孕娼の魔女   作:甘朔八夏

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25.決別

 

 

人間の生涯の拍動の数は、どの人も同じくらいだと聞いたことがある。もし、それを僕なんかにも当てはめていいのなら、僕の寿命はきっと短いだろう。

 

こちらに手を伸ばす綾芽の姿を見上げながら、逃避するように思考を飛ばす。

 

彼女の手にナイフは存在しない。

しかしそれを除けば。状況も、心情も、マーダーに人間との決別を迫られた時と何ら変わりは無い。人類の敵である()()()に対しても、僕はそう思ってしまった。

 

「…私に、この手を握ることを強制する権利は無い。たとえどちらを選んでも、私はあなたの味方をすることを約束する」

 

滲む優しさはまるで抱擁のようだ。でももう、その同情を手放しに受け入れるなんておこがましいことはしたくない。結局我が子からも逃げて、綾芽の背に隠れ続けることはできない。

僕を救おうとしてくれた人は、魔法少女チェリーブロッサムは、僕に触れたところから黒く濁っているのだから。

 

「…僕が、『魔女の児』を倒せば、どうなりますか?」

 

久しぶりにあげた声はしゃがれていて、それでも気持ち悪いほどに男じゃなくて。

その質問に綾芽は一瞬沈黙する。次にこちらを見た時には、彼女は覚悟を携えていた。

 

「…あなたを、魔法少女として迎え入れる。入れてみせる」

 

 

 

 

 

 

怪人には、2種類の分類がある。一つ目は異界からの侵略者、純種(ネイティブ)。二つ目は、純種に作り変えられた元人間、変化型(トランス)

例は非常に少ないが、かつて心の闇を屈服させて、魔法少女に味方したトランスがいたという。

 

その踏襲を、彼女はするつもりだと語った。

 

彼女の提案に、僕はすぐには返答できなかった。冷静で利己的な自分が囁く。厳しい。限りなく不可能に近いと。

怪人は人間の敵なのだ。普通の怪人でさえも、人間の味方をすることに強い違和感を感じる。今、怪人である僕ですらそう思うのだ。

それほどまでに強い偏見(バイアス)。それを()()が払拭できるとは思えない。

 

「僕、は——」

 

椿ちゃん!!!

 

閉ざされていた扉は、あまりにも勢いよく開かれた。緩く結ばれた桃色の髪がひらりと揺れる。僕を呼ぶその声に負けないくらいの勢いで、桜は僕と綾芽の間に割って入ってきた。

 

「…桜。椿が心配なのは分かる。でも、これは本当に大事な決断。他人に流されて決めるべきじゃないと思ったから、一度別れてもらったのに」

 

「でも!!……でも、子供と、なんて」

 

言い淀む桜の声は、僕よりも泣きそうだ。

思い出す。彼女は僕の、最悪の出産を目にしたことがあったと。彼女のカッターナイフを使えなくしたのは僕であったと。

 

すうっと思考が冷えていくのが分かる。勿論迷っていた。やはりその選択は苦しい。

しかしもうすでに、僕は超えていたのだ。

 

「綾芽さん」

 

まだ何かを言おうとする桜を手で制し、重い腰を上げて立ち上がった。それでもなお、綾芽より視線が上になることは無い。この体の小ささに内心で苦笑しながらも、顔を綻ばせることは出来なかった。

 

「連れて行ってください。……僕が、殺します」

 

その決断の重さを分かっているつもりだから。

 

 

 

 

 

 

鉄道の運行中止のアナウンスが遠くで聞こえる。

住宅街の間を縫うように通る線路の上で、一人の筋骨隆々の男が、両手から計10本の金属製の鎖を伸ばしている。それらは電線に絡みつき、男の身体をバチバチと発光させながら、激しく脈動していた。

 

ブチンッ、と、鎖の重みに耐えられなかった電線がちぎれて地を擦り、線路の枕木に電気やけどをつけていく。

 

