【推しの娘】 〜Trance Stars Family〜   作:かにみそスープ

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★第三十七話★ 《金烏玉兎》

 ——見ろ、見ろ。

 

 ——もっと、もっと。

 

 

 

 ——もっと私を見ろっ!! 黒川あかねっ!!!

 

 

 

 演技を通して伝わってくる。有馬の熱が、心が、魂が太陽のように自分勝手に人の心へと踏み込んでくる。

 

 踏み込めば踏み込むほどに、影はより強く、より濃く、より悍ましくその姿を変質していく。

 

 黒川あかねの影は——『星野アクア』を模っていた。

 ドス黒い復讐心の塊。怨嗟が籠った膿のように腫れ出る漆黒。太陽でさえも照らせない観測不能な漆黒の星——。

 

 

 

 ——そこをどけ。有馬かな。

 

 ——オレにとって演じることは『復讐』だ。

 

 

 

 鬼気迫る戦闘の流転は、星の瞬きでさえも遅すぎる。

 ブレイドとつるぎを相手に対峙する刀鬼。既に己が武器は手元になく、素手で悪足掻きするしかない状況。クラスタ抗争における蛇足でしかない戦闘は、舞台の閉幕まで『時間が少ない』ことを意味してもいる。

 

 それまでに黒川あかねを取り戻さないと——。

 一生、あかねは『影』に殺され続けることになる——。

 

 

 

 ——私は自分勝手で我儘だから。

 

 ——いつだってアンタの前に立ちはだかってやる!

 

 

 

 つるぎは刀を勢いよく投げつけ、そのまま間合いを詰めていく。

 刀鬼が寸での所で交わした時には既に接敵。掴み技常套の零距離状態。

 

 何故わざわざ戦闘面で不利になる選択をしたのか。そんなのは決まりきっている。対等に戦うために、つるぎは敢えて刀を放棄した。

 技量で叶わないと分かっていても、力勝負で叶わないと分かっていても、意地と意地の張り合いは先に心が折れたほうが負けるのが世の常だ。刀を持って——『(つるぎ)』を持って対峙するなんて、その時点でつるぎは刀鬼に負けている。戦いの土俵にさえ立てていない。

 

 

 だったら土俵に立つために、あえて捨てよう。『つるぎ』という役割を。

 皮だけ被った状態の『有馬かな』として対峙してやろうじゃない——。

 

 

 

 アンタの『刀鬼』という柱に纏わりつく『影』みたいに——!!

 

 

 

 脳震盪覚悟で全力の回し蹴りを有馬は放つ。これで気絶でもして怪我の功名で正気に戻ってくれたら万々歳で、なんなら記憶喪失でもいいと願う様に。

 

 だが男女の力量差は絶対的だ。

 刀鬼は容易く受け止め、逆に容赦のない膝打ちが有馬の腹部を的確に抉った。

 

 

 

「ぁ、がっ——!?」

 

 

 

 演技じゃない。今すぐにでも吐瀉物を吐き出してしまいそうな激痛が有馬に襲い掛かってくる。

 辛うじて意識と演技を繋ぎ止め、お返しと言わんばかりに頭突きで刀鬼を怯ませると、数歩分跳び下がって距離を置き、呼吸を整えて、無理矢理痛みを引かせる。

 

 この間僅か5秒。その刹那の思考が冷静さを帯び、その冷静さは現実を再認識させる。

 

 あかねとは思えない暴力的な反撃。緩衝材が入ってるから痕になるほどの痛みと衝撃ではないが、あまりにも普段見せる優しさやお淑やかとはかけ離れている。

 

 有馬は恐怖を覚えた。溢れ出る『復讐』といった負の心は、ここまで人の在り方を歪めることもできるのかと。

 

 

 

 ——アクアも、本当はこんな風に歪な生き方をしていたんだ。

 

 ——私は何も知らないで、自分の方が不幸だと言いたいように口にして。

 

