感と絶望に落ちる刀鬼。
だが奇跡的に目覚めた鞘姫を前にして、刀鬼は『不安からの解放』と『強い喜びと希望』で感情を表に出して感極まって涙を見せる大事なシーン。
——私にアクアを超えるほどに感情を爆発させることができるのか。
——できない。だって私は『目の前で大事な誰かを失った』ことがない。
《本当に?》
あかねの脳裏に『誰か』が語りかけてくる。
それは『知っているけど知らない誰か』だった。あかねの中にザワつく『最も知っているはずの誰か』が異様な雰囲気を纏って語りかけてきたのだ。
《本当に、大事な人を忘れちゃった?》
——忘れちゃったみたい。だって未来の私の記憶がないから。
——でも、あるにはある。あの感情演技を引き出す方法が一つだけ。
《思い出して。忘れちゃダメだよ》
——それは。
「アンタ達、まだ居残り稽古してるの? 渋谷クラスタ組は惨めね〜〜」
途端、煽り口調で割り込んできた女狐が一人。
その表情は太陽のように明るくも憎たらしいほどに眩く、威風堂々とした態度は陽光でも反射するかのように赤色の眼と髪色がガーネットみたいに輝いて見える。
その童顔女子の正体は、今を輝く期待の役者こと『有馬かな』であった。
「今何時だと思ってるの。夕食も摂らないまま午後8時を回ってるわよ。ご飯は寝る3時間前に取って、睡眠は午後10時から12時までがベスト。私が言いたいこと分かるわよね、モデルのフリルさん?」
「……一理ある。今日はここまでにしよう」
「それがいいでしょうね。徹夜のダメージは3日ほど続くし、魅力が3割落ちるってどこかの大学が言ってたって、Daig●が言ってたもの」
有馬の視線はフリルに関心が向けられることはない。
視線に収めるのはただ一人。ラピスラズリの石言葉のように『知性』を兼ね備えた青い瞳を持つ黒川あかねへと向けられていた。
「あかね。私から一つアドバイスをあげる」
「かなちゃんからのアドバイス? 聞いてあげる」
「もっと自分を出して演技してくれないかしら。このままだと張り合いがないのよ」
「張り合いがない? 私達のほうが総合的に上だと思うんだけど?」
「見てたわよ〜〜。渋谷クラスタ、全員演技の方針が迷走してるみたいじゃない。生憎と新宿クラスタ組はそういうのとは無縁。当日になったら結果なんて目に見えてるわね。ザコを痛ぶる趣味なんて主人公チームにはないのよ」
有馬の煽りはあかねの怒髪天を衝いた。何せ言い返しのできない事実ではあるが、人に指摘されるのは癪に触る繊細な部分へと見事に投げ込んできたのだから。
怒りで身体が震えてしまう。けれどあかねは暴力とは無縁の優しい子である以上、その怒りの発露する方法なんて一つしかなかった。
「かなちゃんのバーカ! そうやってるから友達少ないだよっ!」
「感情表現、貧相ね!? あと友達少ない言うなっ!!」
「事実じゃん! フリルさんから聞いたからね!? グループに入るまで芸能科でボッチだったって!」
「ぐぬっ……! そういうあかねだって進学校に通ってるみたいだけど友達少ないみたいじゃなぁい? 人のこと言えたことぉ?」
「そ、それは……進学校は大学受験第一だから友達とか作る暇がないんケド! 別にボッチとかじゃないんケド!!」
「はー!? まるで芸能科で高卒で骨埋めようとしてる私に対しての当てつけ!? 受験考えてないなら、なおさら友達いないなんて哀れとでも言いたいのは!?」
「かなちゃんの被害妄想なんですケドォ!?」
「性格の陰湿さが滲み出てるって言ってんですけど〜〜!?」
「なんでこの二人血反吐吐きそうな顔で言い合ってんの?」
「喧嘩するほど仲がいい。それが美男美女ならさらに良い。視力良くなりそう」
「うわー。フリルさん、そういう趣味あるんだぁ……」
口喧嘩で有耶無耶になるしかなく、あかねと有馬は犬や猫が威嚇し合うようにうるさく吠え続けるしかない。
だけど二人とも理性がある人間である。何度か繰り返すうちに頭が冷静になっていき、最後には二人とも疲れ果てて大きく溜息を吐いて喧嘩両成敗という形で言葉の刀を鞘へと納めた。
「……とりあえずそんなところよ。もっと自分を見返しなさい」
それだけを残して有馬は稽古場から去っていく。
あんな挑発だかアドバイスだかよく分からない事を口にするために、有馬はわざわざ顔を出したというのか。こんな午後8時と遅くまで残って。
本当そういう性格悪いところ何とかならないのかなぁ、とあかねが呆れながらも思ったところで、ある疑念が芽生えた。
「(……あれ? でも稽古の終了時間って原則『午後6時』で終わりのはず。でも今は午後8時なのに、なんで『かなちゃんもここに残っていた』んだろう?)」
かなちゃんも同様に居残り稽古をしていた——?
