孕娼の魔女   作:甘朔八夏

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13.禁忌

 

ワームホールの姿が消えると、その真後ろにいたテレパシーと目が合ってしまう。途端に何も考えられなくなり、ワームホールの転移の硬直時間を見逃す。ましてや彼に攻撃の機会を与えてしまう。厳しい状況だった。アイリスの口から舌打ちが漏れる。

 

「ねぇ、アイリス…だったっけぇ?さっきから随分苦しそうだけど、大丈夫ぅ?」

 

戦況の有利を察したのか、テレパシーが神経を逆撫でするような声色で話しかけてくる。

二体の怪人は共に単体ではアイリスにとって歯牙にもかけない相手であるが、存外彼らは連携が上手かった。

 

思考の空白により、まるで突然目の前に現れたように感じるワームホールの拳を銃身で受け止める。彼の細身からは考えられないほどの馬鹿力で吹き飛ばされ、アイリスは顔を顰めた。

追従してくるワームホールの四肢に、ほぼ同時に鉛玉をぶちこむ。怪人はすぐに飛び退くが、それも予測して隣に置かれた銃弾が怪人の右腕を裂いた。

 

「チッ」

 

バックステップでアイリスから距離を取る。一見怪人側が有利に見えるこの状況。しかし実際は完全な膠着状態だった。肩で息をしながらも、アイリスはまだ一度も被弾していない。二人がかりでも未だに傷一つつけられていない現状に、ワームホールは密かに焦っていた。そのためか、ワームホールの攻撃の手が僅かに荒くなる。

 

その隙を、彼女が見逃すはずがない。

 

「あ"っ」

 

ワームホールが銃弾を避け、彼女から顔を背けたその一瞬。息の詰まったような叫び声と共にテレパシーが吹き飛ばされ、それと同時に自身の両太腿に大穴を開けられた。

 

「ん、もう慣れた」

 

とどめの一撃を準備するアイリス。ワームホールは瞬時に敗北を理解する。引き金が引かれる寸前でテレパシーの首根っこを掴み、怪人は戦場から姿を消した。

 

「…また逃げた」

 

不満げに口を尖らせる。ワームホールとは、これで三回目の対峙。また逃走を許してしまったことを悔しく思ったが、すぐさま思考を切り替えて遠目から『家』の戦況を確認する。

 

「うん、理想的」

 

アイリスは満足そうに呟く。しかし、その表情はすぐに不安気に変わった。奮闘する魔法少女の中でただ一人、彼女の姿が見当たらなかった。

 

「……桜?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(くすぶ)った感情の靄に従って歩く。言いようのない焦燥感に追われて、桜は『家』を通り過ぎて何かを辿っていた。

 

『家』突入直前に彼女だけに()()()朧げな靄。それを発見した桜は他の魔法少女たちから離れ、誰に見つかることなくふらっとその場を抜け出していた。

 

『家』のわきを通り過ぎる。

 

「ひ、ひぃっ!待ってくれ!俺は変化型(トランス)だ!ここにいるのも嫌々なんだ!それに()()誰も殺してない。だから助け°っっ」

 

『家』の中から聞こえる怪人の命乞いが途切れた。その声に、自身の顔に貼り付けていた仮初の憎悪は簡単に霧散する。

今のはきっと見逃したら背後を突かれるだろう。これで正解だ。しかし、助けを求める敵にとどめを刺すのには、いつまで経っても慣れない。

桜は『家』の外から他人事のように批評する。

 

大勢の魔法少女たちが『家』の中で人類のために戦っている。それなのに、一体私は何をしているのか。自身もその戦いに参加するべきだ。しかしその思考に反して、桜の足は止まらなかった。

 

 

 

 

「なに…これ」

 

一番靄が濃い場所へと歩みを進める。その先にあったのは、すでに地下である下水道からさらに下へ深く潜る階段。その先には、古い金属製の扉があった。

 

怪しい。危険だ。今すぐ戻ってアイリスに伝えるべきだ。心中で叫ぶ冷静な私。それらを全て無視して、一歩ずつ階段を降りていく。強い感情に突き動かされるままに。

 

 

重く、冷たい扉の前へ着く。ドアノブを引いた。開かない。しかし、開けなければならない。不思議とそう思った。

 

瞬間、右手に再び硬い感触。桜の手には、()()()以来の小太刀が握られていた。

まだ桜は、この小太刀のことを対策課に話していない。あれ以来一度も顕現できなかったからだ。

それなのに、前触れもなく再びそれが現れたことを桜は疑問に思わなかった。

 

開けなければならない。

前と同じ要領で、扉に軽く傷をつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

外で少女の勇ましい声と、怪人の悲痛な断末魔が聞こえる。思わず耳を塞いだ。もう空っぽになってしまった僕の心にしぶとく残っているのは、なぜか無理やり産まされた我が子のこと。いままで散々見捨ててきたくせに、魔法少女に浄化されだんだんと数を減らしていく怪人の声に胸が締め付けられた。

 

もう何もしたくない。何も知りたくない。今日はこのまま眠ってしまおう。そう思ってうずくまった瞬間、金属製の扉が軋んだ。

 

「——ッ!!」

 