 ——何が「助けてくれてありがとう」よ。アクアの方がずっと「助けて」って叫んでたのに。

 

 ——『アイの死』について、あそこで踏み込んでいたらアクアの『復讐』を知れたかもしれないのに。

 

 ——なのに、自分の不幸話でアクアの真意を見て見ぬフリをして。

 

 ——「あーくん」とかバカみたいな呼び方して、究極の選択とか言って『死』という物を茶化したこともして。

 

 

 

 だったら今は引いてはダメだ。引いたら、また有馬かなは除け者だ。

 こんな痛みの一つや二つ、今までと比べたら掠り傷みたいなもんよ。こちとら幼稚園児から罵倒、暴言、オワコンと誹謗中傷を言われ続けて芸能界にしがみ付いた鋼メンタルよ。肉体的な痛みで引けるほど、私は物分かりが良い性格してないのよ。

 

 愚直に踏み込み続けるしかない。影を踏むだけでは物足りない。踏み躙るように遠慮なく進む続けるしかない。

 だってアンタは『星野アクア』じゃない。アンタは『■■あ■■(星野■クア)』だ。アンタが背負っている不幸はアクアの物だ。決してアンタの物じゃない。

 

 だから自分勝手に我儘に振るってるんじゃないわよ。それが許されるのは私みたいな性悪だけよ。専売特許だと自負できるくらいにね。むしろ特許なんだから、使用料金払いなさいと悪態つけるくらいには私の得意分野なんだから。

 

 

 

 私の真似なんかするな。

 アクアの真似なんかもっとするな。

 

 誰かの真似なんて、気持ち悪いのよ。

 

 

  

 ——『私はアンタみたいなのが一番嫌い』って、また(・・)言わせる気?

 

 

 

 この20秒はこんなことに使うための物じゃないでしょ。

 役者同士の真っ向勝負。『有馬かな』と『黒川あかね』としての純粋で、単純な実力勝負のために用意されたものでしょ。

 

 だったら——そんな『影』は邪魔なのよ。今はアクアなんていらないんだから捨てなさいよ。

 

 でも、そんなことできたら苦労なんてしないのも分かってる。アンタがどれほどアクアを大事にしていたのか知ってるから。

 

 

 

 今なら——あかねがどうして、そうなったのかちょっとだけ分かる。

 

 

 

 アクアの復讐のことを知っていて、何もできなかったのが悔しかったんでしょ? 悲しかったんでしょ? 救えなかったのが辛かったんでしょ?

 

 エゴでもいいから、自分勝手でもいいから、アクアの復讐を止めたくて仕方なかったのに——。

 だからそんな無力な自分が嫌で仕方なくて、自分を殺したくて、そんな『黒■あ■ね(■野■ク■)』の影に侵されてでも死にたいんでしょ?

 

 

 

 ——そんなの駄目に決まってるでしょ。 

 ——そんな演技、違うに決まってるでしょ。

 

 

 

 私が大嫌いな黒川あかねは——。

 もっと聡明で天才的な役者だったわよ。

 

 影に沈む存在なんかじゃない。

 星と星を紡いで導く『星座』みたいな演技をしていた。

 

 

 

 なのにこの体たらく。今の黒川あかねに情けなさ過ぎて一周回って大好きね。シャーデンフロイデってやつで、惨めでみっともない。

 

 

 

 黒川あかねがするべき演技は、もっと自分が正しいって、貴方とは違うっていう、役者特有の負けず嫌いを凝縮したような——。

 

 譲れない所は譲らない、意固地で我儘で『メソッド演技』とかいう劇薬を使っておきながら『自分』を見失わないところでしょうが。

 

 

 

 だから好き。今の落ちぶれたあかねは大好き。

 情けなくて、哀れで、落ちぶれたアンタが大好きで張り合いがないから。

 

 

 

 私が大嫌いを黒川あかねに戻りなさい。じゃないと面白くないのよ。

 こんなことで勝っても、私が『天才役者』だって証明できないでしょ。

 

 

 

 勘違いしないでね? これは黒川あかねのためにやってることじゃない。

 

 

 

 私のために——絶対にアンタを連れ戻して(・・・・・・)やるっ!!