いや、そんなことはないとあかねは確信する。
有馬は確かに演技には素直で正直者だ。上達するためなら居残り自体はするが、彼女の実力は前の世界の経験も相まって『成長は既に完成』を迎えていて『伸び代はない』ということは理解しているはず。
だってあかねと違って性別の逆転がない。培ったノウハウがそのまま活かせる。あかねみたいに調整する必要なんてないのだから、そんな時間の無駄を有馬がするはずがない。
「(だったら本当にアドバイスを言うために残った? 大嫌いなはずの私のために?)」
いったい何のメリットがあって? 私と対等に勝負したいから?
全然ありうる話だけど、有馬の雰囲気からしてそういうのはないとあかねは感じ取った。
どちらかと言えば『黒川あかねの身を案じている』というビジネス上とはいえ、彼女としての献身さを感じるような優しさの一面が垣間見えた。
ならばアドバイス通りに黒川あかねは自身を少しだけ振り返ってみることにした。
前の世界のこと——。
有馬かなに憧れて芸能界に入り、憧れは消えて。
劇団あじさいに所属し、成熟した頃は劇団ララライに。
ララライで何度も演劇をするうちに、若きエースと呼ばれ。
そして知名度を上げるたびに今ガチに出演して、炎上騒ぎに自殺未遂。
そこでアクアくんに支えられて、助けられて、救われて。
ビジネスカップルとして、一緒にクレープ食べたりパフェを食べたりして。
東ブレの稽古で許嫁役同士になって、アクアくんに舞台演技を知ってもらって。
トラウマがフラッシュバックして、アクアくんの過去を知って。
今度はアクアくんの支えになって、助けようとして、救おうとして。
…………
……
「私は何があっても、アクアくんの味方だよ」
「辛いことは一緒に抱えてあげるから」
「……何の話だよ」
「ううん。私が考えた設定の話——」
……
…………
支えようとして——。
助けようとして——。
救おうとして——。
…………
……
「付いて来て、って言ってくれてたら、地獄だって一緒に行くのに」
「そんな所にあかねを連れて行く気なんて毛頭ない。俺は一人で行く」
「そっか、そうなんだね。一つだけ言える事があるよ」
「アクアくんは道を間違えた——」
「分かってる——」
「そっか……」
「私は君を救えなかったんだ……」
……
…………
でも私は救えきれなくて——。
でもアクアくんのことが放って置けなくて——。
…………
……
「そう。私も覚悟を決めたよ。アクアくんの企みは、私が止める」
「……あっそう。やれるもんならやってみろ、黒川あかね」
……
…………
そしてあの『映画』が公開されてアクアくんは復讐を完遂した。復讐を完遂してしまった。
私は止め切ることができなかった。
あと一歩が、あと一手が、足りなくて、届かなくて、止めることができなかった。
そこから先は覚えていない。どうやら前の世界の私の記憶はここで途切れていて、アクアくんも同様にこの辺りで記憶の時系列が途切れている。
だから驚いた。次に意識がハッキリとした時、私は赤子の時代にまで遡っていて、おまけに男の子になっていたんだから。
同時にチャンスでもあるとすぐに理解した。今世ならアクアを助けられるって。塾と児童劇団を両立しつつも、無我夢中になって都内を3歳から4歳という小さな体で少しずつ巡りに巡って、春の日も夏の日も秋の日も冬の日も、ずっと君の宝石のような綺麗で優しい瞳を探し求めて歩き続けてきた。
——そんな中の気晴らしに本屋で心理学の本を買おうとして。
——そしたら無事にアクアくんを見つけることができて。
「あれ……?」
追憶をすることで、ふと自分でも疑問に思うところがあったのを黒川あかねは思い出す。
それは幼少期の話。アクアと再会した時の何気ない接触。
その何気なさに決定的な違和感があるのを感じ取ったのだ。
そういえば、何で私は『日常に使える精神療法』に手を伸ばしてたんだろう——。
前の世界だったら『人の心がよくわかる本』に手を伸ばしていたのに——。