家に帰ってすぐお母さんに頼み込んだ。訳ありの友人を匿いたい。彼女の生活を支えることを手伝ってほしい。でも、彼女の姿を見ないでほしい。言っていることが支離滅裂だ。
「…桜。それは貴女にとって本当に必要なことなのね?」
お母さんが真剣な表情で尋ねる。それに私は力強く頷いた。
嘘だ。きっとこんなことしてはいけない。
しかし、お母さんは
「一ヶ月。それまでなら友達の事態が好転するまで待ってあげる」
両手を桜の肩において、しっかりと目を合わせる。
「助けたいと思って行動に移したのなら、きちんと責任を果たしなさい」
お母さんの言葉が深く胸に沁みた。今度こそ、私は心から肯定の意を示した。
あれから二日。一日に1時間ほど部屋に入ってナーサリーに話しかける。今朝食べた朝食のこと、勉強のこと。なんでもいい。ただ沈黙を嫌って、たわいの無いことを延々と語る。たまに相槌を打ってくれると、桜はそれだけで嬉しかった。
それでも、1時間が限界だ。部屋を出るといつもドアの前でへたり込んでしまい、激しい動悸を抑えるのに苦労する。
まだ三日目。桜は無理を重ね、魔眼と対面するストレスから体調が悪化していっている。
吐き気がする。すでに限界が近づいていた。部屋から出てしばらくした後、桜は迷いを振り切って菫とひまりに連絡を入れる。1人では無理だった。でも、桜は助けたかった。必死だった。
そのためか、ナーサリーのお腹がだんだん膨らんでいること。そして、それを彼女が必死に隠そうとしていることにも桜は気づかない。
「……本気で言っているの?」
全てぶちまけた。伝えられることを全て菫とひまりに漏らした。魔女があの部屋に監禁されていたこと。今、自分の家に魔女がいること。
「今すぐ対策課に報告しなさい。何かあった後では遅いのよ」
駄目だった。もちろん菫とひまりは初代魔女と関わりを持っていない。だから彼女らからすれば、魔女は怪人史上最大の悪だ。菫とひまりにとって、桜が見た光景すらも桜を貶めようと魔女が画策したものとしか思えなかった。
「…でもね。あの子、私にお願いしてきたの。殺してください、って」
「——っ」
その言葉に少し怯んだ様子を見せる菫。真実であるならばあまりにも痛々しい魔女の過去。しかし菫の意思は固かった。
「…ごめんなさい。やっぱり魔女を信じられない。でも、桜のことは信じたいの。だから報告は保留する。でも少しでも違和感を感じたらすぐに報告するからね」
これでも相当な譲歩をしたのだろう。桜は曖昧に笑って菫に感謝を述べる。
「…わたしも協力はできないかなー」
「そう…だよね」
「だから、今日のことは聞かなかったことにしていい?」
それは、ひまりも報告するのを待ってくれるということ。
だからといって菫もひまりも決して魔女のことを信じた訳ではない。初代魔女、
しかし、ここで対策課に報告する。それは、桜の罪を告発することと同義である。告発による桜の末路を二人はひどく恐れた。
彼女たちの葛藤を知ってか知らずか、桜があからさまな作り笑顔を浮かべて感謝を述べる。
「…二人とも、ありがとう」
事態は悪化しなかった。しかし、好転もしなかった。
二人と魔女について話したことで、再びナーサリーの様子が心配になった。自宅へと走る。やけに家までの道が遠く感じた。信号に足踏みをして、人混みをもどかしく思って。やっとの思いで家に着く。二人と別れてからほんの十分ほどしか経っていないのに、長い長い道のりを踏破した気分だった。
手を洗う時間も惜しんで一目散にナーサリーのいる部屋の扉へ向かう。ここまで我を忘れるほど急いでいたというのに、その扉を開けることに桜は不思議と躊躇いを感じた。
逸る動悸を左手で押さえつけながら、恐る恐る部屋の扉を開ける。
「!!!」
息を呑んだ。