 

 

 

 

 …………

 ……

 

 

 

 扉を叩くような、耳元で蠅が飛ぶような、煩わらしい音が闇の中で響く。

 どこが上で、どこが下なのかもさっぱり分からない黒い世界。堕ちていく感覚だけを、私は理解していく。

 

 

 

 上に昇っているのか、下に落ちているのか——。

 上に落ちているのか、下に昇っているのか——。

 

 

 

 どうでもいい。私は考えちゃいけない。何も考えたくない。

 成すべきことがあるのだから。それだけを思い出していればいい。

 

 心の奥底から溢れて止まらない『復讐』だけに身を任せればいい——。

 

 

 

 

 だから暗闇の世界を照らそうとする『太陽』なんて——。

 ただ眩しいだけでどうも思わない——。

 

 

 

 ……

 …………

 

 

 

 まだだ——。まだ届いてない——。

 

 有馬と協力しても、あかねの『影』が祓われることはない。

 むしろ『影』としてより一層強くしていくことを、姫川は肌身で感じ取った。

 

 だからこそ『影』の形が増々あかねから遠のいていくのも理解していく。少しずつ別物になろうと確立されていく。この世界に生まれるために胎動するかのように。

 

 あの『影』は現実と空想の境目にあるもの。ある意味では正しい意味で『2.5次元』に存在しているといっても間違いではない。

 

 この世界において『本当』と『嘘』は曖昧な物だ。

 魅せ方一つ、思い方一つで、容易く印象が覆るのが芸能界というものだ。その一面を切り出すだけで、料理番組は一転して流血だらけのスプラッタ―であり、焼き鳥や焼き肉専門は言い換えれば臓器売買と表現できてしまうほどに、認識というのは『都合のいい現実』を取捨選択をするための人が原始的に持つ機能にしか過ぎず、その現実においては『本当』も『嘘』も等しく同価値だ。

 

 そういう『(2次元)』を魅力的に魅せるのが『本当(3次元)』の役割であり、その『本当(3次元)』が同時に『(2次元)』であると理解させる。

 

 その割り切りと礼節を弁え、空想と現実を両方を楽しんでこそ『(2.5次元)』だ——。

 

 

 

 今のお前には演技が『復讐』だと言いたげに痛々しい。そして虚しくて、空しくて、悲しくて、哀しくて——全然楽しそうじゃない。

 

 俺にとっての演技は『会話』だ。メルトにとっての演技は『憧れ』だ。

 有馬にとっての演技は知らん。アイツは口は悪い癖に本心は中々明かさない。そのくせ知ってほしそうなのに、知ろうとしたら遠ざかるような子猫みたいなやつだ。

 

 

 

 まあ俺は可愛い子猫ちゃんも大好きではあるから、あれはあれで相手してて面白くはあるが——。

 

 

 

 何はともあれ、今の黒川の演技はどうしたいのか分からない。

 お前は『復讐』がしたいことは分かる。それほどまでに『影』が持つ憎悪、怨嗟、慟哭は世界が割れるほどに轟いている。有無を言わさずに同情してしまうほどに。

 

 

 

 だけどお前は——誰に復讐をしたいんだ? その本質までは見通せない。

 

 憎むべきか相手か? 

 恨みをぶつける敵か? 

 討ち果たさないとならない仇か?

 

 

 

 それとも——『自分自身』なのか?

