孕娼の魔女   作:甘朔八夏

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31.目撃

 

 

「久しぶり、桜」

 

「…………ヘクセ、さん?」

 

「はは、前のようにおねーさんと呼んでくれていいんだよ?…それにしては格好のつかない見た目だとは分かっているけどね」

 

桜はこれ以上何も言えずに口をぱくぱくさせている。彼女の意識は僕たちの真後ろ、ちょうど僕と同じくらいの高さから聞こえる声に釘付けになっていた。

 

その幼くも妖艶であるアンバランスな声は、耳朶を打つごとに僕の体を絶えず粟立たせる。美しい不協和音に耐えられなくて、恐る恐る振り向こうとする。

 

僕と同じくらいの背丈で、僕と同じ白い長髪を持った少女がぎょっと身体を跳ねさせているのが見えた。その顔を見ようとした瞬間、彼女の白い手が僕の視界を隠す。冷たかった。

 

…桜の前で。危なかった。…桜、この子は?」

 

「ああ、この子は…椿ちゃんです。……えっと——」

 

「孕娼の魔女…と、呼ばれています」

 

桜の言葉を遮って言った。彼女は、繋いでいた僕の手を強く握った。

 

桜は僕の目を塞いでいるこの少女を「初代魔女(ヘクセ)」と呼んだ。

それが真実ならば、少女が本当に桜の友達であったならば。僕はそれを隠してはいけないと思ったのだ。

 

「………魔女? そうか、君が魔女か!世間は悪逆だ、逃げ隠れたと(やかま)しく騒いでいたが、君がそうなのか!」

 

「じゃあ余計な心配だったね」と言って離れた白い手。開けた視界の中心、目の前には自分によく似た少女が立っている。

目が眩む陽光、それを反射して透き通る滑らかな絹の髪、陶磁器のような肌に埋め込まれた宝石、瑠璃色、いやそう形容するには()()()()、自分とは対照的な深い海の底のような美しい美しい美しい美しい

 

青い瞳。

 

 

 

 

 

 

 

「…嬉しいよ。桜に会えただけでもまたこの世界を訪れた意味は充分すぎるのに、まさか魔女だなんて。もう私の固有名詞じゃないかと諦めていたよ」

 

「そんなことよりっ!いや、それも勿論大事なんですけど!…まずはおかえりなさい。私も会えて嬉しいです、でも聞きたいことがあって!私、ヘクセさんが悪い人だとは思えなくて、教えてほしいんです!なんで、どうして——」

 

「そんなに捲し立てられても分からないよ。私にも事情があってね。できれば私のことを桜以外には知られたくない」

 

「っ!ってことはやっぱり!」

 

「待ってくれ。また場所を手配する。その時にゆっくり語らおうじゃないか」

 

「……」

 

「私は桜に対して誠実に接してきたつもりだ」

 

「…はい」

 

「ふふっ、私のことを思って私に反論してくれるのは、やっぱり君だけだよ。…大きくなったね」

 

懐かしそうに、ヘクセは桜の頭を撫でる。桜はその手に抵抗しなかった。少し体を屈めて照れくさそうに髪を軽く乱されて、すぐに思い出したかのように僕の方へ体を向ける。

 

「このタイミングで会いに来たってことは、椿ちゃんにも何か話したいことが?……って、椿ちゃん!? どうして泣いて——」

 

「え?」

 

遠くで聞こえる桜の声に、僕は目尻に手を当てた。触れなくてもわかるくらいに濡れた自分の顔に困惑する。どうしてだろう、悲しくなんてないのに。むしろ安心してるのに。

 

「少しいいかな」

 

と言って、ヘクセは僕の汚れた瞳を覗き込んでくれた。彼女の深い目には底がない。どこまでも落としてくれる。どこまでも堕としてくれる。

僕の目なんかを見てくれているヘクセも、少し興奮気味に口角を上げていて嬉しかった。

 

「迷ってるんだね。好きな目だ」

 

と言ってくれた。やはり僕にも、彼女が悪人だとは思えない。それよりもむしろ、

 

「いろんなことを見て、迷って、歪んだ目だ。……でも、まだ足りないのか」

 

「あの!…貴女についていけば、僕は選べますか!?」

 

押されるように、僕はヘクセに擦り寄った。桜の怪訝そうな吐息と、ヘクセのため息が対照的だった。

ヘクセが口を開こうとした瞬間、桜の携帯が鳴った。電話が苦手なのか、桜はどこかばつが悪そうな顔でその着信に出る。

開口一番は事務的だった桜。

 