「……本当に、行くの?」

 

鎖の怪人との()が遠方ギリギリに見える線路の上。

この期に及んで、桜の弱々しい声は僕に絡みつく。行きたいわけがなかった。

犬歯に舌を擦り付けて傷をつくり、鈍る覚悟に叱咤を注ぐ。彼女の方を向いて、力強く頷くことができたのは、きっと勇気じゃなくて自棄だ。

 

「…僕、誰かと戦ったこと無いんだ。困ったら助けてくれる?」

 

「!…もちろん!」

 

最後に両手をぎゅっと包まれてから、僕は綺麗な小太刀と共に解放された。本来、魔法少女が使用する武器はその者の気質によって固有に生成(オーダーメイド)されるものであり、他の人は使えない。

ただ不思議と、桜に渡された小太刀だけはやけに手に馴染んだ。

 

「…よし」

 

頬を叩く。ここからは証拠を作らなくてはいけない。

怪人は出現から浄化(きえる)まで、絶え間なく対策課によって監視されている。だから最低限のラインとして、魔女(ぼく)が『魔女の児』と敵対している画を撮れたらいい。…それでも、理想は僕自身の手で、だ。

 

 

鎖を手から伸ばした子はすでに僕の存在に気づいているだろう。しかし、彼は動かない。それをありがたく思いながら、小さな歩幅で彼の元へ近付いていく。

 

綾芽に伝えられたことを復習する。

 

人払いはとうに済ませているので、民間人に自分の存在が見られる心配は無いこと。

彼女はその実力から、怪人担当における一定の人事権を得ており、今回それを利用して他の魔法少女を遠ざけたこと。

『鎖の魔女の児』と僕との対峙は常に綾芽と桜によって見守られており、危険と判断した場合は介入されること。

 

僕の醜い姿(あのビデオ)は綾芽以外の魔法少女には存在が示されておらず、今後も公開される予定は無いこと。

しかしこの戦いがうまくいけば、対策課を押さえ付けて他の魔法少女と対面し、誤解を解いていくつもりだということ。

 

 

 

 

 

並べていくと、本当に課題ばかりで、不安ばかりだ。全て乗り越えたところで、それが良い方へ続いているとは断言できない。

 

終着しない思考とは裏腹に、足は確かに前へ進む。

 

「来たな」

 

だからこそ、我が子の言葉が存外近くて、びくりと肩は跳ねたのだ。

 

気づけば俯いていた顔を上げると、我が子はすでに僕のほんの十数歩先にいた。

2メートルを超える巨漢である。黒黒と照る筋肉は僕を蹂躙した()()譲り。指の代わりに両手から伸びる鎖は、擦れるたびに不快な高音を響かせる。

 

そのようにじろじろと観察していたのだから、当然合わせてしまう。体内(なか)の色が剥き出しになっている、赤い紅い瞳を。

 

「…ああ、ぁ」 

 

首筋を刃物で撫ぜられているかのような冷たい感覚。頭に湧いた恐れが末端へと広がっていく感覚。後ずさることもできずに、無様にその場にへたり込んだ。

 

「あんたが、『魔女』か。確か、名前は——」

 

一歩近づく。後ずさることができない。

 

「——ナーサリー」

 

吐きそうだった。耳を打つ言葉に馴染みがあることが苦痛だった。

 

「…マーダー様からいろいろ聞いたよ。大変だったんだな」

 

両者が手を伸ばせば、きっと届く距離。まだ僕は動けない。彼の瞳の赤から目を離せない。

我が子は僕の表情を見て、作り笑いを浮かべている。

 

「だけどさ」

 

「ッ!」

 

「? …ああ、これ以上近づかない。そんなに怯えないでくれよ。……肉親に怖がられるってのも、悲しいもんだな。…いや、なんでもないよ」

 

我が子の顔は父親(バインド)そっくりだ。にも関わらず、目の前の子の表情は人間臭くて、おぞましくない。

 