 

 

 

 答えろ、答えてみろ。黒川あかね。

 言葉でも演技でもいい。『黒川あかね』として、その答えを示してみろ。

  

 

 

 …………

 ……

 

 

 

 また喧しい音が轟いてくる。心を揺さぶろうと、魂に触れようと煩いだけのノックが耳に届く。

 

 興味ない。どうでもいい。私は考えちゃいけない。

 

 この胸の奥に燻る『復讐』にだけ身を任せていれば楽になれる。

 楽しくはない。安らぎはない。温かさはない。悲しみしかない。

 

 

 

 だけど身も心も溶かすような『復讐』だけが、確かに『君』との繋がりを傍受していられる。

 何も支えられず、何も救えず、何も助けることができなかった黒川あかねが、ただ無条件に『君』に寄り添えることができる。

 

 海に溺れるように、消えるように——。

 私は『君』という海に溺れて沈んで、永久に忘れたくない。

 

 

 

 君と歩むはずだった『■■(復讐)』を胸に抱いたまま——。

 

 

 

 ほら、もうすぐ底の底で——。

 静かに待つ『星野アイ』が『君』を受け止め、私は淀みになって消えていく。

  

 

 

 ……

 …………

 

 

 

 ダメだ——。手応えが一向に感じない——。

 

 拳を突き合わせても、蹴りで内臓を弾き飛ばそうとしても、飛び道具牽制込みで不意打ちをしようにも全てがあかねに届くことはない。

 ずっと刀鬼という役柄の鎧に囲われた『影』が受け止めきり、その奥底で果てようとするあかねに届くことはない。

 

 有馬は迫りくる舞台の閉幕に焦りが募りに募る。

 時間にして僅か10秒。もうワンアクションしか許されず、そこで刀鬼の悪足掻きは終えてしまう。

 

 それは『東京ブレイド』という作品においての終着点——エピローグへと移り変わることを意味している。

 

 しかも最後の一手は原作通りにブレイドが引導を渡して終わるものだ。

 つるぎはあくまで刀鬼と拮抗して抑え込み、その隙をブレイドが獲って戦いを収める。それが原作の道筋であり、これ以上有馬が介入できる余地はない。

 

 

 

「《もう……済んだだろ。これで》」

 

「【■■(鞘姫)……っ!】」

 

 

 

 だけどブレイドの——姫川の最後の一手さえ、あかねの『影』を振り払うことはできなかった。それは『時間切れ』を意味してもいる。

 

 ブレイドとつるぎの協力で、刀鬼の足掻きはそこで止まることになる。

 もう動くことはない。己の無力で膝を折り、手を地に伏せる姿は鞘姫に許しを乞うように惨めで痛々しさが滲み出ている。

 

 その瞳の奥底は相変わらず絶望、失望と入り組んだままであり、あかねとしての意思が垣間見えることはない。

 

 ここまでなの? ここ止まりなの?

 また私は何もできず、舞台の上にいるのに除け者にされるの?

 

 

 …………

 ……

 

『……何やってんの』

 

『ああ、有馬か。オレに何のようだ』

 

『だから! 何やってんのか聞いてんのよ!』

 

『有馬には関係ない。これはオレの問題だ』

 

『……いつもみたいに『かなちゃん』って呼びなさいよ……っ、この……!』

 

『——今のオレは『復讐鬼■■■■■(星野アクア)』だ』

 

 ……

 …………

 

 

 

 また私にあんな悲しい出来事を見せるの——。

 継ぎ接ぎだらけの魂で、今にも泣き崩れそうな顔で『星野アクア』のなろうとして、その手に刃物を握り込んで人殺しになろうとして——。

 

 是が非でも止めるためにあのガキに頼み込んで、全部肩代わりすることを条件にあかねの凶行を食い止めたのに——。

 

 

 

 …………

 ……

 

『……いつか心がぶっ壊れるわよ』

 

『いいよ別に。壊れるためにやってるんだもん。『ルビーがアクアの代わりになる』ためにやってるんだから』

 

『……言うだけ無駄そうね。それに私はアンタ達の復讐だと『蚊帳の外』だったもの。何を言っても無駄か』

 

