「……たかが
猫背のしすぎで癖のついた背骨を鳴らして、女は煩わしそうな声を出す。彼女を取り囲む人影は十を超えている。色とりどりの装飾を見に纏う魔法少女たちの中心で、テレパシーの黒い目がひときわ目立っていた。
「あなたが『
矢をつがえた状態で呼びかける桜。
穴のような黒い目が、厚い眼鏡の奥で苛立たしげに歪んだ。その瞳にも桜は怯まない。集中しているのだろう、腹式呼吸を意識しているように見える。桜の揺れる髪をぼんやりと見ながら、僕は車の陰に潜んで立っていた。
杏一に会いに行った後、約束通りヘクセが対策課まで連れて帰ってくれた。帰り道、ヘクセは僕のほうをたびたび見てきた。期待しているような態度だった。
そうして、指定された部屋に数時間ぶりに帰ってこれた。僕の不在は気づかれていないようだった。
しばらく椅子に座っていると、会議が終わったのか、桜が部屋に入ってきた。桜だけじゃない、他にも複数人の魔法少女が僕の元を訪れていた。
過去のデータによると、テレパシーの戦闘能力は高くないと桜が教えてくれた。
「万が一にも逃げられないように、1km半径で魔法少女を展開しておく。これならワームホールの介入があっても大丈夫だから」
『農場』壊滅のための第一歩だとも桜は語った。
「…僕もついて行っていいですか?」
尋ねると、部屋にいた全員が息を呑んだのがわかった。一旦の沈黙の後、皆が僕を置いて部屋を出た。1時間ほど待っていると、桜だけが帰ってきて神妙な顔で許可をくれた。
何をそんなに不安がっているのだろうか。僕が思い出して辛くならないように、後で知らせるだけのつもりだったのだろうか。
そちらの方が良いと、小さな小さな理性が囁く。自分でも何故テレパシーにもう一度会おうとしているのか分からない。会っても意味はないのだ。
僕を怪人に変えた彼女の死を見たとしても、僕は人間に戻れないのだから。
「マーダー様の居場所は探してないから分からないけどぉ、ワームホールは最近よく地上に出てるから、人目につかない路地とか廃ビルとか張っといたらいいと思うなぁ」
「!?」
「…えぇ? 情報収集も目的だよねぇ? なんで驚いてるのぉ?」
聞いてもいない内から急に仲間の情報を曝け出したテレパシーは、その正気を疑うような視線の雨にただ首を傾げている。
「なんのつもり?」
「だって、もうワタシ逃げられないよねぇ?死に様が抵抗もできずに大勢にボコボコとか、絶対笑い物になるよぉ?仲間を売ったんだから、せめて格好良く抵抗させてよぉ」
テレパシーの口調は死を覚悟したとは思えないほどに軽薄だ。
「…そんな浅い気持ちで椿ちゃんも傷つけたの!?」
「ツバキ?……あぁ、ナーサリーちゃん!」
低くなった桜の声。怒りを滲ませるその叫びを無視して、テレパシーは手を打った。にやにやと笑いながら、妖しく光る目で桜の顔を覗き込む。
一歩テレパシーが動くと、周囲の魔法少女が一斉に彼女に武器を向けた。それでもテレパシーの笑みは消えない。
「…へぇ。チェリーブロッサムったら、ナーサリーちゃんのことを大事に思ってるんだねぇ。いっぱい悩んで、それでも折れずに成長してきたんだぁ。…ワタシが一番嫌いなタイプだよぉ」
キッと睨みつけるも、テレパシーは意にも介していない様子。
「せめて周りの子たちみたいに、「怪人は悪!」っていう単純さを持ってたら可愛いんだけどなぁ」
「もうあなたと話すことはない」
しつこくまとわりつくテレパシーの言葉を振り払って、桜は弓を引き絞る。
「ひどいなぁ、殺人犯でも被害者の最後の頼みくらいは聞くものじゃないのぉ?」
刺す悪口にも怯まない。桜が右手の力を抜けば、たちまち戦闘が始まるだろう。その前にテレパシーに言いたいことがあった。
物陰からゆっくりと出てきて、短い歩幅で桜の後ろまで歩く。彼女の肩に控えめに触れると、桜は驚いたような反応をした。しかし一度動きを止めた後、こちらに向かって力強く頷く。
同時に硬い金属音が鳴った。
「あははぁ、失敗ぃ」
視線を前に戻すと、何かを振り抜いたような体勢のテレパシー。数メートル先で、折れた
「お前っ!」