弾かれるように起き上がり、扉を凝視する。扉は閉まったままだ。そんなこと、今まで一度もなかった。

しかしもう扉から音はしない。幻聴だったのか。それほどまでに僕は扉の音に怯えているのか。そう自嘲していると、突然扉が光の粒子となって消滅した。

摩訶不思議な光景に驚く間も無く、地下室へ入ってきた人物と目を合わせる。

そこにいたのは、ひどく驚いた表情をしている桃髪の少女だった。

 

 

 

 

 

 

 

扉の先に居たのは、桜よりも小柄で、幼さと妖艶さを両立させたようなアンバランスな美貌を持った少女だった。

初雪のような繊細さと艶を感じさせる美しい白髪に、白磁のようなきめ細やかな肌。その眼窩に嵌め込まれるは、血のように濁り切った真っ赤な目。

 

桜は息を呑んだ。少女に見惚れたからでも、少女の魔眼に怯えたからでもない。

 

()()()のだ。幼い少女が決して持ってはならない、あまりにも大きな感情の闇が。

 

人生に対する「諦念」「絶望」。この世に生ける全てに対する「憎悪」「嫉妬」。誰かに対する強い、強い「罪悪感」。 

そしてそれらを全て塗りつぶすほどの、あまりに大きな「孤独感」と、「寂しさ」。

目の前の少女は、愛を求めてずっとずっと叫んでいた。

 

言葉が出ない。

 

ああ、確かに魔眼は恐ろしい。感じる恐怖は、以前『魔女の児』と目を合わせた時よりも遥かに強いだろう。しかし、この眼で直接感じる眼前の少女の感情に比べたら、心中に湧き出る自身の恐怖などあまりにちっぽけだった。

 

 

 

そんな桜の様子を確認して、かつて椿だった怪人はふっと表情を崩した。

 

「僕が『孕娼の魔女』です」

 

膝を折り、手を揃えて、頭を地面に擦り付ける。

 

「殺してください」

 

怪人は確信していた。桃髪の少女が持つ小太刀は、自分を殺せると。

 

「お願いします。終わらせてください」

 

 

 

 

桜は絶句した。絶句することしか出来なかった。自身に平伏して殺してくれと希う眼前の少女、いや、『孕娼の魔女』。

 

桜も、子を産むためにすべきことは知識として知っていた。だから魔女は成熟した女性だと信じて疑わなかった。もし魔女が悪でなかったとしても、子を産むことは自身の意思で行なっており、『魔女の児』が暴走しているだけだと思っていた。そうでなければ有り得なかった。

 

それなのに。なんだこれは。

こんな小さな少女が、彼らを産んでいたと言うのか。なぜ彼女から、そういう事に対する激しい恐怖が視えるのか。

どうして彼女の心は、泣いているのか。

 

もう一度、少女を視る。彼女は生に絶望していた。死を望んでいた。でも、死を恐れていた。生に幻想を抱いていた。

 

体の内から湧き出る衝動を止める術を、桜は知らなかった。

少女の前まで歩き、彼女の肩を掴んでこちらを向かせる。動揺に揺らめく少女の紅い目を、はっきりと見据えた。途端に溢れ出す根源的な恐怖。硬直する体に活を入れ、震え出す両手を無視して、逃げ出したくなる衝動にも蓋をして。

 

私は、少女を強く抱きしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

突然目を合わせられて、それでもなお自分を抱きしめた桃髪の少女に、僕は何も反応を返すことが出来なかった。

 

怪人()を固く抱きしめる桃髪の少女。彼女の手は著しく震え、僕に怯えていた。それなのに、まだ強くなる彼女の抱擁。

 

惨めだった。

 

僕が一度も成し遂げられなかったことを、赤の他人である少女が成している。僕は今まで逃げていただけなのではないか。そんな自嘲が脳裏をよぎった。僕だけが抱きしめなかった。後悔に押し潰されそうだった。

 

しかし、それ以上に彼女の腕の中は温かく、暖かく、優しかった。乾き切った心にたった一粒、水滴が落ちたような感覚。もうそれだけで限界だった。耐えきれずに心が決壊する。

 

初対面の少女の胸の中で、僕は無様に泣きじゃくっていた。

 

 

 

 

 

「ねぇ、魔女さん。ここから逃げよう」

 

桜の言葉に、魔女は首を横に振った。もう彼女に、地上の悪意に耐えられるほどの心は残っていなかった。

 

魔女の異常な怯え具合に、地上を恐れる感情に、桜はそれでも説得を続ける。

桜はもう、生を羨みながら死を求める彼女の姿を見たくなかった。

 

「…じゃあ誰にも会わなくていい。外に出なくていい。生きようとしなくていい。ただ死のうとしないでほしいんだ」

 

魔女は、桜の言葉を黙って聞いている。

 

 

 

 

 

もうこれ以上は駄目だ。それだけは、越えてはいけない。桜の常識が、冷静が、知性が言葉を紡ぐのに激しく抵抗した。

 

それを感情で押さえつける。助けたいから。この子の笑顔が見たいと思ったから。もう、迷わなかった。

 

「——だから、私と一緒に来てくれないかな」

 

その日、一輪の正義が禁忌に堕ちた。

 

 

 

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