【推しの娘】 〜Trance Stars Family〜   作:かにみそスープ

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★第五十六話★ 星野マリンは考えたい

 ざあざあ、と雨が降る夜。

 それでもネオンライトは曇らず、街は眠ることなく喧騒と狂騒を奏で続ける。冷たく体を回る空気に熱でも通すように、今日も今日にて夜の宴に精を出す人々は酒を飲み明かしていた。

 

「《皆様にお知らせしたいことがあります! 本日を持って私は結婚を機に、このお店から卒業します!》」

 

「《愛してたぞ〜〜! 幸せになってくれぇ〜〜!!》」

 

 本日は名夜竹の同僚の一人が寿退社となる日だ。

 この界隈では決して珍しくない出来事だ。顔も教養もある美人に惹かれない男など入りはしない。それが二十代前半という麗しさの絶頂期であれば尚更だ。

 その同僚は大勢の拍手と喝采を背に最後の酒を飲み明かす。これで最後だからと有りったけの高い酒を浴びながら、彼女は夜の街から消えていった。堂々と背筋を立て、これからの未来に輝きが待っていると信じながら。

 

 

 

 ——数年後、その女性は再び夜職として夜の街に戻ってきた。

 いつも通りの笑顔。いつも通りの背筋。彼女の美貌は変わらずに戻ってきた。『何も変わらない』まま数年の時を経て、女性は心に大きな瘡蓋を付けて戻ってきたのだ。

 

 

 

 彼女は離婚した。たったそれだけのこと。

 理由は至極単純な話だ。彼女は成長しなかった。また彼女と結婚した彼も成長をしなかった。

 お互いに高め合う関係性を持たず、ただ怠惰に誓い合った愛にしがみ付くだけの関係性に、心が腐って行く危機感を二人は覚えたからだ。

 

 健全な身体を腐った心が蝕んで十年、二十年と死ぬまで何も変わらない平穏な日々を続けることに、二人は漠然とした不安と焦燥を覚えて互いを見つめ直すために別れたのだ。

 

 男性は誠実に付き合っていた。愛しきれなくなった自分に不甲斐なさを覚えていたからこそ、離婚を切り出した時に涙を流し、彼女のことを真摯に思いながら「幸せにしてあげられなくてごめん」「君の幸せをいつまでも願っている」と溢した。

 

 女性も理解していた。愛なんて永遠に続くわけがないということくらい。

 付き合いの始まりである『女性が可愛いから』という理由をいつまでも続くという幻想に囚われていた。所詮若さから来る愛嬌や可愛さからくる愛なんて物は『期間限定の消耗品』でしかない。

 美人は三日もすれば飽きるのだ。彼女もまた涙をこぼしながら「あなたの愛に応えられなくてごめん」「私の愛が未熟でごめん」と謝り続けていた。

 

 

 

「《大変なもんだな。結婚というのは》」

 

「《ええ。そうですね。互いに思い合っているのに、互いに好きだのにすれ違うんだもの》」

 

 

 

 そんな噂話を耳にしながらVIP席で寛ぐ四宮雁庵と、その有馬が演じる『雁庵の後妻』は談笑する。

 女性が接待をする風俗店に訪れるのは男性だけというのは妄想と幻想しか知らぬものだけだ。女性が訪れるケースは割合としては少なくても確実に存在している。その理由は性別が変わろうと大きく変わることはない。

 

「《また会いましたね、雁庵さん。お隣が奥様になりますでしょうか》」

 

「《あら。貴方が名夜竹さん? 私の旦那を誑かしてるという》」

 

 その二人の前に、指名として名夜竹は呼び出された。

 たった一人を呼び出すために相場の十倍を叩きつけて別卓から強引に引き摺り出されたのだ。雁庵の隣に座る後妻の手によって。

 彼女の表情は爬虫類のように獲物を定めていた。名夜竹の一挙一動を見過ごすことはない。心の機微さえも見透かすと言わんばかりに食い入る。

 

「《私、貴方みたいな女狐を穢すのが好きなのよ。どう? 今度時間がある時にでもプライベートで飲みに行かないかしら?》」

 

「《……是非とも。それで貴方の自尊心が満たされるのなら喜んで》」

 

「《そういう慈愛心がムカつくのよ。愛想笑い浮かべて拒否しなさいな》」

 

 雁庵の後妻は少しばかり特殊な趣味があった。

 高い身分によって約束された権力。傅く者なんて腐るほど見飽きた。故に彼女は自尊心を満たすために加虐趣味があった。それも一風変わった『自分に従わない同性』に対しての加虐趣味が。

 