桜の目に飛び込んできたのは、床に飛び散る夥しい数の血痕。50センチほどの赤黒い物体。そして、その前で何かをうわごとのように呟いている白髪の少女。
彼女のお腹はずたずたで、血が絶え間なく滴っている。
怪人を倒すと、通例彼らは死体になることなく光の粒子となって霧散する。そのため、桜はこのような悲惨な光景を今まで見たことがなかった。
非現実な悲劇が自室で起こっているという非常事態。桜は声をかけることすらできずに、呆然とナーサリーを見つめていた。
下腹部が鈍く、それでいて激しく痛みを訴えている。体の内側を執拗に殴られるような、お腹の中を刃物でぐちゃぐちゃにされているような感覚は、何回目であっても声を抑えられないほど。
しかし、今の僕にとって痛みは重要でない。ここが、「桜の自室である」ということが問題だった。
三日前。彼女は僕をここに連れてきた。その時、僕のお腹は痩せ細っていた。今やどうだ?倍以上に丸く膨らんだ下腹部。
ずっと目を背けていた現実が、僕に迫っていた。痛みを堪えながら朦朧とする頭で思考する。
産む。
するとどうなる?当然我が子は人を殺すだろう。桜が帰ってきたら、油断している彼女をまず殺すかもしれない。桜だけじゃない。きっと『魔女の児』を浄化できる者など一握りだ。それほどの強さを持った魔法少女が駆けつけるまで、我が子はあまりに沢山の人を殺すだろう。僕が、産んだから。
それはもう我が子が殺したんじゃない。僕が殺したのと寸分違わない。
ではどうする?まもなく子が生まれる。もしかしたら、僕の言葉を聞いてくれるかもしれない。その可能性にかける?駄目だ。魔眼の耐性を持たない僕は、自分と同じはずの血のような紅い目に見据えられるとどうすることもできない。唯一できることは、ただ我が子の殺戮を眺めることだけ。
僕は怪人だ。でも、人間の敵ではありたくない。あってはならない。
産んではならない。
机の上の文房具入れを見つける。規則的に下腹部を襲う激しい痛みに歯を食いしばりながら、その中から細いカッターナイフを取り出した。
助けたい。桜がこの部屋を訪れる度、そんな感情が彼女から痛いほどに伝わってくる。
桜の思いを踏み躙ってはならない。そのために、僕は自身の愛を踏み躙る。
生まれる前に子を殺す。それが唯一の選択肢だった。
カチカチと、カッターの刃を出す音がやけに大きく響く。服をたくし上げて、丸々とした下腹部を外気にさらした。
息が荒い。手が震える。激しく跳ねる心臓。これから行おうとしている行動に対する本能的な拒否感で意識が飛ぶほどの頭痛がして目がちかちかとする。
以前自身の手首を切った時とは比べ物にならないほど気持ちが悪かった。頭が、心が、体が、僕の行動を止めようとしていた。
しかし、やらなければならない。
「………ごめんなさい」
僕は、自身の腹に向かって刃を突き刺した。
刺す、引き抜く、血が溢れる。刺す、引き抜く、血が溢れる。刺す、自分ではない
咳をした。生々しい音を響かせて、無意識に噛みちぎっていた舌がフローリングに落ちた。
刺す。
「ごめんなさい」
引き抜く。
「ごめんなさい」
血が溢れる。
「……ごめんなさい」
下腹部を強く押した。いつもよりも少し滑らかに我が子が出てくる。血だらけの状態で。
産声は聞こえない。目は開かない。ぴくりとも、動かない。
僕は、初めて我が子に触れた。自分が殺した我が子を。途端に目が滲んで何も見えなくなった。
「…っ!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!」
自分の中で何かが壊れる音がした。
自分でやったくせに、この怪人はなぜ泣いているのだろう。なぜ謝っているのだろう。なぜこんなにも後悔しているのだろう。
僕は、