『ありがとう、先輩。そういう理解があるだけでも十分だよ』

 

『……クソ。そんな顔されたら何も言えないじゃない』

 

 ……

 …………

 

 

 

 それでも、あかねとルビーは『星野アクア』を求めることを止めることができなくて——。

 

 クソガキが言った通り「有馬かながすることなんて日の当たらない無意味なことなのにね」と口にしたことが現実になろうとしていて——。

 

 自分の無力さに死にたいほどの吐き気と後悔を感じるしかなくて——。

 

 

 

 それを嫌でも理解させられる『星野アクア』の顔なんて見たくないのよ——。

 

 

 

 だからそんな痛々しい顔を見せないで。

 泣きそうで、崩れそうで、それでも繋ぎ止めようとする我慢した表情を見せないで。

 

 

 

 でもこれ以上は何も動けない。動かせない。動いちゃいけない。有馬かなとして許される自由はない。

 だってここは舞台上。舞台を破綻させてしまったら、それこそ他所様に色々な損害を与えてしまうビジネスの場。この舞台が失敗したら、それこそ大勢の関係者の人生や家族に迷惑をかけることになる。

 

 

 

 ——そんな身勝手一つで『黒川あかね』一人を助けられるほど、私はお人好しじゃない。弱虫で、泣き虫で、ウジ虫の薄情者。

 

 

 

 もう私にできることはない。『黒川あかね』を連れ戻すことはできないの? 

 また私は独りぼっちに、誰にも望まれず、望むことなく、夜空に輝く星々と混じわれない『太陽』のようにお高く佇むだけの道化になるしかないの?

 

 

 

 誰か——。助けてあげて——。

 

 私のことは自分でケリをつけるから。独りぼっちで、日の当たらないつまらない話なんだから。

 あのガキ(・・・・)のことも、クソガキ(・・・・)のことも。私が何とかやるから。私だけが背負うから。

 

 だから今だけは——あかねを助けてあげて。

 

 

 

「《戦いは終わりだ! けが人は医者に連れてけ!》」

 

 

 

 

 

 願う。星に願いをかける——。

 奇跡が起こることに、有馬は願いを賭ける。

 

 

 

 

 

『『『————ワァァアアアアアアアアアアア!!』』』

 

 

 

 

 

 そしてその『奇跡』は——喝采となって轟いた。

 

 舞台どころか会場全部が揺れるような声の厚み。

 老若男女関係なく舞台の出来事に感情を解き放ち、ある者は立ち上がり、ある者は泣き崩れように座席から身を崩す。

 

 

 

 即ち『スタンディング・オベーション』にも近い現象——。

 

 

 

 観客と舞台が一体化してるからこそ、観客が自身をクラスタの一員だからこそ、この行為は最大限の称賛となる。

 各々反応は統一されていない。クラスタ抗争では勝者と敗者がいるように、勝者となった新宿クラスタは熱気が籠りつつも終着した戦いに疲弊感と共に安堵を覚えていれば、敗者となった渋谷クラスタは鞘姫の喪失で嘆きを吐き出す者もいる。

 

 今ならばどんな声でも無礼講——。

 だったらお願い、誰か助けて。あと一手が足りないの。

 

 また人任せになる軟弱者である自分自身に吐き気を覚えそうだが、今の有馬はそれを願うことしかない。役者として、キャラとして、願いを口に出すことはできないのだから。

 

 

 もう一度、星に願いをかける——。

 有馬はもう一度、奇跡に縋りつく——。

 

 

 

 でも神様は願いを聞くだけだから——。

 奇跡は二度も起きはしないから——。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

刀鬼(あかね)ーーっ!!」

 

 

 

 願いを架けるのは、人と人の確かな繋がりという『軌跡』だけだ。

 

 今だけは『観客』として唯一無礼講の立場が許されるアクアだけが、その思いを吐き出した。『役者』は動きだけで何が言いたいかを分かり合えることができるのだから、有馬の願いを叶えてくれた。