 名夜竹はそういう類の女だ。夜職だというのに必要以上に誰かに傅くことはなく、媚びることのない強かな女。狡猾で計算高い振る舞いは、人によっては『妬ましい』と思わせるには十分過ぎるほどだ。

 

「《アンタみたいな女狐、雁庵様に遊ばれるだけ光栄に思いなさい。アンタみたいに男に媚びるしかない女なんて遊ばれて、捨てられるのがオチよ。それこそ泡となって弾ける夢のように》」

 

 後妻はそれだけを言い残して立ち去っていく。

 名夜竹の手に一つの連絡先を託しながら。それがどういう意味を持つのかを理解しながら。

 

「《すまんな、ウチの家内に付き合わせてしまって。あれもあれで俺の家の柵で心が応えてるんだ。理解ぐらいはしといてくれ》」

 

「《いいえ。彼女が言っていることはごもっともです。私みたいに醜女が、雁庵さんのような高貴な存在に目をつけられるだけ贅沢なのでしょう》」

 

 そんなことは雁庵も理解している。自分の身分なんて誰よりも優れているとくらい。そして相手の身分がどれほど普遍的なものであるかを。

 

 自分と名夜竹だけは立場も年齢も何もかもが違う。いくら高級取りの夜職だとしても、現代でいうところの港区女子と大きな差はありはしない。

 眼前で起きた離婚話のように、名夜竹だって時を経てば教養があるだけの皺と酒臭さとタバコ臭さで飾られた穢れた女になるしかない。

 そういうものだと理解しており、そういう経験をしたものをいくらでも目にしてきた。『どこにでもある』ことなのだから、道端にある小石でも蹴るように無関心にいればいい。それが正しい。間違いなく。

 

 でも、どうしてか四宮雁庵は名夜竹を目を離すことができなかった。

 分かりきっている。彼女の未来は華やかではないことくらい。時の果てに待つのは、どこにでもある石ころみたいに転がるしかないというのに。

 

 それでも雁庵は、名夜竹から目が離せなかった。

 まるで夜空を座す満月のように。迷い道という夜を照らす星のように輝いて見えたから。

 

 

 

 …………

 ……

 

 

 

「……雨の中の撮影って『今日あま』のこと思い出すわね」

 

「……だな」

 

 本日の撮影を終えて休憩室で俺と有馬は少しだけ気まずい空気を感じながらも、淹れたての温かいお茶を啜る。

 お茶を淹れてくれたあかねは、別室で衣装替えをして別シーンの収録準備中だ。突発的であるが雨に乗じて、もうワンシーンを追加で撮りたい構図が思い浮かんでしまったのだ。没になるかもしれないが、今の俺には経験が欲しい。あかねには悪いが、ちょっとだけ俺の我儘に付き合ってもらおう。

 

「今日の演技、なんていうか艶やかな感じがあったわね。なんか吹っ切れたのかしら」

 

「……うん。ちょっとは名夜竹さんに近づこうとしてさ。『私』として演技をしてみようと思ったんだ」

 

 こうして少しだけ『私』を客観視しながら俺として見てみると、意外と名夜竹さんは『強かな女』だけということはない印象を受け取った。

 狡猾で知的で強かな女。それ自体は間違ってはいない。雨宮吾郎の時に出会っていた夜職の人達より遥かに立ち回りが上手いことくらい肌身で感じ取れる。愛嬌なんて振り撒いていないのだから、よっぽど教養から来るミステリアスさだけで人を惹きつけていたのだろう。

 

 だからこそ重なったのだ。アイと名夜竹さんの一部が。

 アイだって天性のアイドルといえばアイドルだが、努力をしてこなかったわけじゃない。歌もダンスレッスンも熱心に続け、演技の練習だってカミキヒカルを通じて自分なりの方法で落とし込んだりと、成し遂げた実績の影には並々ならぬ努力がある。

 元よりアイの本質は人間嫌いで愛想笑いが精一杯だった捻くれ者だった子でもあるんだ。それがアイドルとしての仮面を被れば飛び切りの笑顔を見せてくれるのだから、才覚がある者というのは男女問わず恐ろしい。

 

 故に名夜竹さんもアイと同様に、そういう人に見せれない一面があると感じ取った。

 人には絶対見せられない弱み。背伸びをして仮面を被り、自分の本質を覆い隠す。それが自己のアイデンティティを守るための最後の防衛手段なのだから。

 

