孕娼の魔女   作:甘朔八夏

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11.街衢

 

冷たい風が頬を撫でる。そんな感覚も、今まで忘れていた。周囲の喧騒、穏やかに笑う誰かの声。ここ2ヶ月ほどで粉々に崩されてしまった()()にもう一度対面した僕は、『日常』に困惑していた。

 

所在なさげに道を歩く。久々に感じた靴越しの地面の感触に、それだけで目が潤んで目隠しに滲みができた。

彼らの思惑通り、心の壊れていた僕は外の世界に久しぶりに触れて、まんまと感情を激しく揺らしたようだ。自分のあまりの単純さに苦笑しようとしたが頬は上がらず、口から漏れたのは乾いた息だけだった。

 

現在僕は布をはちまきのように目に巻いて、『魔眼』が周りにバレないようにしている。そうすれば当然何も見えなくなるはずなのに、何故か人や怪人の位置だけがサーモグラフィーのようにわかる。これも魔女の力なのか。流石にうんざりとした。

 

とはいえ電柱や建物などの位置はわからないので、周りを歩く人々のシルエットを参考にしながら慎重に進む。自分がどこに向かっているのかすらも分からなかった。ポケットからくしゃくしゃのお札を取り出す。テレパシーから与えられたお金は五千円札が一枚。

 

買いたいものは、頭よりも先に体が激しく主張した。体は甘味を求めていた。それに気づいた僕はまた苦笑しようとして失敗する。現在僕は余計なことをしないようにワームホールに監視されているようだが、これくらいならいいだろう。自販機でココアを買おうと決め、電気屋の目の前を通る。

 

《『魔女の児』による脅威が、日本中で話題となっています》

 

テレビから流れるニュースに、足を止めた。止めてしまった。

 

《現在も拡大を続ける『農場(ファーム)』。その首領である『孕娼(ようしょう)の魔女』の情報を集めています。》

 

テロップが表示された後、街頭インタビューの映像が流れる。

 

———魔女って、あの魔女ですよね。また現れたんですか!?とても怖いです。早く魔法少女に倒して欲しいです。

 

———『孕娼の魔女』は本人は姿を一切表さずに、自分の産んだ子供を兵隊のように扱っていると聞きます。1人の親として信じられませんね。

 

———『孕娼』って言うくらいなんだから、誰にでも股を開いてるんだろうね。魔女っていうのはとんでもない阿婆擦れだ——

ピーと言う音が流れ、映像が中断する。

 

———まじょ、こわいです。はやくいなくなってほしいです。

 

走り出していた。初めて見た自分への悪意、敵意、恐怖。当然だ。僕の子は次々と人を殺し、攫い、『農場』の悪名を広めている。

 

「…はは、『孕娼』だって?……せめてそう言うなら、報酬くらいくれよ」

 

あんなにみんなに嫌われて。あんなに存在を疎まれて。最初に出てくる言葉が悲しみではなく文句である僕は、もう人間ではないのだろう。

過去に縋っていたかった。たとえ怪人になっても、心は人間だと思いたかった。いつも夢想した。これは悪い夢で、朝起きたらまた友達と一緒に学校へと行くだけの日常に戻れるんじゃないかって。

 

「——魔女って怖いよね。一体何がしたいんだろう」

 

「なにも考えてないんじゃない?自分が楽しければそれでいいーみたいな。ほら、初代魔女もそんな感じだったらしいじゃん」

 

「——っっ」

 

ここは駄目だ。逃げないと。逃げる?逃げるってどこへ?地下室へ。あれ?僕は地下室から逃げたかったんじゃないのか?地上へ。

 

———娼婦、——人殺し、——最悪の怪人、——ビッチ、——毒親、——悪魔、——クズ。

 

全部僕のことだ。『孕娼の魔女』のことだ。

痛い。信じられないくらい痛い。もう人が感じられる痛みのほぼ全てを味わってきたつもりだった。でもこんなにも心が痛かったのは初めてだった。

 

何もできない子供のようにいやいやと首を振って逃げる。どこかへ。逃げる。『孕娼の魔女』がいないところへ。夢中で走った。だから気づかなかった。足元にうずくまる小さな人影に。寸前で避けようとするが、間に合わない。無理に避けようとした僕は、地面に無様に転がった。

 

そんな僕を、小さな人影がぽかんとした顔で見ていた。歳はおよそ5歳ほどか。目尻に跡があるのを見ると、どうやら泣いていたようだ。きっと迷子なんだろう。

 

「…お母さんとはぐれちゃったの?それなら僕と一緒に探しに行かない?」

 

