孕娼の魔女   作:甘朔八夏

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26. 耽溺

 

 

「椿ちゃんっ!大丈夫!?」とか、「あなたはよく頑張った」とか言われた気がする。正直あまり覚えていない。

いつも粘ついた絶望で滴っていた心。今では砂漠のようだ。胸に……いや、それより少し()辺りにぽっかりと空いた穴は、驚くほどに乾燥していて乾き切っている。

 

空気の味がしない。

 

「…あなたは確かに『魔女の児』を倒した。それも私の協力、という名目で。対策課もこの事実は把握している。あなたの頑張りを決して無駄にはしない」

 

再びあの面談室に戻ってきている。喜色満面とは言い難いが、確かな手応えを持って明るい顔をしている綾芽。その明るさを眩しいとさえ、思えなかった。

 

なんとか空返事をしながらも、手にこびりついた感触は。耳に絡みついた言葉は。

消えない、()()特有の溶けるような切れ味が。

 

「母さん」、「母さん」か。僕が殺した怪人は僕がお腹を痛めて産んだ子だから、僕のことをそう呼んでもいいのか。

気にしていないといえば嘘になる。しかし後悔するつもりは無かった。僕は怪人で、怪人でありたくなくて、それならあの選択しか無くて、覚悟したのだ。

 

「——ッ!!………つば、き?」

 

あれ、いつのまに目が充血していたのだろう。綾芽の姿に真っ赤なフィルターがかかって見える。それに、彼女は額にひどい汗を垂らしていて、とても辛そうだ。

 

僕が苦しくなくなるためには、彼女は苦しくならないといけないのだろうか。

 

ふと浮かんだ疑問に顔を(しか)める。その答えを僕は知りたくない。俯くと、僕の枯れ木みたいな手に綾芽の綺麗な手が重なった。少し震えていた。

 

「…椿は『魔女』として顔が割れているから外出はできない。…でも、今回は特別。あなたの友人から、お家に招待が来てる。気持ちが楽になるかもしれないから、行ってきたらどう?」

 

彼女のお知らせは本当に寝耳に水で、でも心当たりは一つしか無かった。純粋な驚きと、耳の後ろくらいに広がるしっかりめの焦り。

 

「…そいつの名前は、なんですか?」

 

わかりきっているのに、その質問のためにわざわざ声を出す。綾芽は明らかな反応を見せた僕に驚きながらも、帰還後に僕が初めてまともに喋ったことに安心しているように見えた。

 

「たしか…白井、杏一さんだったかな」

 

逃げたことを思い出す。確実に怒られるな、と思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドアノブが完全に閉まるまで、僕の身体は大きな布ですっぽりと隠されていたけれど。入った瞬間、ひどく安心する匂いに包まれて、それだけで体の力が抜けた。

やはり顔も布で覆われているのに、人影だけははっきりと見える。だからすぐに気づいた。玄関で仁王立ちしている、()()前の自分なんかよりずっと長身でスタイルのいい男の存在に。

 

 

はらり、と布が取られる。ここまで僕を連れてきてくれた担当職員さんは、腰を抜かさないように必死に拳を握って(りき)みながら、僕に対して一礼をして外へと出て行った。

現在綾芽は、首都にある対策課の本部へと出向いているらしい。初代『魔女』には魔法少女を怪人に変える力があったため、本部は警戒して他の地域からこの街へ魔法少女を派遣しなかった。しかし、僕の()()()が認められれば、逆に監視のための魔法少女が殺到するかもしれない——そう彼女が語ってくれたのを思い出す。

『魔女』を一般人の家へ連れて行く。とんでもないことだ。それでも、今後はもっと難しくなることを見越して、綾芽は無理を通してくれたのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「久しぶりだな、椿」

 

突然、ではない。むしろぼんやりと考え事をする僕を、彼は鷹揚に待っていた。そしてゆっくりゆっくりこちらに近づいて、杏一の手が僕の頭を鷲掴み。彼の声はぞっとするほど優しくて、でも僕を(いたわ)る気など微塵もなさそうで。

 

「…言い訳してもいい?」

 

そんな軽口が言えることの嬉しさに、涙が出そうだった。

 

彼と視線を合わせるには、ほぼ真上を見上げるくらい首を曲げないといけないなと考えて、親子くらい高さが違うなと思ってしまって、それでも彼も鎖の怪人との子よりは小さいんだな、と気づいてしまって、

 

「ゔっ」

 

