孕娼の魔女   作:甘朔八夏

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34.応報

 

 

 

「な″ぁ、ざりーッ!」

 

薄汚れた黒髪の間隙でマーダーの目が剥いている。

あの日泣き崩れる僕を嘲笑った時よりも、かの日僕を大衆の前に晒した時よりも。ずっとずっと弱々しい。唯一、目に宿す怒りだけが、以前の彼より強くなっている。

 

「…なん、で」

 

「今言ったばかりだろう?この少年は、贖えないほどに()()()をし過ぎたんだ」

 

横たわるマーダーの憎悪をそよ風のように受け流して、ヘクセは僕の両肩に触れる。

 

魔女(きみ)の力はね。君が望むものを手繰り寄せるんだよ」

 

ヘクセが何を言っているのか分からなかった。遠くの教室で、教師が授業をする声ばかりが鮮明に聞こえる。焦点を失った僕の瞳の奥の奥を覗くヘクセが、やがて耳元で囁いた。

 

この子(マーダー)のせいで、大切な人を奪われたんじゃないのかい?」

 

「——ッ!!!」

 

指向性を持った甘い毒。

杏一のこと、魔女のこと、過去のこと、杏一のこと。煩雑に痛んでいた頭が、ヘクセの甘言によって溶けていく。視界が(せば)まっていく。

 

「ぉ、前の、せいでえ″…」

 

うめくマーダーの体のいたる所に、真っ赤な靄がまとわりついている。それらは全て、僕がマーダーによって壊された部位と一致していた。

 

()()()

 

興奮気味のヘクセの声が響く。その声が煩わしかった。気づけば真っ赤になっていた視界で、喜びを抑えきれないへクセを睨みつける。彼女は拍手をしていた。

 

「おめでとう。そして、ありがとう。君は完全に、私と対等になった」

 

何を言われても、今の僕には邪魔な雑音に等しい。無言の視線でヘクセの瞳を刺し続ける。やがて僕の感情に気づいた彼女は恍惚とした表情をしまい込んで、照れたように頭を掻いた。

 

「そろそろ私は退出するよ。リハビリ…いや、肩慣らしと言えばいいのかな?君の気が晴れることを願っている」

 

引き戸が閉まる。ここは普段使わない準備室。窓は北向きに据えられていて、扉を閉めると存外薄暗い。

 

殺人者と魔女の会合にぴったりだと思った。

 

「…マーダー。僕は、君が怖いよ」

 

彼の前まで音を立てて歩いた。いつでも彼の頭を蹴り飛ばせる距離まで来た時。マーダーは僕の足首を必死の形相で掴んで、もう片方の拳で殴りつけた。

少し、痛かった。

 

 

僕のくるぶしを掴んだことで、彼の手首が僕の前に晒されている。

 

ひどく懐かしい。今でも思い出したら震えるのだ。

()()()思い出す。

マーダーの体に濃くまとわりついた赤い靄がその手助けをしてくれている。

僕はかつて、鋏で手首を切って死のうとしたことがあったなぁ。マーダーに見破られて、散々笑いの種にされたものだ。

それから少し経った後。マーダーは『正しい自殺の仕方』を教えてくれたんだった。切り傷で足りないなら、切断しちゃえばいいんだと言ってさ。君は僕の腕を台に固定して、手で持たなくても操れるのに、わざわざ顕現したノコギリを使って、他でもない君自身が、僕の腕をギコギコと切断したんだよ。

 

こんなふうに。

 

「あッひ″ゃめっ…ぎゃあ″!!!」

 

授業の備品のノコギリを一本拝借して、僕の手を掴むマーダーの右手に刃を当てた。擦った。マーダーは僕の足から手を離した。その手のひらを踏みつけて固定した。擦った。血が足に付いた。

 

声がうるさかったので、今度は木材用のやすりを借りることにした。でもあの時はナイフだった。確か、虎の怪人を産んだ時のことだったかな。産んだ子は産道で長い牙を暴れに暴れさせて、まだ諦められていなかった僕はいつにも増して泣き叫んだ。

「うるさいな」って言って、君は珍しく、実物のナイフを取り出した。「刀身が黒くてかっこいいでしょ?」と、見せてくれたよね。

 

 

目印さながらに舌を赤く彩る靄に感謝する。

やすりをマーダーの口に突っ込んで、舌を抉るように前後に動かした。くぐもった声は、先ほどよりも音量はマシになっていたけれど、体の痙攣はさっきより強くなっている。

 

「なんでこんな酷いことを僕にしたの?」

 

きっとマーダーはヘクセに恨みがあるのだろう。しかし僕は魔女であってもヘクセではない。どうして彼は、この少年は、八つ当たりで人の全てを殺せるのだろう?