「……え?」

 

しかし途中で、彼女の額に汗が垂れた。その後の会話も、桜は機械的に対応していたように思う。ただ一つ異なるのは、先ほどとは違って彼女が感情を押し殺そうとしていたということ。数分もせずに会話は終わり、桜は携帯を鞄にしまった。

 

「……椿ちゃん。落ち着いて聞いてほしいの」

 

僕の両手を包み込んで、こちらを真っ直ぐと見ている。流石に不誠実だと思ったので、ヘクセから視線を外した。桜が僕の手を握るその強さは、僕を守ろうとしているように感じた。

 

「テレパシーの居場所がわかった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

動かないでねぇ?

 

まだ抵抗できるんだぁ。

 

楽しいねぇ。ナーサリーちゃんも楽しんでくれてると嬉しいなぁ。…ふふふ、さすがに冗談だよぉ。

 

次はこれ大丈夫だから叫ばないで辛かったらいつでも言って大事だと思ってるよワタシはナーサリーちゃんの目が羨ましい君が好きだよ

 

「………そう、なんだ」

 

「もう聞きたくもない名前だと思う、ごめんね。でも、必ず私がテレパシーを浄化するから」

 

「うん。…ありがとう」

 

心配を隠そうともしない桜になんとか笑いかける。しかし内心では()()()は激しく渦巻いている。

 

「それで、私また会議に呼ばれちゃった。椿ちゃんもそろそろ戻らないと不味いかもしれない」

 

「その前にこの子と二人で話がしたい」

 

躊躇いがちな桜の申し出にヘクセが横入った。目を丸くする桜にまくし立てる。

 

「この子…椿(つばき)の謂れは把握している。だからこそ、椿にだけ言いたいことがあるんだ。駄目かな?」

 

「…実は。椿ちゃんがここにいるのは、許可を貰ってのことでは無くて」

 

「ならば、なおさら私に任せた方が都合がいいんじゃないかい?あいにく隠れんぼは得意になってしまったからね」

 

ヘクセの主張に効果を示しながらも、未だ思案を続ける桜に続ける。

 

「桜。君は今魔法少女なのかい?」

 

唐突な話題転換にきょとんとした顔を一瞬見せた後、桜は肯定の意を示す。ヘクセは少し嬉しそうにしていた。そこで少し上がった口角をもう一度下ろして、彼女は事実を語るみたいに言った。

 

「私の往訪は、いずれ対策課に自分で伝えるよ」

 

「ッ!!」

 

その発言に驚いたのは桜だけではない。自首にも等しい言葉だ。現在、『対策課を魔女(ヘクセ)が創設した』というのは、周知の事実でありながらもタブーとされていることだ。「魔女の浄化」が対策課の暗黙の第一目標となっていることは、「ナーサリー」の頃に存分に理解したのだから。

 

「…私じゃなくて、椿ちゃんが決めることですけど」

 

想像し得る誠意を剥き出しにされて、とうとう桜は折れた。その呟きにヘクセは満足そうに頷いた後、こちらへ向き直ってくれる。僕もヘクセと二人で話してみたかった。彼女から受け取ったこの衝動の正体を知りたかった。

 

「お願いします」

 

と頭を下げた。返事はない。恐る恐る顔をあげた先で。青い目に退屈が感じられて、ひどく恐ろしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、桜との約束を破るわけにはいかないからね。あまり時間はかけていられない」

 

「……僕は魔女です。でも貴女のように強くなれない。それならヘクセさんに従った方が幸せじゃないかって思うんです」

 

「それは君の本心じゃない」

 

どこから取り出したのか、細い縁の丸眼鏡をかけたヘクセが冷めた声で言う。彼女の言っている意味が分からなかった。

 

「君は確かに魔女だ。それなら私の『強迫の魔眼』に耐えられない理由がないはずだ。しかし現に君は魔眼の影響を受けている。…まぁ、それでも目を剥くほどにはマシな部類だがね。となると、結論はひとつだ。椿。君はまだ()()()()()()()ね?」

 

教師然として人差し指を立てるヘクセ。眼鏡がまたその仕草によく似合っていて、やはり彼女を信頼することが悪いことだとは思えない。

 

「…はぁ。どうも近頃はみな研鑽が好きでないらしい。無知とは恐ろしいものだね。こういうのは実践が早いんだ。椿、なんでもいい。君には大切なものがあるかい?」

 

そう言って、ヘクセは僕の手を軽く掴んだ。僕も手が冷たい方だと思っていたが、彼女の手は僕よりも冷えていた。

 

そんなもの、持ち物なんて数える程でしかない僕に、大切なものなんて、ヘクセが僕の大切になってくれるのか、もの、者?