 問題は何故その弱みを見せようとしないのか。台本は既に完成していて、名夜竹さんにとってそれがどういうものかも理解している。

 先天的な心臓病。それが名夜竹さんにとっての弱みだ。誰にも打ち明けずに隠していて、それは雇われ先の店にも報告していない。だからこそ発症をしてからは療養の兼ね合いもあったが、夜職から身を置いて実家に戻ることになった。

 

 

 

 ——そして次に会った時には『四宮かぐや』を孕った状態で、彼女は四宮雁庵さんに出会った。

 

 

 

「改めて思うけど恋愛……というか『愛』って難しいな」

 

「昔アンタの母親が口にしてるでしょうか。小っ恥ずかしい歌詞と一緒に」

 

「確かにB小町の歌とか、本人が『嘘はとびきりの愛』とかも言ってるが……それとは違うんだよ」

 

「お前が言いたいのは『真実の愛』ってやつだろうな」

 

 悩み唸る俺と有馬の前に、一人の中年男性が入室してきた。

 白髪にも近い明るい金髪。スーツの生地からして数万円程度で上下を買い揃えたものだろうか。庶民的な部分が際立っているが、どこか飄々とした掴みどころのない感じもあり、少しばかりの警戒心を持ちながら来訪者へと俺は視線を向けた。

 

「どちら様でしょうか?」

 

「いや、しがない部外者ですよ」

 

「部外者なら帰りなさいよ。いや、部外者じゃないのは知ってるけど」

 

「なんだ有馬。知り合いなのか」

 

「知り合いよ。この叔父様は一応顔だけは合わせているから」

 

 なら警戒する必要はない……のか? 

 

「どうも『白銀御行の父』です。現職はYouTuberをやっております。以後お見知りおきを」

 

「ああ、お父さんなんですか。息子様の御行さんにはお世話になってます。四宮名夜竹を演じさせていただいてる星野マリンです」

 

「……なるほどな。確かにかぐやちゃんが選ぶことだけはある。教養がありながらもどこか狡猾さというか裏を感じ取れる。四宮名夜竹役には確かに合うだろうな」

 

 こっちも白銀御行さんと似てると感じ取っている。主に目つきの悪さに。

 

「これでも昔は妻と一緒に会社を営んでいてな。自惚れかもしれないが人を見る目には自信がある。君は間違いなく逸材だよ」

 

「妻と一緒に会社を? じゃあ御行さんが経営する『白銀製薬』の前社長ですか?」

 

「御行と私の『白銀製薬』は同名義なだけで、内容は別物だ。だがそういう意味では御行のではない『白銀製薬』の社長は私であることは確かだ」

 

「ああ、だとしたら昔お世話になっていた……知人に代わって礼を言います。あなたのおかげで助けられた命があったことを」

 

「迅速に対応するのは当然のことだ。製薬会社は常に危険と隣り合わせだからな。善意と思いやりで制作した『サプリメント』が、思わぬ被害を生むことがある。自主的な販売回収とかで赤字になるリスクも考えると、我ながら危険な橋を渡っていたと今でも思うよ。やっぱり俺には妻が必要だと感じてしまうな。いつになったら同居生活に戻れるんだろうか」

 

「すごい社会風刺を感じるし、あとすごい奥様に未練を感じるな……」

 

 ……ちょっと待て。なんかこの話に既視感を覚えたぞ。主に生前である『雨宮吾郎』時代で体験した既視感が。

 もしかしてこの人の奥様ってアレか。さりなちゃんの死去、アイと出会うまでに心の隙間を埋めるために、時たま合コンなどのそういう社交場に顔を出していた時に出会った『白銀色の母君』のことだったりするか。

 

 だって製薬会社の社長の奥様で。その子供には『ミユキ』と『ケイ』がいると言っていた。その『ミユキ』が『白銀御行』のことを言っているのだとすれば、俺は奥様にあったこともあるぞ。

 

「……すいません。白銀さんは息子さんの他に、娘さんとかいます?」

 

「おう、いるぞ。よくわかったな」

 

「ははっ。なんかオーラあるって。子供二人を育ててそうだなぁって」

 

 多分この娘が『ケイ』だな。恐らくは妹だと思うが。あの白銀さん……だと父親とかと区別が難しいから、今後は御行さんと呼ぼう。ともかく御行さんの世話焼きなところから考えて。

 というか、やっぱりこの白銀さんがあの時の奥様の元旦那さんか。俺からすれば愛を数値化する奥様も奥様だし、それに惹かれる旦那も旦那って感じだな。

 

「……白銀さんだけで子供二人を育てた感じですかな?」

 

「御行はそうだが、娘の(ケイ)は中学に上がった頃に家出してウチに来たがな。まあそういうことになる」

 