奇襲を弾いた魔法少女が、怒りに震えて武器を振り上げる。桜は彼女を慌てて手で制した。敵はテレパシー1人だけ。始まればすぐに終わらせられるだろう。それを止めた理由は、僕のために他ならない。
彼女の厚意に感謝をして、僕はテレパシーの前へと姿を見せた。
「なんだぁ、ナーサリーちゃんも来てたんだねぇ。久しぶりぃ」
逃げ出して、『農場』崩壊の契機を作った僕との再会だ。にもかかわらず、テレパシーの顔は僕に会えたことを素直に喜んでいるように見えた。
「…僕を恨まないの」
「恨むぅ? それをナーサリーちゃんが言うのぉ?君は本当に甘っちょろいんだねぇ」
厚い眼鏡の奥で、真っ黒な目が喜色に歪む。あまりにも見慣れた光景に、喉の奥が締まった。
「ワタシは、興味のあることを調べられたら幸せだからねぇ。ナーサリーちゃんのことは、だいぶ満足したからもういいかなぁ」
いつも通りの間延びした声だ。その声を聞いて、良いことが起きた経験は一度して存在しない。あの暗くて寒い檻の中で、僕はいつも扉が開くことに怯えていた。声が僕に向けられるのが怖かった。
だからこそ、今心中を染める感情に驚いた。あの時から全く変わらず、親しげに話しかけてくるテレパシーへ。湧いたこの感情は、恐怖ではなく、
怒りだ。
「ッなんで!なんで
「おぉ、おぉ。いたく気が立っているねぇ。ワタシたちを恨めるほど、心に余裕ができたのかなぁ?……それとも。昔の恐怖を思い出せないくらいに、心に余裕が無いのかなぁ?」
僕の罵倒を軽く受け流して、テレパシーの目が再び光る。その妖しい光は、
「……え?なにこれぇ。裏切り…孤独、というかぁ、失恋?」
よっぽど予想外のものを見たのか、目をぱちくりと瞬かせたテレパシー。しかし時が経つほどにその「意味」が分かってきて、彼女の顔が好奇心に染まっていく。やがて、堰を切ったように言葉の刃をぶちまけた。
「ナーサリーちゃんには大切な人がいたんだねぇ!そんなに信頼してたんだぁ!変化前の恋人だったりするのかなぁ?」
「……黙れ」
「その前にいろいろ聞かせてよぉ!さっきまではこの世に未練は無かったのに、こんなこと知っちゃったらおちおち死ねないじゃないかぁ!」
テレパシーの高揚した声に
触れてほしくない、今でも信じられない。
でも見てしまった。僕は確かに知ってしまった。
「それでぇ?その大事な大事な男の子を、他の女に取られちゃったのぉ?まあ仕方ないよねぇ、その子は人間、ナーサリーちゃんは怪人なんだから——」
「違うッ!!杏一はそんなことする奴じゃない!!!」
「じゃあ、なんでナーサリーちゃんの心はそんなにぐちゃぐちゃなのかなぁ?むしろ、閉じ込められてた時の方が真っ直ぐに絶望してて、今より暮らしやすかったんじゃないのぉ?」
「うるさい!!ちがう!黙れ黙れ黙れ!!!!」
僕たちを、十数人の魔法少女たちが囲んでいる。彼女らが皆一様に一言も発していないことに、この状況では気がつくこともできない。
「寂しい? 寂しいよねぇ!だって怪人なのに人間に擦り寄ってるんだもん!そりゃあそうなるよぉ!無理なんだよナーサリーちゃん!怪人としての生を拒むなら、きみは一人で
テレパシーの目線が何かに強いられて、ぐん、と向きを変えた。呻る金属矢の先と目が合う。
矢と呼ぶにはあまりに剛強なその一筋は、厚い眼鏡もろとも女の目を突き貫いた。
「もうやめて」
無感情に徹しようと努力する桜の声。眼球の破壊によってどくどくと溢れるはずだった血は、魔法少女の不思議な力で光の粒子になる。その淡い光は、女の目が見えないほど多く漏れ出ている。
テレパシーが致命傷であることは、誰の目に見ても明らかだった。
「…結局かっこ悪いじゃんかぁ」
すでに原型を崩していく傷口を手で押さえながら、それでもテレパシーは伏すことなく僕に再び向き直る。彼女の顔に死への恐怖はなかった。ただいじけた子供のような顔をしていた。
「ナーサリーちゃん…君は怪人なんだよぉ。だから
うつ伏せに倒れた。手をつくのを失敗したのか、彼女の指から嫌な音が鳴る。無理な体勢にもかかわらず、女は最後に僕をもう一度だけ見た。まだ何かを喋ろうとして、声が出ないことに苦笑した直後、テレパシーの身体は完全に光の粒子となって消える。
それでも、最初に飛び立った