 

あえ(なえ)″っ、おお(どこ)″の…う″んあ″い(ふ″んさ″い)え″ぇ…!」

 

ずたずたになった舌で、未だにマーダーは吠えている。しかし瞳の怒りはどこか安っぽい。内に眠る感情をひた隠すためみたいな、虚勢じみた感情だ。

ためしにマーダーの腕を万力の上に置いてみた。彼の腕はびくっと震えて、その震えは止まらない。マーダーの瞳をもう一度覗き込んだ。

 

彼の顔が青ざめた。

 

 

 

 

 

 

 

頭の先まで真っ赤に染まった。

 

「っなんでなんでなんでそんな顔するんだよお前が殺人鬼がマーダーが!!!!お前がやったんだろ全部全部僕にお前が!!!全部奪って笑ってさ楽しかったか?僕は辛かった!!痛くて死にたくて堪らなかった!!今もそうさ、お前を傷つけることなんて楽しくも何ともない!!!」

 

まだ綺麗なマーダーのお腹を殴りつける。弱々しいはずの僕の拳で、マーダーは低く悲鳴を漏らす。

 

「僕の痛みはこんなものじゃなかった!いや違う!こんなもの痛みの内に入らなかった!!!奪われた!奪われたのは僕の方だ!!あいつと一緒に居たかっただけなのに!!!そんな目で見るな!!!!僕の真似をするな!!!!僕を悪者にするな!!!!」

 

鉛でできた長い針金を、(たば)のままマーダーに投げつけた。目の近くに刺さったのか、彼は年相応の絶叫をした。

飽き足らず、四角い木の椅子をマーダーの上に落としてその上に飛び乗った。彼の身体からミシリと嫌な音がなって、もう彼は悲鳴も上げられない様子だった。

 

使える道具は全て使った。同じ目に合わせたくて、削ぎ取ったりもした。いろいろした。

 

そういえば、僕の目が不快だと言って抉られたこともあったなぁ。手足が潰れて地面と同化しているマーダーに馬乗りになる。金属部分が10cmを超える大きな(きり)を、逆手に持ち直した。

最初は右目からだ。魔女の力に頼らなくても覚えている。忘れられるわけがない。躊躇いなんてなかった。

その尖った先を高く振り上げて、照準となる黒に突き落とす。

 

錐がマーダーの眼を殺す寸前、その一瞬だけ、マーダーと目が合うと、

 

少年はぼろぼろと泣いていた。

 

 

 

ぷちゅん、と音が鳴って彼の眼球が破れた。ブドウを潰した時の感触と似ていた。

 

「本当なんですって!たしかにこの部屋から子供の声が———」

 

がらりとさびれた音が鳴って、廊下に繋がる窓が一つ開く。

 

ボブカットの焦茶色の髪だ。校則に引っかからないくらいの淡いメイクをしている。校章の色は緑。これは高校1年生、すなわち僕の一つ年下ということを示している。

 

僕はマーダーの眼を刺した(きり)から手を離していなかった。床中に飛び散る固まった血なのか肉片なのか分からない赤に、その少女の顔は土色になっていた。

ああ、言い忘れていたけれど。少女は僕と目を合わせている。へたり込むことも出来ないで、石になったみたいに死にそうな顔で僕から目を離せないでいた。

 

「——夏梅(なつめ)、どうした?」

 

その後ろから男が顔を覗かせて、文字通り事件現場を見たときの表情をして、()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

裂く悲鳴をあげて、夏梅(なつめ)と呼ばれた女はどこかへ走り去っていく。杏一は僕とその女を交互に見て、脂汗を流している。

 

「…つば——」

 

「杏一。今の誰?」

 

女の姿が鮮明に思い出される。それしか思い出せない。考えられない。

綺麗で艶のある白くない髪。杏一の顔を近くで覗き込める、女性としては高めの身長。妬ましい。どちらも痛いほどに見覚えがあった。以前学校を訪ねたその時からずっと、まぶたの裏に焼きついていた。

そして極め付けは、杏一と同じ色の澄んだ瞳。

当てつけだろうか。僕が奪われた「普通の目」を熱にうかせて、あの女は杏一を見つめるのだろうか。

 

杏一は(こら)えるように拳を握っている。迷いの後、杏一は口を開く。

 

「…ただの部活の後輩だよ」

 

杏一は僕から目を逸らした。杏一の声は尻すぼみになっていて、杏一の言葉は、あの女を僕から遠ざけようとしていた。

 

「なんで…なんで嘘つくの?」

 

「嘘なんて——」

 

「じゃあなんで僕を見てくれないのッ!?

 

一歩、杏一へと近づいた。反射のようにその距離だけ杏一も後ずさった。彼の行動は想定外のことだった。僕は本当に驚いて、凍りついたように動けなくなる。氷像と化した僕と、とうとう杏一は目を合わせた。

 

杏一の瞳に恐怖が映るのを見るのは、この時が初めてだった。

 

 

 

ぽたっ、と、自身の手元から滴り落ちる音。目をやると、右手に持った錐の先、眼球を構成していたであろう透明な液体が垂れている。

 

今更気づいた。僕の髪がマーダーの血でベトベトになっていることにも、マーダーがすでに事切れていることにも、彼を殺したのが僕であることにも。

 

「あっ」

 

今の僕の姿。皆が最も恐れているもの。拐かす、脅かす絶対悪。まるで僕の両親を殺したものと同じような、邪悪な怪人そのものだった。

 

手遅れだという事実から目を逸らして、外を望む窓から飛び出す。マーダーの死骸も、マーダーを傷つけるために使った道具も置いたままにして。その場から離れることだけを考える。

それなのに。杏一は僕の『怪人』を見てしまったのに。もう終わったことは心の奥底では分かっているのに。

彼への想いだけは置いていくことが出来ない。

 

泣きたいのはこっちだと叫ぶ自分は、もう杏一の隣にいる資格がないことを示している。

 

杏一は僕を追ってこなかった。

 

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