 やっぱ娘さんはケイか。間違いなく、この人の奥様はあの人だな。

 ならばその奥様がしてきたことは……きっと子供達にとっては辛い者だったに違いない。

 

「だったら奥様に惹かれる要素あります? 側から聞いていれば、離婚した理由って奥様が『母親』としての役割を放棄したのが原因としか……」

 

「中々に聡明だが、それはちょっと違うな。確かにアイツは世間一般的に見れば『母親』として失格だろうさ。もちろん私だって『父親』として半人前なところはある」

 

「だが」と彼は言葉を区切って話を続ける。

 

「何を持って『父』と『母』だと考える? 必ずしも契りを交わして履行を果たすのが『親としての愛』じゃないくらい分かるだろう?」

 

 頷きはしない。俺はそういう物に関しては疎いところがある。

 けれど知らないわけじゃない。アイのは間違いなく親としての愛だ。だけどこれだけで愛の形を定義できるわけじゃない。

 天童寺まりな然り、白銀色の母君だってそうだ。あの人の愛はリアリズムとエゴイズムで成り立つ数値化されたもの。愛の定義についての色々は宮崎旅行の際にルビーに問いたほどだ。

 

「そりゃただ産んで育児放棄をするのは虐待だ。これは間違いない。これは愛じゃない。仮に愛だと主張する者がいるとしたら、そんな愛は認めてはいけない」

 

 分かっている。そんな愛を認めたらアイの幼少期は捻れたものになりはしない。

 星野あゆみだって愛していたことは認めていた。でもそれ以上に母としての愛よりも、女として愛を求めてしまっていた。これはもう揺るぎない事実だ。今更どう解釈しても否定できない出来事だ。考えるだけ無駄だ。

 

 

 

 ……なら四宮雁庵と名夜竹さんの愛はなんなんだ?

 

 この男は『真実の愛』とかいう歯が浮くような発言をした。良い歳こいた大人がそんなことをだ。

 だけど笑い飛ばせる空気ではなかったのも確かだ。彼は彼なりの考えのもとに、その口に出すにも恥ずかしい単語を平然と言ってのけた。だとしたら彼には彼なりの愛の在り方があることが分かる。

 

 

 

「……つかぬ事を伺うのですが——」

 

「おっと。私はこの後MEMちょとコラボ実況があるんだった。挨拶が長くなってしまい申し訳ない」

 

「え? MEMちょとも知り合いなのか?」

 

「今のYouTuberは横の繋がりがすごいからねぇ。確か英雄とかの過去の偉人が世界を救う某ソシャゲの3000万ダウンロード記念でしょ」

 

「ああ。その作品での私の一推しは『ハンス•クリスチャン•アンデルセン』だ。MEMちょは『エリザベート•バートリー』だな」

 

「あかねは『呼延灼』と言っていたわねぇ。あの作品も長寿で色々な原典と多種多様なキャラ多いから」

 

「あー。聞いたことある名前が結構あるなぁ。芸能界だと、童話とか歴史とかを元に作品を作るのが多いから当たり前と言えば当たり前だが……有馬は推しキャラとかいるのか?」

 

「私はそのゲームだと『キングプロテア』が好きよ」

 

「お前だけ家庭菜園のゲームしてない?」

 

 聞いたことねぇよ、そんな偉人の名前。少なくとも植物だろ。

 

「そうだマリンちゃん。最後にこれだけは伝えておくよ」

 

 退室する直前、白銀さんは俺たちに背中を見せながらも、確かに言葉を伝えるために横顔をこちらに向けて告げた。

 

「必要なのは頭脳だ。真実の愛を求めるなら、考え続けるんだ」

 

「……考え続ける」

 

「ああ。そういう奴等が、世界で最初にそれを掴んだのは知ってるよ」

 

 それを言い残して白銀父は休憩室から姿を消した。

 後になって御行さんとかぐやさんが来て「あの親父、変なこと言わなかったか!?」など「御父様、ご無礼なことを口にしませんでしたか!?」と自分にも相手にも心配しているかなり珍妙な焦り顔で入室してきたが、そこは適当に取り繕いをして納得させておいた。

 

 しかし考え続けるか。真実の愛を求めるのであれば、考え続けるしかないのか。

 思考する。名夜竹さんにとって雁庵さんに対する気持ちはなんだったんだろうと。

 

 分からない。まだ全貌は分からない。

 だけど諦めるわけにはいかない。だから考え続けるしかない。

 

 名夜竹さんの気持ちが、どういうものかを表現しきれないと、俺は監督として前に進めないのだから。

 

 

 

「……あかねは、雁庵さんの気持ちわかってるのかな」

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