潜っていた思考が急速に上昇する。思い出したという表現は不適切だ。忘れたことは無いつもりだ、何年もずっと前から僕を支えてくれた人を。僕が椿でいられた理由。彼のために生きればいいと、僕は安心したんだ。

 

「なんだ」

 

ヘクセが僕に向ける声の中に、初めて人間味が混じった気がした。その声は僅かに嬉しそうで、僅かに意地悪げで、ほんの少しだけ寂しそうだった。

 

「いるじゃないか、大切な人が」

 

また僕を見据える青い宝石は、ふたたび僕の頭に霧をかける。それでも強烈に浮かんだ杏一との思い出は輪郭をはっきりと保っていた。

 

「…『魔女』の力は使ってみるのが早い。望め。そうすれば君は私に近づける」

 

ヘクセの言葉に、弾かれたように顔を上げる。気づけば視界には紅い(もや)が見えている。それを自覚した瞬間、飢えに近い強い衝動が押し寄せる。

 

「少しその子の元へ覗きに行こうか。なに、私がいれば大丈夫さ」

 

 

 

 

 

 

 

 

ヘクセの指示に従いながら、靄が濃い方へと歩んだ先。かつて僕が通っていた高校があった。

今は使用禁止になった裏口は、金網のフェンスを細工して作った扉がある。ダイヤル式の鍵の暗証番号を、僕は覚えている。かつて部活で使用していた出入り口だったから。

 

ヘクセを手招きする。眼鏡の奥で、好奇心が淡く光っている。

彼女の言うことは正しいから、ヘクセの言う通り導かれるままに杏一を探してここへ来た。しかし対策課で言われた決まりを破ってまで杏一に会って、僕はなにをすればいいのだろう。

「ただ遠くから見るだけでいい」と彼女は言った。「会うことはただの手段さ」とも言った。

 

「まだ悩んでいるのかい?」

 

「…はい。少しだけ」

 

「やはりいいね。悩むことができるのか。…っと、すまない。期待して君を急かしてしまった。でも君が魔女の力を使いこなせれば、きっと私の言葉の意味がわかるはずさ」

 

すでに靄は視界の邪魔をするほどに濃くなっている。これが「意味」なんだろうか。今は信じることにした。

 

グラウンドから望む校舎には、大きな掛け時計が存在を主張している。遠い記憶は、今の時刻を放課後になったばかりであると教えてくれた。

杏一は部活動を真面目に取り組んでいた。そんな彼のことだ、もう体育館に居るだろう。案の定、靄の密集で真っ赤に染まっているその場所へ移動する。

 

人目を忍んで歩く最中、思い出すのは先ほどのへクセの言葉。

たしかにこんな場所で僕に会ったら、きっと杏一は迷惑するだろう。だからバレないように見るだけでいい。…でも、杏一なら僕を優先してくれるだろうか。対策課で辛いことがあったんだと言えば、また家に招待して、いっぱい愚痴を聞いてくれるだろうか。彼だけは絶対に僕の味方をしてくれる。杏一がいる限り、僕は絶対にひとりぼっちじゃない。

もちろんただの空想だ。大切だからこそ、杏一の邪魔はしたくない。ただ見るだけ。それなのに、心臓は痛いほどにうるさい。

 

 

 

 

グラウンドの端から体育館までの距離はおよそ200m。隠れながら移動しても15分ほどしかかからなかった。死角を探して身を潜めると、そこはおあつらえむきに杏一の所属する部室前。

窓からこっそり覗いて、すぐに去ろうと決めた。

 

まだ授業が終わったばかりだからか、部室の中はひどく静かだ。もしかすると、まだ杏一しか来ていないのかもしれない。

それならば少し顔を見せてもいいのでは、という邪念に強く蓋をする。そうして窓枠にそっと手を当てて、部屋の中を見た。

 

期待通り、そこには見慣れた背中。僕を何度も救ってくれた力強くも優しい腕が、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

知らない女を抱きしめていた。

 

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