 

 

 

 アクアの懺悔が鳴る。マリンの応援が響く。アクアマリンの歓声が届く。

 

 

 

 それは確かにあかねの心に鳴り響き、僅かだが『影』が揺らぐのを有馬は感じ取った。

 あかねの『影』が彼の、彼女の声に導かれて、あかねから離れるべきか躊躇うような意思を見せた。

 

 同時にそれは覚醒へと一歩となる。

 あかねの瞳はアクアの声に引かれるように、輝きが差し込んだ。塞ぎ込んでいた心の扉に、鍵穴程度の小さくも乏しい光が一線だけ、あかねの瞳に灯る。

 

 

 

 上っ面だけの『カッコつけた』言葉で役者として説得するより——。

 

 ありのままの、素直な言葉で紡がないとあかねに届くわけないか——。

 

 

 

「アンタは『黒川あかね(■■■■■)』でしょうが——」

 

 

 

 今だけは煩い観客の声で『有馬かな』としての言葉は舞台に、役者に届くことはない。伝わることもない。

 

 ただ一人の『黒川あかね』に向けた何でもない真っ直ぐで、皮肉屋で鬱屈で素直になれない有馬が溢せる唯一の言葉。

 

 その言葉の価値は、どんな星や宝石よりも眩しく輝く。

 あの時、紡ぐことができずに傍観者となることを選択した弱くて臆病な自分への決別を込めながら。

 

 

 

 …………

 ……

 

 

 

「ア、クア……くん、の声……」

 

 

 

 深海に溺れるような罪悪感の中、愛している者の久しい声があかねの心に届いた。

 肌身ではなく心に伝わる暖かさ。暖かさは閉じ込めていた記憶と思いが溢れ出し、自分が『何者である』かを明瞭にしていく。

 

 

 

「かなちゃんの……声……」

 

 

 

 同時に有馬の声もあかねの世界に、光となって差し込む。

 振り返って見上げれば眩しいだけの太陽に温かさを感じる。あの時と変わらない温かさをあかねは感じ取れる。

 少しずつ太陽に向かって、少しずつ海の向こう側に、あかねは手を伸ばす。罪悪感なんかよりも尊くて大事にしたい物が、その向こうにあるから。

 

 

 

 そうだ。あの太陽の先には『君』がいる。

 君はアイさんを救った。どこか異様な雰囲気だったルビーも救った。

 

 だったら私ぐらいは自力で、何とかして振り払わないといけない。

 君に助けられっぱなしなんて自分自身が嫌だって言ってる。君に支えられっぱなしで、救われっぱなしなんて一方通行の関係なんて絶対嫌だ。そんなのは依存にしかすぎないから。

 

 だって私は『黒川あかね(■■■■■)』だ。決して『星野アクア』じゃない。

 黒川あかねとして、私は君の傍にいたい。君になりたいじゃなくて、君に会いたい。

 

 

 

 だって私にとって、演じることは——。

 

 

 

 …………

 ……

 

『アクアくんはどうして演劇やってるの?』

 

『別になんだって良いだろ』

 

『良くないよ。大事なことだよ』

 

『スターになりたいから? お金の為? 特別な存在になりたいから?』

 

『あかねはどうなんだよ』

 

 ……

 …………

 

 

 

 私にとって、演じることは——『楽しい』ことだから。

 

 かなちゃんに憧れて演劇を始めた。ララライに移動したことで姫川さんと実力を高め合って、ララライの皆と仲良くも時には切磋琢磨して実力を磨き上げて。

 取り分が8:2という給料面の現実に少し憤慨することもあったけど、私にとってはそんな道筋さえも『楽しい』ことで——。

 

 

 

 …………

 ……

 

『アクアです! なんかめっちゃ緊張するわ~~。皆よろしくね!』

 

 ……

 …………

 

 

 