「確かにあんた…ナーサリーは辛い思いをした。逃げ出したくもなるだろう。ナーサリーは被害者だと、俺でも分かる。……じゃあさ」

 

彼が手を振り上げて肩をすくめる。うねる鎖は、線路の両脇を囲むフェンスに軽々と穴をあけた。

 

「俺の幸せはどうなるんだ?」

 

「!!!」

 

肺を鷲掴みにされたみたいな、蛙を握りつぶしたみたいな、変な声しか出なかった。彼の声は僕を責めていなかった。本当に不思議そうに、それでいて少しだけ悲しそうに、困ったような顔で言ったのだ。

 

生まれた子に罪は無い。

 

生誕が罪ならば、生が悪ならば。この期に及んでも、多分僕はこの世界を地獄だと思いたくない。そうだ、彼もまた被害者だ。その場合の加害者は、元凶は、彼の中に苦しみを産んだのは、

 

僕だ。

 

 

過呼吸にでもなったのか、胸を押さえて息をするだけで精一杯だ。そんな僕に対して、()()()はしゃがみ込んで僕と視線を合わせる。

 

「俺のことを愛してくれるならさ。…帰ってきてくれないか?極力、ナーサリーが辛い思いをしないように、俺が頑張るからさ。ほら、手に持った物騒なものを置いて」

 

彼の声がひたすらに痛かった。苦しくて苦しくて、それでも目の前の子は自分より苦しいのかもしれないと思って、彼が指差した自身の左手に視線が動く。

 

 

 

椿ちゃん!

 

ぽっ、と。そこにだけ熱が戻った気がする。その温かさは、優しくない。熱い泥みたいな何かに思考が飲み込まれていく。

 

僕を守ろうとする桜の、周りを見る目は鋭かった。

助けたいという欲求は自分勝手で、独りよがりで、排他的だ。救われたいという欲求は、醜くて、攻撃的で、選択を必要とする。

 

視界が赤く染まっていく。

選んだのは自分だった。きっとこの世の幸福の総量は決まっていて、欲しければ奪うしか無いのだった。甘い幻想は自分の目から次々と零れ落ちる。

視界を染める紅のせいで、眼前の怪人の姿は輪郭以外わからなくなっている。

 

「どうした———ッ!?!?」

 

怪人は僕と目を合わせて、突然硬直した。隙だと思えた。

火傷するほどに熱くなった左手。握った小太刀を、怪人の胸元、心の臓に、本当に軽く押し込んだ。

とすっ、と軽快な音が鳴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

顔にかかる光の粒子が眩しくて、一度ぎゅっと目をつぶる。その時、もう視界が赤くないことに気づいた。

 

我に返った眼下には、横たわる男が一人。我が子は、胸元から外へ外へと体が光となって宙に溶けているところだった。

 

「…はは。まさか。俺たちを捨てるんだ」

 

ぽつりと漏らした彼の声は、本当に寂しそうで。自分の選択が導いた末路は、あまりにも利己的で。

 

「…ちがう、違う」

 

何も違わないのに、僕の口は言い訳を漏らす。自分のためだけに、我が子の全てを奪っただけなのに。僕の選んだことなのに、別れの言葉を思いつくことも出来ない。

 

我が子の前に(ひざまず)く。もう彼の目は怖くなかった。半ば無意識的に、僕の腕は彼の頭を抱いていた。我が子を抱いたのは、これが初めてだった。

 

「……遅いって」

 

彼の声。もう一度、今度は強く意識して抱きしめようとした頭はもう半分ほど、光の粒子になっている。

 

感触はすでに曖昧だった。

 

「…ごめんなさい」

 

ため息が聞こえた気がした。もう彼の体はほとんど消えている。腕はとうとう空を切る。もう数秒と待たずに終わってしまう寸前に。

 

()()()

 

憎々しげな捨て台詞は、捩じ切れるくらい強く、僕の耳に絡みついて離れない。

 

 

 

 

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