杏一は僕の頭に強めのチョップをした。全く予想外の攻撃に頭を抱えて下を向く。被弾した場所をさすりながら、不満を示そうと彼を探す。すでに階段を登っている後ろ姿が見えた。

 

「とりあえず俺の部屋行こうぜ」

 

こちらに一瞥もくれずに、彼は上に人差し指を指す。久方ぶりに、苦しさを吐き出すためではない、ため息が漏れた。

 

彼を追って二階へ。階段の段差が前よりも高くなっている。何度か転けそうになった。僕が段差の角にすねを打つたびに、すごい速度で杏一が僕のところまで戻ってきて面白かった。過保護が過ぎる。

 

結局二人なかよく同時に部屋に入る。すぐに勉強机が視界に入って、そういえば杏一は高校生だったなと思い返す。

別に久しぶりに来たわけでもないのに、びっくりするほどこの景色は懐かしくて、ずっと見ていても飽きる気がしない。コルクの板に押しピンで貼られた部活動の集合写真も、修学旅行で班のみんなお揃いで買ったキーホルダーも、壁に貼られたスポーツ選手のポスターも、美術館を訪れたような感じで眺めてしまう。

 

「ほら、準備できたぞ」

 

はっと我に返ると、杏一はいつものようにゲームの準備を終わらせて、僕にコントローラーを差し出した。

 

「…僕がプロコン使っていいの?たしか、僕の方が戦績良かった気がするんだけど」

 

「お前久しぶりじゃん。ハンデだよハンデ」

 

せっかくなので、お言葉に甘えることにする。やはりこちらの方が手に馴染む…が、一つ問題があった。

 

「あー…やっぱりやめとくか?」

 

コントローラーは僕の手には大きくて、むしろボタンが押しにくかったのだ。急に冷や水を浴びせられたような気分。杏一もそこは想定外だったのか、気まずそうにしている。気まずそうにしているということは、僕に気を遣うことに失敗したからだ。気を遣わせていたのだ。

 

「…いや、大丈夫。これで杏一が負けたら笑ってやるから」

 

無理に笑った。

一足先に彼のベッドに腰掛ける。杏一の部屋はベッドの横側にテレビがあって、そこに座りながらが1番テレビの画面が見やすい。此処で肩を並べて対戦したり、協力したりするのが日常だった。

 

僕の言葉を聞いて、杏一は面食らったような顔をした。でも、所在なさげに目をきょろきょろさせたのも一瞬。すぐに平然と僕の隣に座ってくる。

 

「言ったな?絶対参りましたって言わせてやるよ」

 

煽り文句を言う時さえ顔に爽やかさを感じさせるのは、きっと彼の才能だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…あっ、操作ミスった!待って待って待って!」

 

「ふ…詰めが甘いな。だが断る」

 

「あああ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「そういえば、椿の好きなアーティスト、新曲出してたわ」

 

「えっほんと?聞きたい!」

 

「BGMに流すか。何かのアニメのオープニングだってよ」

 

「へぇ…普段アニメは見ないけど、それだけ見てみようかな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「飲み物持ってきたぞ。…その。ココアでよかったか?」

 

結構な時間遊んだと思っていたけど、まだ時計の長針は白井家を訪れてから一周ちょっとしか回っていない。たったそれだけの時間で、喉は生意気にも渇きを訴えていた。

にも関わらず、僕は好物(ココア)に飛びつくことが出来なかった。思い出すのはもちろん、初めて杏一と再開した並木通りの風景と、いつも飲んでいた一本100円の缶。

 

無言で手に取る。グラスには、心なしか控えめに注がれたチョコレート色の液体に、小さめの氷が二つだけ。この部屋は暖房が効いているので、むしろアイスなのはありがたい。

こぼさないように両手で持って、少しだけ飲んでみた。

 

 

攻撃的で刺すような濃い甘み。ココアバターの油のにおいと牛乳の独特のにおいが混ざって、濁りに濁った風味。乳製品特有の粘り気が舌にこびりつく。

 

はは、と苦笑をする。

 

「やっぱり、苦手になっちゃったみたい」

 

「…そうか」

 

「せっかく用意してくれたのにごめんね?杏一も甘いのそんなに好きじゃないよね?勿体無いから、飲むのは飲むよ」

 

「…そりゃあ、簡単に癒える訳がないよな」

 

「杏一?…………ぅわっ」

 

グラスを奪い取られたと思うと、弱々しい僕の体はあっという間に杏一に持ち上げられた。すぐに下ろされるも、着地点は杏一の膝の上。彼はお腹に回した腕を離してくれない。

 

「どうしたの?」

 