 そんな演劇を通じることで私は君に出会えた——。

 今思えば、笑っちゃうくらいキャラを作ってたと振り返ってしまう。そこから本当色々あった。炎上騒ぎもあったし、アイさんの演技も染み込ませたし、東京ブレイドの舞台で共演したり、宮崎旅行で正式な付き合いを始めたり——。

 

 

 

 ——でも振り返れば全部楽しかったことで。

 

 

 

《なに楽しんでるの? 忘れないで、貴方は救えなかった——》

 

 

 

 だけど、そんな思いに馳せることを許しはしない。いつまでも罪悪感の象徴である『黒川茜』は、私の首筋を締め付けてくる。

 逃げ出そうとしても、背こうとしても万力のように迫る『罪悪感』は、私を闇の奥底へと鎮めようと重く圧し掛かってくる。

 

 

 

《楽しむ権利はない。アクアくんの『復讐』を忘れることを許しはしない》

 

「復讐は終わってるの! だからアクアくんは復讐に贖うため……っ!」

 

《それは『星野マリン』が決めたことでしょ? 『星野アクア』を黒川あかねが忘れることを許さないって言ってるの》

 

 

 

 窒息死しそうなほどに『黒川茜』は強い憎悪と後悔をぶつけてくる。

 そうだ。この『影』は私が支えられなくて、救えなくて、助けられなかった無力だった自分を認められず、子供みたいな癇癪を起こして発露された存在。だから君を知る前の、垢抜けない私の姿をしている。愛を知らない生娘がここにいる。

 

 アクアくんを助けられなかったのは『黒川茜』のせいじゃなくて『黒川あかね』のせいだと、自分の無力さを押し付けるために。そうして誰かのせいにすれば楽になれるから。

 

 そこで私はようやく理解した。この『黒川茜』がどういう存在なのかを。

 

 

 ——これは君が『贖罪』を選ばなかった場合の末路の一つ。

 ——『星野アクア』を忘れて『星野マリン』として生きようとした場合の、いずれ訪れるはずだった矛盾と脆弱性の塊。

 

 ——それを私自身が体現していたんだ。

 

 

 

《忘れちゃいけない。黒川あかねが『復讐』を忘れることを私が許しはしない。あなたが忘れたら、誰が……『星野アクアの全部』を覚えてあげるの? なくなった罪を誰が見守ってあげるの?》

 

 

 

 もはやどっちが『復讐』に苦しんでるのか分かりはしない。

 いや、悩む必要なんかない。苦しんでるのは『黒川あかね』でも『黒川茜』でもない。

 

 

 

 ——『私』だ。この心の痛みは、全部『私』のものだ。

 ——前の世界の『黒川あかね』でも『黒川茜』のものでもない。ましてやオレになろうとした『影』のものでもない。

 

 

 

 ——全部今の『私』の物なんだ。

 

 ——君が、君になるために『星野アクア』と『星野マリン』を受け止めようとしてるように。

 

 ——私も、私として胸を張って君と隣に歩めるように『黒川あかね』と『黒川茜』を受け入れないといけない。

 

 

 

『うん——。それが君の出した答えなんだね』

 

 

 

 闇の終着点。罪という大海の底で、最後に温かい手が触れてくれた。

 大人になりきれてない未熟な手。触れた物の感触を探るように、どこか人間不信を抱いている指先。まるで初めて触れた赤子との距離を掴もうにも掴み切れないように。

 

 だけどそこには確かに思いやりがある。

 やり方が分からないだけで、その指先は誰かに愛したいと、愛してると叫ぶように紡ぐように、迷いながらも遠回りしながらも、頑張って努力して全力で確かに求める不器用な生き方をしてきた人の在り方。

 

 

 

 振り返るまでもなく、その声と手の正体を私は知っている。

 それは君を知るきっかけとなった人物。私の中に確かにいる再現された人格。

 

 

 

 

 

 それは、私の中にいる『一番星(アイ)』だ——。

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