形容し難いどす黒い感情で胸がいっぱいになっていた僕は、無意識に彼女に話しかけていた。ああそうだ、僕は感謝が欲しかった。そのために彼女を利用しようとしている。自分が誰かに必要とされていると信じたかった。不安にかられる少女を心配に思う気持ちなどどこにもなかった。なんて醜い感情。それに気づかない少女は、目を布で隠したいかにも怪しい風貌の僕の手を、警戒すらせずにそっと握った。

 

 

 

小柄で目を布で隠した白髪の少女が、さらに幼い少女の手を引いて道を歩いている。周りの人が僕たちを怪訝な目で見ているのかわかった。しかし、誰も話しかけようとはしない。それが僕からすればありがたかった。

 

「どこではぐれたのか分かる?」

 

少女は無言で商店街の方を指差した。

 

「わかった、じゃあそっちに行ってみようか」

 

 

 

 

「お名前はなんて言うの?」

 

少女は答えない。

 

「何歳?」

 

答えない。

 

初めは気まずくならないように優しく少女に話しかけていたつもりだったが、何も答えずに商店街の方を見つめ、無言で歩く少女の態度に、僕の口数も減っていく。先ほどまで1人で泣いていたはずの幼子がする態度としては、それは異常に感じられた。

 

商店街の入り口に着くと、お店の前で必死に店員に何かを尋ねている女性がいた。

 

「ママ!」

 

少女は僕の手を振り払い、その女性へと走る。その勢いのまま、少女は女性に抱きつく。

 

「沙織っ!!」

 

女性は少女を固く、固く抱きしめる。目元には喜びと安堵からか、涙が滲んでいた。

 

子が母に向ける無条件の愛。母が子に向ける無償の愛。美しい光景だった。本当に。僕がかつて向けていたもの。向けられていたもの。もう僕がその当事者になることはない。その事が、すごく辛かった。緩み切った顔で母の胸に顔を擦り付ける少女が、ひどく妬ましかった。

 

僕は彼らに近付いていた。目が熱い。でも、涙ではなかった。それよりももっと汚くて、穢らわしくて、どろどろとした何か。

 

「あなたが沙織を助けてくれたんですよね?ありがとうござ……ひっ!」

 

少女の母親が僕に向かって感謝を述べる。ことは叶わなかった。視界が真っ赤だ。目がぼんやりと光っているのが分かる。はらりと、目を覆っていた布が外れた。

 

「え…あ…怪人?ま、ま『魔女の児』!?ひぃ!?あ、あぁ………!」

 

女性はその場にへたり込み、がたがたと震えながらこちらを見ていた。その目は恐怖と嫌悪に歪み、その顔は真っ青になっている。

 

熱くなっていた頭がすうっと冷えるのが分かった。

なんで?なんでそんな目で僕を見るの?ただ感謝されたかっただけなのに。なんで嫌悪されているの?

恐怖に歪む視線が、怖かった。

 

怯える女性の前に、幼い少女が立ち塞がった。震える腕を精一杯に伸ばし、僕をキッと睨みつける。

 

「ママをいじめないで!!」

 

どうしてそんなことを言うの?

明確な拒絶の目に、無意識に後ずさった。

 

「その子から離れろ!」

 

「これ以上怪人に好き勝手されてたまるか!」

 

辺りを見回す。少女の勇気ある行動に奮い立たされた人々が、僕に石を投げてくる。

 

「消えろ!」

 

「この化け物が!」

 

「どっか行けよ!」

 

「死ねよ!」

 

一心に向けられる感情。怪人()を嫌う感情。化け物()を恐れる感情。魔女()を憎む感情。

 

僕はその場から逃げ出した。滲む目を擦ると、真っ赤な液体が手についていた。背後から人々の歓声が聞こえる。怪人を追い払えたなんて、初めてのことなんだろうな。

 

路地裏に逃げ込む。奇しくも、そこは僕が怪人に攫われた路地とよく似ていた。以前は望まずして追いやられて訪れた場所。今では自らそこへ逃げ込んだ。

そしてしゃがみ込む。頭にこだまする怨嗟の声。この世界から消えていなくなりたいと思った。

 

怪人。人類の敵であり、人間を襲う化け物。

 

自分は違うと思っていた。心だけは折れないと信じていた。もう遅かったのだ。憎い。血のように紅く濁りきったこの目が。何も手入れしなくても艶を保つ長くて白い髪が。細枝のような脆いこの手足が。

 

たった一粒。涙が溢れた。地下室からずっと逃げたかった。でも、逃げた先の地上はもう僕の居場所ではなかった。

 

逃げたい。この世界から。この世から。でも、死ねない。僕の居場所は、どこにもない。

 

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