「お前って、こういうところ小鳥みたいだよな」

 

「?…どういうこと?」

 

「弱ってる時の方が元気そうにして、不調を隠そうとするところ。……何があったんだ?吐き出したいなら言っちゃえよ」

 

「!」

 

「椿は向き合わないとずっと苦しいままの(たち)なんだからさ」

 

テレビ画面が読み込み中になって、一時的に画面は黒い鏡になる。そこに映る、青年に抱えられた真っ白の女は、驚くほどに幼い。弱い。惨めだ。情けない。

 

自分を恥じる感情は、杏一の優しさを突き放すことを望む。「やめろ」と指示している。しかし口は勝手に動き出す。

 

「…僕ね、」

 

開いてしまうともう抑えられなかった。決壊して止められなかった。悍ましい目から湧き出る水はどういうわけか透明だった。

 

「お腹痛めて産んだ子、ころしちゃった」

 

最後まで上手く言えなかった。でもお腹に回された手にぎゅっと力が入ったのが分かった。流石の杏一でも僕から離れちゃうんじゃないかって怖かった。子殺しの犯罪者のくせに、嫌われる心配が先に浮かぶ自分が気持ち悪くて仕方なかった。

 

大きな手は僕の老婆みたいな白い髪を()いた。子供を寝かしつけるような優しい手つきだった。もっと泣いてしまった。

杏一は僕の体をもう一度持ち上げて、くるりと回転させた。杏一と向き合う体勢になった。杏一は僕の目をしっかりと見てくれた後に、僕の頬を両手で包み込んだ。

 

「お前の1番の家族は俺だと思え。何も考えるな。今は俺だけを見ろ」

 

って言ってくれた。よくわからなかったけど、とりあえず杏一だけを見ればいいのか、と思うと安心した。

 

でも杏一は息ができなくなるくらいに僕の頭を自分の胸に押し当てた。これじゃあ杏一の顔が見られないので困ってしまった。杏一の身体が見た目よりも大きく感じてびっくりした。安心した。安心してもいいのか分からなかった。でも安心しても怒られないと信じられた。テレビからは次の対戦開始の合図の音が流れてきて、一時停止(ポーズ)を押さないと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目を開く。カラスの声が耳をついた。日はかなり傾いていて、そろそろ電気をつけないといけないくらいだった。いつのまに寝てしまっていたのだろう。

対策課の職員さんは20時ごろに迎えに来ると言っていたからまだ時間はあるけど、勿体無いことをしたなと思った。

 

「っ!?」

 

うつ伏せの状態から顔を上げてぎょっとした。自分の真下にあったのは、冷たい床でも柔らかいベッドでもなく、規則正しい呼吸をしている友人だったから。

すぐに記憶は蘇る。数時間前と同じ体勢、杏一に縋りついたままだ。ただ泣きじゃくっただけで身体が軽くなった気がする。自分の選択を肯定してもらったことで、押し潰されそうなほどに強かった罪悪感は少しだけ小さくなっていた。

 

我ながら、自分の単純さに呆れる。重いだろうし、とりあえず杏一の上から下りよう。…彼の顔を眺めるのはその後にしよう、と考えて、

僕の視線は彼の首筋に縫い止められた。

 

首筋に赤い点が一つ。

 

…。…はは、まだ三月になったばかりだというのに、杏一はもう虫に刺されている。杏一は心も体も綺麗だから、血も栄養たっぷりで狙われやすいのだろうか。

 

赤に触れる。芯はない。

 

杏一から少しでも奪うなんて見上げた精神を持った虫だと思いながら、自分のことに当てはめてみる。

 

僕が幸せになりたければ、杏一を求めるならば、それは杏一の幸せを奪うことになるのだろうか。

 

杏一なら「いいよ」って言ってくれると思った。結局、あの宿で、桜と一緒に逃げたことも怒られなかったな。単に僕の様子が怒れる雰囲気じゃなかっただけかもしれない。でもこんなに優しくしてくれたのなら、甘えてもいいのだろう。だから甘えようと思う。

 

ああ、でも、彼は(つばき)が魔女でも怪人でもいいって言ってくれたけど、『魔女』の(つばき)は醜くて、『怪人』の(つばき)は疎ましいから。

 

彼の首筋の赤に、唇を重ねるように強く吸い付いた。跡を上書きするように、二度と他の虫が杏一から奪おうと思わないように。

息が苦しくなった頃、やっと口を離して。

 

「…ちゃんと僕を人間(つばき)でいさせてね」

 

紅く光る目が、濡れた首筋を照らしている。

 

 

 

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